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NIGHTMARE RAVENS  作者: 96500C/mol
Chapter 19. 覚醒 -Confutatis-
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#1 深紅




 リリア・ロアノールが終わりのない悪夢を見始めたのは、いつからだっただろうか。


 明確にいつ、というのは難しい。

 リリアの夢には定期的に『おぞましいかいぶつ』が出現する。赤黒い体をし、蛆虫のように蠕動し、同じく赤黒い粘性生物を従えている―――夢の外、現実の世界では『臓物』と呼ばれているものだ。

 だが、リリアの夢は、初めから完全な悪夢であったわけではない。怪物があらわれると必ず、そこからリリアを救ってくれるヒーローがいたからだ。


 セナ・カラスバ。リリアより少し年上の、カッコいいお姉さん。

 ある時は白馬の騎士、ある時は軍服に身を包んだ隣国の王子。またある時は黒い装束に身を包んだニンジャ。夢の世界でセナはいろんな格好をしていたが、どんな時も決まって窮地から必ずリリアを救ってくれた。

 彼女が来てくれると思えば、どんな悪夢も恐ろしくはなかった。


 そのセナが夢に現れなくなったときを醒めない悪夢の起点とするならば、それは昨年の5月から、ということになる。

 夢の外の世界―――『現実』でセナが命を落としてから、リリアの絶望的な悪夢の世界はエンドマークを失った。


 しかし、その悪夢の世界にあっても、リリアは希望を捨ててはいない。


「見なきゃ。怖いけれど……でも」


 真っ暗闇の夢世界に脱力した体で浮遊しながら、リリアは独り言をつぶやいた。

 気を抜くと、夢を覆う黒い闇がリリアの体に纏わりついてくる。その無数のミミズのような「闇」は、リリアの体中を這いまわって、その肉袋の中に入る入口を探している。

 一体、何のために――――理由は簡単だ。この、まとわりつく具現化された絶望は、「何か」に操られている。リリアを絶望させ、闇の中へと引きずり込もうとしている。

 その何者かの正体も、リリアにはもう分かっている。


 黒き煌きの魔女、シャリオ。

 かつて人類に暗黒時代をもたらし文明を500年近くも停滞させた、邪悪な魔女だ。


「シャリオ……あなたの思い通りにはさせない」


 リリアは勇気を持って、自分の体に「闇」が侵入してくるのを許した。

 シャリオの尻尾を掴む。彼女は何かしらの方法で現実に現れようとしている。その手段だけでも手がかりが掴めれば、あとは姉のヘレナがなんとかしてくれるはずだ。

 そのためには、悪夢に怯えているばかりではいけない。今こそ、無間の絶望に対峙すべきときなのだ。



   ☆   ★   ☆



 リリアが目を開けると、そこは開けた荒野の真ん中だった。

 横風に前髪を抑える。激しい嵐が吹き荒れて、岩は崩れ草は倒れ、あらゆる生命が安寧を失っていた。

 見上げれば、赤黒い空で目まぐるしく雲が動いている。浮かんだ月は血のように赤い満月で、異様に大きく見える。現実ではない、これは夢だ――――そう思おうとしたが、リリアは夢に慣れすぎていた。

 これは予知夢である。おそらく、魔女シャリオが復活した後の世界。


「誰か、誰かいませんか!」


 声を上げてみる。だが、リリアの声は強風にかき消されてしまい、どこにも届きそうになかった。

 突如、飛んできた石の塊がリリアの側頭部に直撃する。

 昏睡しかけて倒れたリリアは、飛んできたそれが自然物ではなく、建築物の残骸であることに驚いた。

 石の表面には、見慣れた紋章――――ロアノール家の家紋が記されていたからだ。これがあるべき場所はロアノール城。すなわち、聖ロアノール音楽学院である。


 リリアが周囲を見回してみても、ロアノール城の特徴的なあの4本の塔が見えない。リリアは石が飛んできた風上に向かってみることにした。


「誰か、誰かーっ!」


 叫んでみても、人間の答えはない。唯一答えてくれたのはごうごうびゅうびゅう、風の音だけだった。


 しばらく歩いて、リリアはロアノール城にたどり着いた。

 しかし、そこには城と呼べるものは何もない。打ち捨てられた廃墟の壁が、かすかに残っているだけだ。建物の地上部分はほとんど何もなく、わずかに残っている壁も強風で風化し、角が丸くなっていた。


「そんな……姉さん、姉さーん!」


 呼んでみても、答えが返ってくるはずはなかった。

 匂いはしない。なのに、リリアは壁に触れて鋭く感じ取った。この場でかつて何が起きたのか。それはきっとリリアの夢の外では、未来の出来事。


「……あら、いらっしゃい」


 何の気配も感じなかった。リリアが振り向くと、『それ』はそこにいた。


 人である。少女である。

 ショートの黒髪で、柔らかな微笑みを湛えている。鍔の広いとんがり帽子を載せ、全身を覆う大きさのローブを、コウモリのように大きく広げた少女の衣装は、宵闇のように黒く、そして宵闇に瞬く星のような煌きをちりばめたものだ。

 ホウキに跨り浮いている彼女の姿を、こう呼んだとしても誰も違和感を持たないだろう。『黒き煌きの魔女』―――


「リリア・ロアノール。ようこそ、未来へ」


 リリアに向かって笑いかける魔女シャリオ。

 その笑顔を、リリアはなんとなく見たことがあるような気がしたが。頭を振ってすぐその気持ちを振り払った。少なくとも、リリアは夢の外の世界で、眉間に左右に開く第三の眼を埋め込んだ人間など聞いたことがない。それも、縦に開いた瞳孔を持つ深紅の目など。


「未来? これが……」

「うーん、『未来』というのは少し語弊があるかも。

 正確には、『今もっとも到達する確率の高い可能性未来』ってところかな」


 シャリオの赤い第三の眼が光る。その光を直視してしまったリリアは、頭が焼けるように痛くなった。


 『可能性未来』。それがリリアの見てきた予知夢の正体。

 これまで見た予知夢の光景はいつも曖昧で、今リリアが囚われている悪夢のような、鮮明でリアルな世界などではなかった。それは、リリアが見てきたのは「可能性」に過ぎず、まだ確定していない未来はぼやけた、確率的な存在だ。

 例えば、リリアは『臓物』の姿や力については詳細な情報を得ることができた。『臓物』がいつかの未来に存在することは確定していて、その能力が変化することはないからだ。

 だが、その『臓物』がどこに現れて、どんな被害が出るのかまではどうしても知ることができない。それらは少しの摂動で、いくらでも変化しうるからだ。


 それはリリアにとって不幸な矛盾である。

 自分に宿った未来予知の力で『臓物』による被害を未然に防ごうにも、被害の詳細を知ることができるということは、その被害はもう確定していて、避けられないということでもあるからだ―――


 シャリオは第三の眼による光で、リリアの脳に『可能性未来』を理解し、絶望させるに足るだけの情報を焼きつけてみせた。


「はぁ……はぁ……。くぅっ……!」

「すべては私のいるこの未来に繋がりつつある。私が長い眠りから覚め、再び世界を支配する、この未来にね。

 リリア、あなたの抵抗は何の意味も為さない。この未来が鮮明に見えている、それが証拠よ。今のあなたなら、もう分かっているはず」

「そんな……そんなの!」

「私が与えた力で、私を出し抜けると本気で思っていたのかしら?」


 シャリオは空に向かって大きく笑った。

 誰もその声に応えることはない。風や木々すら押し黙り、シャリオの言葉を聞いている。まるで、舞台のクライマックスに固唾を飲むように。


「……ただ、想定外の事態も起きているわ。

 そのためにあなたをここに招待したのよ、リリア」

「人類は」リリアは体の震えを必死に我慢しながら、シャリオを睨みつける。「人類は、あなたなんかに屈しません……! シャリオ、あなたの思い通りにはさせない……!」

「言ったでしょう、あなたの抵抗は何の意味も為さないと。

 あなたのその体を依り代に、私は一時的に顕現する。過去……あなたから見たら『現実』の世界になるのかしらね。あなたにそれを防ぐことはできないわ」


 シャリオの第三の眼から放たれた光線が、リリアの眉間を貫いた。


 消える。消えていく。消えてしまう。

 わたしが。わたしの何もかもが。わたしの得たものすべてが、シャリオに奪われていく。塗りつぶされていく――――


 上書きされ、消えかけた意識の中で。リリアは第三の眼が消失したシャリオを見た。

 ホウキから落ちて地面に転がり、死体のように目玉を向いて、意識を手放したその少女に、リリアは面識があった。


 あの子は、夏休みのときにわたしの部屋に来た。


「あなたは……サチ・ホシノ」


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