#3 迅雷
「サチ」
突然、地面にうずくまって小さくなったサチの肩に、クローディアの腕が回された。
暖かい。クローディアの体温を感じると、サチの震えは収まっていった。
「サチ、今までありがとう。ずっと貴女に、それを言いたかった」
「クローディアさん……?」
「このままなあなあにしておくのは良くないと思うの……私が貴女に、してしまったことについて。私は貴女に酷いことをした。その『剣の舞』を貴女に託してしまった。貴女に、セナの代わりになることを強要してしまった。
どう償えばいいのか……そういえば、きっとサチ、貴女はこういうでしょうね。『わたしが好きでやってるんだから、大丈夫です!』って。
でもそれじゃ、私がよくないの。私は私が許せない。貴女のその優しさに甘えてしまう、私自身が」
クローディアは自分の胸の前で組まれたサチの手に自分の手を重ねた。
腕の温かさとは対照的に、クローディアの指先は冷たかった。
「私は、自分の気持ちに蓋をしていた。ずっと自分にウソをついて、いつまでも貴女のいい先輩、いい姉であろうとしてきた。それが、貴女にしてしまったことへの償いになると思っていたから。
だから逃げたの。あの時。私は、貴女に対して、そういう気持ちを持つべきではなかった。先輩として、姉として、それはしてはいけないことだった」
あの時―――リーゼロッテとリンの葬儀の日。
他には誰もいない、サチとクローディアしかいないギルドハウスで、口づけを交わした、あの時だ。
「だから、貴女との関係は一回終わりにしたいの。サチ。
今日、あの部屋に行ったのは楽団の年長者としてじゃない。助けを求める妹分の貴女を助ける義務からじゃない。
私は貴女のことが好きよ、サチ・ホシノ。だから来たの。大好きな貴女を、困難から救いたかったから」
ぎゅっ、とクローディアの腕に力がこもるのをサチは感じた。
不思議と、痛みは感じない。感じたのは熱さだけだ。
心の芯から届く、温かさ。それは、サチの心に広がった不安を吹き飛ばすのに、十分なほどの熱量を持つ。
あの時と同じだ。
クローディアにキスされたときと、同じ。底まで冷え切っていたサチの心を温めてくれたのは、クローディアだった。
サチに仲間の死を乗り越えさせてくれたのは、他でもないクローディアだった。
「返事はいらないわ。私は貴女に愛されなくてもいい。それでも、私は貴女のために尽くすから。
お願い。私に、サチのやりたいことを叶えさせて。力にならせて欲しいの。貴女が私のためにやってくれたこと、私も貴女にしてあげたいから」
「クローディアさん……。あの、わたし。モニカさんを止めたいです。
ロアノールから友達を排除するなんて、間違ってます。そんなの、ヘレナ会長だって望んでない。会長が喜ばないことをしたら、モニカさんは絶対後悔します」
「そうね」
「でも、わたしだけじゃモニカさんには勝てません。クローディアさんがいないと」
「頼ってくれて嬉しいわ、サチ。
さっきも言ったけれど、モニカのレプリカはおそらく3分、長くても4分程度しかもたないはずよ。部屋を出てから何分経ったか……正確な時間は分からないけれど、あと2分以内だと思う」
『アマデウス』には、任意の場所に魔奏器のレプリカを転送するような能力はない。ただ、部屋の中に出現させるだけだ。
すなわち、部屋を出て制限時間を過ぎれば、モニカは攻撃手段を失うことになる。
「それまでモニカの攻撃を何とか凌げば、私たちの勝ちよ。雷は私が防ぐわ。突進は貴女が何とかしてくれる、サチ?」
「はい、任せてくださいっ!」
短い作戦会議を終えたところで、雷が止んだ。『葬送曲』の陰から顔を出したサチは、モニカが槍を携え突進の構えを取っているのを見て、自分もすかさず加速を発動する。
クローディアをモニカの軌道から跳ね除け、自分も避ける。ついでに地面に鞘を突き立てて巻き上げた土塊をモニカの軌道に放置しておいたが、突進してきたモニカは全身が雷のような波動で守られていて、土塊も簡単に弾き飛ばされてしまった。
やはり、モニカの突進は避ける以外に対策のしようはなさそうである。
サチたちの側をすり抜けていったモニカは、中庭の反対側の壁に激突する。
石壁が砕け、土煙が舞う。サチとクローディアは素早く体を翻し、『葬送曲』の陰に隠れて様子を窺った。
雷を撃ってくるなら『葬送曲』に隠れる。突進してくるなら加速を使ってそれを避ける。対策としてはシンプルだが、どこまで通用するか――――サチは何となく感じていた。モニカはそんな簡単な対策だけで倒せる相手ではない、と。
土煙が晴れていく。そこにあったものを見て、サチとクローディアは困惑した。
崩れた壁、抉れた地面……それだけ。モニカの姿がなかった。
「モニカはどこ?」
サチは周囲を見回す。
強烈な殺気と、不穏な風を感じること以外は、中庭には何もおかしなところはない。モニカの姿は、どこにも見えなかった。
姿が見えないのでは、サチたちはモニカの攻撃に対応することができない。そこまで計算に入れているのだろうか?
「一体どこに……ん?」
サチは、頬に砂粒が当たるのを感じた。
一体なぜ――――イヤな予感がして、サチは『剣の舞』を少し抜いて加速を発動する。
「……っ!」
サチは驚愕した。
どこにもいないように見えていたモニカは、既に近くまで来ていた。サチとクローディアの周囲を、半径10メートルほどの円を描いて、残像を描きながらぐるぐる回っていたのだ。
突進中のモニカは軌道を変えられない。だが、それはあくまでサチたちの動きに対応できないというだけで、最初から円を描くように動こうと思えば不可能ではないらしい。
しかし、モニカはなぜサチとクローディアの周囲を回り続けているのだろうか。死角から攻撃するだけなら、回り込むだけでいいはずだ。それをどうして回り続ける必要がある?
サチはクローディアに相談したかったが、加速の世界でそれはできない。クローディアは加速の世界に対応できていないのだ。
加速の魔奏が切れかけて、サチは焦った。
魔奏が切れてから、再度奏でるまでにはコンマ数秒の隙がある。その隙を狙われたら――――。サチは魔奏が切れる瞬間、クローディアと背中合わせに立ち、刀を構えた。
高速周回していたモニカの速度がだんだん低下してきて、残像が輪を描いてサチとクローディアの周囲を取り囲む。
残像は徐々にはっきりとした像を結ぶようになり、サチの目の前で一体になった。
サチの加速の魔奏が切れた、その瞬間。モニカが槍を突き出して突撃してくる。
再度加速を奏でたサチだったが、少し遅かった。クローディアを突き飛ばしたサチだったが、モニカを避けきれず左の二の腕を『ライトニング・ストライクス』の穂先が掠めた。
「うっ……!」
痛みで発動したばかりの魔奏が切れてしまう。
刃先は避けた。それなのに、モニカの突き出す槍が曳く、衝撃波の渦がサチの左腕に深い裂傷を負わせたのだ。
制服の袖が裂け、赤い鮮血がサチの左上腕から噴き出した。
「サチ!」
駆け寄るクローディア。へたりこむサチ。またも姿を消すモニカ。
次も同じ作戦で来るつもりだ。
「サチ、大丈夫?」
「はい。モニカさんは、わたしたちの見えないスピードで、あの辺りをぐるぐる回ってるみたいです」
サチは『剣の舞』を握ったままの手で、モニカがさっきまでぐるぐる周回していた辺りを指差した。
「加速対策ね」サチの腕に回復魔法をかけるクローディア。「きっと、サチが加速を発動するのを待ってるのよ」
「何のために?」
「サチの加速も永遠には続けられない。その効果が切れた瞬間を狙っているんだわ」
やはり、モニカは一筋縄ではいかない相手だ。
彼女と真正面から戦ってはいけない。クローディアの見立ては、かなり的を射ているとサチは思った。魔奏器をコピーできるだけではない、それがどう効果的に使えるかを、モニカは知り尽くしている。
確かにモニカには剣術の心得が無かった。だが、それは彼女が弱いこと、劣っていることを意味しない。魔奏が弱いサチが剣術に頼っているように、モニカは経験の浅さを魔奏の力に頼っている。力の源が異なるだけなのだ。
「あとどのくらいでしょうね、4分経つまで」
「タイムリミットの存在は、モニカも知ってる。それを迎える前に仕掛けてくるはずよ」
サチは身構えた。
やることは決まっている。モニカが仕掛けてくる。その瞬間に、加速の魔奏を発動する。
どれだけモニカが速くとも、周回から突撃に切り替える瞬間は絶対に「人間らしい」速度になる。そのタイミングでサチが加速できていれば、十分に対応することは可能だ。
だが問題は、モニカが仕掛けてくるタイミングと、方向が分からないことだ。タイミングを誤って先にサチの加速が切れてしまっては意味がないし、注意深く観察しようにも360度全方位が対象では、仕掛けてくるモニカに気づくのにワンテンポ遅れてしまう。
その一瞬が、命とりになるのだ。
さらに、たとえ上手いタイミングで加速を発動できたとして、左腕を負傷し上手く力が入らない今の状況で、どこまでモニカに対抗できるだろうか。
サチとクローディアを囲うように、影が現れ始める。
モニカの加速が、もうすぐ終わる合図だ。
「よし……今だっ!」
サチは加速の魔奏を奏でた。
モニカの加速はサチより早い。だが、無敵ではない。
『ライトニング・ストライクス』の加速は、サチのそれと異なり奏者の意識を加速できない。だから一度加速したら反応ができず、一方向の動きしかできないのだ。
ならば、周回を止めるタイミングも、モニカには自由に決められないはずだ。
予めどこまで回り込むかを決めて動くことしかできないはずだ。それがサチの予想である。ならば、サチが加速を発動するのを見て、周回を続けるような器用な使い方はできない。
モニカの残像が濃くなっていく。薄くリング状に広がっていた影はだんだんと一つに重なり、明確な一つの像を結ぶ。
加速の世界の中で、モニカの足が止まる。サチの左側から仕掛けるつもりのようだ。
サチはモニカに向けて距離を詰めた。
何度も突撃されると厄介だ。ならば、突撃をかけてくる前に倒す――――
「……ッ⁉」
サチは見た。
ゆっくりと、モニカの表情が変化する。口元が緩んでいる。
突き出された『ライトニング・ストライクス』。サチが「モニカは突撃をしてこない」と気づいたときには、もう遅かった。
穂先から放たれる超高圧電流が空中を走り、サチに直撃した。




