#2 遁走
サチはムツミを抱えたまま、無響音室だった部屋の壁に開いた大穴へ飛び込む。
粉々に崩れた壁の破片が舞う砂煙の中から飛び出すと、そこには『葬送曲』を盾にして、その陰から顔だけ出してこちらを窺うクローディアがいた。
部屋の前で警備をしていた生徒会の生徒2人も、クローディアの陰から様子を窺っている。
「クローディアさん! 助けて!」
サチが駆け寄ると、クローディアは涙目のサチとだらりと脱力して動かないムツミを見、ただひとこと「もちろん」と呟き、振り向きざまに風魔法を放って後ろの生徒2人を弾き飛ばした。
「逃げるわよ! 急いで!」
駆け出すクローディアを追って、ムツミを背負ったサチは廊下を駆け抜け、塔の階段を駆け下りた。
「逃げられるでしょうか、そんなに簡単に」
「無理でしょうね」
バラ棟の塔、一番下の階まで下りたところで、サチは今後の策をクローディアに問うたが。クローディアにも妙案はないようだった。
「『アマデウス』は最強の魔奏器よ。ありとあらゆる魔奏器を、奏者であるモニカのイメージ通りに作り出し、機能を発揮できる。
最悪なのは、奏者がモニカであるってことよ」
「なんで最悪なんです?」
「モニカは弦楽、管楽、打楽。あらゆる魔奏が使える。『アマデウス』で作り出した魔奏器の性能を、最大限まで発揮できるの。
彼女に『アマデウス』が預けられたのは、『アマデウス』の作るコピーされた魔奏器を、何でも高水準に使いこなせるから」
魔奏のあらゆる才能を持っていないサチとは真逆の存在である。
「だからモニカと真正面から戦っても勝ち目はないわ」
「分かります、痛いほど」
「だからライラに来てもらいたかったのよ。あの子の魔奏器も魔奏も、モニカは絶対に知りえないことだし。ライラはモニカ対策の切り札になる……そう思ったんだけど」
「そういえばライラ、来てないんですね」
「ええ、あの子はちょっとね。瓜花についてくれてる」
「瓜花ちゃんどうかしたんですか?」
「サチ。今貴女は他人の心配をしていられる状況ではないわ。でも安心して。何か危険だとか困っているとか、そういうのじゃないの。ちょっと手が離せなくて、すぐには合流できないってだけ」
――― 逃がさないわ
塔から中庭に出たサチとクローディアの前に、一筋の光がずしりと空から降り注いだ。
空気を焦がす紫電の光。モニカが槍を持って、稲妻の中から現れた。
「これは『ライトニング・ストライクス』。雷を発生させるだけじゃなく、奏者をも雷のように加速させられる魔奏器よ。
つまりアンタの加速の魔奏、その上位互換」
「……上位互換っていうのには語弊があるわね、モニカ」クローディアが煽るように問いかけた。「確かに貴女は最強の魔奏器を手にしている。けれど、貴女自身は最強じゃない」
「クローディア・クランフィールド……前々から思ってたのよ。アンタのこと、私、大ッ嫌いだわッ!」
モニカが加速するのに合わせて、サチもムツミを地面に下ろして加速の魔奏を発動する。
確かに、モニカの加速はサチのそれの上を行っている。サチが最大まで加速しても、モニカの残像を捉えるので精一杯だった。
だが、弱点がないわけではない。
人間は雷の速さで反応できない。ゆえに『ライトニング・ストライクス』での加速攻撃は一度発動したら一方向にしか動けない直線的な攻撃で、軌道が分かっていれば反らすのは簡単だ。サチはクローディアを突き飛ばして、モニカの攻撃から逃がす。
「これならどうッ!」
今度は槍を突き出し、雷を放射するモニカ。
クローディアは『葬送曲』を地面に突き立てて盾にし、サチと共にその後ろに隠れる。
「サチ、モニカの『アマデウス』にはもう一つ、弱点があるの」
「何ですか?」
「『アマデウス』の再現した魔奏器は、制限時間を過ぎれば消滅する。つまり、モニカが攻撃できる時間は短い」
「どのくらいです?」
「3分と少し……かしら。3年以上前に聞いたときはそうだった。今はもっと伸びているかも」
「結構長い!」
最強の魔奏器の使い手であるモニカが、なぜ学院で最強の魔奏士になっていないのか。それは『アマデウス』は最強でありながら、実戦にはまるで不向きな性質をいくつも持っているからに他ならない。
本体が部屋くらいの大きさであるのは、屋外での活動が不可能であることを意味する。また、事前に魔奏器を複製しておこうにも、数分で消えてしまうのではやはり実戦では使い道がない。『アマデウス』自体は学院の校舎に組み込んでおいて、魔奏器の練習や実験に使うのが最も効果的な使用方法である。
それを知っているが故に、クローディアは「逃走」を選んだ。部屋の中にいる限りモニカは次々と魔奏器を複製することで時間制限を気にせず戦えてしまうが、外に出てしまえば、モニカの追撃はあの部屋から精々3分以内に到達できる範囲に限られるからだ。
さらに、万が一追いつかれてしまっても―――現状、その「万が一」に遭遇してしまっているが―――戦闘時間は3分を切ることになり、長期戦になればモニカは不利になる。
「いい加減諦めなさいよ、モニカ」クローディアは『葬送曲』の陰からモニカに問いかける。「こっちには貴女の企みを暴く証拠があるのよ!」
「バカなことを言わないで。私は校内で起きた連続傷害事件の犯人を追っているだけよ」
サチはモニカの言葉に目を丸くした。
確かにモニカはあの部屋で、罪を認めた。モニカ自身が生徒を襲い、その罪をサチになすりつけようとしていたと。あの発言はなんだったのか。
そこまで考えて、サチは周りを見てハッとした。ここは中庭。見上げれば、窓から覗く無数の顔、顔、顔……。騒ぎを聞きつけたロアノール学院の生徒や教職員が、中庭を見下ろしていたのだ。
証人のいない無響音室でモニカはずっと、サチの感情を逆なでするような発言ばかりを繰り返していた。モニカの描いたシナリオは「セレブラント容認派が、武力で学院を支配しようとしている」というものだった。容認派の先鋒に仕立て上げたサチに自身を襲わせることで、モニカはセレブラントとその支援者を弾圧し、排除できる大義名分が得られる。
「まさか……わたしたちが逃げたのも計算のうち?」
モニカの凶行を知らない人間からすれば、サチはまだ傷害事件の容疑者である。それが部屋から脱走したとなれば、心象は最悪だ。
サチは体の奥から、冷たくなる感じがした。
自分が最善だと思った策ですら、モニカの手のひらの上で踊らされていただけ―――「アンタは、私の描いた譜面通りに踊ればいい」。モニカの言葉が、サチの耳の奥に反響していた。
その通りになりつつある。このままモニカに殺されるか、あるいは反撃を試みて、自分の心象をより悪くするか。どっちに転んでも、サチには悪い結果しか残らないように見える。




