#6 雷霆
「ちょっと。通して頂戴」
サチが待ち望んでいた声が、無響音室のドア向こうから聞こえてきた。
クローディアだ。クローディアは外で部屋を警護する男子生徒ともめているらしい。
「真犯人の証拠を持ってきたのよ! モニカ! 中にいるんでしょう! 早く入れなさい!」
「フン、お断りだわ」
サチの前で椅子にふんぞり返り、モニカは外の騒ぎを鼻で笑った。
「真犯人? どうせ捏造でしょう、そんな証拠。聞くだけ時間の無駄だわ」
「お言葉ですが、生徒会長代理」ムツミが反論する。「証拠が捏造かどうか、見もせずに判断するのは公平さに欠けています」
「無知なアンタに教えてあげるわ、機械人形。
世の中っていうのはね、公平には出来ていないの。泣こうが喚こうが、どうしようもないことだってあるのよ」
「……どうしようもないことというのはつまり、こういうことですか。『何があろうと、サチ・ホシノが傷害事件の犯人であることは変わらない』と。
あなたの目的は、傷害事件の犯人を捕まえることではない。サチに不当な刑罰を与えることなのですね」
「不当じゃあないわ」
モニカは背もたれに体を預け、大きく息を吐いた。
脚を組んで見せつけるような仕草は、まるで玉座に座る女王である。
「サチ・ホシノ。あなたは容認派だものね」
「容認派……? 何のことですか」
「『因子持ち』はいずれ『魔女の臓物』になるんでしょう。
あなたも知っているはずよ、サチ・ホシノ。『臓物』がいかに醜く、いかに邪悪な存在であるか。だったら因子持ちなんて、この学苑から一刻も早く駆除すべきよ」
サチは自分の膝の上で握りしめた拳を、さらに強く握り込んだ。
『臓物』と化したセレブラント――――リーゼロッテのことを思うと。彼女は自分に宿ったセレブラントの力、遠隔視の能力を本当に嫌っていた。なにせ、その力のせいで、彼女は家族を失い、一人ぼっちになってしまっていたからだ。
彼女は苦しんでいた。自分に宿った力が招く、数々の悲劇に。
サチがリーゼロッテを楽団に受け入れたいと言ったときの、あの表情は。今もサチの瞼に焼き付いている。
そこにあったのは、特別な力に目覚めた人間ではない、ただ一人の、孤独に苦しんできた少女の顔だった。
「……あなたに、何が分かるんですか」
「は?」
「あなたに、リーゼロッテさんの、何が分かるっていうんですか!」
奇しくも、その言葉はサチが初めてセナに出会ったときに、彼女にぶつけてしまった言葉と似ていた。
もっとも、そこに込められた意味は真逆であるが。
「リーゼロッテさんだって……好きでセレブラントになったわけじゃない。
リーゼロッテさんはずっと苦しんできたんだ。その力のせいで、疎まれて、蔑まれて。それを知らないあなたがっ!」
「知らない? それはそっちもそうでしょ。
私があの女のせいで、どれだけ苦しめられてきたか……死んだのは、当然の報いよ」
サチの感情が決壊した。
椅子から跳びあがり、モニカの頬を平手打ちするつもりだったが。拳を握り込みすぎて、そのままサチの拳がモニカの頬を打ち貫いた。
椅子ごと後ろに倒れ込み、床に転がるモニカ。
室内にいた男子生徒がサチを拘束しようと駆け寄ったが、腕をプラズマキャノンに変形させたムツミが、銃口を向けて彼らを制止した。
「ふふ。ついに殴ったわね、サチ・ホシノ。この私を。生徒会長代理である、この私を!
あなたは取り調べに対して自分の罪を認めず、その上暴力を振るって私を黙らせようとした!」
「サチに罪を擦り付けようとしているあなたは捜査員として不適格です、ウェーバ生徒会長代理」ムツミが鋭く指摘する。「主観にしか基づかないあなたの捜査は明らかに異常です。事件の捜査は第三者に委ねるべきです」
「機械人形ごときが、人間に命令すんじゃないわ!」
モニカは立ち上がり、興奮に鼻息を荒くするサチと向かい合った。
「アンタは私の描いた譜面通りに踊ればいいのよ、サチ・ホシノ。
この『アマデウス』で描く、最高の譜面にね!」
無響音室の壁面が、ぐにゃぐにゃと変形を始めた。手前が奥に、奥が手前に入れ替わり、折りたたまれていた黒い筒状のものが無数に展開し、その開口部をサチに向けて静止した。
銃口だ。無響音室の壁面は、一瞬で回避不可能な密度で弾幕を展開する、機関銃座に変化したのだ。
最強の魔奏器『アマデウス』。この部屋そのものが、魔奏器本体だ。
「サチっ!」
ムツミが投げ渡す『剣の舞』をキャッチし、サチは鞘から刀身を滑り出させる。
刃の背をなぞる指の振動が加速の魔奏を奏でた。
発射される無数の弾丸。音速を越えた加速の世界では、その発射音はサチの耳には届かない。
だが、軌跡が見えれば防ぐことは可能だ。サチは飛んでくる銃弾を、魔奏で最大まで加速した刀で、ことごとく切り払った。
壁面から飛び出した銃口が噴き出す硝煙の匂いの中。銃弾の嵐を逃れたサチは、刀を構えてモニカと向かい合った。
「なるほど、加速の魔奏っていうのはそんなこともできるのね」
ムツミが床から起き上がり、サチの横に立つ。
さっきまで、部屋にいる男子生徒たちを転ばせ、床に伏せさせていたのだ。モニカは、部屋の中に仲間がいるにも関わらず、サチに向けて発砲していた。
ムツミの咄嗟の判断で、彼らに怪我はなさそうである。さっきまでモニカに従順だった彼らも、味方ごと撃つ彼女に慄いた表情を見せていた。
「なら、これはどうかしら」
モニカが指を鳴らすと、またも壁面が変形する。機関砲が格納されて次に飛び出したのは、びっしりと棘が並べられた壁面だ。
あれが発射されるのか――――と身構え、加速の魔奏を発動したサチだが。棘は飛び出さず、別の方向から攻撃を受けることになった。
「がっ」
サチの視界の端が一瞬光ったかと思うと、サチの隣にゆっくりと、ムツミが倒れ込んだ。
何が起きた……? サチは困惑し、加速の魔奏を切らしてしまう。
ばりばり、と空気を切り裂く不快な音が、サチの鼓膜を震わせた。
雷だ。
雷が空気中を進む速度はおおよそ秒速100km超だと言われている。音速の数百倍に達する雷撃の速度は、サチの加速の限界よりもさらに速い。
「どんなに速くとも、限界はあるでしょう?」
勝ち誇った表情のモニカ。
サチの足元に転がるムツミは、雷が直撃して機能停止していた。体表の人工皮膚が焼けた臭いを放つ。肉とは違う、化学物質の焼ける不快な臭いだ。
サチはモニカを見据え、刀を構えたまま動けなかった。
死角からの雷による攻撃は、サチにも避けられない。それにも関わらず、モニカが雷で追撃してこない理由は明白だ。おそらく魔奏器『アマデウス』の力では、雷を連射することができない。一発ごとに充填する時間が必要なのだ。
ならば、モニカが第二射を準備している隙に仕掛けるべきだ。だが、サチは躊躇していた。
モニカはやけに準備がいい。最初は回避不可能な機関砲弾幕、その次は加速の魔奏よりも速い雷による攻撃。サチの加速の魔奏に、事前に対策を講じているのだ。
それなら、サチが雷攻撃の充填中に仕掛けることも予測済みかもしれない。あの勝ち誇った表情――――モニカは何かの策を隠し持っている。サチが仕掛けるのを待っているのかもしれない。
「私は」モニカは突然、サチに背を向けた。「私は、ヘレナ会長の力になりたかった」
「……?」
「私のひいお祖母ちゃんは、ロアノール家の娘だった。それ以来ロアノール家とウェーバ家はずっと家族ぐるみの付き合いでね……ヘレナは、私にとっての光だった。
どんなときも冷静で、落ち着いていて、お淑やか。だけど、周りに流されることもない。自分を持っていて、自立している……。『姫殿下』。ヘレナはまさしくそれだった。女の子なら、誰しもそういう存在に惹かれるものでしょう?
私はヘレナの側にいたかった。彼女の一番の信頼を、愛を、独り占めにしたかった。それなのに……!」
モニカは突然頭を掻きむしる。
「あの女! リーゼロッテ! アイツが現れた!
親もいなければ身分もない、浮浪娘のくせに! アイツは、ロアノールの家に取り入って、ヘレナの側にいつもいた!
『祝福の子』? 選ばれた存在? ふざけないで! ヘレナにあんな卑しい女は相応しくない……ヘレナの隣にいるのに相応しいのは私! 私なの!
私こそが選ばれた存在なのよ! 最強の魔奏器『アマデウス』に選ばれた、この私こそがね!」
モニカは振り向き、サチに向かってけらけら笑い始めた。
目は虚ろ、顔は引きつった、狂気の笑顔だ。思わず、サチの『剣の舞』を握る手が緩む。
「アナタには死んでもらうわ、サチ・ホシノ。そこの出来損ないの機械人形と一緒にね。
アナタは罪を認めず、最終的に強硬手段に出た。魔奏器を抜き、そこの機械人形と一緒に私を殺そうとした。
私は仕方なく、自分の魔奏器でアナタを返り討ちにした――――どう、面白い筋書でしょう?
事件の真相は闇に葬られ、容認派に支持されているアナタが、排斥派の生徒を襲撃したという事実だけが残る。容認派は支持を失い、ロアノールは一気に因子持ちの排除に傾くでしょう」
「そこまでして……そんなにリーゼロッテさんのことが嫌いなんですか」
「ええ、そう。できることなら、私がこの手で殺してやりたかったわ。
でもこの学院には私が殺したいほど憎い人間が三人いる。リーゼロッテはアナタたちが殺してしまった。でもそのうちの一人には直接手を下せる」
姿勢を正すモニカ。
「アンタよ、サチ・ホシノ。
アンタは私に刃を向けた……だから、死ぬべきなのよッ!」
サチは加速の魔奏を奏で、一気にモニカとの距離を詰める。
雷を起こす魔奏――――おそらく、効果範囲はこの部屋、『アマデウス』の中だ。その中にモニカも入っているということは、何らかの方法で彼女は攻撃を免れている。
雷を防ぐ方法があるのか、あるいは彼女自身がターゲットにならない方法があるか、そのどちらかだ。
ゆえに、モニカが雷を落とすより早く、彼女に触れられるほどの至近距離に近づいてしまえばいい。いっそその体に触れてしまえば、モニカはサチを感電させるのは自傷行為になる。
――――サチっ
声が聞こえた気がして、一瞬踏みとどまる。
サチはまだ加速の世界の中だ。音速を越えた世界の中で、音が響くはずはない。
サチは足元を見た。
ムツミだ。ムツミは全身欠損から修理したときに、ハルクスス社製の疑似魔奏器『ヴルタヴァ』を装備していて、サチの加速の世界に割り込むことができる。
加速の魔奏、金色のオーラを纏ったムツミは、床に臥せったまま、痙攣する腕で拳銃を構えていた。
彼女の持つ魔奏器『1812年』。その銃口は、モニカの足首の辺りを狙っている。
雷の攻撃を受けて、機能が低下しているのだろうか。モニカを狙おうとして、あらぬ方向を狙っているのか?
いや、サチは知っている。こんな状況でも、ムツミが無意味なことをするはずがない、と。
発射される『1812年』の銃弾。発射された直後まで纏っていた加速の魔奏が剥がれていき、空中で急減速する。
ゆるやかに進む弾がモニカの近くまで来た途端、異変は起きた。
ばっ、と空間が光で満たされる。
雷の光が、モニカの全身を覆うように、突然出現した。
やはりモニカは罠を張っていた。サチが近づいたら、あの張り巡らされた雷の網に囚われ、確実に感電していただろう。
サチはモニカから飛び退き、距離をとって後ろへ下がった。
加速の魔奏が解けていく。しゃがんだサチはまだ少し焦げた臭いを放つムツミを抱き上げ、モニカと向かい合った。
「あら、生きてるわ」
「ムツミ、大丈夫?」
「はい。私は大丈夫です」ムツミははっきりと答えたが、体はぐったりとして動かない。「ですが、戦闘は困難かと」
「休んでて……といいたいところだけど。ムツミ、わたし一人じゃあの人に勝てない。知恵を貸してほしいんだ」
「もちろんです、サチ。では提案を。ここは一旦逃げて下さい」
「逃げる?」
「モニカ会長代理の『アマデウス』の本体は、おそらくこの部屋自身。この部屋の中にいる限り、あちらの優位は揺るぎません」
『アマデウス』は、あらゆる魔奏器を複製できるという。
先ほどの壁から現れた無数の機関銃も、この雷攻撃も。魔奏器を複製して作り出したものだ。つまり、この部屋の中にいる限り、モニカは自在に武器を生成し、サチたちに攻撃できる。
「そう簡単に逃がしてくれるかな」
「私が時間を稼ぎます。その隙に逃げて下さい」
嫌な予感がして、サチはムツミの体を後ろからぎゅっと抱きしめた。
「……『自爆する』とか、言わないよね」
「より有効な手段があるのなら、伺います」
「ダメだよ」
ぎゅっと密着すると、ムツミの髪はまだ静電気を纏っていて、オゾンの匂いがした。
「ダメ、そんなの」
「不思議ですね。私の電子頭脳は今、自爆してでもサチをこの部屋から逃がすべきだと主張しているのに。
サチに自爆を諫められること。あなたに大切に思ってもらえること。そのことに私は今、かつてない喜びを感じています。
私もそうしたいです、サチ。あなたとは離れたくない」
「逃げるなら一緒にだよ、ムツミ」
ふと、サチはルイスの最期を思い起こした。
船上で、復活しつつあった『胃』を殲滅するために自爆を選択したルイス。だが、彼女の妹分であるムツミに、同じ轍を踏ませるわけにはいかない。
「では次善の策を。自爆に用いる魔導エネルギーを流用すれば、プラズマキャノンを一発撃つことができるでしょう。これで壁を破ります。
壁の外にはクランフィールド様がいます。助けてくれるかも」
「それがいいよ。それでいこう」
自身を最強だと言って憚らないモニカ。サチの目から見て、彼女は狂っている。
セレブラントを排除するなんて―――だが、現状サチとムツミだけでは、こちらの手の内を知って、対策も講じているモニカに勝てそうもない。
こんなとき、クローディアさんなら。根拠はない。だが、サチはクローディアなら何か妙案を持っているのではないかと、信じてしまっている。




