#5 証拠
事件を思わせるもの、たとえば血痕だとか刀傷だとかはどこにも見られない。だが、通路や照明の配置が映像と同じだったので、場所の特定はそう難しくなかった。
クローディアはライラと無響音室で見せられたその映像の再現をしながら、瓜花にその様子を聞かせることにした。
「被害者はこの辺にいたのよね」クローディアが映像の場所に立つ。
「そんで、サッちゃん……に変装した犯人が、こっちから斬りかかった」クローディアの背後に、刀を上段に構えるポーズでライラが近づいた。
「事件があったのは夜なんだよね?」瓜花が顎に手をやりながら二人に問う。
「そうだけど。昼間はサチだって授業を受けているでしょうし、真犯人が罪を擦り付けるたいのなら、アリバイのない時間を選ぶでしょうね」
「なるほどね」
ふよふよと浮きながら、瓜花は現場をくるくる飛び回り、証拠になりそうなものを探している。
「それにしても分からないな」
「何が?」
「何って、そのモニカって人がサチに罪を擦り付ける理由だよ。
クローディア、キミの推理通りなら、真犯人は最初からサチに罪を着せることを目的に動いていることになる。だって、事前にサチの姿をした幻覚を見せる魔奏器まで持ち出して、さらにサチのアリバイがない時間を狙って、被害者を襲っているわけだろう?」
「そうね」
「何の意味がある? サチに罪を着せることで、何か真犯人に利益があるのか?」
「なんとなくだけど」黙っていたライラがぽつりとつぶやく。「個人的な恨み……ではないと思うんよ。あの人の目……サッちゃんに向けている目。恨みとは違う。
それをすることが『正しい』と信じて疑わない目―――ウチと同じものを感じる」
うつむくライラだったが、その頬を包むように、両側から瓜花の両手が掴んだ。
普段の身長差なら、瓜花がどんなに手を伸ばしてもライラには届かないが。瓜花は浮遊魔法でふわふわ浮いているので、逆にライラが見上げる側になっている。
「キミのは違うよ」
「うーちゃん……?」
「ライラ、キミのは違う。キミの目は、もっと綺麗で澄んだ目だ。物事の本質を見通せる目だよ。
『自分の正しさを疑わない』ことと、『正しさを疑わない』のは違う」
「同じじゃろ」
「同じじゃない。キミの信じる正しさは、キミの利益のためじゃない。
キミはいつでも、みんなにとって一番いいことを考えている。キミの信じる正しさは、『自分の正しさ』じゃなくて『世界にとっての正しさ』だからだ。
キミは自分の凶行を、他人に擦り付けるような卑怯な真似を絶対許さない。無実の人間に罪を着せるのは、どんな事情があっても『正しい』ことじゃないからだ。そうだろ?」
「うん……」
「キミの瞳には、もう為すべきことが映っているはずだ。竜剣士ライラ。
欺瞞を打ち払い、罠にかかった無辜の人を救う。それがキミだろう、ライラ」
「……っ。うーちゃんっ!」
浮いている瓜花の体を、ライラは無理やりに捕まえて、両腕で包むようにハグをした。
あのライラの馬鹿力である。横から見ているだけでも痛そうに見えたが。クローディアが見た瓜花の表情は、まだ笑っていた。
「うーちゃんっ、ありがと! 大好き!」
「ああ、そうかい」
身長が足りずに宙ぶらりんになっている瓜花に頬ずりするライラ。
顔は迷惑そうなのに、瓜花は嫌がる素振りを見せなかった。
「お熱いわね。そういうのは部屋でやって欲しいわ」
「本当にね。あんまり外で引っ付かないで欲しいものだよ」
「でも、痛くないの。ライラったら、加減が分からなさそうだけど」
「キミも試してみるかい、クローディア。昔よりは、ライラも加減ができるようになっているよ。
ほらライラ。クローディアにもハグしてあげなよ」
「うん、分かった」
「遠慮するわ……って、わーッ!」
背を向けて逃れようとしたクローディアだが、あえなくライラに捕まった。
背中にライラの体温を感じる。腰の前に回された腕は頑丈で、クローディアの力では振りほどけそうもない。
「ほれ、ぎゅーっ」
「痛い痛い痛いっ! 痛いってば!」
痛いには痛いが、命の危険を感じるほどではない。
ライラも加減ができるようになった、という言葉は本当のようだ。
「瞳。瞳か――――んっ⁉」
クローディアがライラに捕まって藻掻いているのを横目に、瓜花は突然廊下の壁にするすると近づいた。
そこには窓がある。古い様式の窓で、窓ガラスは嵌っているもののサイズは小さく、またデザインも入り組んでいる。色も濁っていて、外の光は入ってくるが景色はおぼろげにしか見えない窓だ。
「これだ! ここにあるぞ、決定的な証拠が!」
「えっ⁉」「なんて?」
「窓だよ、クローディア! もし真犯人が幻覚を見せる魔奏器で姿を偽っていたなら、窓ガラスには本当の姿が映っていたはずなんだ!」
「確かに。幻覚はあくまで主観的な視界……窓ガラスには、その場にあった本当の姿が映っていても不思議じゃないわね」
「じゃあ、あのムキョーオンシツに戻って映像見せてもらうん?」
「その必要はないよ。それに、その映像とやらはどうせ作り物だから、どんなに注意深く見たところで決定的な証拠なんて映ってはいないからね」
「なして?」
「遠隔視はリーゼロッテさんの、セレブラントとしての能力だから。その能力を持っていないモニカって人が同じ『ラインの黄金』を使ったところで、犯行の瞬間を映すことは不可能だ。
おそらく、目撃証言と矛盾しないように作られた、偽の映像だろう」
瓜花は『魔王』を取り出し、そこに自分の魔力を注ぎ込み始めた。
「窓ガラスも『平面』で、文字を記す記録媒体とみなすことは可能なはずだ。
それなら、『魔王』の力をちょっと増幅すれば、過去にガラスに映ったものを再生することができるかもしれない……。
いくつもルールを捻じ曲げないといけないから、そう何度も使える方法じゃない。一発で上手くいってほしいが」
空中に浮いた魔導書型の『魔王』が、ページを激しくはためかせる。まるで、凄まじい嵐に晒されているかのよう。
それを前にして瞼を閉じ、両手をかざす瓜花も、制服の余った裾はばたばたと暴れまわり、髪は逆立ち表情は険しい。ページを捲るのが嵐ならば、今の彼女は嵐に立ち向かう旅人といったところか。
クローディアとライラが見守る中、突然『魔王』のページの一枚が千切れて飛び出す。空中で静止したページから火花が噴き出し、その紙面に絵を描き出した。
薄気味悪い笑顔を浮かべた、銀髪の女の顔――――モニカの顔だった。
『魔王』がその動きを止め、モニカの顔が映されたページがひらひらと落ちてくる。
同時に脱力した瓜花も落ちてくる。クローディアはページを、ライラは瓜花をそれぞれキャッチした。
「……それを、サチに持って行ってくれ。クローディア」
「え、私が?」
まじまじと見ていたページから、クローディアが瓜花に視線を移すと。そこには驚くべきものがあった。
瓜花の頭頂部から、犬のような耳が生えていた。
「え、瓜花? その姿……」
「すまない……少し力を使いすぎた」クローディアの視線に気づいた瓜花は、自分の左手で弱々しく頭頂部の耳をいじる。「変化の術ではごまかしきれなくなってきている。そろそろ限界も近いな」
見れば、瓜花の制服スカートの裾から、髪と同じ灰青色の尻尾まで見えている。
クローディアは瓜花が以前言っていたことを思い出した―――瓜花は、人間ではない。ヨーカイの一種、妖狐。
これが彼女の本当の姿なのだろうか。しかし、瓜花の変化にライラは驚く素振りを見せていない。ライラはこれを知っていたのだろうか。
「こんな姿では、サチの前に出られないからね。それはキミに託す」
「でも……」
「悪いがライラは借りるよ。もうすぐボクは意識を失う……その時に、側にいてくれるのはライラがいい。こいつなら、ボクを安全に寮室まで連れて行ってくれる」
「うーちゃんのことは、ウチに任せとき」ライラはいつものコートを脱いで瓜花を包み、背中に負ぶった。「クロちゃんは、サッちゃんのことを助けたってよ」
クローディアは返事に困った。
以前のクローディアなら、迷うことはなかった。自分がサチの力になることに、何をためらうことがあるのだろう。
だが、今は違う。
クローディアは、もうサチの優しい先輩、姉のような存在ではいられなくなってしまった。
そうであった関係は、クローディアが手ずから破壊してしまったのだから。
無響音室で。クローディアは、部屋に入れなかった。サチの側に、近づくことができなかった。
あんなことをして、サチに一方的に想いをぶつけて、どんな顔でこれから接すればいいのか。
分からなかった。どうすべきか。いや、どうしたいのかすら。
「クローディア」
怯えるクローディアにまっすぐ、ライラの肩越しの瓜花の視線が突き刺さる。
鋭いその目は、瞳が琥珀色に光っていた。いつもの無邪気な子供のような目ではない。クローディアは思わず背筋が冷えた。
最初に瓜花と戦ったときに感じた、あの冷たい感覚を思い起こさせる。
「サチは今、キミを信じて待っているよ。その手の中にある真実を、必ず見つけてくれると信じてね」
「でも……」
「最初に図書館で戦ったときのこと、覚えているかい?
ボクはキミを、本気で殺そうとした。それなのに、キミはボクに手を伸ばしてくれた。そこにある手を掴む勇気が出せなかったボクに、手を差し伸べてくれたんだ。
クローディア、手を伸ばして掴め。キミにだって、欲しいものがあるはずだ。キミの欲しいものは、今はまだ手の届くところにある。
でもその手を引っ込めたら、もう二度と届かなくなるぞ。掴めるうちに掴まなきゃ、絶対に後悔する」
クローディアは、手の中にあるページの断片をぎゅっと握りしめた。
思えば、クローディアは差し出された手を取るのを躊躇してばかりだった。セナ・カラスバ……彼女は、クローディアにとって最高の友であり、初恋の相手だった。
いつだって側にいてくれたセナ。セナの手を握ることを諦めてしまったクローディアは、最終的にセナを永遠に失ってしまった。
同じ過ちを繰り返したくない。クローディアはそう思っている。今度こそは、絶対に。
「……ありがとう、瓜花」
クローディアは瓜花とライラに背を向けて走り出した。廊下を駆け抜け、階段を駆け下りる。
サチが待っている。クローディアが来るのを。
そう思うと、自然と胸が高鳴った。それは、激しい運動で心拍数が上がっただけのものではないはずだ。




