#1 逡巡
サチが人を斬った――――そんなことを、クローディアが信じられるはずがない。
一報を聞いて寮室へすっ飛んでいったクローディアだが、そこにサチの姿はない。既に生徒会に連行された後だった。ムツミから連絡が来たのは、クローディアが寮室の前で途方に暮れてしまったときだった。
サチは無実です。ムツミは通信の中でそう言った。クローディアも同じ思いだ。今クローディアに出来ることは、サチが無実である証拠を集めることである。
「あたしはシェーヴォラ先生に聞いてみます」ギルドハウスに集った楽団メンバーを前に、ヴェルナは言った。「最近、よく保健室に出入りしてるんで」
このところ、ロアノール全体にぴりぴりした空気が流れている。校舎のどこかしこで喧嘩が起こり、けが人が絶えない。ヴェルナは魔法薬の提供を請われて、シェーヴォラに協力しているのだ。
「お願いね」クローディアは答えた。「でも、あんまり無茶をしないように」
「どうしてですか?」
「何か、変な感じがするのよ。予感……というか。何か不吉な感じ」
「そうけ?」余裕の表情で答えたのはライラだ。「ウチは何も感じんけど」
「そりゃアンタは鈍感そうだもんね。世界が終わっても昼寝してそう」
「えへへ。昨日同じことうーちゃんにも言われたばっかやよ」照れ臭そうに頭を掻くライラ。
「それ恥ずかしがることじゃないでしょ……」ズレた反応をするライラに呆れて、ヴェルナは突っ伏してしまった。
楽団の会合が、こんなに寂しい空気だったことはなかった。
集まった楽団メンバー、といってもこの場にはクローディアを除くとヴェルナとライラしかいない。サチは拘束、ムツミはそれ付き添っている。瓜花は図書館に籠ったままだし、ヘレナはどこにいるのか、所在が分からない。
何もかも、あの所在が分からないヘレナが悪いのだ。絶対的強者として君臨していた彼女の不在が、ロアノールに大きな不安をまき散らしている。
「とにかく。私はまずサチに話を聞いてみようと思うの。ライラ、一緒に来てくれる?」
「ええよ」即答するライラ。
「センパイ、コイツ役に立つんですか」ライラを指さし、ヴェルナは辛辣な言葉を発する。
「ええ。生徒会と会うなら、ライラほど頼もしい味方はいないわ」
生徒会―――といえば、普通はロアノールの学生たちの代表として執務を行う組織のように聞こえるが、実際には異なる。
楽団の活動全般をサポートする、という名目で存在しているが、その実は楽団の活動に対して一方的に命令できる、有形無形の権力を持つのが生徒会だ。意志決定を担う「評議員」がどのような基準で任命されているのかは明かされていないが、学院への寄付金額が基準ではないかと、ロアノールの学生たちは口々に言っている。
評議員はそれぞれが強力な魔奏器で武装している。一般生徒たちが適正を元に貸与されるような魔奏器とは格が異なる、どれも恐ろしい力を秘めた魔奏器ばかりだ。叛旗を翻したところですぐに制圧されるのだから、誰も逆らわない。
生徒会の目を盗んで楽団が自由に活動する方法は二つだ。生徒会に文句をつけられても跳ね除けられるくらいの武力を身に着けるか、あるいは生徒会の人間を懐柔して、味方につけてしまうかだ。後者の選択肢を取れる人間がセナくらいしかいないことは、クローディアも良く知っている。
ライラは前者のほうだ。留学生で、しかも曲がったことを絶対に許さない。武力で押さえつけようとすれば、もっと圧倒的な武力で殴り返すような女だ。生徒会と敵対するなら、ライラほど頼もしい人間はいない。
廊下を並んで歩きながら、クローディアはライラを見た。
出会ったときより、さらに背が伸びた気がする。あれから1年くらいか、とクローディアはライラに食堂で初めて会ったときのことを思い返した。
身長は伸びているが、ライラのその大人びた端正な顔立ちに幼さを被せた表情は変わっていない。廊下ですれ違うときに手を振る下級生に挨拶を返すと、黄色い歓声が上がることも、以前から変わっていない。
「クロちゃん。サッちゃんが人を斬ったって、本当なんかな」
「そんなわけないでしょう」
「もし本当なら、ウチはサッちゃんを斬らんといけん。それが竜剣士たるウチの役目じゃけ」
そう小さく呟くライラの横顔は、どこか悲しげだ。
クローディアは少し驚いた。以前のライラなら「役目」の言葉を発するときに、迷いを感じさせるようなことは無かったからだ。
「……悩んでるの?」
「うん……」
「珍しいわね」
「わからんのじゃ」
隣を歩きながら、ぎゅっと、拳を握り込むライラ。
「ウチはリーちゃんを殺した。この手で。リーちゃんは『目』に……人に仇なすバケモンになっとったけ。あのまま放置すれば、もっとたくさんの死人が出る。そう思ったんよ」
「そうね」
「でも、リーちゃんは仲間じゃ。何度も一緒に戦って、何度も助けてもろた。一緒に笑って、泣いて。大切な仲間を、ウチは……ウチはあの時、殺そうと思った。
ウチはあの時、迷いもせんかった。あんなに大切な、大事な仲間だと思っとっても、あの時のウチはそんなことより、役目を優先して当然だと思ってしもうた。
クロちゃん。ウチはな、ウチのことが怖ぅなったんじゃけ。竜剣士としてこの力を振るう。人の命を奪うものを倒す。どうしてもそれを第一に考えてまう。ウチは本当に、リーちゃんのこと仲間だって思っとったんかな。
ウチにとって、竜剣士の役目は仲間よりも大切なことなんかな」
クローディアは何も言えなかった。こんな気弱になっているライラを見たのは、クローディアにとって初めてだった。
驚くべきことに、ライラは助けを求めている。彼女の規格外の腕力をもってしても対抗しようのない、「倫理」という怪物に立ち向かおうとしている。クローディアの為すべきことは、先輩として彼女を導くことのはずだが。
生憎、クローディアには経験が無かった。仲間を守れなかったことならいくらでもあるが、仲間に自ら手を下したことなど一度もない。強大な力を振るう責任に押しつぶされたことも、自分の感情と天秤にかけたこともない。「倫理」と戦うのは、クローディアの領分ではなかったのだ。
そんなクローディアが小さい頭で考えた気休めで、ライラを導けるものだろうか。
「……人はいつでも、正しい選択ができるとは限らないわ。
時には取り返しのつかない失敗もする。大切な人を傷つけてしまったり、自分の気持ちにウソをついてみたり」
クローディアの脳裏に、セナの顔が浮かぶ。
月明りの差すベッドで、静かに寝息を立てるセナ―――寮で同室だったセナが日々見せる表情に、何度心を奪われたか分からない。何度セナの心を奪いたいと思ったか分からない。
でも、クローディアは選んだ。セナとは、「いい友達」でいることを。セナはクローディアにとってずっと遠い存在で、自分が彼女に並び立つことなどありえない。そう思ったからだ。
その選択が正しかったのか、今のクローディアには分からない。
口では正しかったと何度でも言える。でも、現にクローディアはその気持ちを諦めきれないでいる。
だって、それをサチにぶつけてしまったばかりなのだから。持っていない気持ちは、誰かにぶつけることだってできない。
「でもねライラ。後悔するってことは、あなたの正義が真っすぐである証拠だと思うわ。
後悔しない正義の味方なんて、歪んでいると思わない? だって、自分の選択を迷わないのは、ただ独善的なだけだもの」
あの時、サチもクローディアと同じ気持ちだった―――そう考えれば、クローディアは自責の念に囚われずに済む。
でも、それはクローディアがそうであったらいいと思っているだけ。独善的な考え方だ。
自分は歪んでいる。そうクローディアは自覚している。サチはセナとは違うといいながら、クローディアはサチにセナの面影を見ようとしている。どうしようもなく、満たされない歪な愛情をクローディアは抱えてしまっているのだ。
「そうけ?」
「あなたはあなたが思う『正しいこと』をすればいいわ。みんな、あなたがそうすることを望んでる。私もね。
みんながあなたに望むのは、正しくあることじゃない。あなたが正しいと思ったことを貫いて、曲げないこと。もっと自信を持ちなさい」
ぽんぽん、とクローディアはライラの背に回した手で、ライラの大きな背中を叩いた。
最初は困惑していたライラだが、表情はだんだんといつもの明るいものに戻っていった。
「クロちゃん、なんか……なんか、お母ちゃんみたい」
「誰がお母さんかッ」
「ウチが困ってるとき、悩んでるとき。お母ちゃんはいつもウチの背中を撫でてくれた。
お母ちゃんに撫でられてると、どんなときでも勇気が沸いてくるんよ。お母ちゃんのおっきな翼を、分けてもらったみたいで」
「大きな翼……?」
クローディアは首を傾げた。ああ、そういえば。ライラはそういう“設定”だったな、と数拍置いて思い出す。たしか「竜に育てられた」とか、そういう。
「クロちゃんに翼はないけど、同じやけ」
「同じじゃないわ。翼が生えた人なんかいるわけないもの」
「けど、確かにウチ、クロちゃんから勇気もろたよ?
お母ちゃん言っとった。お母ちゃんの手からウチが勇気をもらえるんは、お母ちゃんがウチのこと大好きやけ。クロちゃんもウチのこと、大好きなんな?」
「……。人聞きの悪いこと言わないで欲しいんだけど」
「じゃあ嫌いなん?」
「いえ、そういうわけじゃ……。ああ、もう。そんな顔しないの。大好きよ。手のかかるでかい妹っていうか……そんな感じの『好き』」
「やったー! じゃあウチとクロちゃんは、もう家族ってことででええね!」
「よくない」
「なしてー⁉」
クローディアは、瓜花がライラを近くに置きたがる理由の一端が分かる気がした。
ライラは人の少ないところで育ったせいなのか、他人との距離感がおかしいところがある。普段は人を寄せ付けない自由人のくせに、こうして周囲の人間にすぐに「大切」だとか「大好き」だとか言ってしまい、勘違いをさせてしまうのだろう。さらに顔立ちが整っているのが始末に負えない。女子の多いロアノールでは、ライラが立ち止まっていればすぐに輪ができてしまうのだ。




