#3 鉄火
自分が「臓物」になるかもしれない。
友人が「臓物」になるかもしれない。
その恐怖は静かにロアノールを包み込んでいった。人の口に戸は立てられない。密かに開かれた集会で楽団リーダーだけに明かされていたはずの情報は、一週間もしないうちに学院中の生徒たちに広まってしまった。
生徒会長のヘレナが岩戸隠れしてしまったのも生徒たちの不安を煽った。精神的支柱を失い、ロアノールの学び舎は一気に殺伐とした空気で満たされてしまったのだ。
サチがヴェルナと廊下を歩いていると、すれ違った二人の生徒が口元を隠し、何かをひそひそと話し始めた。
「……なんか、ヤな感じ」眉をひそめてヴェルナが囁く。
「そうかな。わたしは慣れてるけど」
元より、サチは陰口には慣れている。クローディアと二人で『NIGHT RAVEN』を再始動したとき、いや、そのずっと前から。
だが、今の状況は異様だ。陰口を囁かれているのはサチだけではない。みなそれぞれに小さなグループを作って、お互いがお互いに警戒の目を向け合っているのだ。
疑心暗鬼になってはいけない――――偽装パーティの日、瓜花の言っていた言葉だ。今はその、瓜花が恐れていた事態になっている。
「サチ」
後ろから声をかけられ、サチとヴェルナが振り向く。足早に、ムツミが二人に近づいてきた。
このところ、ムツミはユーレンの仕事を手伝っている。学院周囲の警戒のために、一体でも多くの魔導人形が必要なのだ。サチもそれを了承した。以前は意見の衝突もあったが、『NIGTMARE RAVENS』にとってユーレンは決して敵ではないし、協力を拒む理由はない。
「サチ、少し手を貸していただけませんか。ユーレンお嬢様が厄介なことに巻き込まれてしまって」
「厄介なこと?」
「話は歩きながらします」
「ねぇムツミ」サチが動くより前に、ヴェルナが口を開く。「それ、あたしが首突っ込んでもいい話?」
「はい。ハンニネン様にも来ていただけると助かります」
サチとヴェルナは顔を見合わせた。
非戦闘員のヴェルナにも手を貸して欲しい、とはどうやら本当に人手不足のようだ。一体何事かと思いつつも、二人はムツミを追いかけて廊下を歩き始めた。
「……生徒会が動き始めました」
「ヘレナ会長、復帰したの?」
「いえ、会長ではありません。生徒会評議委員の一人、モニカ・ウェーバがクーデターを起こし、生徒会を独断で動かしています」
「く、クーデター⁉」
「しっ! サチ、声が大きいって」
ヴェルナに制止されて、サチは口元を手で覆う。
「クーデターって……どういうこと? 生徒会を乗っ取ったらどうなるの?」
「生徒会は楽団の活動について『管理』の名目で様々な命令を下すことができます。モニカはそれを使って、ユーレンお嬢様の『ヘルメス』を支配下に置こうとしているのです」
生徒会の認可を受けると、楽団側にも大きな恩恵がある。
校外活動が認められるし、訓練室の利用もその一つだ。楽団への入団を希望する生徒との橋渡しをしてもらえるなど、大きな恩恵が受けられる。
一方でデメリットも存在する。
有事の出動命令には基本逆らえないし、活動内容や構成メンバーについても完全な自由は効かなくなる。「管理」とは、そういうことだ。
楽団の活動について、ヘレナは放任主義であった。彼女にとっては、楽団の活動などクラブ活動も同然である。学院に楯突くものが結集したところで、『壊れたクラリネット』とそれを振るう剣の腕があれば敵はないし、何よりヘレナには学校のことより優先すべき、眠ったままの妹のことがある。
ムツミに連れられてサチたちが入ったのは、学院の大食堂であった。
そこには既に人の輪が出来ている。その輪の中心人物のやりとりを、皆野次馬しに集まっているのだ。
サチはムツミに続いて人の輪を押し退け、野次馬の最前列に立つ。中心にいたのはユーレンと使用人服のモデル623が一体、そして屈強そうな男子生徒二人を従えた、一人の女子生徒だった。
白みの強い銀髪を緩くカールした髪型。きりっとした釣り目に鼻筋の通った顔。お嬢様然としたいでたちだが、金髪縦ロールのユーレンの前ではお嬢様感は少し薄れている。
制服の胸にはノイバラの刺繍が入っている――――ヘレナやリーゼロッテのそれと同じもので、生徒会の証。いつもヘレナにくっついていた生徒会評議員の一人、モニカだ。
「ユーレン、私は暇ではないの。今、ロアノールは不安に包まれている。その不安を、一刻も早く払拭しないとね」
「何度も申し上げていますわ。ロアノールを包む不安を煽っているのは、他でもない貴女でしてよ」
ユーレンは静かに紅茶を啜っている。
サチはユーレンの前のモニカにティーカップが出されていないことに気が付いた。サチと話すとき、ユーレンはいつも紅茶を振舞ってくれる。それが友好の意志であることを、サチは彼女と触れ合ううちに理解していた。
それがないということは、ユーレンにとって目の前のモニカは敵対すべき相手、ということなのだろう。
「いいのかしら、私にそんな態度をとって。こっちとしては『ヘルメス』に解散命令を出して、魔導人形を全機接収してもいいんだけど?」
「無意味なことですわね」ティーカップを置いて、ユーレンは微笑む。「接収したところで、貴女ごときにモデル623は使えませんわ。
うちのモデル623たちは今、学院の周囲に出現する『臓物』や『血球』の警戒業務をしていますの。貴女にそれが出来て?」
「必要ないわ、そんなもの」
テーブルに手をつき、モニカは身を乗り出した。
「『因子持ち』を排除すれば、魔女の復活は阻止できる。そうすれば、世界は平和になるのよ。簡単なことでしょ?
あなたは『因子持ち』じゃない。そうよね、ユーレン。だったら分かるはずよ。『因子持ち』がどれだけ邪悪な存在か」
「その『因子持ち』とは、ウワサの『セレブラント』のことですの?」
「『祝福の子』なんて呼ぶなッ!」
突然モニカがテーブルを叩いたので、サチは驚いてビクッと体を震わせた。
だが、ユーレンは静かに座ったまま、全く動じない。
「アイツらは人間じゃないのよ。人間を食うバケモノなの。平和を脅かす存在なの!」
「違いますわ。セレブラントは人間です。私たちと何も変わらない、普通の子」
「違わないわ。『因子持ち』は放置すればいずれバケモノになる。だったら、早いうちにその芽は摘むべきよ。
あの女、リーゼロッテだって。もっと早いうちに『処分』すべきだったわ」
サチは思わず、一歩踏み出していた。ざわつきを増した生徒たちの輪から中へ入り、すたすたと中心にいるユーレンたちに近づく。
「ユーレンさん」
「あらホシノさん、ご機嫌よう。623、ホシノさんに紅茶を淹れて差し上げて」
「畏まりました」
ユーレンの側にいたモデル623はその場を離れ、生徒の輪の中へと紛れていった。
「あなた、その魔奏器……。『NIGHTMARE RAVENS』のサチ・ホシノね」
「あなたは……えっと、モニカさんでしたっけ」
「モニカ・ウェーバよ。モノを知らないガキね。いい? ウェーバ家は暗黒時代前から続く―――」
「すみません。その話、長いですか?」
「なによ、どいつもこいつも……私をバカにしてるの?
いい? ヘレナ会長がいない今、ロアノールは一致団結して敵と戦う時なの。そのために―――」
「『敵』って何ですか」サチはモニカの言葉を遮って問いただす。「『臓物』や『血球』ですか。それとも」
「私たちの敵は『因子持ち』よ。決まってるでしょ。
まずは手始めに、学院から『因子持ち』を排除するの。そのためには多くの楽団の協力がいる。まずは学院規則改正の賛成票を作らないといけないし、抵抗する『因子持ち』は武力で排除する必要も出てくるでしょうから。
ちょうどいい。サチ・ホシノ、あなたも『こっち側』につきなさいな。あなたの楽団は今やロアノールで五本の指に入る力を持っている。あなたがこっちに付けば、みんな私の案に従ってくれるでしょう」
「お断りします」
サチが逡巡する様子もなくあっさりと答えたので、モニカは困惑しユーレンはくすりと笑った。
「……は? 今なんて?」
「『お断りします』。そういいました。わたしは、モニカさんの案には乗れません」
「なんでよ⁉ 『因子持ち』の肩を持つの⁉」
「リーゼロッテさんは……私たちの大切な仲間です。リーゼロッテさんを悪く言う人と、手を組む気はありません」
「そのバケモノの『因子持ち』を殺したのはアンタたちでしょ」
「……っ」
言葉に詰まったサチに、生徒の輪がざわつく。
リーゼロッテがセレブラントで、『臓物』に変異したこと。それを現場に居合わせたサチたちが討伐したことは、あの偽装ダンスパーティでしか明かされていない情報であり、ロアノールの大半の生徒は初めて聞く話であったはずだ。
「リーゼロッテはね、『因子持ち』だったの。そのくせに生徒会に入り込んで、ヘレナ会長のお気に入りで……。あやうく、生徒会が『因子持ち』に乗っ取られるところだった。
バケモノが死んでくれて本当によかった。校内で騒ぎを起こされていたら――――」
しゅっ、と風を切り、サチは『剣の舞』を素早く鞘から抜き放った。その切っ先をモニカの喉元に突き付ける。
モニカの後ろで男子二人が身構えたが、サチのほうが一手早い。彼らが動く前にあと一突きもすれば、モニカの喉は切り裂かれてしまう。彼らは門を守る二つ揃えの彫像のように動きを止めた。
モニカも黙った。自分の喉元にこうも刃を突き付けられては、言葉の一つも発せられない。
「……それ以上、何も言わないでください。リーゼロッテさんのこと」
「ホシノさん」ユーレンがサチの腕を払い、切っ先を強引にモニカから反らした。「およしなさい、こんなところで」
「でも……」
「貴女のその太刀筋は、戦場で敵に向けられるもの。こんな場所で使うべきものではありませんわ」
生徒の輪を割って、623が盆を手に戻ってきた。
差し出されるティーカップを受け取るために、サチは『剣の舞』を鞘に納める。
「……ふぅ。まあ、今日のところは引いてあげるわ」モニカが姿勢を正して椅子に座る。「でも、すぐにみんな私に従うことになる。あなたたちもね」
「ありえませんね」「ありえませんわ」
「ふふっ、いつまでその強情が通じるかしら」
すっ、と席を立ち、モニカは男子二人を連れてその場から離れた。
モニカの姿が見えなくなり、生徒の輪が解かれると。ようやくサチはユーレンの隣に腰を下ろした。
「ムツミが呼んだのね。まったく、余計なことを」
「すみません、ユーレンさん。話に割って入ってしまって。一体何があったんです?」
「聞いての通りです。あのモニカという女は、『ヘルメス』の力を欲しがっていますの。私が生徒会に従うか、あるいは魔導人形の管理者権限を寄越せと。毎日あんな感じで、いい加減参ってしまいますわ」
「でも」向かいに腰を下ろしたヴェルナが会話に加わる。「なんであのモニカって人は、魔導人形を欲しがってるんです? 毎日話しに来るくらい執着して?」
「ハンニネンさん。貴女はセレブラント問題について、どこまでご存知?」
「……セレブラントは『臓物』に変異する。そのくらいです」
ヴェルナはあの場にいたどころか、リーゼロッテが変異する様を間近で見ている。おそらく誰よりも、人が『臓物』に変わるという事実を、最もリアルに体験した生徒だろう。
「では、ロアノールには意図的にセレブラントが集められているというウワサについては?」
「えぇ、なんとなく」
「聖ロアノール音楽学院の理事長、サー・ロアノールは『臓物』や『血球』に対抗できる戦力として、生まれながらに特異的な魔法の力を授かっている子……つまり『祝福の子』の力を研究をしていたようですの。
だから、ロアノール入学志望者の中から、セレブラントたりうる子を特別に入学させている―――。そんなウワサは、以前から聞いていました」
「たぶんそれ、本当です」サチが口を挟む。「研究のことは、リーゼロッテさんから聞きましたから」
あの時、リーゼロッテが胸の内を明かしたとき、その場にはヴェルナもいた。
彼女の語った理由は、ヘレナの妹、リリアの力を制御する研究のためであったが。そのことは二人とも、ユーレンには黙っておいた。
「そうなると、学院を牛耳ろうとしているモニカにとってもっとも重要なのは、信頼できる『駒』を得ることですわ。
どの生徒がセレブラントなのか。自分の力を隠しているのか、あるいはまだ未覚醒なだけなのか。それを見極めるのは至難の業ですわ。セレブラントを苛烈に排除しょうとするモニカにとって、部下が隠れセレブラントであるようなことは、あってはならないことですものね。
その点、魔導人形は絶対安心です。人造物の魔導人形に、セレブラントが紛れ込むはずがないですから」
静かに、ユーレンは紅茶を啜った。
辺りを見回せば、食堂はいつもの活気を取り戻していた。だが、何かが変わっている―――それをサチは感じる。大食堂で刀を抜いたサチの暴虐性に対する冷めた視線なのか、あるいは自分たちとは異質なセレブラントを擁護するサチたちを危険視する視線なのか。サチがそれを確かめようと目線を送ると、皆揃ってサチから視線を反らすのだった。




