#1 落涙
その日、『NIGHTMARE RAVENS』のギルドハウスには陰鬱な影が落ちていた。
リーゼロッテ・カールスルーエと玲雙虎。二人の空の棺を並べた葬儀を抜け出したクローディアは、ギルドハウスに閉じこもったサチを見舞いに行った。
灯りは落とされていて、暖炉の消えない魔法の炎だけが室内を照らしている。のっそりと入口のドアを押し開いたクローディアは、暖炉の前の床にうずくまり、ただ茫然と火を見ているサチをすぐに見つけることができた。
「サチ」
呼びかけても、サチは何も答えない。振り向きもしない。
クローディアはそっと、サチの隣に腰を下ろした。
「サチ」
「……どうしてですか」
クローディアは隣に座って、ようやくサチの呟く声が聞こえた。
「どうして、先輩たちが、あんな……」
「私たちは今まで、『臓物』がどうやって生まれるのかまで考えたことがなかった……まさか、人間が『臓物』に変異してたなんてね。
そのことは今、瓜花が調べてくれているわ」
「そういうんじゃ、なくて……!」
サチは急に立ち上がった。
クローディアを見下ろし、歯を食いしばり。拳を握りしめて、怒りを全身に漲らせている。その瞳は、いつものキラキラした輝きを宿していない。
虚ろで、暗くて。クローディアが今までたくさん目にしてきた、死人の目にも似ていた。
「平気なんですか! 先輩が、先輩たちが、あんな風に……!」
「……私が平気に見えるかしら、サチ」
クローディアはサチを睨み返した。
思えば、サチとは長い付き合いになる。クローディアがサチと初めて会ったのは去年の五月、まだ肌寒い時期のことだった。魔奏士になるための才能が一切ないことを突き付けられ、自殺を図ったサチと、それを救おうとした旧『NIGHT RAVEN』のメンバー。
それ以来、クローディアとサチは同じ楽団の先輩と後輩というより、何でも話せる姉と妹のような関係であった。だからこそ、クローディアにはサチの痛みも苦しみも手に取るように分かるし、クローディアが平静を装った仮面の下で泣いていることも、サチには伝わっている。
クローディアは何かを言いかけて口を噤んだサチの両手を握り、その場に座らせる。
「サチ。みんな貴女と同じ気持ちよ。一緒に笑いあった仲間に、もう二度と会えない。もっと自分に、できたことがあるんじゃないか――――みんなそう思ってる。親しい人の死は、何度経験しても慣れるものじゃないわ」
「はい……」
「『死んだ人間のことなんか忘れろ』なんて言えない。『後悔なんかするな』なんて言えない。『リーダーなんだから、気をしっかり持て』なんて言えない。全部、私が貴女に押し付けたんだもの。そんなの、私が言える立場じゃない。
でも、これだけは言えるわ。私は、貴女に泣き暮らして欲しくないのよ、サチ」
「クローディアさん……」
「大切な人、大好きな人に泣いていてほしくないっていうのは、おかしなことかしら」
「えっ……?」
クローディアはサチを引き寄せ、そっとその唇に自分の唇を重ねた。
「んっ……」
一度は諦めた気持ちのはずだった。
サチにそれを求めることは、彼女にセナの身代わりをさせることだから。
でも……。
でも、クローディアは求めてしまった。
サチの体温。命。今、そこに確かに存在しているという、事実。
その確証が欲しかった。感じたかったのだ。
今日まで楽しく話していた友人が、明日にはもういなくなっているかもしれない―――頭では分かっていた。何度も経験したことだ。
だから欲しかった。
実感を伴う、サチの存在。ここに生きているという確証が―――
「くふっ」
いや。違う。違う、違う。私が求めていたのは、これじゃない。
クローディアは触れていたサチの唇を離した。
「……はぁ」
暖炉の火に照らされて、二人の顔が熱くなっていた。
クローディアが両肩を掴んでいるサチの体は、思っている以上に小さくて、細くて。少し力を込めたら、折れてしまいそうだった。
まるで硝子細工のよう。熱っぽいサチの視線から、クローディアは目線を反らす。
「……ごめんなさい」
半ば突き飛ばすようにして、クローディアはその場から逃げ出した。
ギルドハウスを飛び出し、ユリ棟に向かう道をずかずか歩く。もう三月。きっと今年最後になる雪が積もっていた。
積もった雪に足を取られ、その場に倒れ込む。
目尻から零れて雪を融かしたクローディアの涙は、きっと倒れたときの痛みによるものだ。クローディアはそう思った。
違う―――違う。私は、そういうことを求めていたんじゃない。
私が欲しかったのは―――。クローディアは自答する。クローディアが欲しかったのは、サチの心だ。セナの代わりになって、自分を愛してくれる人じゃない。サチ本人の、偽らない本当の愛。
クローディアが求めれば、サチはそれに応えてくれるだろうという打算があった。そしてサチは実際に、応えてくれた。でも、それでは駄目なのだ。
「私って――――」
クローディアは仰向けに転がった。
空は淀んでいた。雪はもう降りそうもない。けれど、今にも降り出しそうに、雲はどんより、空に低く佇んでいる。
私って。
こぼれた涙を、両腕で隠す。
弱ったサチに、付け込んでしまった。
仲間を喪って、喪失感に苦しむサチに。ただそっと、側にいて支えてあげなきゃいけない、その時に。
先輩として。姉代わりとして。サチの支えにならなきゃいけなかったのに。
そうしよう、そうあろうって、決めたのに。
このキモチは墓まで持って行こうって、決めたのに。
笑顔でいてほしいなんて。気障なことを。
本当は、自分がサチの愛を欲していただけだ。弱った今のサチなら、自分のものに出来るんじゃないか―――そんな風に、考えてしまった。
私はサチに、ウソをついた。
泣いていて欲しくないのは、ウソじゃない。
あんな風にキスをしたのは、ウソだった。あれは、サチを励ますためじゃなかった。
自分の欲望を満たしたかっただけだ。
「―――イヤな女」
自己嫌悪で、死にたくなる。
だが、すぐ側にずしんと落ちた『葬送曲』は、クローディアの死、それによる罪悪感からの解放を、絶対に許さない。




