#1 来客
きゅう、ぴちゃん――――
自室のシャワーを浴び終えて出たサチは、バスタオルが用意されていないことに気が付いた。
思えば、ムツミが部屋にやってきてから三か月。かつては部屋の掃除も料理も、着替えの準備も自分でやっていたのに、今は身の回りの世話を完全にムツミに任せきりにしてしまっている。
ハウスキープがおろそかになってしまったのは、ムツミが昨日から大規模なオーバーホールに入っているからだ。全身のチェックと損耗部品の交換だけだから故障ではない、修理中も機能停止するほどじゃないから、体は動かせないものの、会いに来ればいつでも話せるとはユーレンの言葉。サチも暇があればムツミに会いに行っている。
連日続く出撃のせいというのは確かにある。ロアノールには数十もの楽団があるのに、ここ最近の『血球』出現率の異常な高さに、ほとんどすべての楽団は尻込みし、所属する魔奏士たちは「後進の育成のため」と出撃を渋っている。結果として、『血球』討伐の仕事はほとんど「NIGHTMARE RAVENS」に回ってきていた。
「……髪。伸びてきた、かも」
部屋に入り、クローゼットからバスタオルを探しながら。ふと横目に入った姿見に、サチは視線を合わせた。
サチは今まで、あまり自分の容姿に気を使ったことがなかった。髪や毛先の手入れをし、顔を丁寧に洗ったりする程度には女子ではあったが……。いま、鏡に映った自分の姿が、ひどく細くなっていることにサチは驚いた。
目はうつろで肌はがさがさ、これまで見えなかったはずの肋骨が浮いている。手足の血色も、少し青白い気がする。
こんこん。部屋のドアがノックされた。
「マハーレです。マハーレ・ハイヤーン。サチちゃん、ちょっとお話、いいかな」
「マハーレさん?」
マハーレ・ハイヤーンは、かつてサチたちが瓜花と戦ったときに加勢してくれた、ロアノールの図書委員を務める上級魔奏士である。魔術研究を主活動とする楽団「Lapis:philosophicus」のリーダーでもある彼女は、今は瓜花と協力しながら様々な研究成果を上げている。
そのマハーレさんがどうしてわたしの部屋に? サチは疑問を抱きながらも、マハーレを招き入れようと扉を開けた。
「マハーレさん、こんな夜中にどんな御用――――」
「サチちゃん、実は…………あ」
「…………」
「……お取込み中だったかな」
「ワッ!」
ばたん、とドアを引き閉める。
考え事をしていたせいで、サチは大事なことを忘れてしまっていた。
自分が、風呂上りで全裸であったことを。
* * *
「もしかして、サチちゃんも裸族なの?」
「ちがいます!」
寝間着に急いで着替えたサチは、改めてマハーレを室内に招き入れた。
茶を出すと、マハーレはテーブルに肘をついてニマニマ笑って、サチを見つめていた。
「……ちょっと待ってください。今『サチちゃんも』って」
「服ってさ、窮屈じゃない?」
マハーレ・ハイヤーンは裸族である。
裸族とはつまり、プライベートな空間では一糸まとわぬ姿で生活する者をいう。
「自分の部屋の中ってさ、やっぱ自分にとって一番安心できる場所だって思うんだよね。余計なものを脱ぎ捨てることで、そこにある空気と一体となる。
わかるよ……とってもスピリチュアルな体験だよねっ!」
「同意を求めないでください……っていうか先輩は『裸族』だったんですね」
「うーん、わたしにとってはスイッチ、かな。学院では制服を着ている自分、部屋の中ではまた別の自分がいる、みたいな。OnとOffって大事だよね。サチちゃんはどう思う?」
「すみません、わたしには『裸ピス哲学』はちょっと早いみたいです……。
そんなことして、同室の方に何か言われないんですか」
「ん? あー。何も言わないよ。死んじゃったからね。ほら、この前の下級魔奏士試験の日。森でサチちゃんが『臓物』に遭遇したときにさ。
前からあの子がいない日、こっそり素っ裸で生活しててよく怒られてたんだよね。だからそれを続けたら化けてでてくれないかなーと思ってるんだけどね、やっぱダメみたい」
そんな話をされたら、サチはそれ以上何も言えない。
下級魔奏士試験の日。マウレンを喪った日だ。
サチたちはマウレンを取り込んだ『骨髄』を戦い、運よく生還できたが、あの時に命を落としたロアノールの生徒がいたことはサチも知っている。その中の一人が、マハーレの同室の生徒だった。
「話は戻るんだけど、今日はサチちゃんにお話ししないといけないことがあるんだよねー」
「話?」
「これは秘密なんだけど……。クローディアからさ、瓜花ちゃんが調べていたことを、わたしにも調べてみて欲しいって依頼されてて。
魔女シャリオが研究していた、『死』について」
以前、瓜花はユーレンやヘレナたちを前に、魔女シャリオが『死』の回避を研究していたことを話している。確か、シャリオは死の回避の方法を考案していたとか――――その詳細についてまでは、瓜花は話さなかったが。
「瓜花ちゃんに、別の用事で図書館深層に連れて行ってもらった時にね、こっそり探して読んでみたんだ。魔女シャリオの研究ノート」
マハーレは、半分興奮気味になって、そのメモのことを語り出した。研究者気質の、魔法オタクの悪い癖である。マハーレは、自分の興味の深い分野の話では、人が変わったように饒舌になる。
研究ノートに記された文言には、特に呪いのようなものはかかっていなかった。
それもそのはず、魔女シャリオが「死」について研究していたのは、彼女が「黒き煌き」として恐れられる前の話で、まだまだ普通の魔法使いの範疇にいたころの話だからである。
シャリオはその研究を人類のために役立てようとしていた。そのため、誰にでも読める形で記録を残していたのである。
「随分と興味深いことが書かれていてね。自分の生命を、魔力として他人に植え付ける。そんな方法が載ってた。自分の命、記憶、人格、その他いろいろを、他人の魔力に移植するんだって。『ヤドリギ』ってシャリオは呼んでたみたい。
他人の体に寄生して、生きながらえる仕組みだね」
「聞いてるだけで気持ち悪くなりますね……」
「ただ、理論的にも成功率はすごく低いんだ。移植した自分は純粋な魔力、エネルギー生命体になるけど、宿主に切り離されたらそれで終わりだからね。生命の魔力への変換は不可逆、宿主に切り離されたら、魔力が尽きて今度こそ消滅しちゃう。
これはわたしの憶測でしかないんだけど……。シャリオは自分の命を分割して、世界中にばらまいたんじゃないかなって思うんだ。そうすれば、一つが失敗してもいくつかは生き残る可能性があるでしょ。無数に分割された魔女の命、それが不完全な形で再生されたものが、『血球』や『臓物』なんじゃないかって」
『血球』は、魔女が死の間際に放った瘴気が集まって産まれたものだとされている。その発生を魔女の最期の抵抗、あるいは自分亡き世界への報復と考える説が今は最も有力であるが、実際にはどうたったのか。
彼女の研究していた『死の克服』、その成果が『血球』だとしたら。
黒き煌きの魔女シャリオは、自身の復活を企図して『血球』を世界にばらまいたということだ。
「……あの、なんでわたしにそんな話を?」
「命を魔力に変えて植え付ける。そんなことが本当に可能なのか、調べてみたくて。
ほら、サチちゃんがまさにそうでしょ? セナの命を、『剣の舞』に適合した魔力特性を受け継いでる」
「わたしのはそういうのじゃないっていうか……これはセナさんの魔力融合を受けたせいですし」
「方法は関係ないよ。結果が同じかどうか、それが大事なんだよね。
だからさ、ね、いいでしょ? 調べさせてくれても」
「それなら……まあ。わたしに協力できることなら、ご協力します」
「やった。じゃあサチちゃん、服、脱ごうか」
「えっ」
「服越しより素肌からのほうがいいデータが取れるから。
えー。協力してくれるっていったのに。何その、すっごいイヤそうな顔。大丈夫だよ、何もしないから。ちょっと服脱いで、ベッドに寝てもらうだけでいいから。
どうしてもイヤなら、こっちも魔奏をつかっちゃおうか。忘れたの、わたしは声で魔奏を使えるんだよ。これで催眠を―――」
「協力の話は、やっぱりなしでっ!」
サチは素早く側においてあった『剣の舞』を手にとり、数センチだけ鞘から抜いた。
指で軽く刀の背をこすって加速の魔奏を発動させる。マハーレが反応するより早く、サチは自分の部屋から脱走した。




