#4 異物
無事出産介助を終えた瓜花とクローディアがカーテンの外へ出ると、産声を聞いたらしい負傷者たちがカーテンの前に人だかりを作っていた。「赤ちゃんは無事か⁉」と問われてクローディアが頷くと、生存者たちは自身の怪我や痛みも忘れて歓喜に沸いた。
ひとしきり喧噪も終わり、外との連絡もついて救助船の手配がつくと。疲れのあまりに壁に体を預けてへたり込んだクローディアに、瓜花が近づいてきて隣に座った。
「助かったよ。ありがとう。クローディアがいなかったら、どうなっていたことか」
「私は何もしてないわ。だって、赤ちゃんを取り上げたのは貴女でしょう」
「……軽かった」
タオルに包んだ赤ん坊の感触を思い出すように、瓜花は両手を体の前に構える。
「くにゃくにゃで、不安定で……弱い生き物だ。そう思った」
「そうね」
「不思議だ。どうして人間は、あんなに弱いまま生まれてくるんだろう。馬とか牛とかなんか、産まれてすぐ立てるようになるのに。
呼吸くらいしか、自分ではできないじゃないか。もっと強く生まれて来れないものなんだろうか」
「そういう生き物だから、かもしれないわね」
「どういう意味だい?」
「自分一人では生きていけない。誰かに助けてもらわないと。そうやって生まれてくることで、私たちは自分たちがまだ弱い生き物だって思える。
でも同じ人間が、成長したら母親になることもある。赤ちゃんを庇護する、誰かを守る、そういう存在に。自分たちが弱いことを知っているからこそ、助け合って、支え合いたいと思うんじゃないかしら。
貴女も私も、きっとそう。弱いもの同士が手を取って生きていくことが、『命を繋いでいく』っていうことだと思うの」
「どうかな」
「そうよ。だって貴女だって私に助けを求めたじゃない。一人じゃきっとおろおろして、何もできないと思ったから私を呼んだんでしょう?」
「ああ、そうだ。だってボクは人間の出産なんて、知識でしか持っていないからね」
瓜花は黙ってしまった。
その言葉には、どこか冷めた感触がある。そして、瓜花が強調するように言った「人間の」という言葉。
なぜ、そこを強調する必要があるのか。まるで瓜花は、自分が――――
「クローディア」
クローディアの隣で座る瓜花は、膝を抱えた。
「ボクには親がいないんだ」
「貴女も孤児だったの?」
「違う。ボクにはキミたちのいう『親』というものが、元から存在しないんだ。気が付いたらボクはそこに『居た』。家族や親戚なんてものは、ボクには最初から存在しない。
クローディア。ボクはね、人間じゃないんだ」
瓜花の告白に、クローディアは隣に座る瓜花の横顔を見た。
灰青色の髪。ぶかぶかのロアノール制服。歳のわりにはずいぶんと落ち着いた物腰――――それでいて、寂しがりや。人を避けているように見えて、その実は他人に甘えるのも、他人から頼りにされるのも大好き。瓜花には奇妙な点はいくつもあるが、十分に人間の範疇に見える。
「『妖怪』。ボクの故郷ではそう呼ばれている。クローディア、キミの国の言葉ではfairyとかmonsterとか、あるいはsupernaturalとかになるんだろうか」
「ヨーカイ……」
「小さいころから、ボクは『普通』じゃなかった。里の子供たちにはない、不思議な力をいくつも使えたしね。ボクを見る彼らの目は輝いていた。ボクは特別な存在だったんだ。
でも、ボクは彼らが羨ましかった。帰る家がある。帰りを待ってくれている家族がいる。何より、自分が人間であることを信じて疑う必要がない、彼らのことが。
クローディア、キミは人間だろう? だってキミには両親がいるんだから。人間から生まれたキミが、自分が人間なのかどうかについて悩む必要はない」
ぎゅっ、と。瓜花は自分の膝を強く抱える。
「図書館に籠って、何度も調べたさ。人間とは何か。何があれば、人間だといえるのか。どうしてボクは人間じゃないのか。どうしたらボクは人間になれるのか。
でも、調べれば調べるほど絶望したよ。どうしようもなくボクは人間になりたくて、どうしようもなくボクは人間じゃなかった。
ボクには親もなく、家族もない。人間ですらない。ボクはキミのいうその、『命』には繋がっていないんだ。あの妊婦を見たとき、助けを求められたとき、思ったんだ。そんなボクが、ヒトでないボクが、人と人の命の繋がりに干渉していいのだろうか、と」
タオルを手に、恐怖におののいていた瓜花。
出産。新たな命がこの世界に現れる瞬間。人の命の繋がりを象徴するイベントに、人ではない異物が入り込む――――瓜花の恐怖は、そこにあった。
「親のいないボクが、家族の愛を知らないボクが、人の輪に入ってもいいんだろうか。人のつながり、命のつながりにとって、ボクは異物でしかないのに」
目を伏せる瓜花の頭を、クローディアは乱暴にぐしゃぐしゃ撫でる。
「馬鹿ね」
「バカとはなんだ」
「馬鹿よ。やっぱり瓜花は知識だけの頭でっかちね。今更、私たちがそんなことを気にすると思うの?
瓜花は大切な仲間よ。異物なんかじゃない。人間かそうじゃないかなんて些細なこと。ムツミを見なさい。あの子だって人間じゃないけれど、うちの楽団のメンバー、仲間の一人よ」
「キミたちはそうでも、世間はそうじゃない。あの母親だって、自分の子供が人間じゃない、バケモノに取り上げられたと知ったら、恐怖するに決まっている」
「そうかもね」
自分のせいでくしゃくしゃになってしまった瓜花の髪を、クローディアは撫でつけながら整える。
「でも、あの母親と子供を救ったことに変わりはないじゃない?
どれだけ恐れられようが、どれだけ後ろ指を差されようが……あの二人を助けたという事実は、決して揺るがない。例え貴女が人間じゃなかったとしてもね」
それは、学院の中で『死神』とあだ名をつけられ、疎んじられていたクローディアの生の言葉であった。
「他人にどう思われようが関係ない。誰にも理解してもらえない、誰かに嫌われることだってあるかもしれない……。それでも、自分が正しいと思うことを、突き詰めればいいと思うわ。最後まで、全力でね。
貴女は人が大好きだってこと、貴女の善性を、私は知っているから」
「クローディア……キミは、強いな」体をゆすり動かして、瓜花はクローディアにひっついた。「……ボクはキミを殺そうとしたことさえあるのに。そんなボクを、受け入れてくれるっていうのか。そんなキミだから、ボクは秘密を話したくなったのかもしれないね」
髪を撫でつけられると、瓜花は安らかに、深く息を吐いた。
人より少し高い体温。ゆるやかな瓜花の心臓の鼓動が、触れた体ごしにクローディアにも伝わる。
やはり、人と変わらないわね――――クローディアは思った。体温も、メンタルも。言葉使いや落ち着きだけが大人びているのに、瓜花の精神性はまだまだ子供である。
「おネえ、ちゃン」
ごわごわした不気味な声の少女が、二人に近づいてきた。先ほど、クローディアが軟膏を塗ってやった少女である。
まるで、ほの暗い洞窟の奥深くから、怪物の呻き声が響くような。とても幼い少女の声とは思えない。
少女のいでたちは異常だった。首を90度真横に倒し、よたよたとふらつきながら歩いている。なにより――――軟膏を塗ったはずの、全身にある切り傷が、一切治っていない。
クローディアはヴェルナの調合した魔法薬がどれだけ効果的かを知っている。激しい痛みを伴う軟膏は、急速な皮膚修復のせいである。その傷が塞がっていないということは。
「おネえちゃン」
「お前……ッ」
危険に応答したのは瓜花が先だった。
クローディアに預けていた体をばねのようにしならせて突然立ち上がった瓜花は、空中に魔法陣を急速展開して少女を包み込む。
かつて図書館でサチを閉じ込めて見せた、魔法陣の檻である。
「瓜花? あの子は一体」
「あの子はもう、食われてる」
少女を閉じ込めた魔法陣の檻を、瓜花は空中に浮かべる。
檻からでようと拳を叩く少女。その手に血が滲み、骨が折れて次第に拳の形を保てなくなった。
普通の人間なら、自分の手の骨が砕けるまで光の壁を殴り続けることなどできない。彼女がどう普通でないかは、その後すぐに明らかになった。
少女の折れた手が裂け、中から赤黒い液体が噴出する。
血ではない。『魔女の血球』だ。
手に続いて目から、口から、全身の切創から。どろどろの液体になっている『血球』が、少女の体からあふれ出した。ぐつぐつと、まるでそれまで押さえつけられていたものが、圧力を失って解放されたかのように。




