#2 繋命
サチたちが遊覧船内を『血球』討伐のために動いているころ。クローディアは船内にある簡素な劇場ホールで、集められた生存者の手当てに奔走していた。
ホールの照明は落とされていて薄暗い。『血球』を集めないための警戒だろうか。
セナたちが健在だったころから、クローディアの役目はほとんど変わっていない。戦闘は楽団の仲間に任せて、避難誘導や応急処置をする。不死能力の魔奏器『葬送曲』を持つクローディアを後方配置することに相変わらずヘレナは文句を言っていたが、サチやライラたちが黙らせてくれた。
「センパイ、こっちです。手伝ってください」
少し離れたところから声をかけてきたのはヴェルナである。
ユリーカから魔奏器『新世界より』を受け継いだヴェルナ。扱いにも大分慣れたようで、以前まではメモを片手に調合していた魔法薬も、今ではそらで作れるものが増えてきた。
集中し、フラスコ内の液体に命を吹き込むヴェルナの横顔は、やはりユリーカの面影を感じる――――そんなイメージを、クローディアは頭を振って振り払った。
ヴェルナはユリーカの「代わり」などでは、決してないのだから。
「傷口に薬を塗らなきゃいけないんですけど、一人じゃ手が回らなくて」
「手伝うわ」
『新世界より』はガラス管が複雑に入り組み、フラスコやらシリンダーやらが組み合わさった珍妙な見た目をしている。かつてユリーカがそれを『究極の魔法薬製造器』と形容したように、使用者のイメージ通りの魔法薬を自在に調合可能な代物である。
ヴェルナが調合したのは、固形なのに手の平に載せるとやんわり融けていく、バターのような質感の軟膏であった。ただし色は薄青色をしていて、触れた部分がひんやり冷たい。
「これを塗ればいいの?」
「はい」
ヴェルナの前に座っているのは、まだ10歳にも満たないであろう少女であった。手足や顔に無数の切り傷のようなものがあるものの、どれも浅く命に別状はなさそうである。少女の前にしゃがみ、目線を合わせたクローディアにも、少女は無表情でただ座っているだけだ。
泣きもせず、笑いもしない。まるで人形のように佇む少女を不安がらせないように、クローディアは精一杯の笑顔を見せる。
「痛いところ、ある?」
「……」黙って首を横に振る少女。
「おくすり塗ろうね。腕を見せてくれる?」
「……ん」少女は服の袖をまくり、クローディアに腕を見せた。
「ありがと」
その余りにも細い腕には、真っ赤な線が縦横に何本も描かれている。きっと、避難のときにもみくちゃにされたのに違いない。
少女の腕を優しく掴み、切り傷に軟膏を塗ってやる。冷たいその感触に少女は一瞬体を震わせたが、特に暴れることもなく、クローディアの施術を受け入れていた。
「……これでオッケー。よく頑張りました」
軟膏を塗り終えたクローディアは、少女の頭を撫でた。
そこでようやく、少女はクローディアにほのかな微笑みを見せる。
「センパイ、こっちもお願いします」
「今行くわ」
少女の側を離れ、次の患者の元へ向かう。
次の患者は壮年の男性で、だいぶ酷い怪我を負っていた。左腕の皮膚がかなり酷く焼け爛れている。おそらく『血球』に触れてしまったのだ。
クローディアは、ヴェルナから渡されたさっきのと同じ軟膏を塗った。男性は傷口に染みるのか、アァ!ともオォ!とも言えない叫びを発する。
大人しく施術を受けていた先ほどの少女とは大違いである。
「……ヴェルナ」施術を終えたクローディアが、ヴェルナに問いかける。「この魔法薬、塗るとあんなに痛がるものなの?」
「ええ、まあ。皮膚を無理やり再生する薬ですから。傷口に塗ったら相当痛いと思いますよ」
師匠だったら痛くない軟膏を調合できたかもですけど、とヴェルナは付け加えた。
クローディアは振り向いて、いまだぽつんと座って動かない少女を見やった。
軟膏を塗っている間、少女は眉一つ動かさなかった。おそらく、ある種の虚脱状態にあるのだろう。
あんな幼い少女が、一人で船に乗っているはずがない。おそらく、親と同乗していたはずだ。それが今、少女と一緒にいないということは――――。少女の身に降りかかった絶望を想像し、クローディアはいたたまれない気持ちになる。
「クローディア」
またも呼びかけられて、クローディアは振り向いた。
瓜花である。だぼだぼの制服に灰青色の髪をした下級生の瓜花が、床に寝転がった負傷者の上をふよふよと飛行しながら、クローディアとヴェルナの側までやってきた。
「こっちはどんな様子だい」
「負傷者の応急手当は大分済んだわ。あとはこのまま『血球』の殲滅までここを守るか、救命ボートで全員逃がすかだけど」
「残念だが脱出の目はないな」瓜花はやれやれ、とため息を吐きながら首を横に振る。「どうやら『血球』の出現でパニックになった乗客の一部が、さっさと救命ボートを出して脱出してしまったらしい。ここにいる生存者を全員乗せられるボートはもう、この船には残っていないよ」
船内の『血球』はサチたち突入班があらかた掃討し終えている、と瓜花は現状を二人に説明した。
サチはかなり合奏も使いこなせるようになっており、ムツミやリンとの連携であっという間に戦況を押し返しているという。
「こうなるとボクの出番はないよ。狭い通路の中じゃボクの魔法は高威力すぎるしね」
「ウルカってさ」ヴェルナが問う。「回復魔法とか使えるの?」
「当たり前だろ。ボクを誰だと思ってる」
素早く左手で印を結ぶ瓜花。三次元に展開された複雑怪奇な魔法陣を纏った人差し指を、瓜花は近くに寝ている負傷者に向けた。
彼は避難誘導の最中に押し寄せる雑踏に巻き込まれ、左足を踏まれ骨折してしまった船員だった。船内にあった椅子の足を折って作った即席の副木を、クローディアはさきほど巻き付けたばかりである。
瓜花の人差し指の先端から発射されたレーザー光条が、船員の左足に突き刺さる。
ワッ、と悲鳴を上げた船員だったが、次の瞬間には、自身の身に起きた驚くべき出来事に目を白黒させた。
折れたはずの骨が、一瞬で正しく接合されたのだ。
もはや、回復魔法の次元ではない。一体どんな技術なのだろうか。
「え、すごッ……⁉」ヴェルナもクローディアも驚いて固まってしまった。
「五百年ほど前に失伝した、回復魔法のちょっとした応用例さ。生物体を自由に作り変える魔法だよ。理論発明者は魔力が低すぎて実証できなかったせいで、彼の理論が顧みられることはなかったけどね」
瓜花はその魔法を『魔王』を介して修得していたようだ。
「生物体を自由に……怖ッ!」ヴェルナは青ざめている。
「普段何食べてたらそんな魔法を見つけられるんでしょうね」クローディアは半分呆れている。「その発明者も、それを発掘する瓜花、貴女もね」
「……ボクのは、ただの学術的興味さ」瓜花は魔法陣を解いた。「人類史の中には志半ばで道を絶たれた研究が、いくつもあるんだ。その中には今のボクらを助けてくれるものがあるかもしれない。さっきの患者の骨折を治すみたいにね」
瓜花の一瞬の言い淀みに、クローディアは違和感を覚えた。
この元「図書館の妖精」は、純粋無垢なようでいて、いつも何か暗い影を背中に纏っている。皆がそれを見ようとすると、影をその小さな背に、必死に隠してしまう。時が来れば、もっと信頼してもらえるようになれば、瓜花はすべてを話してくれるだろうか。
「……ともかく、貴女が来てくれて助かるわ、瓜花。
軽症の人はヴェルナと私で、重症の人は瓜花に任せてもいいかしら」
「了解です、センパイ」「いいよ、そっちの指示に従おう」
その場から二方向に分かれて、クローディアたちは作業に戻った。船員たちや乗客たちの中で、回復魔法や魔法薬学の心得があるものには協力を依頼しつつ。クローディアはどんどんと集まる生存者たちを的確に捌いていった。
学院の外で活動する楽団の仕事は、『血球』や『臓物』などの、敵を倒すことだけではない。それは、クローディアがセナたちと「NIGHT RAVEN」として活動していた頃から徹底されていることだ。
生前のセナは自分の危険を顧みず、死地へも平気で飛び込んでいった。だが、彼女は戦闘狂だったわけではない。クローディアはセナのことを「人助け馬鹿」と呼ぶ。セナが決死の覚悟を決めるのは、いつも強大な敵と戦う前ではなく、危険な救助に赴くときであった。
積極的な敵の排除よりも、人命救助を優先する。その理由を問われたとき、セナは決まってこう言った。「私は、人を救う魔奏士になりたいんだ。助け出した人のほっとした、あの顔が見たくて戦ってるんだよ」と。
その精神は、楽団が名を変えた今でも生きている。クローディアの中に、そして、同じ炎はヴェルナたちにも宿っている。




