#1 突入
夕焼け空を映した湖面は、まるで上質なシルクのようだ。
そこを切り裂くように走る白波は、一隻のボートが残した航跡である。ボートの舳先に立つサチは、進路の先に佇む遊覧船をじっと見つめていた。
かつて湖に飛び込んだサチを救った『NIGHT RAVEN』。彼らが命を落としたあの遊覧船と同型の船が、湖の真ん中で立ち往生している。船内では、今まさに船員たちと『血球』の間で、戦闘が行われているからだ。
『NIGHTMARE RAVENS』結成から二週間。早くも三度目の『血球』討伐依頼だ。
「突入チームはサチ、ムツミ、それとシャン。『血球』を排除して安全を確保して。捜索チームはライラ、瓜花、リゼ、それとヘレナ。生存者の捜索と救助をお願い」
指示出しをするのはクローディアだ。
楽団のリーダーはサチになったが、今のメンバーで最も現場経験が豊富なのはクローディアである。討伐依頼を受けてからの作戦の立案は、相変わらずクローディアの仕事だった。
「後方チームは私とヴェルナが担当するわ。メインホールに傷病者が集まってるみたいなの。私たちはそこへ合流する。
リゼ、警戒と各チームへの指示出し、お願いね」
「おっけー。いつも通りだね」
「みんな、通信機は常にアクティブにしておいて」
サチの左耳には、片耳だけを覆うイヤーマフのような装置が付いている。表面には、セナのトレードマークである八咫烏のイラストが描かれてあるこれは、瓜花がマハーレと共に試作した短距離通信機だ。内蔵された魔石と、そこに込められた「絆」の魔法の力によって、近くにいる楽団メンバーと通信できる仕組みになっている。
ボートが遊覧船の側舷に横づけされると、サチは下ろされていたタラップを素早く昇って船内へと飛び込んだ。
遊覧船の側舷は、湖の眺望のためにデッキが広く取られている。山間に沈む夕日ともなれば観客の一人でもいそうなものだが、デッキはしんと静まり返っていて、人の姿はない。
「……!」
いや、姿はあった。
そこにあったのは、かつて人だったもの。『血球』に食い荒らされ、手足や内臓の一部を失った人間の破片である。
人間の惨殺体など、いくら見ても慣れるものではない。サチは回収不能になった遺体の前で、1秒にも満たない黙祷を捧げた。
「生存者は船尾側に集まってるね。まだ逃げ遅れている人が数名いるみたい。船首側、艦橋に三人、立て籠もってる」
リーゼロッテの送ってきた通信に、船内に突入した楽団メンバーは各々の仕事を始める。
9人になった『NIGHTMARE RAVENS』は、主に三班に分かれて行動している。サチは先鋒を担う「突入班」だ。その役割は『血球』の積極的な掃討である。
「艦橋にはわたしたちが行きます。会長のチームは散らばってる生存者の救助をお願いします」サチが通信機に語り掛ける。
「分かったわ」
サチはムツミ、リンの二人と視線を交わし、小さく頷く。
船内の構造は熟知している。サチがクローディアと遊覧船を駆け抜けたあの日――――その光景は、サチの瞼の裏に焼き付いて離れない。サチを先頭にした三人は、人間の破片と『魔女の血球』を潰してできた黒いシミが転がるデッキを駆け抜けていく。
☆ ☆ ☆
ヘレナたちのチームが次々と救助を進めていくのを通信で聞きながら、サチは幸せをかみしめていた。思わず顔が緩んでしまったのを見止めたのか、ムツミに肩を掴まれてしまった。
「サチ、何か良いことでも?」
「何でもない」サチは一度は否定した。「ううん、そうじゃないね。こうしてみんなと、一緒に活動できるのが嬉しいんだ」
「シャンもシャンもー!」
リンはハイテンションにサチの背をばんばん叩いた。
「シャンを入れてくれて、ありがとね。幸幸」
「そういえばちょっと気になってたんですけど」サチはリンに振り返る。「シャン先輩って、どうしてうちの楽団に入ろうと思ったんです?」
「ん? そんなの一つしかなくない?」
何を当たり前のことを、とでも言いたげにリンは腕を組む。
「一番強いからだよ」
「強い?」
「そ。特に幸幸、たぶん学院の中で一番強いと思う。シャンの気功はウソつかない」
「そんなこと……」
サチの言葉は謙遜などではない。
加速の魔奏だけならば誰にも負けるつもりはないが。魔力量も操作技術も、瓜花やライラに大きく水を空けられている。単純な魔法だけでも、扱える種類もその威力もクローディアには全く勝てない。知識という面でも、ムツミやヴェルナには遠く及ばない。
唯一サチに誇れるものがあるとすれば、悪運の域に片足を入れているといっても過言ではない、その幸運にあるのかもしれない。今こうして最高の仲間たちと楽団をやれているのは、彼女たちに出会えた幸運のお陰だ。
「うーん。表面的な強さじゃなくてさ。『秘めたる強さ』っていうの?
まだ幸幸には眠っている凄い力があると思う」
「眠っている力、ですか」
そういわれても、とサチは困惑する。
魔奏の才能が一切なかった、という点でいえばサチは間違いなく特別な存在であった。魔法が使える者は、魔奏に対して何らかの適性を持っている。瓜花の言葉を借りれば、魔奏は「竜の詞を人為的に再現したもの」であり、呪文によって行使される通常の魔術と原理こそ異なれど、本質的な違いがないからだ。学習に「得意分野」があるように、魔奏にも「得意」があるのが通例である。
それを持たない。家族を喪った復讐のために魔奏士を目指したサチにとって、それは望ましくない性質である。どうせ「すごい力」なら、セナやリーゼロッテのようなセレブラントの魔法の力ならよかったのに、と思ってしまう。
「だからさ。シャンはそういう『強者』に阿って生きていきたいワケ」
「オモネる?」首を傾げるサチ。
「媚びへつらうことです」すかさずムツミが解説する。「サチの故郷の言葉では『金魚のフン』が近いでしょうか」
「えぇ……」
「『大木は平原に成らず、大樹の側に成るもの也』。シャンの人生訓だよ。
強い人の側にいれば、自分も強くなれる。だからシャンは、最強の楽団に入りたかったんだよね。ココは最高だよ。ライラ、瓜花、クローディア、ヴェルナ、ムツミ、それにサチ。みんなみんな、学院で最強の何かを持ってる。
ここでなら、シャンも強くなれる気がするんだ」
「先輩の気功術だって凄いじゃないですか」サチも思っていることを述べる。「索敵に戦闘に、治癒術まで。頼りにしてます、先輩」
「えへへ……そういわれると、照れちゃうな」
突入チームにリンが入っているのは、サチの強い要望によるものだった。
少数精鋭が求められる最前線のチームにおいて、一人で索敵と戦闘、そして魔奏器『天国と地獄』による治癒術まで使えるリンは、最適な人材であった。
精神面の強さも見逃せない。魔奏士試験で『骨髄』に遭遇したときも、リンは極めて冷静に判断を下していた。不測の事態が頻発する戦場において、これほど頼りになる人間はいない。
「サチ、『血球』がいます」ムツミが呟く。「この先の通路の角を曲がったところ、数は13」
「まだこっちには気づいてないみたい」リンは床に平手を当てながら気配を探っている。「どうする、幸幸」
「加速の合奏で一気に突破しよう」
「おっけー」「了解です」
得物を突き出すリンとムツミ。ガントレット型魔奏器の『天国と地獄』、そして拳銃型の『1812年』。その二つにサチは『剣の舞』の刃の背を載せ、静かに擦らせる。
刀身の放つ魔奏が二人の魔奏器にも伝わる。合奏の技術も、この二週間で『NIGHTMARE RAVENS』のメンバーは着実にものにしてきている。
「よし、行こう!」
廊下を駆けだすサチ、そこにムツミとリンが続く。
角を曲がって現れた三人に『血球』は気づいただろうか。きっと、黄金色の光の筋しか見えなかったに違いない。彼らに感光器官に相当するものは存在しないが。
加速の魔奏を纏った三人は、13体いた『血球』に反撃の隙すら与えずに殲滅した。もはや『血球』程度、サチたちの相手ではなかった。




