#1 挑発
自分の部屋に戻ったサチは、ムツミを背負ってバラ棟の聳え立つ塔を登っていく。目的地は1314号室――――かつてルイスが使い、今はユーレンが使っている寮室だ。
サチはムツミをユーレンの元に返すことを決めた。それがムツミの夢だから――――全面的に応援するわけではないが、サチ自身も夢が破れる辛さをよく知っている。だからこそ、ムツミの夢を応援したいと思ったのだ。
セナならどうしたか、ではなく。サチ自身がどうしたいかに従った結果だ。
やっとの思いで階段を登り切り、ノックをすると。中から「どうぞ」という声が聞こえた。サチはふらつきながらノブを掴み、扉を開けた。
「ふァ~ッ!」
部屋の中に雪崩れ込むサチ。その尋常ではない様子にベッドに腰掛けていたユーレンは驚いて、飲みかけの紅茶をことりと側のテーブルに置く。
「ホシノさん。こんな夜更けに、どうされましたの?」
「ムツミを……届けに……」
上半身だけになっていても、ムツミの重量は成人女性の平均体重をゆうに超えている。片足だけでも残っていれば、サチはこんな重労働をしなくて済んだのだが。
重労働の末、ようやくムツミとユーレンの部屋に入ったサチだったが。室内には驚愕の光景が広がっていた。
「ホシノさま。ようこそおいでくださいました」
一体のモデル623――――ロアノールの制服をきた、ムツミと同型の量産モデルが。エプロンをつけ、両手を腰の少し下で前に合わせ、恭しく礼をした。サチが以前、初めてムツミに出会ったときとほぼ同じ姿で、同じ雰囲気を纏っている。
異なる点といえば、その腰に装備されたホルスター。『1812年』が収まっている。
「お、お嬢様……?」サチの背中で、ムツミは震える声を発した。「その子は、何です」
「ムツミ、あなたの代わりです。使用人がいないと困るでしょう。
あなたの仕事もこの子が受け継ぎました。私を守り、そして日々の世話をしてくれる」
「あなたの学習データは、私にも反映されています」相変わらず、モデル623は無表情だ。「ご安心ください」
「ユーレンさん……!」
サチの中に、抑えの効かない怒りが湧き上がった。
理由は後からついてきた。ムツミの居場所。ユーレンに付き従い、その世話をするという仕事。ユーレンとは独立して動き、彼女を守る役目。それを全うしていたムツミに対する仕打ちがこれなのか。
壊れたら、働けなくなったらもういらない、代わりを用意すればいい。そんな扱いではムツミが報われない。
「ユーレンさん、ひどいです!」
「なにがです?」
「ムツミは……ムツミは、ユーレンさんのところに帰りたがっているんです! それを……!」
「玄関先で客人と口論するほど、私は無作法ではございません。とりあえず中にお入りくださる?」
モデル623がムツミを抱え上げ、サチはその体重から解放された。
誘われたサチが部屋に入ると、ユーレンは向かいのベッドへ手をやり、座るように促す。
以前訪れた時にはユーレンが持ち込んだ荷物が並んでいた部屋だが、今はそれらが片付けられ、寮の備え付け家具はザクロ色のニスが塗られたものに変わっていた。壁紙も花模様に張り替えられ、優雅な雰囲気を醸し出している。
窓の外には月が昇り、部屋は薄暗い照明に包まれていたが、ユーレンがランプを操作して光を強くした。
モデル623はムツミをサチの隣にそっと置いた。上半身だけでも起き上がれるように、枕を台座代わりにして。
「いいかしら。自律魔導人形の利点については、前にお話ししましたわよね?
損傷してもパーツを交換すればすぐ直せる。学習データが並列化されているおかげで、全損しても新しい機体を導入すれば、すぐに同じ業務が可能。
ムツミ、その損傷ではもう仕事ができないでしょう? だから新しい623に来てもらったんですの。私の魔奏器から思考を分断して、新しい護衛係を任命しました」
ユーレンとサチが目を向けると、モデル623は制服のスカートの裾をつまみ、愛らしくお辞儀をした。
初めてサチがムツミに会った時と、全く同じ動きで。
「お嬢様。つまり……私は、もう用済みということですか」
「そうなるわね」ユーレンはサイドテーブルの紅茶を一口飲んだ。「これまでありがとう、ムツミ。貴女の学習データのおかげで、モデル623はさらなるアップグレードができました。『究極の兵器』へ、また一歩近づきましたの」
「見せてあげて」とユーレンが指示すると、モデル623は静かにうなずいた。
ゆっくりと片膝を上げ、片足立ちになるモデル623。スカートの裾がひらりとめくれ、露わになった膝から脛、足首の少し上までを、金属製のプロテクターが覆っている。
そのプロテクターがキーンと澄んだ鈴のような音を響かせながら微振動を始めると、モデル623の体は金色のオーラに包まれた。
その光を見て、サチもムツミもすぐに気づいた。加速の魔奏だ。
「疑似魔奏器『ヴルタヴァ』。我が社の技術で、魔奏器の量産化に成功しましたの。まだ試作段階ではありますけれど、貴女方二人の合奏練習からヒントを得て、社の上層部に掛け合い急遽、試作実装いたしました。
まだまだ、純粋な魔奏器と比べると、出力は十分の一程度です。でも逆に言えば、10体の自律魔導人形による完璧な合奏を使えば、オリジナルと同等、いえ、それ以上の力を発揮できますわ。
さらに、自律魔導人形は人間との連携も可能です。魔奏士との合奏機能も近々アップグレードする予定です」
紅茶を啜り、満足そうなユーレン。
サチは怒りに震えながら立ち上がった。ユーレンに近づくとその手からティーカップを奪い、中身をユーレンの顔に向かってぶちまけた。
湯気が立つほど熱いの紅茶だった。だが、ユーレンはカップを奪われたときのままのポーズで、固まっている。
「見損ないました、ユーレンさん。もっと話ができる人だと思ってたのに」
「……私も驚きましたわ。何も言わずに人の顔に紅茶をぶちまけてくるような方が、私に『話ができない』なんて評価を下すとは」
「あなたは、ムツミを何だと思っているんですか! あんなのを見せられて、ムツミがどう思うか……っ!」
「兵器、でしょう。それ以上言わせないでくださいまし」
モデル623はタオルを持ってきてユーレンの顔を拭こうとしたが、ユーレンはそれを無理やり退けた。
「私、無駄は嫌いです。以前にもお話ししましたでしょう。楽団の活動は、和気藹々としたクラブ活動などではないと。我々魔奏士の仕事は、人類を、未来を守るためにこの命を懸けて戦うこと。年頃の少女のように、夢を夢見て恋に恋し、友情を育むような瑣事にかまけている暇などありませんの。
貴女もよくご存じでしょう。魔奏士試験で亡くなった四年生、同じチームだったそうですわね」
「……!」
「明日は我が身、ですわよサチ・ホシノさん。魔奏士として生きていく限り、自分が、あるいは大切な誰かが、いつ命を落とすかもわからない。そういう仕事ですのよ、魔奏士というのは。
私たちは人類守護の砦。個人的な感情に振り回されてはいけませんわ」
「だからって……!」
「……サチ」
吠えかけたサチを、背後から止める声がした。
ムツミである。サチが振り返ると、ムツミは俯いて、今にも泣きだしそうな顔をしていた。
「連れて帰って、もらえませんか。あなたの部屋に」
「ムツミ……」
「もうここに、私の居場所はないようです。お嬢様を護衛する仕事も、新しいモデル623のほうが立派にこなせそうですし。
いいんです。お嬢様がお困りでないのなら、私は、それで」
「ムツミ。我が社のサポート規定は覚えていますわね。その範囲でなら修理や部品の交換にも応じます。定期整備もうちが請け負いましょう。これからはホシノさんと一緒に、穏やかに暮らすといいわ」
「はい……」
「それからホシノさん」
ぬっ、とユーレンが立ち上がった。
身長は頭半分ほどユーレンの方が高い。自然と見上げる格好になり、サチはユーレンの顔に威圧感を覚えた。
「紅茶を顔にかけるのは、挑発とみなしてよろしいですわよね?」
ユーレンは拳を握り、サチの心臓の上へ突き出す。
サチはそれを避けることもなく、受け止めた。
「売られた喧嘩は買いましょう。決闘、しましょうか。貴女の『NIGHT RAVEN』と私の『ヘルメス・ワルキューレ』で。
貴女が勝ったら、ムツミを修理して『ヘルメス・ワルキューレ』に戻します。そんな条件で、いかがかしら」
「ユーレンさんも『剣の舞』が欲しいんですか」
「いいえ。私はそんな貧相な刀になど、最初から興味はありません。
私が興味があるのはあの子……『図書館の妖精』。望月瓜花さんですわ。彼女の知識は我が社の研究開発に大いに役に立つでしょう。
それからトロイライトさん。あの方の使う魔法にも興味があります。あの二人を、うちの楽団に引き抜かせていただきます」
「所属する楽団は本人が決めることでは?」
「だから、決闘なんです。敗者に選択権はありませんわ」
個人の感情に振り回されてはいけない、と言った途端にこれである。ユーレンは見た目には冷静なようでいて、実は思っている以上に激情家なのではないかとサチは思った。
今、このベッドに腰を下ろし、足を畳み、音も立てず静かに優雅に紅茶を啜る姿は、ハルクスス社の令嬢としての仮の姿に過ぎない。本当は、ムツミのことを大切に思っているはずだ――――その直感は、サチの中でいまや確信に変わっている。そうでなければ、この場で「穏やかに暮らせ」などという言葉が出てくるはずがない。
夏休み、右腕を損傷したムツミの下へすっ飛んできたユーレンの、あの焦燥した顔。ユーレンにとってムツミがただの兵器でしかないのなら、あんなに慌てて帰ってきたりはしないはずだ。それを本人に問えば、否定するに決まっているのだが。
ユーレンの口から、ムツミへの想いを引き出したい。そして、ムツミを大切に思っていることを自覚してほしい。サチが決闘に挑む理由は、それだけだった。
それだけで、十分だった。




