#5 解決
サチとクローディアの二人が調理実習室に入ると、ヴェルナがオーブンを覗き込んでいた。
それなりにユリーカのクッキーに近いものが出来てきたので、今日はヴェルナに試食してもらうことになっている。
「ヴェルナ。サチね、ムツミを引き取ったんですって」
「え、マジ? あの魔導人形の?」
「うん……ユーレンさんに『いらない』って言われたら、放っとけなかったんだ」
「そっか」
それきり、サチはヴェルナから何かを聞かれることはなかった。
オーブンが焼き上がりを伝え、開いた中から香ばしい匂いがむわっと広がる。朝焼けの澄んだ空のような淡い黄色のユリーカのクッキー。仕上げには「美味しくなる魔法」をかけるのだが。
「思い出したことがあって。毎回仕上げに師匠、『新世界より』で作った魔法薬をふりかけてたんです。だからその魔法薬のレシピは何も残ってなくて。一体どんな魔法薬だったのやら。
聞いても『人生の味よ』としか教えてくれませんでしたし」
熱が取れるのを待って、三人で味見してみる。
ぱりっ、さくっ。食感はユリーカのクッキーにかなり近くなったが、味にもう一押しが足りない。ユリーカのかけていた魔法薬とは、一体なんだったのか――――
「ねぇヴェルナ。貴女も『新世界より』で何か、作ってみたら?」
「何言ってるんですか先輩。あたしなんかがやったら、何が出来るか分かったもんじゃないですよ」
万能の魔法薬製造機『新世界より』は、使い手次第であらゆる魔法薬を調合することができ、無限の可能性を持っている。
しかし、それは翻せば未熟な使い手では何ができるか分からないということでもある。可能性が無限にあるということは、そこから出てくる魔法薬の正体についても、無限の可能性があるということだ。クッキーを美味しくする魔法薬を作ろうとして、一滴で象をも殺す猛毒薬が出来る可能性も、十分にある。
「人生……人生、ねぇ。
ユリィの人生……うーん。お酒くらいしか思いつかないわ」
「確かに。師匠といったらお酒ですよね」
「ユリィは良く言ってたわ。『女の人生は熱と雫とお酒』だって。意味が分からなくて聞いてみたけど、『オトナになったら分かる』ってはぐらかされちゃったし」
結局、肝心な部分は分からず、再現不可能。それを突き付けられ、サチは思わず視界が滲んだ。
「サチ……? 大丈夫?」
「……すみません。ちょっと最近、悩んでて。
どんなに練習しても、合奏が上手く発動できないんです。したいときにできないんじゃ、意味がないのに。わたしは、セナさんみたいにできないんだなぁって……『剣の舞』を、託されたのに」
こぼれたサチの涙が、クッキーの断面に落ちて、染み込んだ。
「ユリーカさんのクッキーも上手く作れなくて。ルイスさんがやり残したこと……ムツミを、人間にしてあげることだって。わたし全然出来てない。わたしを助けてくれたみなさんに、恩返しがしたいのに。
みなさんが遺した夢を、叶えてあげたいのに……!」
クローディアもヴェルナも、何も答えなかった。
答えなどなかった。道半ばで命を落としたセナ、ユリーカ、そしてルイス。彼女たちがこの世に遺してしまった「仕事」を引き継ぐ――――それが今のサチの存在意義である。それが正しい選択だったのか。その答えは、誰にも正誤が付けられない。
魔奏が使えない、才能がない劣等生だったサチ。それでも楽団に入ってくれと言ってくれたセナ。彼女がサチに放った「生きて欲しい」の言葉は、太い杭となってサチの心臓を貫き、その身をこの世に打ち付けている。その言葉のお陰でサチは生きていられるのと同時に、体を磔にされて身動きができなくなっている。
震えるサチの手から零れ落ちたクッキー。それを空中で、ヴェルナが素早くキャッチした。
食べかけの断面とサチの伏せた顔を交互に見たヴェルナは、おもむろに食べかけのクッキーを齧る。
「……!」驚愕の表情をするヴェルナ。
「どうしたの、ヴェルナ」ヴェルナの奇行に困惑するクローディア。
「これだよ、サチ! この味! 師匠の味にそっくり!」
「え……?」
「先輩がさっき言ってた『熱と雫』。それきっと、涙のことだったんですよ!」
涙。その元になるのは血液である。
血液から固形成分を除き、塩分とタンパク質、その他の成分を含む。そして――――クッキーには塩分がよく合う。塩辛すぎても、味がしなくてもいけない。絶妙な量の塩分。
「あとは『お酒』……でも、それは流石に調べられないわね」
「そうですね。でもこれで、大きく前進しましたよ」
サチたちはまだ未成年で、酒を手に入れることはできない。ユリーカのクッキー再現は、これで手詰まりである。
だがヴェルナは満面の笑みで、サチの肩をゆすった。
「ありがと、サチ。ユリーカさんのクッキー、作ろうとしてくれて」
「でもヴェルナ、まだ完成じゃないよ……?」
「いいのいいの。これでも十分美味しいもん」
そういって、ヴェルナはサチの食べかけのクッキーを頬張ってしまった。
「今度は一緒に作ろうね、サチ。じゃあ先輩、あたし温室の世話があるんで、そろそろ」
「ええ、ありがとうヴェルナ。次にキッチンを借りられたときは呼ぶわね」
ヴェルナは調理実習室を出ていき、部屋にはクローディアとサチが残された。
目の前には涙の味をつけていないクッキーが残っている。クローディアとサチは何とかして泣こうと踏ん張ってみたが、二人とも涙を出すのは上手くいかなかった。




