#5 決意
マウレン、いや、マウレンだったものは右腕の肘先が完全に椎骨に飲み込まれており、逆に椎骨から伸びたピンク色の触手のようなものが後頭部に突き刺さり、首をありえない方向に捻じ曲げている。
力なく垂れ下がったままの左腕には『カルメン』が装着されている。しかし既にぼろぼろで、盾部分はひび割れて半分程度しか残っていなかった。
「……ヴぇる、な」口をぱくぱく、目はせわしなくぎょろぎょろ動かし、マウレンが呻く。「あいタかっ……た」
「マウレン!」
「がアあァァああああっ! いや、いやだ!」絶叫とともに一瞬、マウレンが正気に戻る。「死にたくない、死にたくないよ! 僕は、僕はまだ、やりたいコとが……あルん――――」
大きく痙攣したマウレンは、うめき声をあげてまた正気を失った。
「ヴぇるな……おいで……ヴぇるな……オいで……」
「いやあああああッ!」
絶叫とともにその場にへたり込むヴェルナ。襲い掛かろうとする『血球』にサチは割って入り、ヴェルナを守る。
「こんなの……こんなのイヤ! どうして、どうして⁉」
「ヴェルナ、落ち着いて!」
「マウレン! マウレン!」
ヴェルナは悲痛にその名を呼ぶが、マウレンがそれに応えることはない。
ぎょろぎょろ目を動かし、血の涙をぽたぽた垂らしながら、ヴェルナを見てケケケと笑っている。
「……いッシょになろウ」
「ひぃッ!」
「僕を、ひトりにシナいで……ヴェルナ! ヴェルナ! 頼む! 僕を、僕を一人にしないでくれ! おねガいだ」
だばだばと、全身の関節から『血球』を垂れ流していく、マウレンを取りこんだ『骨髄』。
サチは加速の魔奏を使ってなんとか無限に沸く『血球』の波状攻撃を食い止めていたが、サチの体力にも限りはある。いつまでもヴェルナを守り続けることはできない。一旦ヴェルナを連れて脱出しないと、そう考えて、サチがヴェルナの腕を掴んだ瞬間だった。
「どっせーいッ!」
木の上から、人影が降ってきて『臓物』の背骨に拳を打ち込んだ。
衝撃に『臓物』は一瞬、体を低くして動きを止める。
「二人とも、大丈夫?」
『臓物』の上に仁王立ちする、リン・シャンフー。制服はぼろぼろ、顔や布の一部が破れて露出した手足には生々しい赤い傷がいくつも入っている。だが、その勝気な笑顔だけはずっと全く変わっていない。
「シャンさん!」
「助けにきたよ! さあ、一緒にコイツを倒そう!」
『臓物』の生み出す『血球』が空中へ跳び上がり、四方八方を取り囲んでリンの元に押し寄せる。
だが、リンは構えから素早く次々と拳と足を繰り出し、『血球』を迎撃していく。必要最小の動き、しかして鋭く突き刺さる一撃は、『血球』たちを次々跳ね飛ばしていった。
周囲の木々にぶつかった『血球』は弾け、蒸発していく。
強い。
サチはリンの武闘術に感嘆した。あれは魔奏の力ではなく、リン自身の技だ。彼女は魔奏を、『血球』に浸食されないためのバリアとしてしか使っていない。
ゆえに、ほとんど魔力も損耗していない。リンは一通り『血球』を殲滅し終えると、『臓物』に震脚を打ち込み、ジャンプしてサチの隣に降り立った。
「いやー、まいったまいった。
地脈をたどってたら逆探知されちゃってさ。土の中からずどーん、って。マウマウは……見たら分かるか」
「シャンさん、ありがとうございます」
「お礼はアイツを倒して無事に帰れたら、ね。サチ、ヴェルナ。手を貸してくれる?」
「……無理」
ヴェルナはへたり込んだままだ。
「あたしは、無理……だめ。マウレンとは戦えない」
「んー……そっか。じゃあ、そこで見てなよ」
近づいてきた『血球』に、リンは石を拾って投げつけた。
リンの「気」が込められた石は『血球』を粉砕し、地面を抉る。
「戦えない人を『血球』とか『臓物』から守るのが、魔奏士の仕事だもんね。シャンたちがヴェルナを守ってあげる」
「……っ!」ヴェルナは目を見開いて固まった。
「サチ、援護してくれる? アイツの体、固くてシャンの気功が通じないんだよ。
アイツはマウマウを目や耳や鼻の代わりに使ってる。マウマウの体にこの、『地獄』の一撃を入れれば。マウマウの体を通して骨の内側に魔奏を打ち込んで、アイツを殺せるはず」
リンの左右一対のガントレット型魔奏器『天国と地獄』。右手が司るのは究極の苦痛を与える『地獄』、左手が司るのは極上の癒しを与える『天国』。普段はバリア程度の魔奏しか発揮せずその特性は封じられているが、その気になれば『臓物』すらも一撃で屠る力を秘めているのだ。
「ちょっと待ってください。それってつまり、マウレンも死んじゃうってことじゃ……!」
「うん。仕方ないけど、そうだね。
あんな姿になって……マウマウはもう、助からないよ。それならいっそ、マウマウを取り込んだ『臓物』がこの一帯を『血球』で満たす前に、殺してあげたほうがいいと思う」
「そんな!」
「いい? マウマウは『臓物』に感覚器官にされてる。『臓物』が人を殺すたびに、マウマウは人が死ぬ様を見せられ、断末魔を聞かされることになる。
そっちのほうが、よっぽど可哀想でしょ」
サチはリンへの反論が思いつかなかった。
マウレンを救いたい。『臓物』から切り離せば、あるいは――――。それはただの、夢見る少女の妄想に過ぎない。怪物に取り込まれた友だちは、怪物を倒せば救える。そんなものは、ただの優しいフィクションでしかないのだ。
「ヴェる、な……ヴぇる、ナ……」
うわごとのようにヴェルナを呼ぶマウレン。その口から、ついにあの言葉が漏れ出す。
「ころシてクレ……」
「マウレン!」ヴェルナが叫ぶ。
「ヴェルナ……僕を、僕を殺してくれ。この『臓物』ごと……ごめん、ヴェルナ。キミを幸せにするって、約束したのに。
弱い僕を許しテくレ――――」
マウレンの頬を伝った涙粒に、上から血涙が流れ落ちて混ざった。
「ははハハはッ! さいコうの気分ダヨ、ヴェるな! キミもおイでよ、コッチにさァ!」
狂気の笑顔を浮かべるマウレン。サチは異形の怪物の一部となったマウレンから目を反らした。
見ていられない。さっきまで生きて、話していた友人が、あんな姿になっているのは。怪物に、その血肉を利用されているのは。
「……シャン先輩」ヴェルナが立ち上がった。「あたしがやります。マウレンを死なせる、その役目」
「ヴェルナ?」
「サチ、それから先輩。あたしが毒を作る時間、少しだけ稼いでもらえませんか」
「もちろん。じゃあサチはヴェルナを『血球』から守ってね。シャンは『臓物』を食い止めるから」
返事を待たずに真っすぐ『臓物』に向かって駆け出していくリン。その背を目で追いながら、サチは『剣の舞』を正眼に構える。
ヴェルナは瞼を閉じ、『新世界より』に息を吹き込む。黄金色のオーラがガラス管の中で濃縮されて、七色に変化する液体がふつふつと湧き出した。
「……ヴェルナ」
「今は話しかけないで。集中したいの」
サチは襲い掛かってきた『血球』を斬り裂いた。
さっきまで完全に戦意喪失していたヴェルナに何の変化が起きたのか。きっと、マウレンの言葉――――絞り出された「殺してくれ」の言葉が、彼女を動かしたのかもしれない。自分が消えていく恐怖と絶望。その中でマウレンの発した、最後のSOS。
リンは『骨髄』の前に立ち、打ち合いの応酬をしていた。
『骨髄』は生えていた肋骨の一本をサソリのハサミのような器官に作り変えており、鋭い突きや薙ぎ払いでリンを寄せ付けない。
一方で、リンも最小限の動きで『骨髄』の攻撃を避け、弾き、距離を詰めている。『骨髄』は『血球』を産み出すのをやめ、リンとの近接戦闘に集中しているようだ。
「……できた」
ヴェルナは『新世界より』から口を離す。
逆さまにして内部からだばだばと零れた魔法薬にヴェルナが凍結魔法をかけると、ピキンと凍り付いて即席の投擲槍ができた。
「特製の神経毒。これなら痛みを与えずにマウレンを死なせられる。
この槍を打ち込めば……!」
一瞬、槍を握るのをためらったヴェルナだが。改めて、意思を固めて凍り付いた槍を握りしめ、肩に担ぐ。
じゅっ、と皮膚の焼けるような音がした。ヴェルナの手のひらが、凍結した毒薬に触れて凍傷を起こしていた。
「確実に刺すなら、もっと近づかないと。サチ、サポートして」
「うん」
『骨髄』に向かって走り出したヴェルナとサチ。マウレンもその姿をぎょろぎょろ動く目で見た。
右目でリン、左目でヴェルナとサチを見ている。人間の動きではない。
「ヴェルな。それデぼくを、こロソうっていうノかい!」
「そうよ」
ヴェルナは極めて冷徹に答えた。
がちゃりがちゃり。
『骨髄』が後ずさる。逃げるつもりのようだ。
「逃がすかっ!」
リンは素早く『骨髄』の下に滑り込み、強く地面に拳を打ち込んだ。
『骨髄』の足元で地面がざらざらに崩れ、アリジゴクのようになった砂の鉢に、『骨髄』は足を飲み込まれて動けなくなった。
リンが『骨髄』を足場に砂の鉢から脱出する。離脱は不可能と判断した『骨髄』は『血球』を打ち出してヴェルナを迎撃する。
それをサチが割って入って切り払った。
あと3メートル。ヴェルナが『骨髄』のハサミの半径外ぎりぎりから、毒の槍を投げる。狙いは正確だ。マウレンの体目掛けて槍は飛び――――
がきん。
しかし槍は防がれた。
マウレンの脱力していた左腕。頭に繋がったのと同じ触手が絡みついて動かし、体を守ったのだ。左腕の『カルメン』の盾に槍は突き刺さり、マウレンまでは届かない。
「まだまだ……ッ」
サチは『骨髄』のハサミの上に飛び乗り、さらにジャンプ。マウレンの目前に躍り出た。
「さチ!」
「マウレン……ごめんッ!」
サチは『剣の舞』の頭、柄の下端を向けて振り下ろす。ヴェルナの毒の槍を、釘打ちの要領でマウレンに打ちこんだ。
パキン、と盾が砕け散り、毒の槍はマウレンの左腕を貫いて、その心臓まで深く突き刺さる。
「あがッ……!」
マウレンの体に、黒い血管が浮かび上がる。
ヴェルナの槍が融けて現れた毒が、体に回り始めたのだ。
ぐねぐねと、『骨髄』の体が微振動を始める。嵌った砂の鉢はさらに流動性を増し、『骨髄』はその中へと沈み込んでいく。
「サチ」
ほぼ動かなくなった『骨髄』、そこから生えているマウレンの表情が、一瞬だけ笑顔になる。
「ヴェルナのこと……頼むね」
重力に引かれて落下する。崩れていく砂の鉢に、サチも落ちていた。
ずぶずぶと、サチの足が飲み込まれる。膝より下が飲み込まれると、もう足を上げることはできなくなっていた。
「あ、やば」
「マウレン! サチ!」
サチが振り返ると、鉢の縁でヴェルナが身を乗り出していた。リンがその後ろに立ち、肩を掴んでヴェルナを引き留める。
とつぜん、サチの足元でぐぐぐ、と重いものが動く。
サチは砂の海から掬い上げられて、鉢の縁に届けられた。サチを支えていたのは『骨髄』のあのハサミである。
砂の中に沈んでいく『骨髄』。もう、頭も完全に埋没して見えなくなってしまったが。
マウレンが最期の力を振り絞って助けてくれたのだ――――サチはそう、信じることにした。




