#4 骨髄
不気味なほど静まり返った森の中。苔むした大岩の側に、サチはへたり込んだ。
加速の魔奏で音速を超えた速度が出せるといっても、走っているのはサチの足である。長距離、長時間を走れば、当然疲れもする。
ぜえぜえ、はあはあと荒い息をし、岩に背を預けるサチ。下ろされたヴェルナはポケットから取り出したハンカチに水魔法で生み出した水を含ませ、サチの額を拭った。
「サチ……あたしを助けに?」
「うん……」
「マウレンとシャン先輩は?」
「逃げられた……と思う。わたしにヴェルナを助けてきてって」
息だけを整え、へとへとの足で立ち上がるサチ。
のんびりとはしていられない。『血球』とは距離が取れたが、敵はまだ追跡を諦めていないかもしれないのだ。よろけるサチに、ヴェルナが肩を貸した。
ぎゃいん、ぎゃいん。
遠く、森の奥から不協和音が響く。
魔奏器を手にした誰かが『血球』と戦っている。マウレンたちは無事に森を脱出できただろうか。あるいは、森に入った生徒会と合流し、救出されているだろうか。サチは不安になったが、今は二人の無事を信じるしかない。
「……あたしはこんなに酷いやつなのに。サチは助けてくれるんだ」
「当たり前だよ。ヴェルナはわたしの親友なんだから」
「ねぇ。なんであんたはあたしのこと、そんなに親友だ親友だっていうわけ? 友だちなら他にいくらでもいるでしょ?」
「ううん。わたしの親友はヴェルナだけだよ」
サチが地を這っていた木の根に足を取られて転ぶ。
抱え起こしたヴェルナは、サチの足から血が流れ落ちているのを発見した。
「怪我してるじゃない。ちょっと待ってて」
胸ポケットからメモ帳を取り出し、食い入るように見つめながらぱらぱらページをめくるヴェルナ。目的のページを見つけたのか、上から下までじっくりと目を通し『新世界より』を手にする。
ヴェルナが上部の管にほわっと優しく息を吹き込むと、『新世界より』は淡い黄金色の光を放ち始めた。入り組んだガラス管からとくとくと液体がほとばしり、フラスコ内で調合されて魔法薬を生成していく。
「……これを塗っとけば大丈夫」
『新世界より』が生成した魔法薬を、サチの足にタラタラと垂らす。傷口に触れた魔法薬は突然ぼうっと発火しサチは悲鳴を上げたが、火が収まると傷はみるみるうちに塞がって痛みもなくなった。
「す、すごい……! ありがと、ヴェルナ」
「こんなのまだまだ。師匠なんて、何にも見なくてもこのくらいできたし」
ヴェルナの魔法薬の効果は覿面である。少々の疲労回復効果も付与されており、サチはヴェルナの肩を借りずに立ち上がることができた。
再び歩き始める二人。さっきまで聞こえていた戦闘音も止み、森は静まり返っていた。
風がない。小鳥のさえずりも。深い森の静けさが、死神の手のような不気味さでサチの背筋をなぞる。
「……ヴェルナ。初めて温室で会ったときのこと、覚えてる?」
「忘れるわけない。あんたが『新世界より』を持ってきて、あたしはそれを断った」
「うん。その時ヴェルナ、言ってたよね。『新世界より』は扱いが難しくて、自分なんかには使いこなせないって。
でも今のヴェルナは、それが出来てる」
「まだまだだって言ってるじゃない。あたしには師匠みたいな、天性の才能なんかないんだから」
「わたしだって同じなんだよ、ヴェルナ」
サチは鞘に収まった『剣の舞』を見下ろす。
鞘に貼られた八咫烏のシールは、セナのものだ。今はサチが振るっているこの日本刀型魔奏器だが、いつまで経っても、サチはセナに追いつけそうにない。なにせ今でもサチは、セナから借りた力で戦っているのだから。
「あの日……セナさんたちと出会った日。わたし、死のうとしてたんだ」
「……は?」
「お父さんとお母さんと妹を『臓物』に殺されて、魔奏士になることだけが生きる目的だったのに。わたしには何の適性もなかった。だから――――だから、生きる意味が無くなっちゃった。
ロアノールを抜け出して、湖に飛び込んで……それを助けてくれたのが、セナさんたち『NIGHT RAVEN』だったんだ」
「ちょっと待った。『適性がない』ってどういうこと? サチ、あんた『剣の舞』使ってるじゃない。それって弦楽の適正があったってことでしょ?」
「違うよ。元々、わたしにはどの魔奏の適性もない。今これが使えてるのは、『魔力融合』でセナさんの経験の一部が受け継がれたんじゃないかって、クローディアさんは言ってる。
わたしに、セナさんみたいな才能なんかないんだ。いまのわたしの力は、仲間は、全部セナさんから分けてもらったものなんだよ」
魔奏を操る力。楽団『NIGHT RAVEN』。クローディアのために最高の仲間を集めるという生きる目的でさえも。すべて、セナが作り上げてきたものをサチは借りているに過ぎない。これまでに出会ってきた仲間も、友だちも。セナが生きていれば、きっとサチの代わりにセナが交友関係を結んでいただろう。
今のサチが持っているものは、本来セナが手にするべきだったものばかりだ。
「でもね、ヴェルナ。ヴェルナだけは違うんだ。わたしが『剣の舞』を託される前に出来た友だち。わたしをセナさんの代わりじゃなくて、何の才能もない、ただのサチ・ホシノとして友だちになってくれた人。
だからヴェルナは、わたしの特別な親友なんだ」
ヴェルナは何も答えない。サチはただじっと、ヴェルナを見つめていた。
「ヴェルナ。わたしはヴェルナのこと、キライになんてなれないよ。だってヴェルナは、ひとりだったわたしを救ってくれた友だちなんだから」
「……ふふ」
しばらく黙っていたヴェルナは、ようやく笑った。
「あんた、ちょっと重いのよ」
「そうかな……」ヴェルナを抱えたときのポーズを取って、その重さを想起するサチ。「わたしのほうが痩せてると思うなぁ」
「そういう意味じゃないッ!」
ヴェルナが握った『新世界より』で殴りかかろうとしたので、サチは咄嗟に振り上げられたヴェルナの手を抑えた。
「ごめんごめん! 冗談だってば!」
「冗談でも、言っていいことと悪いことがあるでしょ⁉」
ごうん。
森の木々に重く響く震動で、二人の痴話喧嘩は中断した。
さっきまでの戦闘音とは違う音―――金属とも、有機物とも取れない重く固い物体が、ぶつかり合って震える音。そんな音を発するものは、「いきもの」ではありえない。
気配がする。
近づいている。『血球』ではない―――
「……ヴェルナ、早く逃げよ」
「うん」
ごうん、ごうん。
歩調を速めたサチとヴェルナを追いかけるように、重低音も速度を増していく。
背筋がぞわぞわする。サチは恐怖に振り返ることもできず、ただ前を見て、ヴェルナと一緒に森を走り抜ける。
ごうん、ごうん、ごうん、ごうん。
重低音がどんどんと距離を詰めてくる。
このままじゃ追いつかれる。サチとヴェルナが、言葉を交わさずとも同じ意見を持った、その瞬間だった。
「……サチ!」
ヴェルナは森の中に、大岩が積み上げられた横穴を発見した。
近づいてみると、二人が潜むのに十分な空間が作られていた。サチとヴェルナは入口からは光の届かない奥から漏れ出す闇に一瞬迷ったが、選択肢は他になかった。二人はそそくさと横穴に潜む。
ごうん、ごうん、ごうん。
重低音がさらに近づく。歩行音は横穴の前で緩まった。
どうやら、穴の出入り口で正体不明の怪物は留まったらしい。サチとヴェルナから姿は見えないが、どうやら穴の大きさよりもその図体は巨大なようである。
このまま諦めるのを待つか―――そんなサチの期待は、すぐに打ち砕かれる。
べちゃり。
粘性の液体が、地面に落とされる音。
『血球』が、サチたちのいる穴に入り込んできたのだ。
「戦うしかないか……!」
サチは身を翻し、物陰から飛び出した。
ぐにぐに動く『血球』が、サチに向かってくる。サチは『剣の舞』で横薙ぎに切り裂き、『血球』を撃破した。
わらわらと雪崩れ込んでくる無数の『血球』。それを斬り捌きながら、サチは加速の魔奏を発動し剣速をどんどん高めていった。
「『強き風よ、吹き荒れよ』!」
ヴェルナも後方から魔法で援護する。なんとか『血球』の群れを穴の入口まで押し戻したサチとヴェルナは、追ってきていた『怪物』と対峙した。
体高約4メートル。背から尾まで無数に連なった椎骨。十数対ある肋骨は巨大化し、途中に関節が作られて節足動物の足のようにカタカタ動く。時折、椎骨の隙間から赤い液体が染み出し、地面に落ちて『血球』へと変化している。生命を冒涜する異形の怪物――――『魔女の臓物』の一体、『骨髄』である。
頭のような器官はない。その代わりに、先頭の椎骨には人体が、感覚器官代わりに埋め込まれていた。
「そんな……!」
「マウレンっ!」
目の前の光景に、サチとヴェルナは驚愕して硬直した。
椎骨の断面から、上半身と左腕だけを出して取り込まれている人体。捩じられたマネキンのようなそれは、間違いなくマウレンであった。




