#6 離心
「『風魔法は風を起こす魔法として考案されたが、現在では風から派生して天候を操る魔法と流れを操る魔法の二系統に分割されている。』……風っていうのはね、空気の流れなんだ。これを早くすると強い風になるし、遅くすると弱い風になる。
だから水魔法にちょっと風魔法の概念を加えると――――」
リーゼロッテは指から水魔法を発射した。
普通は水球を放射する呪文であるが、リーゼロッテによって「流れ」の概念が追加された水魔法は、直線的な水流となって地面を小さく抉る。
「こんな感じ♪」
「おぉー」
ヴェルナとベンチに並んで座り、サチはリーゼロッテ先生に拍手を贈った。
座学のはずが、サチたちはリーゼロッテと中庭にいる。二人を教室に呼び出したリーゼロッテだったが、「天気がいいから」と中庭での実演を交えた授業を提案してきたのだ。
リーゼロッテの指導は、確かに上手かった。魔導書の一文一文を解説しつつ、必要なところには追加の説明や補足を入れ、必要ないところは「読み飛ばしてもいい」という。覚えるべきことと理解すべきことが整理されていて、サチも短時間で初等魔法学をおおまかに理解することができた。
「そういえば聞いたよ、『雛鳥』ちゃん」
「『ヒナドリちゃん』?」
そんな名前の人がいたかな、とサチは見回すが、名前を呼ばれたらしい生徒はどこにも見当たらない。
「ホシノちゃんのこと。最近、上級生はホシノちゃんのこと『雛鳥ちゃん』って呼んでるよ。知らないの?」
「知りませんよ⁉」
「図書館の騒ぎがあったでしょ。あの時から段々『NIGHT RAVEN』の評判も上がってるんだよね。んで、ホシノちゃんのこと、正式にセナの刀を受け継いだ子なんだって見る生徒も増えてさ。
セナはカラスをトレードマークにしてたからね、その子供ってことで『雛鳥』ちゃん」
あだ名に悪意があるような気もするが、実力が認められ始めているのはサチにとっても嬉しい言葉だった。
「ヘレナがねー。言ってたんだよ。『サチの加速の魔奏はセナを超えてる』って。他人を褒めるなんて珍しい。練習、頑張ったんだねー。えらいぞー」
「はい! この夏休みも、ムツミと一緒に特訓したので!」
「最近は、決闘の申し込みも様子が変わってきたんだよ。前は『セナの遺品を取り返す!』って楽団が多かったんだけどさ、『一度手合わせしてみたい!』って楽団が多くて。雛鳥ちゃんに銀色、それからウルカちゃん。それを束ねる死神ちゃん。今の『NIGHT RAVEN』は、文句なしに学院最強チームの一角だもんねー」
「えへへ……」
「あとは魔奏士試験に受かって、校外活動できるようにならないとねー」
「はい! 頑張ります!」
「うんうん、その意気だ♪ ん、どうしたのキノコちゃん」
「『キノコ』?」
それが誰のことを言っているのか、サチは聞くまでもなかった。
サチとリーゼロッテが話している間、その隣に座る『キノコちゃん』……ヴェルナはただ茫然と、空を見ていた。リーゼロッテに話しかけられて、はっ、と我に返るヴェルナ。
「は、はいっ! うん、すごいよね、サチは。あたしもこんなに早く魔奏器を使いこなすとは思ってなかった」
ヴェルナはどこか上の空で、リーゼロッテが「キノコ」などと珍妙なあだ名をつけていることも、意識の外にあるようだ。
今日の分の授業を終えた二人は温室へと向かう。その道中、渡り廊下を並んで歩きながら、サチはヴェルナの顔を横から覗き込んだ。
「ヴェルナ、最近なんかヘンじゃない?」
「そう? あたしはいつも通りだけど」
「そうかな……なんか集中してないというか、ずっと何か考え事をしてるっていうか。
悩みなら聞くよ? 私親友だし」
「親友……ん、大丈夫。あんたに聞いてもしょうがないしね。
人間、生きてれば悩みの一つや二つ、出来るわよ。サチにはなさそうだけど」
「ひっどーい!」
肌で感じる。ヴェルナは、何か悩み事を抱えている――――サチにはそれが分かったが、一体何を悩んでいるのか、ヴェルナは頑として語ろうとしない。
ロアノールで初めて出来た親友の、力になりたいと願うサチだが。ヴェルナが何を望んでいるのか分からないのでは、行動のしようもなかった。
二人が温室に近づくと、入口の前で中を覗き込んでいる生徒がいた。
赤銅色の短髪、高身長。振り向いて笑顔で手を振るその生徒の胸には、四輪のスズランの花が刺繍されている。サチたちの同級生だ。
「ヴェルナー!」
ヴェルナに駆け寄る赤髪。近づいてきてようやく、サチはその生徒の名前を思い出した。
マウレン・デルアローナ・ガルシア。ジャケットにスラックス、男子仕様のロアノール制服を纏ってはいるが、れっきとした女子である。
「君を探しに来たんだ。そろそろ返事、聞かせてよ」
「返事?」サチはヴェルナを見る。「何のこと?」
「うん……ごめん、待たせて。いろいろ考えてさ、受けることにする」
「ホント⁉ やったー!」
両手を上げて「喜び」を全身で表現するマウレンに、サチも少し苛立ちを覚えた。
この場にいる自分を無視して話を進められるのは、まったくもって愉快ではない。
「ヴェルナ? 受けるって、何の話?」
「……楽団」
「楽団⁉」サチは素っ頓狂な声で復唱した。「ヴェルナ、楽団入るの⁉」
「これから作るんだよ」マウレンがサチの疑問に答える。「ヴェルナと僕で、新しい楽団をね!
名前も決めてある――――『カルメシ・デ・エスペランサ』。楽団員は何かしら赤いものを身に着けておく……というのはどうだろう。
その赤を見れば、誰しも胸に希望を抱ける。そんな願いを込めてね!」
そういいながらマウレンがポケットから出した深紅のリボンを、ヴェルナは「いいんじゃない」と受け取り、髪に結んだ。
一部始終を、サチは呆然と見ていることしかできなかった。
ヴェルナが、楽団に。それも「NIGHT RAVEN」ではなく、同級生の新興楽団。つい先日ヴェルナを勧誘してにべもなく断られたばかりのサチには、ショックが大きかった。
「君とはあんまり話したことがなかったね。僕はマウレン。よろしくね!」
「あ、どうも……」
マウレンが強引に握手をしてきたので、サチは応じざるをえない。
「すごい活躍だね。『NIGHT RAVEN』。あの『ラピス』に不戦勝したそうじゃないか! 同級生として、鼻が高いよ!」
「いや、あれは決闘っていうか何というか……」
「僕も君たちみたいな最高の仲間と、最高の楽団を作るよ! ヴェルナと一緒にね!」
じゃあね、と高笑いしながら去って行くマウレン。
悪い人間ではない。決して。ただ、圧が凄くて暑苦しいだけだ。昔のサチなら、苦手なタイプである。落ち込んでいる人に、ただ有無を言わさずに「頑張れ」と連呼して励まそうとする様子が目に浮かぶ。
「……それよりヴェルナ。楽団入るの?」
「うん」
「『NIGHT RAVEN』には入ってくれなかったのに?」
「悪い?」
「いや、悪くはないけど……」
「……言ったでしょ。あたしは先輩やあんたや、ライラや瓜花ちゃんみたいにキラキラしてないの。だから――――」
サチを置いて数歩先へ歩いたヴェルナは、背中を向けたまま呟く。
「――自分がみじめになるのよ。あんたたち……ううん。特に、あんたと一緒にいると」
「え、わたし……?」
「セナ先輩の魔奏器を貰って、最初のうちは魔奏の一つもできなかったのに。『Leviathan』を打ち負かして、今じゃ会長にも認められるくらい、加速の魔奏を使いこなしてる。
それなのにあたしは、まだ師匠から貰った『新世界より』を全然使えてない……練習だって、勉強だって! 誰にも負けないくらい、やってるのに! 全ッ然、出来ないんだよ!」
「ヴェルナ……」
声を荒げるヴェルナに、サチは何と言っていいか分からなかった。
背を向けたままのヴェルナ。表情は見えないが、それが悲痛の面なのは背中しか見えていないサチにも分かった。
「……ごめん。八つ当たりなのは分かってる。親友のあんたにそんな気持ちを持つなんて、酷いことだっていうのも……だけど、耐えられないんだよ。キラキラしてるあんたを見るのが。あたしはじめじめ、暗いところからずっと出られないのにさ。
だから全然違う楽団に入ることにしたの。あんたとは距離を置いてさ、もっと自分を高めたいんだ。あんたに負けないくらい、最高の魔奏士になるために」
「ヴェルナ」
「悪いけど、今日は温室に来ないでくれる? ううん、今日だけじゃない。これからも、ずっと。あたしの温室に入らないで欲しい。特にサチ、あんたは
あんたの顔、見てると辛くなる」
「ヴェルナ!」
「キライになってくれていいよ。それでもあたしはあんたのこと、ずっと応援してるから」
足早に去って行くヴェルナを、サチは見送った。
一歩、初めのその一歩が踏み出せない。足が動かない。踏み出そうとしても、まるで石にでも変えられたかのように、サチの足は思い通りにならなかった。
ヴェルナが温室の中に入って姿が見えなくなるまで、サチはヴェルナの腕を掴もうとして虚を握りしめたままの手を、ただ見つめることしかできなかった。




