#2 朝食
次の日の朝。
ユーレンは寮から下りて行ったサチを食堂の前で待ち構えており、黙ったままの彼女とテーブルの向かい合わせに座らされたサチは縮こまるしかなかった。しかし目の前に朝食が運ばれるとだいぶ気分も晴れた。
イングリッシュマフィンにベーコン、ポーチドエッグの上にオランデーズソース。エッグベネディクトである。作ったのはもちろんムツミ、右腕を直してもらい、さっそく料理の腕を振るったのだ。
「わー! おいしそう!」
「お口に合えばいいのですが」
「ムツミの作る料理なら、なんでも最高だよ!」
「えへへ。ありがとうございます」
「……サチ・ホシノ」ユーレンが冷たく名を呼ぶ。
「えへッ、はい!」
サチはぎょっと驚いて椅子から浮いた。
「改めて、貴女にはハルクスス社を代表して礼を言わせていただきます。
貴女が623……いえ、ムツミと休暇の間に行った訓練、そして魔奏士との戦闘。昨晩記録をじっくり見させていただきました。貴女と過ごしたこの二週間と少し、ムツミは通常では得難い戦闘データと、なによりも……『人の尊さ』を学習してくれました」
「尊さ?」
「ええ。人にはそれぞれ個性があって、誰も何にも代えられることはない。ヒトという種の保存ではなく、個人の命を守ることの意義。それを知らない兵器は、いつか人類に牙を剥くことになる。ムツミはまた一歩、『完璧な兵器』に一歩近づいたのです」
ユーレンがムツミを「モデル623」ではなく「ムツミ」と呼ぶようになったことに、どんな心境の変化があったのかは分からないが。サチにとってそれは、少なくとも良い傾向に思えた。しかしそれでも「兵器」呼ばわりは癪に障る。
ムツミがただの兵器だというのなら、目の前のこのエッグベネディクトは何なのか。
兵器とはゴキゲンな朝食を、鼻歌でも歌いながら作ってくれるものなのだろうか。
「それより、情報共有をしようと思いましてね。貴女も求めているのでしょう……例の、『9つの音階』について」
「何か分かったんですか」
「何も」
ずっこけかけて、サチは思わずエッグベネディクトに顔から突っ込みそうになった。
「『何も分からない』ということが分かりました」
「……何を言ってるんです?」
「『何も分からない』というのは重要なことです。我が社は人類防衛の旗艦企業として、魔道具研究にも力を入れていますの。その研究開発部門でさえも、今のところ何らかの情報を掴んではいない。
つまり『9つの音階』とは魔道具の類ではない可能性が高い」
ムツミが紅茶を淹れたティーポットを持ってやってきた。
サチ、その後にユーレンとカップに紅茶を淹れる。サチはすぐに手を付けなかったが、ユーレンはすぐにそのカップを取り、静かに啜る。
「聞いちゃったんですか、誰かに」
「まさか」ユーレンがカップを置く。「私は社内の研究資料を自由に閲覧できますもの。我が社に保管されていた研究開発部門の資料を、ざっと過去三百年分ほどチェックしただけですわ」
「三百年分⁉」
「ええ。研究開発とはまず先行研究を調べるところから始まりますものね。なので過去三百年分の、わが社の集めたあらゆる魔道具に関する資料を調べてみました。現在実用化されている魔奏器、神話に謳われた聖遺物……確認されている真実もウワサ程度の物品も、すべてです。
ですが、それだけ掘り返しても何も分からなかった」
「そ、そうなんですね……」
ユーレンは人類史三百年分の資料を、たった数日で調べ上げたというのだろうか。
この社長令嬢、ただの紅茶好きブルジョワお嬢様ではなさそうである。
「次に考えられるのは『9つの音階とは、魔女シャリオが独自に生み出した魔法だった』ということ。魔法に関することなら、そちらのほうが詳しいのではなくって?」
「……『魔王』」
「ええ、そう。シャリオが研究していた魔法だったとすれば、何らかの形で情報を記していたとしても不思議ではないと思いますの。何らかの形……例えば、研究ノートのようなもの。
公式には発表されていないけれど、シャリオが独自に研究していたもの。彼女が実験の過程をどこかに記していたとしても、何らおかしなことはありませんわ」
サチは学院の図書館のことを思い出していた。
最深部に鎮座する魔奏器『魔王』。紙に書かれた情報を何でも集積し、本にして収蔵し続けている人類叡智の集合体。
魔女が研究していたものならば、『魔王』がそれを集めている可能性は十分にある。瓜花の魔奏器である『魔王』の写本は、それを自由に閲覧できる。
「きっとそのノートに書かれていたことは、聖ロアノールの図書館に収蔵されている。禁書中の禁書、おそらく、人類未踏の地に」
「その情報も、瓜花ちゃんなら引き出せる!」
「そういうことです。ですからホシノさん。貴女も望月さんから聞いた『9つの音階』のこと、私に包み隠さず教えて下さいますわね?」
「え……?」
サチが言いよどむと、ユーレンはすかさずサチの前に置いていたエッグベネディクトをひょいと取り上げた。
奪われんとサチは手を伸ばしたが、虚しく空を切る。
「私はこちらの持っている情報をすべて差し上げました。でしたら、そちらもすべて話して頂くのが道理ではなくって?」
「そんな、一方的に話しておいて! それに、ユーレンさんがウソを言ってないって証拠はあるんですか⁉」
「見くびられたものですわね。言ったでしょう、私はハルクスス社の代表として、今貴女と話していますの。魔女の復活が真実か否か、喫緊に迫っているのか回避不可能なのか、それとも阻止できるものなのか。我が社の、いえ、人類の今後を左右する情報ですもの。貴女にウソをついて、私になんのメリットがありますの?」
この反応はサチにとって意外であった。
正直、このユーレンのことがサチは苦手である。高飛車だし、ムツミを物扱いするし。だが、ユーレンの発言には筋が通っている。魔女復活の兆しについての情報をサチに隠蔽したところで、ユーレンには何のメリットもない。わざわざサチと対立する理由がない。
それどころか、協力体制を敷いたほうがメリットは大きい。魔女の復活、暗黒時代の再来ともなれば、魔導人形は前線を担い必ず人の役に立つ。
それはすなわち商機である。少なくとも、ユーレンはそう考えているのに違いない。魔女復活の兆しを正確に把握することは、利益企業の人間としては当然の反応であろう。
「……わかりました。わたしの方でも、何か情報が分かったらユーレンさんにもお教えします。でも今のところ、まだ瓜花ちゃんが戻ってきてないので、こっちからは何もお教えできること、ないんですよね」
「そうですか」
ユーレンはエッグベネディクトを返した。
「では望月さんが学院にお戻りになって、『魔王』で検索する際には、同席させていただきたいのですが。
場所は……そうですわね、我が楽団『ヘルメス・ワルキューレ』のギルドハウス、などいかがでしょうか」
「ぎるどはうす?」
「あら、ご存知なくて? ある程度の規模の楽団にもなりますと、集まって会議の必要もありますでしょう。生徒会から認可を受ければ、校内の施設として楽団員が利用できる部屋を頂けますの」
ユーレンはエッグベネディクトにナイフを入れた。サチも合わせてフォークで卵を潰す。
「『ヘルメス・ワルキューレ』のハウスなら侵入・盗聴の恐れもありません。秘密の会議をするのにうってつけですわ」
「にゃふほほー」(なるほどー)
「……口にものを入れたまま話すのは、淑女らしくなくてよ。ホシノさん」
ムツミの作ったエッグベネディクトは、見事というしかない。
とろっとした加熱具合の絶妙なポーチドエッグ。ぴりりと塩味とコショウのきいたパリパリのベーコン。ふかふかのイングリッシュマフィン。その上からかかった、ほのかな酸味が食欲を誘うオランデーズソース。
ただの兵器が、こんなに目覚めのいい朝食を作るもんか。サチはユーレンと手を取れる道を見つける反面、やはりこの人とは相容れないなと思った。




