#3 『器』
「くっ……!」
思い出が燃えていく。友人や仲間と過ごしたロアノールの学び舎が、焼け落ちる。
まだ学院校舎の中には人がいた。助けを求める声、救助の指揮を執る声。サチも助けにいきたかったが、足に力を込めて踏みとどまる。今はシャリオを食い止めるほうが先決だ。
「そんな貧弱な力で、『黒き魔女』と謳われた私に勝てると思うのかしら」
「思いますね」言葉に詰まったサチの代わりに、ムツミが答える。「魔奏には、あなたの瘴気を退ける力がある。ならば、あなたの弱点は魔奏にあると考えるのが妥当です」
「そう、そうね。その通りよ」シャリオは腕を組み、ゆっくりと第三の眼の瞼を開閉しながら言った。「お陰で私の復活は大いに妨げられている。本来なら、もっと早く復活できたはずなのにね。
うふふ。本当に、厄介な発明だわ」
口から出る言葉のわりに、シャリオは随分と嬉しそうに語る。
「その『合奏』とかいうのもね。イレギュラーな要素を不確定要素にしてしまう、とても厄介な力だわ。うふふふ」
「何を笑っているんです?」
「笑うに決まっているじゃない! こんなに楽しいことはないもの!」
ついにシャリオは両手を広げて高笑いを始めた。
「はーっはっはっはっは! 本当に、面白いわ!
魔奏器! 機械人形! そして合奏! 私が考えもつかなかったような技術が、この時代には満ちているのよ! はっはっはっはっは!」
こいつは狂っている。サチは思った。
自分を打ち倒すための技術の存在を笑うなんて、狂っているとしか言いようがない。現に、シャリオは自身の復活を阻むものの排除を宣言したばかりだ。そのシャリオが、なぜ自身の復活を妨害されて喜んでいるのか。
「……ねぇ、サチ・ホシノ。私がどうして因子をばらまいたか、知っているかしら」
「そんなの、知りたくもない!」
サチは加速の魔奏を使ってシャリオとの距離を詰めた。
不可識の速度で斬りかかっているはずなのに、シャリオはサチの太刀筋を見切ったかのように手刀で斬撃を弾き、かわし、サチは傷一つ負わせることができない。
「お前のせいで……お前のせいで!」
「私のせいで、何だというの?」
「お前のせいで、みんな苦しんでいるんだ! お前のせいで、巡璃も、セナさんも、ユリーカさんも、ルイスさんも、マウレンも、シャン先輩も、リーゼロッテさんも、クローディアさんも……!」
「うふふ。サチ・ホシノ、あなたがその人たちと出会えたのは、私のお陰じゃない。
私が瘴気を放ち、『血球』や『臓物』を生み出したから。だから人々はこうして学び舎を作り、対抗手段を磨きながら、その中であなたは、人との繋がりを紡いできたのでしょう?」
「黙れ……!」
「あなただけじゃないわ。セレブラント……あなたたちはそう呼んでいるそうね。彼ら彼女らに『祝福』を与えたのはこの私。私の与えた因子で、セレブラントは特別な力を開花させた。
むしろ、感謝されてしかるべきじゃない?」
「黙れッ!」
加速の魔奏は、打ち合いの中で魔奏を奏でる。徐々に加速していくサチにシャリオもついに対応できなくなり、サチの振るった刃は、シャリオが防御のために構えた右前腕に食い込んだ。
「あらら」
「……っ」
しかし、サチの刃はシャリオの腕に食い込んで、動かなくなった。
肉も骨も、それ以上斬ることができない。何か粘着質のものが刃を押さえつけ、動きを封じている。
押しても引いても動かないということは、魔奏が奏でられないということである。サチを覆っていたオーラが薄れ、加速の魔奏が切れそうになる。
「私はね、人間が大好きなの」
「何をっ……」
「私が因子と瘴気を世界中にばらまいた理由は二つ。魔法で造る肉体は劣化こそしないけれど、とても貧弱で実用には耐えられなかった。一つ目の理由は、私の魂を宿すための究極の肉体を作るため。『臓物』は、その究極の肉体を構成するパーツなのよ。
そしてもう一つ。私は、人間のしぶとさを信じているからよ。私が世界に脅威を遺しておけば、きっと人間はその対抗手段を考えてくるはず。そう思ったの。
私は因子をばらまき、セレブラントを作り出した。セレブラントたちが自分に与えられた『因子』、いいえ、『祝福』を磨き上げ、私の予想もしないような力を開花させるのを期待してね!
実験は大成功。あなたたちは見事に、私の知識を超えて対抗手段を編み出した。人類の叡智を進ませる足は、平穏や幸福ではないの。死への恐怖と、永遠に続く闘争なのよ!」
「人間は……わたしたちは、お前の実験動物じゃないッ」
サチの加速の魔奏が切れる。すかさずムツミが近づき、回し蹴りで『剣の舞』の刃の背を蹴った。
骨まで切り裂いた『剣の舞』が、シャリオの右腕を切り落とす。
だが、シャリオは片手を失っても極めて冷静に、血の噴き出す切断面を興味深げに見つめるだけだった。
「見事な連携だわ。でも」
噴き出す血が、粘性を増す。スライム状になり、触手状になり。地面に落ちた触手は切り落とされた右腕を捕まえて回収し、シャリオは自分の右手を元に戻した。
その姿は、とても人間とは思えない。切り落とされた腕を自ら回収して繋げるなど、もはやバケモノの所業である。
「便利でしょう? リリアの体が私の力に完全に馴染めば、もっといろんなことができるわぁ」
「バケモノめ……!」
「じゃあそろそろ、本題に入りましょうか。私がリリアを依り代に復活した、もう一つの理由。
サチ・ホシノ。あなたは疑問に思ったことはない? なぜ、自分には魔奏の才能が、何一つなかったのか」
「何の話です」
サチの代わりに、ムツミが答えた。
だがシャリオはムツミを無視してサチに問いかける。
「サチ、あなた自身の話よ。
魔法が使える人間なら、誰しも必ず魔奏適性がある。だって、魔法はエーテルに干渉せずには使えないものね。エーテル知覚力こそ退化してしまっていても、魔力を持つ人間は、何らかのエーテル適正を生まれながらに持っているものなの。
サチ・ホシノ。あなたは魔法が使える。それなのに、魔奏は使えない。それって、とても奇妙なことだと思わない?」
それは、サチ自身が完全に忘れていた疑問だった。
自分に魔奏適性がないことを話すと、誰もが驚いた。弦楽、管楽、打楽……どの系統に、どれほどの適正があるかは人それぞれだが。誰しもが何かしらの適正を持っているのが常識だからだ。
だがサチにはそれがない。いま『剣の舞』が使えているのだから、適性の低さなんてどうでもいいことだ。サチはそう思ってしまっていた。
「理由は単純よ。あなたの体が、魔奏を拒否しているから」
「魔奏を、拒否……?」
「そう。あなたの体質が、魔奏というものを拒絶している。その理由はただ一つ。
あなたも『因子』持ち、つまりセレブラントだからよ。あなたの覚醒を促すため。それが私がリリアの体を借りて現代に復活した、もう一つの理由」
「う、うそだ! わたしは、わたしには特別な力なんて……!」
「そうです」ムツミがサチの前に割って入る。「セレブラントであっても、魔奏が使える人はいました。『セレブラントが魔奏を拒否する体質を持つ』というその論理は破綻しています」
「ふふ、そうね。もう少しちゃんと説明すべきだわ。
サチ・ホシノ。あなたは特別な『因子』を受け継いでいる。『臓物』を制御し、支配下に置く『延髄』の能力よ。だからあなたの体は魔奏を受け付けない。あなたの中枢神経、それは『臓物』に限りなく近いものだから。
あなたは立派に『因子』の力を極めてくれたわ。『血球』を活性化し『臓物』の変異を促進するっていう、私の『器』に相応しい力をね!」
サチの刀を握る手に、汗がにじんで取り落しそうになる。
わたしが、セレブラント。そんなはずはない。だって―――。
ふと、リンの言葉がサチの脳裏をかすめた。「まだ幸幸には眠っている凄い力がある」。あの言葉の意味は、そういうことだったのだろうか。
「不思議に思わなかったのかしら。どうして自分の周りでばかり、予期せず『臓物』が出現してしまうのか。
あなたのせいなのよ、サチ・ホシノ。あなたの存在が、『臓物』を活性化させている。『臓物』は帰りたがっているのよ。主である『延髄』の元にね」
サチの父母、そして妹が死んだ事件。沼の泥の中に潜んでいた『神経』は、急に活性化しサチの家族を襲ったが、サチ自身は生還した。
遊覧船で『NIGHT RAVEN』が壊滅した事件。歴戦の勇であった楽団メンバーは、突如現れた『胃』に次々殺された。
下級魔奏士試験の山中。サチたちは突如活性化した『血球』に襲撃され、潜んでいた『骨髄』はマウレンを取り込みサチたちを襲った。
リーゼロッテ・カールスルーエ。彼女の遠隔視の力は、シャリオがばらまいた『因子』が発露したものであった。彼女が『目』に覚醒したのは、サチたちの楽団に入った後である。
そして、クローディア・クランフィールド。彼女の体内に巣食っていた『血球』が急激に動き始めたのは、サチが彼女の左手に触れてからだ。
すべては偶然なのだろうか。それはただの不幸なのだろうか。
それとも、サチが持っているとシャリオがいう、『延髄』の力によって引き寄せてしまった、必然の悲劇なのだろうか。
もし後者が真実だとするなら、皆を傷つけているのはシャリオがばらまいた瘴気ばかりではない。
サチが無意識に行使し続けてきた『延髄』としての力が、数々の悲劇を引き起こしてきたのではないだろうか。
「受け入れなさい、サチ・ホシノ。あなたには『臓物』への覚醒を止めることなどできないわ。だってこれは、運命だもの」
「そんな……そんなのっ!」
サチは魔奏を使うのも忘れて、握りしめた刀でシャリオに飛び掛かった。
「そんなわけない! わたしは、わたしはっ!」
「ふふっ、私を殺せば解決するとでも?」
サチの怒りに任せた斬撃はシャリオの頬に浅い刀傷を作ったが、瞬時に再生されてしまった。
「無駄よ、サチ・ホシノ。『臓物』や『血球』の活性化は、魂である私の存在が欠けているあなたには制御できない。あなたは人の中では生きられないのよ。
あなたが生きる道はただ一つ。私の『器』になる運命を受け入れる。それだけ」
「うわあああぁぁぁぁああっ!」
サチの力任せの一撃が、シャリオの首を捉える。
だが、刃は皮膚から数ミリ食い込んだだけで、またも止まってしまった。
「愚かね。本当に愚か。魔奏器なんてものがあるから、私に対抗できるって思っちゃうのね」
手刀を振り上げるシャリオ。その一撃は、サチの右腕を貫いた。
さっきとは逆に、サチの右腕が、肘上数センチのところでシャリオに切り落とされたのだ。




