#2 黒煌
「リリア、これは一体……っ!」
近づくヘレナが足を止めた。
リリアの眉間が裂けている。横に開いたその傷口から、深紅の眼がぎろりと覗いていた。
「おはよう、姉さん」
リリアははっきりと喋ったが、顔はまだ眠ったままだ。
「いい朝ね」
「あなた……リリアじゃないわね」
「何言ってるの。たった二人の姉妹じゃない」
「リリアから離れて! 私のリリアを返して!」
腰の鞘から『壊れたクラリネット』を抜くヘレナ。
「違うわ、姉さん」
ヘレナに向かって腕を伸ばすリリア。
勝負は一瞬だった。ヘレナが一歩、踏み出すより早く。リリアの掌から召喚された赤黒い血の槍が発射され、ヘレナの心臓を一突きにした。
「今は私のリリアよ」
サチたちも動けなかった。サチたちが動くより早く、リリアは槍を発射したし、一瞬の出来事にどう反応していいか分からなかった。
「会長!」
「うーん、この格好」眉間に開いた第三の眼で、リリアは自分の腕や足をみやった。「趣味じゃないわ。ちょっと姉さん、私の服になってくれる?」
「が……っ」
リリアが再度ヘレナに手をかざすと、心臓を刺し貫いていた赤黒い槍が引き抜かれて、無数の血滴になった。
とめどなく零れだすヘレナの鮮血も血滴となって浮かび上がり、リリアの元に集まって衣装を形成していく。
赤黒いドレスにローブ、そしてぐにゃぐにゃに折れた、鍔の広いとんがり帽子。ニヤリと笑う、人を見下した黒い微笑み。魔女然とした姿……彼女を見て、誰しもが思うだろう。この女こそ、あの“黒き煌きの魔女”である、と。
「あらあら」
ヘレナが倒れる。血の大部分を奪われた体は青白く、体からは血と一緒に生気まで失われていた。
目の前で起きた惨劇に硬直していたサチたちに、リリア改めシャリオは笑顔で語り掛けてきた。
「『9つの音階』も、もうたったの4つになったのねぇ」
「……っ!」
4つ―――サチは自分の後ろにいるのが、ライラ、ムツミ、そしてヴェルナの3人であることに気が付いた。
『9つの血塗られた音階が集い、魔女の眠りを覚ます』。それがリリアの残した予言だった。そして、『NIGHTMARE RAVENS』の構成メンバーも9人。
リリアは忠告していた。「9つの音階を集めてはならない」と。
音。それは魔奏を奏でる魔奏士の暗示。それは何らかの現象でも、聖遺物の類でもない。『NIGHTMARE RAVENS』に9人の魔奏士が集うことが、リリアの予言だったのだ。
「おかげで私はこうして現世に舞い戻ることができたの。ありがとうね」
「わたしたちが、あなたを……?」
「そうよ。でも、自覚が無くても仕方ないわね。あなたたちは何か失敗をしたわけじゃない。あなたたちが9人集まることと、私の復活には直接の因果関係などないのだから」
「仰っている意味がよくわかりませんが」
平常運転のムツミに対して、ライラはいつも以上に殺気を纏っている。サチも自分の腰から『剣の舞』を抜き、戦闘態勢をとった。
「私はリリアにちょっとしたヒントを与えただけ。必ず起こる未来。『最強の楽団に、9人のメンバーが集まること』、そして『魔女シャリオの復活』。リリアはそれを勝手に解釈しただけ。『9人のメンバーが集まると、魔女が復活してしまう』と。
リリアは焦ったようね。私の授けた予言の通り、あなたたちは最強の仲間を9人集めてしまった。
それが現実になった以上、もう一方の未来も確定している。リリアは必死になって、私の企みを暴こうとした。その繋がりが、私の魂を彼女の体へと導いたのよ」
シャリオは自分の体――肉体自体はリリアのものである――を、愛おしそうに抱きしめた。
「ああ、リリア! あなたのお陰で、私は自分の未来をより確実なものに出来る!
ありがとう! 私をこの時代に導いてくれて!」
サチは背筋が凍った。このシャリオという魔女は、どこまで計算しているのだろうか。
リリアの予言にあった『9つの音階』には、シャリオの復活と直接の関係はない。それはただリリアを焦らせ、彼女が魔女シャリオを知ろうとその魂にアクセスすることを、見越して渡したヒントだったというのだ。
「私にはこの時代でやるべきことがある」シャリオは恍惚の表情でサチたちに語り掛ける。「まず一つ目。私の復活を阻止しうる、ファクターの排除」
ぎろり、とシャリオの第三の眼がサチたちを見据えた。
『剣の舞』を握るサチの手に、冷たく汗が滲んだ。
「まずはヴェルナ・ハンニネン。あなた」
ひゅっ、とサチの吸った息が、肺に行かずに鼻から噴き出た。
「あなたは37年後、私の瘴気を中和する薬剤の開発に成功する。それ以降、私は二度と復活できなくなってしまう。殺すだけならこの先いつでもできるけど、早いに越したことはないわ」
未来予知。それはリリアの力だ。
リリアの予言の魔法、セレブラントとしての能力は、本来シャリオが復活する器の目印として与えたものだった。それなら、今のシャリオがリリアの力を使えても不思議なことはない。
「それからあなた。トロイライト・カルミナリア・ベルーシュ。あなたはこの先、私に殺されるまで竜剣士として何度も私の復活を阻み続ける。邪魔者は排除しておくに限るわ。
それに魔導機械人形。あなたたちの襲撃のせいで、私は昼も夜も穏やかに暮らせなくなる。あのユーレンとかいう女もろとも、殺しておいたほうがいいわね」
にやり、と嗤うシャリオ。ふっ、とその場から姿が消えた次の瞬間には、シャリオはヴェルナの背後にまわり、首筋を狙って手刀を振り下ろしていた。
反応できたのはサチだけだった。加速の魔奏でシャリオとヴェルナの間に割り込み、手刀を『剣の舞』で受ける。
「ふふっ、いい反応だこと」シャリオはまだ嗤っている。
「ライラ! ヴェルナを安全なところに! ムツミ! ライラとヴェルナが逃げる時間を稼ぐよ!」
「おっけー」「了解です」
ライラとムツミもそれぞれ動いた。
ヴェルナをお姫様抱っこでひょいと持ち上げたライラは、すたすた走って中庭から逃走する。
ムツミは加速の魔奏を発動し、シャリオに襲い掛かったが。シャリオはムツミの攻撃をするする避けて、距離をとってしまった。
「安全な場所なんて、どこにもないのにねぇ」
シャリオが魔法陣を展開し、無数の火球を発射する。
一発一発の威力は大したことはない。だが、そのすべてを防ぎきるのは不可能だ。サチもムツミも、加速して避けるのが精一杯である。無数の火球はロアノール城の壁に命中し、無数の穴を作って屋内に火事を起こした。
ロアノールの学び舎が、地獄と化した。




