#1 光柱
「……サチ」
自分の名前を呼ぶ声に、サチは微睡みからの離脱を試みる。
まるで、深い深い湖の底に沈んでいるみたいに。サチの体は冷え切っていて、いくら藻掻いても眠気はサチを手放してはくれなかった。
「サチ、起きて」
小さい、けれど優しい声だった。
湖面に映る月光のように澄んだその声を頼りに、サチは微睡みの湖から脱出する。
「……ん」
「サチ」
サチが瞼をゆっくり開くと。そこには、ヴェルナの顔があった。
心配そうにのぞき込んでいるヴェルナ。サチは医務室のベッドに、仰向けで寝ていた。
右を見る。左を見る。そこには、大の字に開かれたサチの両腕があるだけだ。クローディアの姿はない。
「あれ? クローディアさんは?」
「センパイなら……」
ヴェルナは目を反らした。
そうだ。私が―――。サチは両手で顔を覆った。
「うぅ……」
なきじゃくるサチをヴェルナは抱き起して、その肩を強く抱きしめた。
「サチ……。ごめん、あたしが手間取らなければ、サチにこんなこと、させなくて済んだのに」
「…………っ」
「シェーヴォラ先生が慌てて来てさ、『神経毒を調合してくれ』っていうから。何に使うんですかっていっても、教えてくれなくて……。
教えてくれない時点で、察するべきだった。センパイに、何かあったって」
自分の死を悟ったクローディアは、シェーヴォラに安楽死を願い出た。シェーヴォラはそのための毒の調合をヴェルナに依頼しようとしたが、まさかヴェルナに本当のことは話せるはずもなく、押し問答があったようだ。
サチはその短い間に、クローディアを訪ねてしまったのだ。
「サチ……っ!」
ぎゅっと、サチの背中を掴むヴェルナの手に力がこもる。サチとヴェルナは二人、保健室のベッドの上で抱き合いながら、抑えきれずにわんわん泣いた。
泣いて。泣いて。泣いて。
泣き疲れた二人は、ベッドの上に並んで倒れていた。
「サチ、覚えてる? マウレンが死んだときのこと」
「……忘れるわけない」
「あの時さ、サチはあたしに言ってくれたよね。あたしの想いは、きっと届いてるって」
マウレン―――。
魔女の『骨髄』に取り込まれてしまった同級生。そして、ヴェルナと恋仲だった子。
サチとヴェルナは、マウレンの死を看取った。『殺してくれ』と言ったマウレンの顔。今もサチの脳裏に、鮮明に焼き付いている。
絶望、苦痛、諦観。精一杯の笑顔で、マウレンは死を願った。その最期の願いを、サチとヴェルナは叶えた。
サチは途端に自分が恥ずかしくなった。
あの時のヴェルナは、極めて冷静だった。マウレンの最期の願いを聞くために勇気を出していた。マウレンを喪った後も、ただ静かに泣くだけだった。それなのにわたしは―――。
「サチの想いも、きっとセンパイに届いたよ」
「そう……だといいな」
ふぅ、と大きく息を吐き、サチは上体を起こした。ヴェルナに右腕を掴まれて制止されたが、構わず足を下ろしてベッドから出る。
「行かなきゃ」
「どこへ?」
「わかんない。でも、立ち止まってちゃダメ。そんな気がする」
クローディアは、サチがここで泣き腫らすことを望むだろうか。
いや、そんなはずはない。サチは思った。大好きな人に、泣いていてほしくない―――忘れもしない、あの日。クローディアはサチにそう言った。
サチが『剣の舞』を手にし、『NIGHT RAVEN』を立ち上げたのは、クローディアのためだった。セナのやり残した仕事を全うする―――それがサチの、生きる目的になっていた。
だが今は違う。
サチはセナの代用品ではないし、『NIGHTMARE RAVENS』はクローディアのためだけの楽団ではない。『魔女の血球』、そして『臓物』の脅威から人々を守る。それが魔奏楽団の仕事であり、楽団を任されたサチの仕事なのだ。
下級魔奏士試験が終わった後で、クローディアが言っていた言葉をサチは思い出す。
魔奏士として生きる以上、仕方のないこと―――親しい人の死は辛いものだ。それも、自分が救うことができなかったというならば、なおさら。
それでも、前に進まねばならない。それがクローディアに教わったことだ。
保健室を出ると、サチは通信機をとりだし、瓜花を呼んだ。
『なんだい、サチ』
「一旦みんなで集まろうと思うんだけど。ハウスに来てくれる?」
『いいよ。ライラにはボクから伝えておく。いつがいい?』
「1時間後でどうかな」
『わかった。かいちょーさんもボクから伝えておくから、サチはクローディアとヴェルナと、それからムツミのほうを頼みたい』
瓜花はクローディアの死をまだ知らないようだ。
「うん。じゃあ後でね」
通信を切って保健室に踵を返す。
ヴェルナはまだベッドに潜っていたが。サチが楽団のみんなで集まって話をしたい、というと、吹っ切れたように「わかった」と言ってベッドから出てきた。
☆ ☆ ☆
ギルドハウスに集まった楽団のメンバー。最初は窮屈に見えた部屋も、6人になると急に広く見えた。
集まるなりクローディアの不在に疑問を呈した瓜花だったが、サチが何も言わないのを見て、何かを察したらしかった。
「……いま、ロアノールの校内はめちゃくちゃです」
セレブラント容認派と排除派で揺れ、学院内の治安は最悪の状況だ。
ヘレナが戻ってきていざこざは収まっているものの、いつ衝突するか分からない状況である。
「みんな不安なんです。『臓物』の脅威はすぐそばに迫っている。だからこそ、わたしたちは戦わなきゃいけない、そう思うんです。
戦って、戦って、戦って。人間は魔女の脅威になんか負けないって、示していかないと」
「つまり、だ」瓜花が机の上で指を組んだ。「皆の恐怖を払うために、分かりやすいヒーローが必要だ。そう言いたいのかい」
「うん、そんなとこ。
なので、これからは積極的に校外活動をして、『臓物』や『血球』の討伐に当たりたいんです」
「ごめん」ヴェルナが手を挙げた。「あたしはあんまり協力できないかも。魔法薬の調合とか薬草を育てるのとか、忙しくてさ」
「うん。それはヴェルナにしかできない仕事だもんね」サチはテーブルを見回した。「ヴェルナを手伝ってくれる人もいたほうがいいかな」
「では、そちらはユーレンお嬢様に相談してみます」ムツミがヴェルナに言った。「人手が必要なら、お嬢様が何体か妹たちを貸してくださるかも」
「それは頼もしいね」ヴェルナはムツミの提案を受け入れたようだ。
「ウチはサッちゃん手伝う」
「助かるよ、ライラ」
「こんなときだからこそ、ウチの出番じゃけ」
力こぶを作って見せつけるライラ。どんなときもライラは平常運転で、サチにはそれがありがたかった。
「じゃあみんな、一旦解散で。ユーレンさんと連絡をとって―――」
ごごごごご―――
集会の解散をサチが言い渡そうとした瞬間。ギルドハウスを地震が襲った。
楽団のメンバー全員が、お互いに不安げの顔を見合わせる。中でも一番怯えた顔になったのは瓜花だった。
突然頭を抱え、机に突っ伏して背中を丸めている。サチと同じ日本出身の瓜花は、地震そのものには慣れているはずだが。
「瓜花ちゃん、大丈夫?」
「うぅ……」
あまりに顔が青ざめているので、ライラは自分のコートを瓜花に被せてやっていた。
「感じる……この揺れ。地震じゃない」
「え?」
「何か……何か強大なもの……そうだ」瓜花は左手で頭を抑えながら、右手で『魔王』を開く。「これは……そうだ、この『力』はっ!」
楽団メンバーは椅子から立ち上がり、揺れる床と格闘しながら瓜花の開いた『魔王』のページに近づく。
サチも見た。真っ黒に塗りつぶされたページ。そこに白抜きで書かれた文字―――“黒き煌きの魔女”。
ドドドドド。
ギルドハウスの外で、落雷に似た激しい音が響いた。
一同は窓の外を見るが、雨は降っていない。その代わりに―――
ぐしゃぁ、と扉を突き破って、巨大な岩や石がハウスの中に雪崩れ込んできた。
「何、何なの⁉」
サチを先頭に、頭を抱えてうずくまる瓜花をおいて他のメンバーがハウスの外へ飛び出した。
ロアノールの校舎、その一部が破壊され、瓦礫が空中に巻き上がっていた。
学院中で悲鳴や怒号が飛び交っている。巻き上がる瓦礫の中心、天地を貫くように細い光柱があった。
「何あれ」
「……リリア!」
最初に駆け出したのはヘレナだった。
姿を見たのではない。その光柱の位置は、リリアの地下室の丁度真上にあたる。それをヘレナはよく知っているからだ。
ヘレナを追いかけて、サチたちはロアノール城の中庭にたどり着く。
そこかしこに転がる瓦礫、そして血を流し生気を失った死体の山。ヴェルナは口を手で覆ってうずくまってしまった。
「リリア!」
光の柱の中に、人影が見えた。
その寝間着姿には、サチも見覚えがある。やつれた顔、ぼさぼさの髪。でもどこか、高貴な雰囲気を纏っている。まさしくその少女はリリア・ロアノール。ヘレナの妹だ。
セレブラントである彼女は、自身の制御できない『予言の魔法』によって眠り続けている。今もリリアは瞼を閉じ、安らかに眠るような表情をしているが。その体は空中に浮かび、両手を緩く広げている。
ヘレナが近づくと、リリアはふわりと光柱の中から飛び出し、地面に降り立った。
眠るような表情のまま、自分の足で。




