#5 覚醒
クローディアの退院予定日を明日に控えた4月の下旬。サチはサプライズプレゼントをポケットにロアノール城の医務室へ向かった。
いつものように病床の列をすり抜けてクローディアの元へ向かうが、サチはベッドの手前で足が止まった。いつもは入口が見えるように少しだけ開いている、クローディアのベッドを囲うカーテンが。今日は全面が閉まっていて、しかも「面会謝絶」と札がかかっているのだ。
どういうことだろう、とサチは奥のオフィスを覗いてみたが、そこに保健医シェーヴォラの姿はない。仕方なく本人に聞けないかと、サチはクローディアのベッド、カーテンの前に近づいた。
「クローディアさん?」
「……はっ、え! サチ⁉」
カーテンの向こうから、クローディアの声がする。いつもより声が低く、泣き腫らしたかのように少し枯れた声だが、間違いなくそれはクローディアの声だった。
「あの、『面会謝絶』って」
「え、ええ。そうなの。ごめんなさいサチ。今日は帰ってもらえないかしら」
「わたし、クローディアさんに渡したいものがあって。入っちゃダメですか。シェーヴォラ先生もいなくて」
サチがカーテンを掴む。しかし「ダメっ!」とクローディアに強く制止されてしまった。
思わずサチもカーテンにかけた手が止まる。
「ごめんなさい。でも、ダメなの。今日だけは、どうしても」
「……何でですか。明日退院なんですよね?」
「え、ええ。明日。そう、明日ね。明日また会える、から……」
様子がおかしい。サチは思った。いつものクローディアなら「明日の退院まで待てないなんて、甘えん坊ね」とでもいって、サチを迎え入れてくれるはずなのだ。
それがここまで訪問を拒絶する理由とは。それも、理由をはっきりと言ってくれないとは。
サチは困惑した。眉間が痛くなるほど皺を作って考えて、強硬手段に出ることにした。
しゃっ、とカーテンを無理やり開き、サチは中の空間に足を踏み入れる。
「クローディアさん、入り……っ!」
カーテンの中には、驚愕の光景が広がっていた。
ベッドに横たわるクローディア。その左手が、天井に向かって真っすぐ吊り上げられている。赤黒い色の、蠕動する触手―――『臓物』の体組織によって。
しかも元をたどれば、その触手は天井や床から生えているものではない。逆だ。クローディアの体から生えた無数の触手が、天井や壁に癒着しているのだ。
「クローディア、さん……?」
「サチ……見ないで」
涙を零し、クローディアは目を伏せた。
「私のことは、忘れて頂戴」
「な、なんなんですか、これ……」
んっ、とクローディアが力むと、彼女の肩から青黒い触手が、肉を突き破って飛び出した。
触手は天井に癒着し、ロープのようにピンと張られてその場の触手群に加わった。
「なんなんですか! これ!」
「サチ、落ち着いて。私は、もう喰われていたの。魔女の『血球』に」
「は⁉」
「きっとあの時よ……1月。あの子に、触れたときに」
力なく触手の蠕動に合わせて痙攣するクローディアの左手。そこには、サチが以前見たみみず腫れがあった。だが、今やそのみみず腫れは完全に裂けた傷口になって、鮮血がたらたらと流れ出している。
サチは触手を切り払おうと『剣の舞』に手をかけたが、サチの意図を察してか、クローディアは「やめなさい!」と一喝した。
「やめなさい、サチ……」
「でも……!」サチは『剣の舞』の柄を握ったまま、硬直してしまった。
「無駄よ。分かるの……こいつらを斬ったところで、私はもう助からない。
表に出ているのは、ほんの一部。私の体は、もうほとんど『血球』に喰われて、別のものに作り変えられてる」
「そんな、そんなの……!」
サチの手が震えた。こんな手では、魔奏を発動できそうにない。
「いま、シェーヴォラ先生に温室に行ってもらったわ。
ヴェルナに、毒薬を……作っテ……っ。サチ、サチ、サチ、サチ」
「ひっ」
「大ジョウ夫よ。どウってこと、なイんだカラ。シェーヴォラ先生には……急……モう治ッたっテ伝エて」
クローディアが安らかに微笑む。冷たく、不気味な猫撫で声で。
サチはその声の変化に聞き覚えがあった。マウレン―――『骨髄』に取り込まれて、感覚器官にされていたマウレンが、ヴェルナに語り掛けたときの声だ。
「ダい丈ブよ。それヨり、やくそくしテた続きをしまショ。
さあ、こッチへいらっシゃい、サチ」
サチを右手で手招くクローディア。サチはその目から、ぼろぼろ涙がこぼれているのを見た。
足が震える。サチはわなわなと嗤う膝を抑えきれず、その場にへたり込んだ。
「……サチ。お願い……私を……ワたしヲ、ひとりにシないデ。
セナはモう、いナイの……いなクなってしマったの。わタシはもう、ひとりは嫌……」
クローディアは正気と狂気が入り混じった声でサチを手招く。
ひとりは嫌―――それは、クローディアの偽らざる本心なのだ。『血球』はクローディアの体内に潜伏しているだけではない。クローディアの心や記憶をも喰らい、同化している。
その目的は一つ。人間のふりをして、さらなる犠牲者を増やすため。
『骨髄』に取り込まれてしまったマウレンは、ヴェルナを招く言葉を発した。そして今、クローディアも。サチを招く言葉を発している。
「愛する人と、離れ離れになるなんて嫌……だカらサチ、あナタもいッしょに」
「あぅ……」
顔を上げれば、クローディアが微笑んでいる。サチに向かって右手を伸ばして。
だめだ。
だめだ。
だめだだめだだめだだめだだめだ……。
クローディアはもう助からない。頭では分かっていても、いや、分かっているからこそ、サチはそれを否定できる材料を探すしかなかった。
『血球』はクローディアの肉体を喰らうだけでは飽き足らず、その心をも取り込み、利用している。早くクローディアを解放してやらないといけない。
抜け。抜くんだ。サチは自分に言い聞かせる。『剣の舞』を抜いて、クローディアにとどめを刺すんだ。マウレンのときだって、そうした。
そう、頭の中では思っていても。どうしても、サチの両手は腰に佩いた刀ではなく、クローディアの伸ばされた右手に向かってしまうのだった。
「……っ」
サチが触れようとした瞬間、突然クローディアは自分の右手を引っ込めた。
「だめ……そんなのだめ。サチ。お願いよ……私を、殺して」
右手を引っ込められたときのポーズのまま、サチは固まった。
「サチ……本当は、貴女に知られる前に逝きたかった。
昨日の夜……体から『血球』が生えてきたとき。辛かった……本当に辛かったの。私は生まれて初めて『死にたくない』って思った。貴女と描く未来が……すぐそこにあったの! だから! まダ死にタクなイ!」
キヒャヒャとクローディアが笑う。
「サチ、いっシょになリマしょう。えいエんの命を得ルの。そうして、いつまでも一緒に……」
「―――うわあぁぁああああぁぁぁぁぁあああぁぁっ!!」
サチは立ち上がった。
決壊した涙腺からとめどなく零れる涙を、袖で拭い捨てる。
『剣の舞』を抜く。
危険を察したのか、クローディアの中に潜む『血球』は、サチを突き刺そうと触手を伸ばしてくる。それを、魔奏を纏わせて切り払い、サチは刀を構えた。
「サチ、あいしテるわ」
「わたしもです。クローディアさん」
数歩、踏み出すだけで良かった。
『剣の舞』の切先は、クローディアの心臓を刺し貫く。刀身が纏っていた魔奏がクローディアの体に流し込まれ、その体に巣食っている『血球』を浄解していく。
クローディアは、笑っていた。その顔を直視できず、サチは目を閉じ顔を伏せ、握る刀に、指が痛くなるほど力を込め続けた。
「……サチ」
クローディアの右手が、サチの頬を優しく撫でる。
最期の言葉。最期まで言えなかった言葉を、クローディアが呟く。
「ありがとう―――」
クローディアの体内に潜んでいた『血球』は、一片も残さずに討滅された。
だが、既に『血球』はクローディアの臓器の大部分を代替しており、それらを失ったクローディアが息を吹き返すことはなかった。
ベッドに横たわるクローディアの遺骸の隣に、サチはそっと寝転んだ。
その安らかに微笑む寝顔は、今にも目覚めそうに見えるが―――。もうこの体には血すら流れていない。クローディアは、旅立ったのだ。これまで何度も送り返されてきた黄泉の国へ、ついに。
サチはポケットをまさぐり、今日プレゼントしようと思っていた小箱を取り出した。
クローディアの遺骸には、左腕が肩のあたりから消失している。仕方なく、サチは右手をとって、その薬指にプレゼントを贈った。
小箱の中身―――クローディアに贈るつもりだった、指輪。
シルバーのシンプルな、それでいて精巧に細かい模様の彫られたもの。遠くで見ると分からないけれど、近くから見るととても繊細。サチが依頼して作ってもらった、クローディアにぴったりの指輪だった。




