#4 失恋
一週間ほど経つと、クローディアはベッドから出て歩けるようになった。
だがそれでもまだ体力には不安があるらしく、退院の許可は下りない。昼食だけは一緒に取れるようになったが、サチはクローディアの退院が待ち遠しかった。
もう一つ、サチの部屋にムツミが帰ってきた。
修理を終えたムツミは、部屋に戻るなりサチと熱い抱擁を交わす。
「サチ、やっと戻って来れました」
「おかえり、ムツミ」
……といっても、感動の再会というほど離れていたわけではない。
サチはほぼ毎日、修理中のムツミに会いに行っていたからだ。体は動かせなくても起動はした状態だったので、サチは毎日ムツミと話すことができた。
「状況は断片的に聞いていますよ、サチ」
「うん。なんだか最近、校外の『血球』がさらに活発になってるんだってね。また出動……あるのかな」
「そっちではありません。サチとクランフィールド様が、お付き合いしているという話です」
「え、そっち⁉」
「はい。私はサチのルームメイトですから、当然気になります」
サチがクローディアと付き合うことを祝福してくれたヴェルナとは対照的に、ムツミはなんだか無表情なようにサチには思えた。
人間と違って、ムツミの表情は無意識のうちに表出するものではない。人間ならその状況でどんな顔をするかをシミュレートし、再現している。今のムツミは、どんな感情をシミュレートしているのだろうか。
部屋の奥に入った二人は、サチのベッドに並んで腰かけた。
「……恋愛、とは何でしょうか」
「突然どうしたの、ムツミ」
「私は魔導機械人形。インプットされていないデータはデータベースにアクセスして、自ら知識を吸収することができます。
『恋愛』……想いあうこと。単語は知っています。ですが、私には『想う』というのがどういうことか分かりません。大切に思う、とは……。
ユーレンお嬢様もサチも、楽団の皆さまも。私のことを大切にしてくださいます。でも、それと『想う』のはどう違うのでしょうか」
どう違うのか、と言われてもサチには難しい。
ユーレンのムツミに対する感情は、まさしく愛に違いない。だがそれは恋愛ではなく、例えるなら親子の情愛に近いだろう。ユーレンは自分の会社で製造されたムツミが、機械の枠を超えて成長することに恐れと期待を同時に抱いていた。それは子供が自分を乗り越えてくることに対する親の感情に近いかもしれない。
楽団のメンバーがムツミに対する感情も、恋愛ではなく親愛に近いものだ。修復困難なダメージを負って、ユーレンに捨てられたムツミのために決闘に参加してくれた。だが、それはあくまで、共に戦う仲間としての想いだった。ムツミの境遇に同情し、憐憫を感じただけだ。
「私は、サチのことを大切に思っています」
「わたしもだよ、ムツミ」
「では、私のこの感情は……恋愛、なのでしょうか。
私の姉、ルイスは人の中で生活し、様々な記録を遺してくれました。人の生と死。友情。異物に対する恐怖と受容。人は恋をするとどう変わるのか。その恋が失われるとどうなるのか」
おそらく、ルイスは『NIGHT RAVEN』で活動する中で様々なものを目にしていたはずだ。恋に落ち、それを実らせたセナとユリーカ。そしてセナに恋焦がれながらも、それを実らせることができなかったクローディア。
クローディアは、セナとユリーカの結婚についてどう思っていたのだろうか。自分のほうが付き合いは長く、またいつも近くにいた。恋をしたのだって、きっとユリーカより先だったのに……。
「しかし、ルイスは『恋をする気持ち』については遺してくれませんでした。
姉は心を持っていた。けれど、恋はしなかったのです。だから私には『恋愛』が分からない。私は、サチに対するこの気持ちこそ『恋』だと思っていました。
サチ。あなたのいう私への『大切』は、クランフィールド様に対する『大切』とどう違うのでしょうか。私の『大切』とサチの『大切』が同じなら、今わたしがサチに抱いているこの気持ちもまた、『恋愛』ではないということになります。
私は今、サチへの気持ちをどう定義すればいいのでしょうか」
時折、ムツミはサチにも返答に困るような質問をしてくる。
恋とは―――そんなことを言われても、サチにも『恋』とは何かなど説明できない。サチにとってムツミのことは大切だし、クローディアのことも大切だ。当然、楽団のメンバーも。それらの『大切さ』に優劣をつけることなどできないのだ。
ただ、その中でただ一人特別な相手を決めるのなら、サチにとってそれはクローディアである。
サチは、いままでずっとクローディアの存在が心の支えだった。生きる目的を失ったサチに『剣の舞』を託し道を示してくれたのも、瓜花に誘拐されたときに最前線に立って戦ってくれたのも。マウレン、リーゼロッテ、リン―――身近な人の死を経験したときも、クローディアは優しくも厳しい言葉でサチを励ましてくれた。
ムツミのことも、サチは同じくらい大切に思っている。親友、というにはあまりに近い関係だ。
寝食を共にするムツミは、サチが行き詰ったときにいつもそれを乗り越える手助けをしてくれた。加速の魔奏がセナのそれを超えると評価されたのはムツミの指導あってであるし、合奏についてもムツミとの訓練で練り上げた技術だ。他の誰にも負けないくらいに、ムツミはサチにとって特別な存在である。
ムツミに感じる大切さと、クローディアの大切さに、どんな違いがあるのだろうか。
優劣はない。だが、理屈ではなく感情で、サチはその二つには違いがあるように感じた。
「……わたしも、良く分かってはいないんだけど」サチはぽつりと、言葉を紡ぐ。「わたしは、ムツミにもクローディアさんにも、幸せになってほしいって思ってる。それが『大切』って気持ち。
でもその中で、世界で誰より、わたしが、わたしの力で幸せにしてあげたい。そう思うのがクローディアさんなんだと思う」
「サチの、力で?」
「うん。世界の誰よりも、わたしが一番クローディアさんを幸せにしてあげられるんだって思う気持ち」
「……サチは私を、幸せにはしてくれないんですか」
「いや、そういう意味じゃないんだけど……。クローディアさんが一番大好きな、幸せにしたいって思ってくれる人も、わたしがいいなって思うんだ。他の誰でもない」
ムツミが口を開いたが、言葉は出なかった。
考え込むように俯き、首を傾げている。ムツミのこのポーズは、何か頭の中で数式が駆け巡っているときの癖だ。
「……なるほど」しばらく考えていたムツミが、ぽつりとつぶやく。「私は一つ、学びを得ました」
「学び?」
「はい。私はサチに幸せになって欲しいです。私の力で、サチが幸せになるのなら。その力を惜しむことはありません。これは私が魔導機械人形で、人類に奉仕する存在だからではありません。私の、私自身の意志です。
つまり、私はサチに『恋』をしていたのです」
「え」
「でも、サチにとっての一番はクランフィールド様で、私ではなかったのです。
そのことが認められず、私はおかしくなっていました。サチにとっての一番が、私であってほしい。そう、願ってしまったのです。『恋』をしたが故に。
ようやく腑に落ちました。このもやもやした気持ち……これは『失恋』なのですね」
にこやかに笑うムツミ。貼り付けたような―――いや、ムツミは人間の感情や表情をシミュレートし、真似しているだけだ。その意味で、彼女の笑顔はまさしく「貼り付けただけ」に違いないのだが。
その笑顔が、本当に無理矢理作っているもののようにサチには思えた。
ムツミが無理やりな笑顔になっているのは、半分はサチのせいでもある。
「ムツミ……ごめん」
「サチ、謝ることではありません。私はルイスのできなかったことを成し遂げたのです。人に恋をし、そしてそれを失うという得難い経験が。人に奉仕するのではなく、人の中で生きることでしか、得られない経験です」
ムツミは満足気だ。だが、それもどこまで本心なのか。サチには推し量るしかない。
「サチ、一つお願いがあります」
「何?」
「このまま、私をサチのルームメイトでいさせてはもらえないでしょうか。
学院では、同性でパートナー関係になった場合、同じ部屋で生活するようになるといいます」
「そうなの?」
「はい。学院の寮室変更手続きの記録を照らし合わせると、その傾向が見られます。
ですが、折角私はサチのルームメイトという特別な関係を手に入れたのです。量産された機械の私にとって、『特別』を失うのは、アイデンティティーを失うようなもの。この関係を、私は失いたくありません。
なので、これからも私を、サチのルームメイトでいさせて頂けないでしょうか」
「そんなに畏まらなくても。こっちこそ、これからもよろしくね。ムツミ」
ベッドに腰掛けて見つめ合い、サチとムツミは微笑みを交わした。
今度はさっきの張り付いたような笑顔ではない―――とサチは思う。それは、ムツミの「本心」であって欲しいという、サチの願望が混じっているかもしれないが。




