#3 指輪
ある朝。自分の部屋で目を覚ましたサチは、書き物机に飾っていた小さなリングケースを、何気なく手に取った。
「……指輪」
それは、あの日。サチがセナたちに出会ったあの日に甲板で発見した、セナとユリーカの指輪である。ケースに並んで納められたそれは、『胃』の持つ消化液にさらされたせいで部分的に腐食が進んでいるが、大部分でまだ元の輝きを保っている。
今まで、サチはその宝物を「セナとユリーカの遺品」としか見ていなかった。
それはサチがセナの仕事を引き継いだ証であり、確かに二人がこの世界に存在していたことを示すものだ。でも、今こうして見てみて、サチはいつもとは違うことを考えていた。
「指輪、どっちから贈ったんだろ」
順当に考えればセナからだろうか。サチが彼女と言葉を交わしたのは1時間にも満たない短い時間だったが、ロアノールの学生が語る生前のセナは、なかかなかに社交的な人物で、贈り物も欠かさなそうである。
一方で、セナのキャラクターとして指輪をするのは不自然なところもある。セナは同室のクローディアをかなり気に入っていたようだ。そこに恋愛感情があったのかは、彼女亡き今推測するしかないが。少なくとも、クローディアが自分のことを好きなのを、セナは気づいていたはずだ。
そのセナが、クローディアに見えるように指輪などするだろうか。いや、実際していたのだからその疑問はおかしいのだが……。セナが自分から指輪を買って、クローディアにそれを見せつけるようなことがあるだろうか。
そう考えると、指輪を贈ったのはユリーカなのかもしれない。ユリーカは成人していたし、クローディアに見えると分かっていても、セナはユリーカからのプレゼントなら身に着けるはずだ。
何気なく、サチは指輪の片方を手に取って指を通してみた。
サイズは全くあっていない。2つの指輪はサイズも見た目にはそう変わらず、これがユリーカのものだったかセナのものだったかは定かではない。だが、どちらもサチの指にはあまりに大きかった。
「……まだ、早いかな」
指輪を外し、サチは箱に戻した。
いつかわたしも――――。ふと、サチの脳裏にクローディアの顔が浮かんだ。指輪なら、贈る方がいいか、それとも貰いたいか……。
クローディアにはどんな指輪が似合うだろう。きっと、装飾や宝石の派手なものより、シンプルなシルバーやプラチナがいい。想像するのは楽しかったが、クローディアに自分に似合う指輪を選んでもらうのも楽しそうだ。
サチがそんな妄想に耽っていると、自室のドアをノックする音が聞こえた。
「サチ、いる?」
ヴェルナだった。
サチがドアを開けて出迎えると、ヴェルナは疲れた笑顔でサチに「手伝って欲しいことがあるんだけど、いい?」と聞いてきた。サチは二つ返事でOKし、ヴェルナに連れられて二人で温室へ向かった。
サチが温室に足を踏み入れるのは久しぶりだった。
最後に入ったのは、もう4か月も前だったろうか。サチとヴェルナ、そしてリーゼロッテの三人で、ハーブティーを飲んで本音を語り合ったあの日以来だ。
温室の様子は以前と変わらない。むっとした湿度と花の香り。ロアノールの城近郊ではまず見られないような植物が、久しぶりの来客を歓迎するように茎を曲げて頭を下げている。
その巨大な葉を押し退けて、二人は温室の一角、薬草の鉢がいくつも並べられた棚の前に向かった。
以前、そこでは小さなサボテンやキノコが育てられていた。サチがヴェルナと初めて会った日、ヴェルナが手入れをしていた棚だ。
「あれ、ここなんか変わった?」
「ん、まあね」ヴェルナは小さな剪定ハサミをサチに押し付けた。「カンロク草の側芽を集めて欲しいんだけど」
「うん、わかった」
カンロク草は赤道付近の地域に自生している、滞活性植物の一種である。
赤道直下の地域では、空気中の湿度が高いために根から吸収した水が葉まで行き渡りにくい。そのためカンロク草は自ら茎や葉を高速、といっても人間から見れば「動いているとわかる」程度にゆっくりと動かして体内の水を駆動する性質を持つ。
それゆえにカンロク草は草食性の動物に発見されやすいため、その芽や茎には強い神経性の毒を持って自衛しているのだ。人間たちはカンロク草から毒を抽出し、麻酔剤として利用している。
サチは学院の授業でカンロク草のことを学んだことがある。希少な植物のため、茎頂の芽は取らず、側芽を利用する。また、光合成能を失うと毒性がより強くなりすぎるため、葉もいっしょにつけるよう心掛けながら剪定する。
それを知識としては知っていたが、実物を見るのも、触るのも初めてだった。
「カンロク草……こんなにたくさん」
見回すと、棚の鉢植えは大半がカンロク草だ。それも、剪定済みでもう一個も側芽が取れそうもない鉢もある。
「保健室でね、使ってるんだよ」ヴェルナも慣れた手つきでカンロク草の側芽を収穫しながらサチの疑問に答えた。「ほら、最近怪我する人も多くて」
確かに、少し前まで校内はざわついていた。モニカ率いるセレブラント排除派、その中でも特に過激な一派が、校内で小さな暴力事件をいくつも起こしていたからだ。モニカが失脚した今、排除派の勢いは削がれているが。それでも、校内のいたるところで小さな喧嘩や事件が絶えない。
いつまでも変わらないことはない。サチもヴェルナも、学院の状況も。いつまでも変わらずいられないのは、温室の植物も同じなのかもしれない。
作業を始めてほどなく、突然ヴェルナが切り出した。
「それよりさ、サチ。センパイとなんかあった?」
ヴェルナが『センパイ』と呼ぶのは、クローディアのことだ。
驚いて収穫の手を止めたサチがヴェルナを見ると、ヴェルナも作業の手を止めて、サチをじっと見つめていた。
「う、うん。クローディアさんがどうしたの?」
「別に。なんか最近のセンパイ、いつもより楽しそうだから」
「そ、そうなんだ……。
うん。ちょっとね。クローディアさんとわたし、付き合うことになったんだ」
「あー、なるほどね」
ヴェルナはサチに近づき、その肩を指で突いた。
「やっと告白したか、このオクテめぇー」
「えへへ」
「いつ付き合うのかなってずっと見てたのにな。いつから付き合ってるの?」
「この前の会長代理の騒動があったでしょ。あの後から」
「どっちからコクった?」
「わたし……いや、クローディアさんかな。どっちだろ」
「付き合う」と宣言したのはサチのほうだが、先に好意を伝えてきたのはクローディアのほうで、サチはそれに応えただけだ。この場合、どちらから告白した扱いになるのだろうか。
「どこまで行ったの?」
「どッ⁉」
「隠し事しないでよ。あたしたち親友でしょ?」
「どこまでって……まだそんな。退院したら『続き』をしようねって」
「続き?」
「うん……先月くらいだったかな、最初にクローディアさんに告白されたの。ギルドハウスで、二人っきりのときに―――」
「キスしたんだ」
「えっ、どうして知ってるの⁉」
「分かるよ。そんな指で口触ってたらさ」
「うげっ」
「じゃあ、センパイが退院したらキスの『続き』をしようってこと?」
「うん……」
「積極的だな、こいつめぇー」
ヴェルナは指を拳に握り替えてサチの肩を小突いてきた。
その顔は相変わらず疲れているが、血色は良く見える。サチの報告を聞いて、ヴェルナも喜んでいるのだ。それがサチには嬉しかった。
「……それでね、ヴェルナ」
作業を再開したヴェルナに、サチは声を掛けた。
丁度聞こうかと思っていたのだ。もし指輪を買うなら、クローディアさんはどんなものが喜ぶのか。
ヴェルナは旧『NIGHT RAVEN』のころからユリーカ、そしてクローディアとも親交がある。サチより長い付き合いのはずだ。それなら、クローディアの好みも分かるかもしれない。
「ん、何?」
振り向いたヴェルナを見て、サチは言葉に詰まった。
前髪に結ばれた深紅のリボン―――マウレンから贈られたそれを、ヴェルナがいじっているのを見てしまったからだ。
ヴェルナは無意識のうちにそのリボンを手で弄る癖がある。今も何の気なしに触っているだけだ。だが、サチはそのリボンにもっと深い意味があることを知っている。知ってしまっている。
あれはヴェルナの恋人だったマウレンが死ぬ前に贈った、楽団結成の証。
正式に『NIGHTMARE RAVENS』のメンバーになった後も、ヴェルナはそのリボンを決して外さないのだ。
こうして親友とコイバナに花を咲かせていても、ヴェルナの心の中にはいつもマウレンがいる。
もう決して、触れ合うことのできない恋人が。
サチは臆した。もう二度と恋人に会えないヴェルナに、自分の色恋の話ばかり聞かせるのは本当にいいことなんだろうか。
「……ちゃんと寝られてる?」
「んー、あんまりかな。魔法薬草には希少なのも多くてさ、ここでしか育てられないのもあるしね」
「なんか疲れてるみたいに見えるよ。ちょっと休んだらどうかな。カンロク草の収穫ならわたしがやっておくし。終わったらシェーヴォラ先生に届ければいいの?」
「でも、新芽150個は大変じゃない?」
「150⁉ 思ったより多い!」
「うん。だから収穫までは一緒にやるよ。終わったら届けるのだけ、サチにお願いしていい?」
「もちろん。これからも、わたしに出来ることがあったら何でも言ってね。親友なんだから」
「うん。じゃあ、頼りにさせてもらうね」
カンロク草の側芽はどんなに集めても150に少し満たなかった。
ヴェルナを寮に帰したサチは、収穫したカンロク草をシェーヴォラに届ける。シェーヴォラもまた疲れ切っている様子だったが、数が足りないカンロク草も「ご苦労様」と優しく受け取ってくれた。
その後クローディアのベッドの側でひと時を過ごし、クローディアとも少し話をしたが。サチはどうにも心が晴れなかった。
「ヴェルナのこと、お願い」―――マウレンに託されたことを、サチはちゃんと遂行できていただろうか。




