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死神「君という未完のスケッチを聞かせてくれ」――いじめ自殺の少女から傲慢な殺人鬼まで、嘘が石へと変わる『境目』で己の魂と向き合う、美しくも残酷な因果応報の物語  作者: silver fox
第3章:極上の絶望をどうぞ。〜傲慢な殺人鬼のプライドが、死後の世界で徹底的にへし折られる話〜

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第8話:『あぁ、ひどく退屈だ』──次の幕を待つ、永遠の観劇者の倦怠

 上下の感覚が完全に消失した虚空の闇の中。

 そこだけが、切り取られたように重力から解放された独立空間だった。


 宙に浮遊する、豪奢な赤いベルベットの玉座。

 死神は、自身の漆黒のローブの一部を変形させて形作ったその特等席に深く腰を沈め、銀糸のレース手袋に包まれた手で気怠げに頬杖をついていた。

 フードの奥の赤い双眸は、眼下に広がる『舞台』を、ひどく退屈そうに、しかし微かな期待を込めて見下ろしている。


 眼下の感情の海は、まるで巨大な円形劇場の舞台のようだった。

 そこでは今、観劇のクライマックスが繰り広げられている。


「……ぎァ……ァァ、アァァァァァッ!」


 遠く下界から、桐生崇の絶叫が届く。

 鬼の放った赤熱した鉄鎖が、桐生の首に何重にも巻き付いていた。

 ジュウゥゥゥッ!

 水銀の冷たい波音を切り裂いて、人間の皮膚と脂肪が爆発的に焦げる生々しい音が響き渡る。

 桐生は両手で首の鎖を引き剥がそうと掻き毟るが、その手のひらも瞬時に焼け焦げ、無惨な煙を上げている。


 鬼は容赦しなかった。

 蜘蛛の脚で岩を蹴り、無慈悲な力で鎖を手繰り寄せる。

 ズリリリリッ!

 桐生の身体は、彼自身の利己心で構成された『鋭利なガラス片の筏』の上へと、うつ伏せの状態で強引に引き摺り上げられた。


「ぎぃぃぃぃぃぃぃぃッ! 痛い! 痛い痛い痛い痛いィィッ!!」


 ガラスの刃が、桐生の衣服を容易く切り裂き、腹の肉を、太ももを、顔面を容赦なく削り取っていく。

 彼が暴れて踠くたびに、新たな刃が彼の肉に食い込み、筏は瞬く間に彼の流す赤黒い血で染まり上がった。

 鬼はそのまま鎖を引き、桐生を乗せたガラスの筏ごと、冷徹な水銀の海へと歩みを進めていく。


 ジャキン、シャラン。

 ガラスの波が、血まみれの桐生の身体に打ち付ける。

 その瞬間、境目の『ルール』が、最後の牙を剥いた。

 水銀の水質は、社会が求める「正しさ」そのもの。嘘や自己欺瞞に塗れた桐生の肌が、その純粋な水銀に触れた途端、強烈な拒絶反応を引き起こしたのだ。


「あ、が……なんだ、これ……! 身体が……ッ!」

 桐生の削り取られた肉の断面から、ボコボコと悍ましい真っ黒な斑点が膨れ上がり始めた。

 それはまるで、彼が隠し持っていた汚悪な本性が、物理的な質量を持って吹き出してきたかのようだった。

 黒い斑点は瞬く間に増殖し、桐生の顔面を、眼球を、口の中を覆い尽くしていく。

 嘘で塗り固められた自己像が、水銀の海によって完全に否定され、分解されていくプロセス。


 特等席からそれを見下ろしながら、死神は細い肩をわずかに震わせた。


「……やめてくれぇっ! 助けて、くれ……ッ! 俺は、俺は選ばれた人間だァァッ!」


 水銀の波に沈みかけ、全身を黒い斑点に侵食されながらも、桐生は最期まで自らの虚栄心に縋り付いて絶叫した。

 だが、その言葉が誰の心にも届くことはない。

 ジャキン、という一際大きなガラスの波音が響いた直後。

 鬼の鎖に引かれた桐生の身体は、ガラスの筏ごと、深く重い水銀の底へと完全に引きずり込まれた。


 ブクブク……という僅かな泡が浮き上がり、それもすぐに弾けて消えた。

 断末魔の叫びは完全に消失し、水面には何も残らなかった。

 彼がどれほど自分を「神」だと嘯こうが、境目の世界にとっては、水面に落ちた一滴の染み以下の価値もなかったのだ。


 下界に残されたのは、色を失った水銀の海が、ただ機械的に永遠に繰り返す、ジャキン、シャランという冷たい波音だけだった。



 ***


 完全な静寂が、空間を支配していた。

 波音さえも、死神の座る遥か上空の特等席までは届かない。


 カチッ……。カチッ……。


 無音の虚空に、奇妙に乾いた音が等間隔で響いている。

 死神が、指の腹で小さな板状のものを弾く音だ。

 それは、先ほど影の市場で桐生に渡した『人間の歯でできた観劇チケット』だった。

 桐生が空へ放り出された際、彼の手からこぼれ落ちた砂は、再び死神の手元でこの悪趣味なチケットへと形を戻していたのだ。

 前歯、犬歯、奥歯が隙間なく並べられたその奇妙な造形物を、死神は親指と人差し指で挟み、ひどくつまらなそうにクルクルと回している。


 赤い焔の双眸が、桐生が消えた真っ暗な水面の跡を、瞬きもせずに見つめていた。

 その瞳の奥にあるのは、罪人を裁いた正義感でもなければ、悪を滅ぼした達成感でもない。

 ただ、底知れぬほどの『空虚さ』だけがそこにあった。


「傑作だ」

 フードの奥から、低く、冷たい囁きが漏れた。

 それは、素晴らしい芸術作品を称賛するような響きを帯びながらも、どこかひどく冷め切っていた。


「何度観ても……虚栄という名の下書き(スケッチ)が、無惨に破り捨てられる瞬間の音は悪くない」


 彼にとって、桐生がこの先、水銀の底で永遠の苦痛を味わおうが、魂が完全に消滅しようが、そんな結果(結末)には微塵も興味がなかった。

 重要なのは、過程プロセスだ。

 自分を特別だと思い込み、強者に媚び、弱者を踏み躙って生き延びてきた矮小な魂が、絶対に敵わない理不尽な暴力とルールの前に直面した時。

 その張りぼての自尊心がメキメキと音を立てて崩れ去り、恐怖に顔を歪め、赤ん坊のように泣き叫ぶ、その『感情の落差』。

 その歪んだ輝きだけが、死神の永遠の倦怠感を、ほんの数分間だけ紛らわせてくれる最高のスパイスなのだ。


 サラ……サラ……。

 死神が立てかけていた大鎌の鋭利な刃から、時間の砂がこぼれ落ちていく。

 それは、死神自身の寿命を削っているのか、あるいはこの退屈な世界の寿命を削っているのか。誰にも分からない。


 死神はゆっくりと、赤いベルベットの玉座から立ち上がった。

 銀糸の手袋に包まれた手でローブの埃を払うような仕草をすると、玉座はたちまち黒い煙となってローブと同化し、元通りの漆黒のシルエットへと戻った。


 コキリ、コキリ。

 死神は白骨の首を左右にゆっくりと曲げ、関節を鳴らした。

 そして、どこまでも続く暗黒の虚空に向けて、大鎌を杖のように突いたまま、ひどく気怠げな溜息をついた。

 赤い双眸の左目、残り業務時間を示すタイマーの数字が、無機質に一つ減る。


「さて、次の幕まで数秒か」

 死神は、手の中の人間の歯のチケットを、大鎌の刃に沿って軽く滑らせた。

 ジャリッ、という不快な音が闇に消える。

 彼は、これからやってくるであろう何千、何万という愚かな魂たちを想い、フードの奥で小さく、そして酷く冷たく嗤った。


「……あぁ、ひどく退屈だ」



自称・神の殺人鬼が、自らの劣等感と罪の重さ(軽さ)によって無惨に散っていく様を描いてみました。少しでも「ゾッとした」「面白かった」「ざまぁみろ」と感じていただけましたら幸いです。


もしよろしければ、ページ下部にある【★マーク】から評価をいただけますと、今後の執筆の大きな励みになります!

また、ブックマーク登録やご感想なども心よりお待ちしております。


次作もお楽しみに。ありがとうございました。


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