169.俺が許さない
「……っ」
ミルコさんのたった一言で、夫人は言葉を失った。
そして、それに続くようにレオさんが口を開く。
「確かに。今の発言、聞き捨てならないな。エルガはトーリでも、今も。よく働いてくれている。俺たちは、彼女にとても助けられている」
「こ、この子は……聖女に取り入って、王太子殿下のそばに――」
「口を慎め」
落ち着いた口調のレオさんに言葉を返した夫人に、ミルコさんが鋭く一言。
途端、夫人の言葉がぴたりと止まる。男爵も、焦ったように夫人を止めている。
さすがに、王太子にこれ以上言い返すのはまずいと、男爵はわかっているようだ。
「調べさせてもらったよ。この屋敷で、何が行われてきたのかを」
レオさんの合図で、ヘルマンさんが前に出た。
彼は静かに頭を下げ、抱えていた書類の束をテーブルの上に置いた。
「ヘルマン……これは一体なんの真似だ」
「横領の証拠です」
「!?」
ヘルマンさんの言葉に、男爵夫妻の顔色が一気に変わる。
「借金の返済にと送ってくれたエルガ様の金が、私的な遊興費へ流れている記録。それから、禁制品の密売に関わった取引の写しです」
「ば、馬鹿な……! どうしてこんなものを……!」
「彼は優秀な執事だったようだな。税のごまかしも確認済みだ。帳尻は合わせているつもりだったようだが――詰めが甘い」
レオさんの声は終始落ち着いている。
だからこそ、逃げ場のなさが際立っていた。
「男爵夫妻、あなた方をこの国の法に基づき拘束する」
レオさんがそう言い放つと、広間にこの地域を管轄している傭兵団が入ってきた。
昨夜のうちに話を通してあったのだろう。
さすが、段取りがよく、仕事が早い……。
「そんな……! 待ってください、殿下!」
「今更なにを待てという?」
レオさんにすがろうと動いた男爵だったけど、鋭い睨みにびくりと震えて動きを止めた。
「旦那様……あなたのお母上は大変素晴らしい方でした。その息子であるあなたに、その才は引き継がれなかった」
「……っ」
ヘルマンさんの言葉に、男爵はがくりと膝から崩れ落ちた。母親を思い出しているのだろうか。
王太子と騎士、そして傭兵団に囲まれて、観念したようだ。
「……最悪よ。どうしてこんなことに……」
男爵の後ろで、夫人が呟く。
「ねぇ、エルガ……助けてよ……あなたは、私たちの娘でしょう?」
「……」
散々いいように使ってきたというのに、エルガさんに助けを乞う夫人。
そんな夫人を見て、エルガさんは切なげに目を細め、はっきりと言い切った。
「無理です。やり直すチャンスはいくらでもあったはずなのに……そうしなかったのは、あなたたちなのですから」
エルガさんの覚悟が感じられる。きっと、すごく辛い決断だったことは、私でもわかる。
それなのに――。
「あなたは……! 私たちに嘘をついたうえに、見捨てるというの!? なんて薄情な娘かしら!」
夫人の声は甲高く響く。まだエルガさんの心を削ろうというの?
酷い……。
確かに嘘はついた。けれど、それはエルガさんが自分の人生を生きるための必死な選択だった。
それなのに、この人は未だにエルガさんの気持ちを、ほんの少しも考えようとしない。
……実の、娘なのに。
「私……ずっと信じていました」
レオさんが前に出ようとしたけれど、エルガさんが口を開いた。
「いえ、信じたかった。いつかちゃんと向き合ってくれるって」
エルガさんは、切なげな表情のまま、まっすぐ言葉を紡ぐ。
「でも……もう、十分です」
そして、背筋を伸ばし、夫妻を見つめて言った。
「私を大切にしてくれない人のために、これ以上身を削る必要はないわ」
「……っこの、親不孝者!!」
その言葉に、夫人がドンッとテーブルを叩き、声を荒らげた。
「あんたみたいな娘、やっぱり育ててやるんじゃなかった!」
「お、おい……!」
叫ぶ夫人に、男爵が慌てて止めようとするも、夫人は構わず続ける。
「……どういう意味だ?」
その意味をたまらず問うリックさんに、夫人は吐き捨てるように言った。
「あんたは、私の娘じゃないのよ! この人がよその女との間に作った子なんだから!!」
「……!!」
その瞬間、空気が凍りついた。
男爵は頭を抱え、言葉にならない息を吐く。
――そんなことを、今ここで言うなんて。
たとえそれが真実だとしても、伝え方というものがある。あんまりだ。
「それを私たちの本当の子として育ててやったというのに……!!」
「待ってください、そんな言い方……!」
喉が詰まり、声が震える。エルガさんの気持ちを考えると、私が泣いてしまいそうだった。
「なによ……! そもそも、聖女の侍女になったせいで、調子に乗っているんでしょ!?」
夫人の矛先が、今度は私に向けられる。
どうせ捕まるのだからと、自暴自棄になっているのだろうか。今更不敬罪が加わるくらい、気にしないのだろう。
「いい加減にしろ」
私を庇うように、すぐにレオさんが前に出た。
レオさんは、とても怒っている。先ほどまでは王太子として、冷静さを保っていたけれど……。私に矛先が向いたことで、レオさんの逆鱗に触れてしまったようだ。
けれど、そんなレオさんよりも、更に一歩前に出た人物。
「その辺にしてもらおうか」
淡々とした、低い声。静かで抑揚のない、それでも背筋が凍るほど冷たい声。
「それ以上彼女たちを侮辱するのは、俺が許さない」
「……っ」
怒鳴りもしない。声を荒らげることもない。
ただ、冷静に、事実だけを告げるミルコさん。
だというのに、今まで見たことがないほど、はっきりとした怒りが、その瞳に宿っていた。
「ひ……っ」
そんなミルコさんに、夫妻はまるで魔物を前にしたかのように震え、座り込んだ。





