165.執事の覚悟
「――なんと!? エルガがミルコ・シュミット様と結婚の約束をしていると!?」
「もう、それならそうと、どうしてすぐに言わないのよ!」
翌日、昨夜考えた作戦を早速実行した。
この国随一の辺境伯である、シュミットの名前を聞いただけで、男爵夫妻はわかりやすく目の色を変えた。
「それで? いつ頃の予定なの? 式は王都でかしら?」
「まだ、正式な日取りは……」
「シュミット家との縁談になるなんて、この家にとってこれ以上ない名誉だわ!」
エルガさんの言葉を遮るように、夫人が声を被せてくる。
男爵もまた、満足そうに何度も頷いていた。
「さすが我が娘だ。辺境伯家シュミットの者を射止めるとは……いやいや、血は争えんな」
「……あなた!」
「おっと」
血は争えないって、どういうことかしら……。
ともかく、その口ぶりに、私の胸は何とも言えない複雑さを覚えた。
二人にとって重要なのは、〝シュミット〟という名前だけ。
エルガさんやミルコさん自身を見てはいない。
「……」
私はそっとエルガさんの横顔を盗み見た。
エルガさんは微笑みを浮かべてはいるけれど、その瞳はどこか遠くを見つめている。
……やっぱり。
この人たちは、娘の幸せよりも、地位とお金と、利用価値しか見ていない。
せっかくご両親が生きているのに、そんなことって……本当に、悲しい。
「この件については、追って正式にご挨拶させていただきます」
そんなエルガさんの隣で、ミルコさんが淡々と告げる。
すると男爵夫妻は顔を見合わせ、深く深く頭を下げた。
「どうか! どうか、我が家を……いえ、娘をよろしくお願いいたします!」
私はレオさんと目を合わせ、静かに頷いた。
作戦は、ひとまず成功。
けれどこれは、まだ始まりにすぎない。
*
その夜。
レオさんにこっそりと呼ばれた私は、屋敷の奥まった部屋へ向かっていた。
使用人用の通路を抜け、普段は物置として使われているような、小さな書斎。灯りは最小限で、扉は内側から鍵がかけられる使用。
そこにいたのは、この屋敷の執事、ヘルマンさんだった。
「――こちらです」
ヘルマンさんは鍵がかかっていた机の引き出しを開けると、革張りの手帳、封蝋の残る書簡、そして布に包まれた書類の束を取り出した。
「……これは」
「長年、私が保管してきたものです」
ヘルマンさんの声は静かだった。でも、とても緊張感がある。
「まずは、横領の証拠です。こちらが本物の帳簿でございます」
差し出されたのは、二種類の帳簿。ひとつは王都へ提出された正式なものの写し。もうひとつは、実際の収支を記した裏帳簿。
レオさんは数ページめくっただけで、顔色を変えた。
「……これは酷い」
「はい。本来、借金返済に使われるはずだった金は、男爵と夫人の懐に流れております」
「そんな……」
そのお金には、エルガさんが仕送りしてきたものも含まれている。
「密売の証拠もございます」
布に包まれた書類に書かれていたのは、禁制品の名前、数量、受け渡し場所。
そして、はっきりと刻まれた男爵家の印。
「……最悪だな」
レオさんの声が低く沈む。
怒りを抑え込んでいるのが、はっきりとわかった。
「他にもございます。徴収額を過少申告し、差額を懐へ。領民には重税を課しながら、国には嘘をついておりました」
「……」
ヘルマンさんの声も苦しそう。これまで黙っていたことへの責任を感じているのだろう。
私の胸も、苦しくなる。
この領地で、どれほどの人が苦しんできたのか。エルガさんや領民の苦労を、男爵夫妻は踏みにじってきたのかと思うと、許せない気持ちが湧いてくる。
「本当に申し訳ございません。私も処罰を受ける覚悟でございます」
「……よく言ってくれた。しかし、どうして今まで黙っていた? あなたなら、もっと早く告発することもできたはずだ」
レオさんの問いに、ヘルマンさんは頭を下げて、答えた。
「すべては、エルガ様のためでございます」
「……」
「ご両親が捕まれば、あの方は〝罪人の娘〟となる。それだけは、どうしても避けたかった……」
握りしめたヘルマンさんの手が、微かに震えている。
「ですが、あなたたちを見て、確信しました。この方々なら、エルガ様を守ってくださると」
「もちろんです!」
その言葉には、私が答えた。
ヘルマンさんの気持ちも、勇気も、私はしっかりと受け取った。
「顔を上げてくれ」
「……は」
レオさんが、帳簿を閉じた。ヘルマンさんはそっと頭を上げる。
「これだけ証拠が揃っていれば、言い逃れはできない。よく集めてくれた」
「……はっ」
レオさんの言葉に、ヘルマンさんは目じりに涙を浮かべながら、もう一度深く頭を下げた。
「もうこれ以上……一人で悩む必要はありませんよ」
私はヘルマンさんに、そっと声をかけた。
正義と悪の間で、彼はエルガさんを想い、揺れていた。
本当に苦しかったことだろう。そして今回のことは、とても勇気のいる行動だったはず。
「……ありがとうございます……どうか、この地をよろしくお願いいたします」
「もちろんだ」
彼のその言葉には、レオさんが力強く答えた。





