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大粒の雫がアスファルトに打ちつけられ、喧しい程の雨音を奏でる。十条九と渡瀬は苦い表情で、雲の立ち込める空を眺めていた。
「うわー……降ってきちゃったね」
「だな」
ぼんやりと相槌を打った後、十条九は手元の鞄を見下ろす。その中から折り畳み傘を取り出すが、「この強さだと意味ないかもな」と、誰にともなく呟いた。
「そうだね。横殴り、って感じの雨だもんね。せっかく借りた本、濡らしたら大変だし」
自らの鞄を掲げて見せながら、「ちょっと待とっか」と渡瀬が苦笑する。十条九がそれに頷くと、二人は軒先にあったベンチへと腰を下ろした。
渡瀬の提案で市立図書館を尋ねた彼らは、その目的を達し、いざ帰ろうというタイミングで大雨に出会した。先の会話通り、不用意に出歩けない現状に、彼らは設けられていたベンチで、時間を過ごす。
「……あ!いけない、洗濯物!」
不意に渡瀬が、悲鳴のような声を上げて席を立つ。あたふたと慌てた表情を浮かべた後、しかしどうしようもない現状に踏み留まり、諦めて項垂れた。
「干しっぱなしだった……」
「……出掛ける前に、取り込んでおいたけど」
意気消沈する渡瀬に向かい、十条九が何気なく口にする。それを聞くや否や、渡瀬は嬉々とした顔を上げた。
「本当?助かったぁ……!十条くん、グッジョブ」
心底ホッとしたように息を吐き、渡瀬は笑う。だがふと、彼女は何かに気付いて目を細めた。
「……十条くん、私の服とか下着とかは……」
「え!?あ、いや、それは……!」
十条九は赤面しながら、弁解の言葉を探す。だが、慌てふためく彼の様子をじっとりとした目で眺めていた渡瀬はやがて、「冗談」と微笑んだ。
「ごめんごめん、からかっただけ。ありがとね、十条くん」
気恥ずかしさから、十条九は顔を逸らす。それで会話が切れると、二人は言葉を発する事なく、降り頻る雨の音に、耳を傾けていた。
不意に、激しい雨音へと、紙の擦れる音が混じる。十条九が隣へと目を向けると、その視線の先で、先程借りたばかりの本を捲る渡瀬の姿があった。
「あ、ごめんね!気になって、つい……」
白猫と黒猫が描かれた表紙の陰に隠れながら、渡瀬は苦笑する。十条九は、首を横に振った。彼自身、借りたばかりの本にいち早く目を通したい気持ちは理解出来たのだ。だが、どうにも渡瀬にはそれ以外の感情があるように見えて、十条九は不思議そうに、彼女の横顔を眺める。
「……どうかした?」
視線に気付いて、渡瀬が首を傾ける。
「いや……なんか、楽しそうに見えたから」
慌てて目を逸らしながら、十条九は弁解でもするように口に出す。渡瀬は少し照れたようにはにかみ、小さく頷いた。
「うん、楽しいよ。それに……すごく嬉しい」
呟く程の小さな声は、しかしどこか弾んで聞こえた。
「私の知らない、お母さんの一面に触れているみたいで……お母さんはこの本を読んで、どう感じたのかなぁ、とか。きっと、こう思ったんだろうなぁ、とか。本を読む前から、いろんな想像が止まらないの。それに……お母さんを思い出せる物が、また一つ増えたんだ、って思うと……嬉しいんだ」
何かを慈しむように、渡瀬は指先で本の背表紙を撫でる。穏やかな表情は、しかし次の瞬間、悪戯っぽい笑みに変わっていた。
「ついでに、お父さんとお母さんの、のろけ話も聞けたしね。まあ、読書家の十条くんから見たら、邪道な読み方なのかもしれないけど……」
わざとらしく悪びれた様子で、彼女は本を掲げて見せる。だが、十条九は静かに首を横に振った。
「本を読んだシチュエーションとか、経緯とか、それに纏わる思い出って、意外と忘れないものだから。誰かの事を思い出せる一冊があるっていうのは、幸せな事だと思う」
「本に限った話じゃないだろうけど」と呟いて、十条九は雨空を仰ぐ。自身の言葉を胸中で反芻しながら、彼は義妹の事を思い浮かべていた。
「十条くんがすごく文学的な事を言ってる……」
「……らしくない、って事は自覚してるよ」
不服そうに口に出して、十条九は眉をひそめる。渡瀬にそれを笑われるが、しかし不思議と、悪い心地はしていなかった。
沈黙の中で十条九は、再び朝陽の姿を思い描く。彼女の事を思い出せる物──それを考えた時、言葉は自然と、彼の口をついて出ていた。
「やっぱり明日、帰ろうと思う」
「そっか」
引き留められるとばかり思っていただけに、十条九は意外そうな表情を浮かべる。それで彼の内情を察したのか、渡瀬は十条九の目を真っ直ぐに見返した。
「今度は、辛い事に向き合うため、だけじゃないんでしょ?」
問いに、十条九はしっかりと頷く。それを見ると、渡瀬は安心したように微笑んだ。
「じゃあ、もう引き留めない。前よりも、大丈夫そうな顔してるもん」
穏やかな声で言ってから、彼女は雨空を見上げる。
「この本を見る度に、きっと、今日の事も思い出すんだろうね」
膝の上に置いた本を撫でながら、少女は笑う。気恥ずかしさから、「かもな」とわざとらしくぶっきらぼうな声を返すと、尚の事彼女は口角を上げた。
激しい雨音が、未だ鳴り響いている。頁を捲る音と、楽しげな少女の笑い声が、時折そこに混じっていた。




