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結論として、十条九がその翌日、自身の家に帰る事はなかった。
「ちょっとは、落ち着いた?」
すでに人気のなくなった、公園のベンチ。そこに腰掛けて、ぼんやりと斜陽を眺めていた十条九は、隣からの声に顔を上げる。そこで、渡瀬がコーヒーと紅茶の缶を差し出しているのを見ると、彼は礼を言いながら、紅茶の方を受け取った。
「大分、楽になった」
「そっか」
返答を聞いてから、渡瀬も十条九の隣へと腰を下ろす。同じように、沈みかける陽に目をやりながら、彼女は黙って、コーヒーに口をつけ始めた。
「……ごめん」
沈黙に耐えられず、言葉が口をついて出る。顔も合わせぬまま、渡瀬は「どうして?」と問い掛けた。
「何で、謝るの?」
「結局俺は……あんな事を言っておきながら、ダメだった」
病院での診察を終え、十条九は渡瀬と共に、自宅へと向かった。だが、彼は玄関の扉をくぐる事が出来なかった。無人の家。生活音のない空間。そして、誰の靴も並べられていない玄関。それを見た瞬間に、十条九は改めて思い知らされたのだ。この場所に、朝陽が帰ってくる事はない。彼女の喧しい声が、響く事はない。二度とここに、朝陽の靴が並ぶ事はない。
あの時、朝陽に伸ばした手が届いていれば。彼女の側を、離れなければ。自分の誤った判断が、朝陽を殺す事はなかった。そう認識した途端、十条九は立っていられなくなった。喉が圧迫されて、まともに息も出来なかった。
渡瀬に肩を支えられながら、近くの公園へと連れて来られたのが、ほんの数分前の事だった。十条九は自身でも意識しない内に、もう一度謝罪の言葉を吐いていた。
「だから、謝る事じゃないってば」
「でも……」
「でも、何?」
渡瀬から真っ直ぐに見据えられると、十条九は返す言葉を失って、黙り込む。それきり、彼が口を開かないのを見ると、渡瀬は困ったような顔で、宙空へと視線を投げた。
「そんなに、急がないといけない事なのかな」
渡瀬はぼんやりと、同意を求める風でもなく、口にする。
「無理して、我慢してまで、焦らないといけない事?私には、そう思えないんだけど」
「……いつまでも、甘えてる訳にはいかないと、思ったんだ」
途切れ途切れの言葉で、十条九が応じる。
「早くしないと、元の生活に戻れなくなる気がして。その……居心地が良かったから」
告解でもするような、苦悩を抱えた表情で、彼は続けた。
「そんな事を考える資格なんて、俺にはないのに」
偶然にも命を拾っておきながら、多くの犠牲者の中で生き残っておきながら、渡瀬の家で過ごしていた現状を、心地良いと感じてしまった。もっとここに居たいと、思ってしまった。とんでもない、傲慢だった。
自分に、そんなものを享受する資格などない。自分が、そんな感情を抱いていいはずがない。十条九は渡瀬ら親子と接する度に、居心地の良さの裏で、ずっと強迫観念に襲われていたのだ。
「私は、そうは思わないよ」
渡瀬は、静かに否定した。
「少なくとも私は、そうは思わない。十条くんに、そんな資格がないなんて、思わない。だってそれって、生きてたら、当たり前に抱える感情だもん。十条くんが、頑張ってる事の、証拠でしょ?」
穏やかな口調で、しかしはっきりと口にする。反論の言葉が思い浮かばず、十条九は黙ったままで、視線を逸らした。
「辛い事に、耐えるだけじゃダメなんだよ。それは、誰の為にもならないもん。だから……ゆっくり、少しずつ、受け止めていこうよ」
それは、彼女の優しさか。あるいは、先人としての言葉か。そこには、測り知れぬ重みが込められていた。
「……俺……」
言葉を口にしかけた瞬間、突如として、渡瀬が深刻な表情のまま立ち上がる。何事かと視線を向ければ、彼女は「今日、何曜日だっけ」と問い掛けた。
「え?えっと……木曜日だけど」
急激な話題の転換に戸惑いながら、十条九が答える。それを聞くと、彼女の顔は青ざめた。
「いけない……!今日、特売の日だった!」
「……特売?」
「タイムサービスで、国産豚バラ肉100g77円!今日の5時から……って、もうこんな時間!」
言うが早いか、渡瀬は自らの荷物を抱え上げる。未だ状況がよく分からず、ポカンとした表情を浮かべていた十条九へ、「ほら、急いで!」と彼女が急かした。
「え、俺も行くの?」
「当然!お一人様2パックまでなんだから!あ、それと、1000円以上の買い物で使えるクーポンがあるの!一会計で一枚しか使えないから、十条くんも持ってて!」
いつの間にか取り出した割引券を握らされ、今にも走り出そうとする渡瀬に続く。そのまま彼はやや強引に、夕飯の食材争奪戦へと駆り出されるのだった。




