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孤ノ影闘記 / Anti-Nexus  作者: 鰓鰐
第4章 禍殃―Childhood’s End―
45/58

〈7〉

 

 ―7―



 激しい雷雨が、トタンに叩きつけられる。絶え間のないその音は、すぐ近くで散弾銃でも撃ち鳴らされているような、そんな不吉な光景を連想させた。思考の働かない頭のままそれを聞き続けていると、少しずつぼんやりと意識が覚醒し始める。それと同時に左の側頭部に鈍痛が走り、十条九は微かに呻き声を上げると、やっとの事で薄っすらと目を開いた。


 判然としない意識の中、自身が光源のほとんどない場所で、うつ伏せに倒れている事を理解する。十条九は強張った体を動かそうと試みるが、どういうわけか両腕の自由が利かず、固まっていた関節が悲鳴を上げるだけだった。それでもどうにか全身を尺取虫しゃくとりむしのように屈折させて、彼は起き上がる。


「……ここは……」


 ようやく暗闇に慣れ始めた視界で、ゆっくりと周囲を見渡す。目を凝らせば、大型の作業台や古びた機械類、そして錆の浮いた大きな金属片が、周囲へと無造作に積まれているのが見えた。見る分に、どうやら何かの金型を取る為の工場らしい。廃れ具合から、既にここが稼働していない事も、理解出来た。退廃的なその景色にはどこか現実味がなく、激し過ぎる雨の音と相まって、ドラマや映画のセットを見ているようだった。


「……よかった、気がついたか」


 右隣から聞こえてきた小声に、遅れて視線を向ける。そこで、床の上に座り込む黒スーツの男の姿を見て取ると、十条九はわずかばかりの安堵と共に目を見開いた。


「……『運び屋』さん……」


「おう」と口角を上げて応じながらも、彼の顔にはいくらかの切り傷が刻まれていた。その上、背中の後ろに回されたその手首にはワイヤーのような物が巻きつけてあり、何者かによって拘束されているらしい。肩越しに確認してみれば、自らの手首にも同じものが巻かれているのが分かった。


「意識ははっきりしてるか?いや、ほら、かなり強く打ち付けられたみたいだからさ」


 サングラスをかけているせいで視線を読みにくいが、それでも『運び屋』が自身の頭部を見ている事に気付くと、十条九は自らの肩で側頭部へと触れてみる。その瞬間、ズキズキという鈍い痛みに混ざり、刺すような激痛が爪先まで突き抜け、十条九は目に涙を浮かべた。どうやら切れていたらしく、服の袖に乾いた血の跡が付いていた。


「……っ、大丈夫です……多少記憶が混濁してますけど」


「吸血鬼との戦闘が発生した」という旨のオペレーターからの通信、そして直後の車の横転。加えて、何者かに拘束されている現状を鑑みれば、否が応でも、自身が未だ何らかの渦中にいる事を容易に理解出来た。十条九が回答すると、『運び屋』は彼の怪我の具合が深刻でない事に安堵し、しかし直後に、苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。


「早い話が、吸血鬼との交戦に巻き込まれたらしい。それを避けようとはしたものの、そのまま脇道に逸れて、ってところだ……まったく、今まで無事故だったのにな」


 ガードレールを越えた車体が、成す術もなく横転した様を思い返し、十条九もまた表情を険しくした。幸い、筋を痛めたり、むち打ちになったりはしていないらしいが、それでも体のあちこちが痛んでいた。


「……交戦していた、隊員は?」


 十条九の問いに、『運び屋』は口を開かぬまま、首を横へと振る。それで概ねの出来事を察すると、十条九は視線を伏せた。しかしその時、ふと生じた疑問から、彼は目を細める。


「けど、どうして俺達が拘束されてるんですか?」


 経緯を考えれば、自分達を拘束しているのは、例の隊員達と交戦状態にあった吸血鬼だと見て、間違いないだろう。分からない事といえば、血を吸われる事も、殺される事もなく、ただ捕らわれているという現状だ。仮に、隊員との戦闘で傷を負った吸血鬼が、それを治癒する為の吸血対象として、事故で身動きの取れない自分達を捕獲したとする。しかし、だとすればその現場で血を吸われていたはずだ。わざわざ自分達を拘束し、このような場所に放置している理由にはならない。


「もしかして、俺達がICSAの関係者だと知ってて、それで……」


 ふと頭を過った考えを口にすると、『運び屋』は「それは考えにくいな」と首を横に振った。十条九が視線で意味を問うと、『運び屋』は顎先で、自らの背後を指し示す。それに従って振り返った時、初めて十条九は、自分達の後ろに、同様に拘束された数人の人影がある事に気付いた。性差も年齢もバラバラな、共通項を見出だす事の難しい人達が、全部で七人。中には、制服を着た高校生らしき少女までいた。


「俺達より先に、ここに捕まってた。もちろん、ICSAとは関係のない一般人だよ。あっちのリーマンはどこぞで飲んでて酔い潰れて、気付いたらここにいたと。あそこにいる大学生の三人組は、繁華街で怖いお兄さんに絡まれて、連れて来られたらしい。そこの売春(ウリ)やってる女の子なんて、何も知らず客について来たら、この有り様だったそうだ」


 どうやら十条九が気を失っている間に、周囲の人間との情報交換を行っていたようで、潜めた声で、『運び屋』は逐一説明をする。つまり自分達は、ICSA関係者であるという事に関わりなくここに拘束されていると、そう言っているのだろう。十条九は、尚の事現状を理解出来ずに、眉をひそめた。


「じゃあ、俺達はどういう理由で拘束されてるんです?血を吸う為だったら、その場で吸われていたはずです。目撃者を消すとかそういう理由でも、やっぱりここに連れて来る必要はない」


「……もし、俺らを拘束している吸血鬼が血を吸いたい訳じゃなくて、『血を吸わせたい誰か』がいるとしたら、どうだ?」


『運び屋』が、表情を固くしながら口にする。


「あの飛行機事故以来、ICSAと吸血鬼の戦闘は激化してる。必然、負傷する吸血鬼も増えてるはずだ。つまりそれは、『自分で餌を狩る事が困難な吸血鬼』を増やしている、という意味合いにもなる。傷の治癒を急ぐのなら、血を飲む事は必然不可欠。だが怪我を負っていては、自力での狩りは難しい。その場合、どうやって餌を確保する?」


「……徒党を組む、って事ですか?」


 十条九が恐る恐る尋ねると、『運び屋』は何度か頷いて見せる。


「当て推量だけどな。俺達の血を飲みたいのは、俺達を捕まえたのとは別の吸血鬼。そう仮定すると、辻褄が合うだろ?他の吸血鬼の為に『狩り』をしていた連中が、ICSAの隊員に見つかり、交戦状態になった。で、それを目撃した俺達を放置出来ないから、ここに連れてきた。ついでにエサにしちまおう、って腹積もりかもしれん」


「確かに、いくらか説得力がありますけど……そうなると、この人数を餌にするくらい、吸血鬼の仲間がいるって事ですよね?」


 十条九の問い掛けに、『運び屋』は後ろを振り返る。改めて捕らわれた者の人数を数えると、彼はげんなりと、眉をひそめる。終いには「考えなきゃよかったかもな」などと、呟く始末だった。


「……それで、これからどうするんですか?」


「問題はそこなんだよなぁ。俺、戦闘員じゃないし。捕まってる人間がこれだけいる以上は、ヘタな無理も出来ねぇし」


 苦々しい顔をしながら、『運び屋』はため息を吐く。「他の隊員が早いとこ駆け付けてくれるのを祈るしかない」と、彼は諦念を含んだ言葉を続けていた。


「ケータイとか、通信機はないんですか?」


「念入りに持ち物検査されてね。買い換えて間もないスマホ、取り上げられて壊されたよ。通信機の方は、それこそICSA関係者だと身バレする方が怖かったから、適当に捨ててきた。って事で、連絡手段は何もない。恐らくオペレーターあたりが行動を起こしてくれてるとは思うが、如何せん、事故った現場の位置情報くらいしか分からないわけだからな。ここを割り出すにも、時間はかかるだろう」


 お手上げだと言うように、『運び屋』は肩をすくめて見せる。十条九は歯噛みしたまま、何もない空間を睨むように、目を細めていた。何をする事も出来ずに、いつ来るのか分からない助けを待ち、ただ時が過ぎるのを耐えなければならない。まるで、生きた心地というものがしなかった。


 だが存外にも、数分と経たぬ内に、状況に変化が起こった。唐突に建物のどこかから、ガラガラとシャッターを開くような音が響いたのだ。瞬間、その場にいる全員へと、緊張が走る。救援か、或いは吸血鬼が戻って来たのか。とりわけ、情報量の多い十条九と『運び屋』が固唾を飲んで目を凝らす中、果たして姿を現したのは、チンピラじみた格好をした、どこか素行の悪そうな二人の男だった。見目からして、二十代の半ば程度だろうか。長めの髪を明るい茶色に染めた男と、対照にスキンヘッドの男が、拘束されている十条九達の方へと、歩み寄ってくる。


「……吸血鬼……」


 その外見は、普通の人間と何ら変わりがない。だが十条九は、確証と共にそう呟いていた。この場に現れた二人の男、その肩にそれぞれ一人ずつ、拘束された人間が担がれていたためだ。


「……『エサ』の追加か」


 ポツリと、『運び屋』が声に出す。男達はその傍らへと、担いでいた人達を放った。ドスン、と重みのある音を立てながら、二つの人影が転がる。既に痛め付けられた後なのか、倒れた男女──薬指に同じ指輪をしているところを見る分に、恐らくは夫婦だろう──は、わずかな呻き声を上げて、身動みじろぎをするだけだった。


「おいっ!」


 唐突に張り上げられた声に、全員が振り返る。怒声と共に立ち上がったのは、スーツを着た、会社員風の若い男性だった。


「一体何のつもりだ。何が目的だ?何の説明もなく、訳も分からず監禁されては……」


 意思の疎通を試みているらしく、男性は二人へと声をかけながら、歩を進める。吸血鬼達はその行動に、顔を見合わせていた。


「ともかく、目的を言ってくれ。でなければ……」


 また一歩、彼の足が吸血鬼へと近づく。その、直後の事だった。


「何か他の──ごっ」


 妙な音を立てて、男性の言葉が途切れる。同時に、カラカラと固い音を伴いながら、床の上を何かが転がった。それが、根元から歪な形で折れた、男性の前歯の一本だと理解した瞬間、その場にいた幾人かが悲鳴を上げた。


「が、ぁ……」


 拘束された手では口元を押さえる事も出来ず、無様に開いた口の間からボタボタと血液を流しながら、男性はその場にくず折れる。ただの、平手打ち。茶髪の吸血鬼が、男性の事を払い除けるような動作で軽く振った手が、彼の前歯を叩き折っていたのだ。まるでそれが想定外の事だったように、当の本人は眉をひそめている。


「やっぱり、手足を折った方がよかったんじゃないのか?下手に抵抗されたら面倒だ」


 自らの手を眺めて、茶髪が口にする。一瞬、拘束された人達の間に緊張が走るが、スキンヘッドの吸血鬼は首を振った。


「それこそ、俺らに加減なんて出来ねえだろ。余計な事はしない方が賢明だ」


 諌める言葉を吐いた後、スキンヘッドは唐突にきびすを返す。茶髪がその意味を問うと、彼は億劫そうに振り返った後で答えた。


「経過報告だよ。トーマさんに連絡入れてくる。お前はここを見張ってろ。また、騒がれると厄介だからな」


 取り出した携帯電話をゆらゆらと揺らして見せてから、スキンヘッドはその場を後にする。残された茶髪の吸血鬼は舌打ちをした後で、積まれていた機材の上へと腰を下ろした。監視の目が出来た事で、周囲の空気が一層張り詰める。未だ叩きつける雨音の中、前歯を折られた男性が苦悶の声を漏らす他は、誰も声を上げようとしない。だが、不意にギリッという歯軋はぎしりの音を聞き取ると、十条九は振り返った。


「……『運び屋』さん?どうしたんですか?」


 サングラスの奥の目で何かを睨みながら、『運び屋』が歯を食い縛っている。


「……なあ、さっきのハゲ、トーマって言ったか?」


 声を潜めながら、『運び屋』は十条九に尋ねる。彼がそれに頷いて返すと、『運び屋』は舌打ちしそうな勢いで顔をしかめた。


「何ですか?その名前が何か……」


「前に、吸血鬼の『オリジナル』の話はしたよな?『女王』の血族だって」


『運び屋』の言わんとする事を察すると、十条九は目を見開く。吸血鬼を統制していた『女王』という存在。そしてその『女王』を亡き者にしたのが、実子、オリジナルであるという事を、十条九は局長や『運び屋』の話を統合して、理解していた。


 つまりは、あの飛行機事故を引き起こした吸血鬼。そして、学校での惨劇を引き起こしたマユカと同等の存在、オリジナル。それが、この件にも関わっているかもしれないと、『運び屋』は示唆していたのだ。


「この期に及んで、同名の別人……って考えるのは、都合良すぎるか?」


 悪態でも吐くような口調で、『運び屋』は誰に聞かせるでもなく、口に出す。だが、十条九の耳には、もはやそれは届いていなかった。オリジナルという単語を耳にした瞬間、彼の脳裏を占めていたのは、飛行場での、そして学校での、陰惨な出来事だったのだ。すでに何度となく目にしてしまった、死の風景。それと同じ気配が周囲に満ちているような気がして、十条九は吐き気に似た悪寒すら覚えていた。


 荒くなる呼吸、激しくなる自らの鼓動に耐えるように、十条九は目を閉じる。頭に浮かぶ過去の記憶、そしてこれから起こり得る嫌な想像に、彼は唇を噛んでいた。どれだけの間、そうしていたのかは分からない。ただ、自らの呼吸音に何者かの足音が混じって聞こえた瞬間、十条九は怯えた表情で、顔を上げていた。


「首尾は、まあまあってとこか」


 現れたのは、派手なピアスが印象的な、金髪の男。傍らに先ほどのスキンヘッドの吸血鬼を連れながら、囚われの人達の方へと足を運ぶ姿を見て、十条九は『運び屋』を振り返る。落胆を浮かべた表情に、十条九はこの場に現れた男がトーマ──オリジナルである事を確信した。


「トーマさん」


 その姿を見た瞬間、茶髪の吸血鬼は座っていた機材から飛び降りると、姿勢を正して向き合う。上下関係は、一目瞭然だった。


「他の奴らは?」


「まだ手間取っているようです。まあ、多少理由があると言えば、ありますが」


 トーマの問いに、スキンヘッドが答える。それを聞くと、トーマは後頭をガシガシと掻きながら、ため息を吐き出した。


「あー、確かにあの二人トロそうだったもんなぁ。人選ミスったか?この程度の『おつかい』くらい、誰にでも出来ると踏んでたんだけどな。しかし……」


 トーマは自らのピアスを弄びながら、眉根を寄せる。それから彼は、茶髪の顔を覗き込んだ。


「なんかクセーんだよな、お前。硝煙の臭いだ。何した?」


「そ、それは……」


 唐突な事に、茶髪が狼狽うろたえる。助け舟を出すように、スキンヘッドが口を開いた。


「例の連中と、交戦しました。恐らくは、その時に」


「あー、ICSAのワンコロどもか。っつー事は、あとの二人が遅れてる『理由』ってのは、そういう訳か?」


「ええ。やり合ってる現場を、見た人間がいまして。それを追ってます」


 納得した様子で、トーマは二、三度頷いた。


「なるほど、それは分かった。だがな」


 不満げな声を上げながら、トーマの腕が伸ばされる。その指先を茶髪の顔の高さまで持ち上げると、トーマはそのまま、彼の鼻をつまんでいた。


「自分がどんだけクセーか、分かってねえのか?だとしたら、どんだけお粗末な鼻してんだ、お前。あのな、至近距離で硝煙浴びたとしても、そこまで濃い臭いは付かねえんだよ。おら、隠してるもん、さっさと出せ」


 茶髪は逡巡したものの、やがてその催促に気圧されて、自らの背中側へと手を伸ばす。ベルトの間から取り出したのは、一丁の拳銃──ICSAの隊員が携行しているのと同じ物──だった。


「ドサクサに紛れてちょろまかしてきたんだろ。ったく。こんなもんパクって、何に使うつもりだったんだ?オレの事を後ろから狙うつもりだったりしてな」


 忌々しい物でも眺めるように、トーマが目を細める。その、直後の事だった。瞬き程の一瞬、目視が困難な速度で、トーマの腕が動く。瞬間、バツン、と聞き慣れない鈍い音が、茶髪の顔の辺りから響いた。


「──へ?」


 何が起きたのかを理解出来ず、茶髪が困惑の声を上げる。その目の前に、トーマは見せつけるようにして、右手を掲げた。──そこに握られているのが、先ほどまでつままれていた自身の鼻だと気付いた瞬間、喉から漏れる声は、悲鳴へと変わった。


「ホーレンソーって重要だと思うんだわ、オレ。報告、連絡、そう……そう……?もう一個何だったっけ?ま、いっか」


 顔の中心部に開いた穴を押さえながら、茶髪が苦悶の声を漏らす。それを傍目に眺めながら、トーマはもぎ取った鼻を放り捨てた。べちゃり、と粘着質な音を立ててそれが落下したのは、拘束された人達の、すぐ隣だった。同時に、それを見た幾人かが悲鳴を上げる。反応を見ると、トーマは面白そうに、喉の奥を鳴らした。


「しかし、鼻が無くなったら随分すっきりした顔になったんじゃねえの。ちょっと見せてみろよ」


 茶髪の腕を掴むと、トーマはその顔を無理やりに覗き込む。ドボドボと黒い血液を溢す、顔面の穴。しかしそれが塞がりつつある事を見ると、トーマは鼻を鳴らした。


「傷口の治りが早いな。つまり最近血を飲んだばっかり、っつー事だ。つまみ食いしたな?お前、今日の獲物は他の奴らに譲れよ?自重しろ、ジチョー」


「そ、んな……!だって、この人間達は俺らが……」


 茶髪が反論の言葉を吐こうとすると、トーマはその頭部を強引に掴んで黙らせた。


「あのさ、言わなかった?あの飛行場でのやり取りで、オレの戦力は三分の一程度に減らされちゃったわけ。それに生き残ってる連中も、大半が傷を治癒出来ないレベルにまで弱ってる。お前と違ってな。だから、お前らにエサを捕まえてくるように頼んだんだよ。負傷した連中を治すのと、エサとして血を吸った人間を、吸血鬼にして新しい『仲間』にするためにさぁ」


「トーマさん、そのくらいで……」


 見かねたらしいスキンヘッドが、制止の声をかけようとする。だがそれを、携帯電話のバイブ音が遮った。未だトーマの様子を気にする素振りを見せながらも、彼は渋々と通話に応じた。


「あとの二人から?捕まえたのか、現場を見た人間ってやつ」


 トーマはそれを振り返りながら、茶髪を突き放す。床へと転がる彼に、トーマは視線を向ける事さえしなかった。


「ええ。どうします?この場に連れて来させますか?」


「んー、そうだな……」


 迷うように視線を上げると、唐突にトーマは、拘束された人達の方へと足を向けた。


「いいんじゃねえの、連れて来れば。その分、血を吸える量が増えるんだし。あ、ちなみにそいつ、男?女?」


「……女だと、何か問題が?」


 恐る恐る、スキンヘッドが尋ねる。トーマは「いや、別に?」と答えながら、囚われの人達のすぐ横へと屈んでいた。そして、その中の一人、制服を着た女子高生へと手を伸ばすと、品定めでもするように、顎を掴んで顔を覗き込んだ。


「戦力にするなら、男の方が雑に扱いやすいからさ。ま、女なら女で、遊び相手にでもなってもらうわ」


 浮かべられた冷笑に、少女は目を見開いて顔を引きつらせる。それを愉快そうに笑った後で、トーマは立ち上がった。


「じゃ、『なるはや』で戻ってくるように言っとけ。あ、それと他の連中にも、集合かけといて。『メシ』の時間だって」


 スキンヘッドへと声をかけながら、トーマは適当な機材の上へと腰を下ろす。実に、自分達と数メートルの距離に存在する驚異に、『運び屋』は眉をひそめていた。だが、脱出のため様々な思索に顔をしかめている彼と対照的に、十条九は思考を放棄して、恐怖に表情を歪めているだけだった。


 もはや、自分にはどうする事も出来ない。早々に可能性の追求を諦めた十条九は、一刻も早くICSAの誰かが駆け付けてくれるのを、無様とも言える様相で祈っている。だが、現実はそれに反していた。度々聞こえる足音に顔を上げれば、それが救援ではなく、来訪した吸血鬼の仲間である事に、絶望する。それを、どれだけ繰り返しただろうか。気付けば周囲には、二十人近い吸血鬼がつどっていた。トーマの言葉通り、傷を負った者や餓えている者がほとんどらしく、終始ギラついた視線が、十条九達の方へと向けられていた。


「あとは、例の二人が来れば勢ぞろいか」


 先ほど茶髪から取り上げた拳銃を弄びながら、トーマが呟く。それと、シャッターの開く音が響くのは、ほとんど同時だった。


「遅くなってすみません!」


 ビシャビシャと濡れた足音を立てながら、二人の男が人を抱えて駆けてくる。雨の中を走ってきたらしく、彼らの体中から水滴がポタポタと垂れていた。それを目にした瞬間、十条九は絶望に俯く。完全に、時間切れだった。ついに、ICSAの隊員が駆け付けるよりも先に、トーマの配下と思しき吸血鬼達が、この場に集結してしまったのだ。


「おー。まあ、理由は他の二人から聞いてるからよ。ご苦労さん」


 ぞんざいな口調で労うトーマの前へと、男達は抱えていたものを放り投げる。グシャリ、と濡れた音を立てて床に転がったのは、三つの人影。それを見て、トーマは片眉を上げて見せた。


「お?目撃者ってこんなにいたのか?」


「いえ。見られたのはそこの女だけです。あとの二人は、まあ、ついでと言いますか」


 男の一人が、転がっている影の一つを指差す。薄暗い中で人相までは分からないが、どうやら中年くらいの女性らしい。


「ふーん。ま、エサが増える分には構わねえよ。むしろウェルカムだ」


 トーマは腰かけていた機材から下りると、足元に転がっている人影を覗き込む。怯えた表情でそれを眺めていた十条九は、しかしその瞬間妙な感覚を覚えて、体の震えを止めていた。


「――――え?」


 既視感、だろうか。今この瞬間目に映っているものが、記憶の中の何かに、符合しかけている。曖昧で、朧気ではあるが、それは十条九が感じている恐怖の感情を、一時的に押し退けるほどに強い感覚だった。


「……どうかしたか?」


 彼らに悟られないように、『運び屋』が小声で尋ねる。だが、十条九にはそれに応じる余裕もなかった。焦燥にも似た感覚にき立てられるように、彼は自身の記憶を呼び覚まそうと、闇の中を凝視する。


 直後、一際大きな雷鳴が、近くの空で鳴り響いた。薄ら白い光が、一瞬だけ倉庫の中を照らし出す。その、瞬間だった。目に映ったものを脳が理解するより先に、心臓を素手で握られたかのような寒気が、全身を貫く。



「母……さん?」




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