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「で、どうだった?そういう時って、やっぱり感動のあまり抱き合ったりするもんかね?」
からかうような口調で、『運び屋』は尋ねる。相変わらずアイマスクを着けたままの十条九は、車に揺られながら首を横に振った。
「いえ、他愛ない話をした程度ですよ。むしろ機嫌を損ねたか……」
朝陽とのやり取りを回想し、十条九はマスクの下で眉をひそめる。今でも朝陽の、何かを悟ったような、諦めたような空笑いが、脳裏に残っていた。「このままではいけない」などと偉そうな事を言っておきながら、その実何の解決策も持っていなかった自身の無力さに、無責任さに、十条九は歯痒いような気持ちで、拳を握っていた。
「それはそれは」
ハンドルを回しながら、『運び屋』は苦笑する。
「妹、いくつなんだっけ?」
「15です。今年で16」
「誕生日はまだなのか。じゃあ、今年の誕生日は手作りケーキを贈るしかないな」
オペレーターの一件のことを持ち出しながら、彼は朗らかに笑った。それを聞いて、十条九はアイマスクの下の顔をしかめる。例の件の最大にして唯一の協力者である『運び屋』に対しては、本当に頭が上がらないのだ。
「けど、あいつ俺が作ったもの喜んで食べないんで。いっつも味が濃いだの風味が良くないだのって文句言って……」
不服そうに口をへの字にしながら、十条九はそう告げる。『運び屋』がそれに苦笑していたその時、不意に車内に電子音が鳴り響いた。
「おっと、連絡が入った」
言いながら、彼はカーラジオの辺りを何やら操作する。それで会話が途切れると、十条九は背凭れに頭を預けた。
「はい、こちら『運び屋』さん。ご用件は?」
『オペレーターです。今、よろしいですか?』
今では聞き慣れた少女の声が、十条九の耳にも聞こえてきた。
「ああ、平気だぞ。今ちょうど、愛しのお兄さんを送り届けてるところだ」
『……その言い方はどうかと思います。その道中で大変申し訳ないのですが、一つ依頼してもよろしいでしょうか?』
「おう」
一瞬オペレーターが動揺したことに、『運び屋』はニヤニヤと笑う。彼女は一度咳払いして仕切り直すと、改めて言葉を続けた。
『実は……お兄さんに、お話ししたいことが』
「……俺に?」
自分に話が振られる事を予想しておらず、十条九は意外そうに声を上げた。
『はい。お兄さんにとっては、その……』
スピーカーから聞こえてくる言葉は、どこか歯切れが悪い。言うべきかどうかを迷うような、そんな声色だった。元々感情を表に出さない彼女だからこそ、それが真剣な話だということは、想像に難くない。
「ユノ、俺なら大丈夫だ。気を遣ってくれて、ありがとう。……話してくれ」
十条九がなるべく平静な声で応じると、オペレーターは逡巡した後で話し出した。
『では……先日、お兄さんの学校が襲撃を受けたことからも、我々は十条朝陽さんの関係者が狙われることを考慮し、彼女の関係者の保護を試みていました。しかし彼女の叔父、叔母に関しては、件の飛行機事故以来、行方不明でした』
「……つまり、そういうことか」
話の流れから、十条九は呟く。彼自身、あの飛行機事故の後に幾度となく連絡を試みたが、結局何の音沙汰もないまま、学校の襲撃を迎えた。その時点で、薄々感付いていた事ではあったのだ。
『はい。数日前、身元不明の遺体が二体、隣県の湾岸で発見されました。DNA鑑定の結果、二人に間違いないそうです。詳細は不明ですが、我々は吸血鬼による一件だと見ています。二人を何かに利用しようとした結果、手違いで殺してしまったのではないかと』
その言葉に、十条九は俯く。いくら不仲だった叔父夫婦とはいえ、何も感じないわけではない。曲りなりにも、形式の上であっても、彼らは十条九の、そして朝陽の日常の一部だったのだ。また一つ、自身を構成していたものが剥がれ落ちる感覚に、十条九は胸へと爪を立てていた。そしてその一方で、喪失感に慣れつつある自分に気付き、十条九は顔を上げられずにいた。
『そして、ここからが本題になります』
「本題?」
それが話の主だった部分だと思っていただけに、十条九は聞き返す。
『はい。先ほど、十条朝陽さんの関係者を保護しているという旨を伝えたかと思いますが、その達成率は高くありません。というのも、今回の事件と同様の被害に遭っている関係者が、異様に多いためです。被害の増加を恐れたICSAは、保護対象をさらに拡大。次点で狙われる可能性の高い人物として、お兄さんの近親者もその候補に含められました』
聞いたきり、十条九は言葉を失った。その様子に気付いたらしく、『運び屋』がわずかに眉をひそめる。
「横から口を挟んで悪いんだけどよ、こいつは確か、天涯孤独だったんじゃないのか?近親者っていうのは、どういう意味だ?」
『いえ。一名、該当者がいます』
一瞬、車内に沈黙が訪れる。それからオペレーターは、躊躇いがちに言葉を続けた。
『お兄さんの、産みの母親です』
「……つまり、血が繋がってる方の母親ってわけか」
『運び屋』は、ようやく事情が飲み込めたというように、頷いた。一連の会話に、十条九は静かにため息を吐く。それから彼が「もう、保護はされてるのか?」と静かに尋ねると、オペレーターが少し口ごもる。
『それが……ちょうど先ほど、調査班の隊員が保護に向かったとのことです。もし、このまま彼女が保護されれば、彼女はICSAの所有する施設に滞在する事になるでしょう。しかしそうなれば、朝陽さんと同様、容易に面会する事は出来なくなるかもしれません。つまり……』
「母親と会う確実なチャンスは、今を置いて他にない、ってわけか」
バックミラー越しに後ろを見ながら、『運び屋』が呟く。
『お節介だというのも、あまりに急な事だというのも、分かっています。ですが……お兄さんが望むなら、今から会うことは出来ます。場所は、現在地からそう遠くはありません』
その言葉に、十条九は何も返答出来ずにいた。下を向いた彼は、思考をまとめられないまま、沈黙を保っている。無論、オペレーターの提案が、ありがたくないはずはない。しかし、ここに至るまでの歳月が、経緯が、それを容易に受け入れられない溝として憚っていた。
『あ……すみません、緊急連絡が入りました。少々お待ちを』
オペレーターが一旦通信を切ったらしく、車内は一時の静寂に包まれる。
「緊急連絡か……また吸血鬼がらみの事件じゃないといいんだが」
『運び屋』が小さく呟いた後、程なくして窓ガラスに何かがポツポツと当たる音が聞こえてくる。どうやら、雨が降り出したようだ。
「……なあ、これも余計なお世話かもしれないけどよ……案ずるより産むが易しだ。思うところが多いのは分かるが、後になればなるほど、会いづらくなるもんだぞ?」
雨の音に混じって、『運び屋』はハンドルを切りながら声をかける。
「月並みだけど、いざ会おうと思った時には遅かったりするからな」
最初は小さかった雨の音も、しばらくしてザアザアという本降りに変わっていく。十条九は、変わらずに俯いたままだった。七年も連絡がつかなかった母に、会って何を話せばいいのか、相手にどんな顔をされるのか、分からなかったのだ。互いに傷付くだけならば、会わないという選択肢も充分に有り得る。しかし十条九にとって、彼女は最後の血縁者であり、十条九が天涯孤独であるという事実を否定出来る、唯一の存在だ。たとえ七年越しだとしても、自分のことを受け入れてくれるのではないかと期待してしまう反面で、拒絶されれば、永遠に解けない呪いに呑まれてしまいそうな予感があった。
「まあ、最終的に決めるのはお前だ。……後悔しないようにな」
低く、小さな声で、『運び屋』が呟く。雨音に紛れて聞こえたその声に、十条九は何かを答えかけ、口を開いた。だが、それを遮るように、再び電子音が反響する。
「おう、どうしたオペレーター、何か……」
『――今すぐ、ルートを変更してください!』
オペレーターの切迫した声が、車内に響く。それと同時に、車内の空気が一変した。
「何!?どういうことだ!?」
『付近で、吸血鬼による殺傷事件が発生!現在、隊員の一人が交戦中!このままだと、巻き込まれます!』
「はぁ!?何だって急に……!けど別に、騒ぎが起きてる様子なんかないぞ!?道だって……」
『運び屋』が慌ててハンドルを切るのを、十条九は車の挙動で察する。彼が運転に気を取られている間に、十条九は少しだけアイマスクをずらして外の様子を伺っていた。組織の機密性故か、二人を乗せた車両は、交通量の少ない岸沿いを走っている。
彼の目が曇天を捉えた、その時だった。
『──ッ、上です‼』
響く、オペレーターの喚声。それと同時に、車内にいた二人は目撃した。フロントガラスの向こう側、車両の左手にあった岩肌を転がり、一つの人影がこちらを目掛けて落下してきていたのだ。
「────」
声を上げる間もなく、『運び屋』がハンドルを切る。車体を大きく傾かせながら、タイヤが甲高い音を上げる。果たして車両が人影を避ける事が出来たのか、十条九には分からない。しかし、スローモーションのように流れる一連の光景、その中で十条九は、確かに車体が傾いている事を、感じ取っていた。
「何でもいい、掴まれッ!」
カーブを曲がり切れなかった車体がガードレールを突き破り、その向こうへと横転する。『運び屋』が怒号を張り上げるが、狂った平衡感覚ではまともに動く事は出来ず、十条九の体は暴力的な衝撃を受け入れる他ない。転がる車体、その中で大きく真横へと揺さぶられた十条九は、その頭部を強かに、窓ガラスへと打ち付けていた。
鈍器で頭を殴られたような重い音が、鼓膜の奥に直接響く。視界で赤い光がチカチカと点滅し、意識が急速に落下する。もはや、悲鳴を上げるだけの余裕すら存在しなかった。
『何────今──……さん!?お兄さん!?』
朦朧とした頭の中、オペレーターの叫ぶ声だけが、微かに聞こえる。それをかろうじて認識した後で、十条九は意識を手放した。




