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孤ノ影闘記 / Anti-Nexus  作者: 鰓鰐
第4章 禍殃―Childhood’s End―
42/58

〈4〉

 

 ―4―



『はい、検査終了。出てきていいよ』


 カガリの声が、部屋に取り付けられていたスピーカーから聞こえてくる。巨大なリング状の機械を頭上に、MRI室のベッドに横たわっていた朝陽は、それを聞いて体を起こした。腰の上で結ぶだけの簡単なつくりの検査服を揺らしながら、彼女はベッドを下りて、部屋を出る。扉を出た先、すぐ隣にある部屋へ足を踏み入れると、並べられた機材の隅の方で、パソコンのモニターを覗き込んでいるカガリに、歩み寄った。


「どうですか?」


「これといって異常なし。いたって健康そのもの」


 答えながら、カガリは細い指でキーを叩き、パソコンに情報を打ち込んでいく。起床から時間が経って幾分調子がよくなってきたのか、その仕事っぷりは朝と別人のようだった。そんな彼女の様子を不思議に眺めていると、不意に部屋のドアがノックされ、研究員の男性が顔を覗かせる。


「血液検査の結果が出たから、届けに来たぞ」


 手にした書類をヒラヒラと揺らしながら、男性は二人の方へと歩み寄る。「メールで送ればいいものを」と文句を言うような口調で呟きながらも、カガリはそれを受け取った。


「固いこと言うなよ。なぁ?」


 男性が、朝陽に向かって同意を求める。彼女は曖昧に笑いながら頷いた。


「分かったから、さっさと行け。朝陽ちゃんが着替えられない」


「ほう……そいつは聞き捨てならねぇな!それならもう少しここにステイして……」


 男性が冗談っぽくいいながら、親指を立てる。朝陽が苦笑を浮かべる一方で、カガリは無言のまま立ち上がり、近くにあった棚をごそごそと物色し始めた。


「確かこの辺に、器具消毒用のホルムアルデヒドがあったはずなんだが……ちょうどいい、キミにプレゼントしてやるから口を開けろ。ほら、グイッと」


「なんでそんなもん置いてんだよ!?劇物じゃねえか!」


 男性はギョッとした表情で、後ずさる。それを見た後で、カガリはやれやれと肩をすくめた。


「……冗談だ」


 若干間があったな、と朝陽は内心で呟く。蔑むように目を細めるカガリの様子を見ていると、その言葉が疑わしく感じられた。


「お前が言うと冗談に聞こえん。ていうか、真顔で言うな真顔で」


 疲れたような顔をしながら、男性はため息を吐き出す。カガリはそんな彼に向って、虫でも払うような仕草をした。


「まあ、早く出て行ってほしい事に代わりはない。デリカシーのない奴は嫌われるぞ」


「デリカシーねぇ。お前にだけは言われたくないよなぁ……はいはい、分かりましたよ!分かったからそのボトルから手を離せ!」


 どこか不服そうに言いながら、男はしぶしぶと踵を返す。去り際に朝陽の方を振り返り、彼はヒラヒラと手を振って、部屋を出て行く。朝陽が手を振り返して応じるのを見てから、カガリは書類に目を落とした。


「……どうですか?」


 カガリが書類を睨む傍らで、朝陽は手早く検査服を脱ぐ。部屋の片隅、二つだけ並んでいる古びたロッカーに歩み寄ると、彼女は自らの衣服へと着替えながら尋ねた。


「こちらも異常なし。金属値もゼロか……」


 カガリは顎に手を当てながら、考え込むように口にした。聞きなれない単語に、朝陽は首を傾げる。


「金属値?」


「うん……って、説明したことなかったっけ?」


 朝陽が頷くのを見ると、カガリは書類を朝陽に見せる。そこに羅列されていたのは、RBC、PLTといった検査項目だった。無論、何かの略語のようなアルファベット群を見ただけでは、朝陽にはそれが理解出来ない。彼女が難しそうな顔をしていると、カガリはそれらが赤血球数や血小板を表すものだと説明した。


「で、問題なのがこれ」


 カガリの細長い指が、リストの一番下にある一つの項目を示す。


「BSM……?」


「そう。これは本来、人間の血液には含まれていないもの。と言えば、分かる?」


「……吸血鬼の、ってことですか?」


 朝陽が恐る恐る尋ねると、カガリは小さく頷いた。


「朝陽ちゃん、吸血鬼の血の色を知ってる?」


「黒……ですよね。それが何か、関係あるんですか?」


「まあね。じゃあ、私たちの血は赤いわけだけど、それがどうしてかは分かる?」


 そう尋ねられ、朝陽は逡巡する。あまりこの手の話題には詳しくないのだが、彼女は一通り思考を巡らせた。


「えっと、赤血球の色が赤いから……?」


「うん。まあ厳密には、その赤血球の中のヘモグロビンの色なんだけど、それは置いとこう。じゃあ、エビとかタコの血の色は知ってる?」


「……えっと……」


 立て続けの質問に、朝陽は思案に暮れる。すぐに答えが返ってこないと分かると、彼女に向かってカガリは一言、「青だよ」と答えた。


「甲殻類とか軟体動物の血は青い。これが何でか、って説明をするね」


 そう言うと、彼女はキーボードを叩きだす。程なくして、デスクの上のモニターに、二つの画像が表示された。片方はビンに入れられた血液、もう一方は青い液体だった。


「こっちが人の血で、こっちがカブトガニの血。で、どうして色が違うのかってことだけど……」


 もう一度彼女がキーを押すと、それぞれの血液の下に、錆びた鉄と銅の画像が現れる。それを見た朝陽は、思わず口を開いた。


「あ、ひょっとして、金属の色?」


「察しがいいね。見て分かるとおり、錆びた鉄は赤っぽくなるし、銅は青くなる。錆びる、つまり酸素と結合すること。人の血液の中で、ヘモグロビンがやっていることと同じわけ」


 そう説明を受けて、朝陽は納得したように頷く。


「じゃあ、人の血液には鉄が入ってるから赤くて、カブトガニのには銅が入ってるから青い……ってことですか?」


「厳密には……まあいいや、とりあえずその解釈で間違ってはない。で、ここで吸血鬼の話に戻るわけだけど」


 カガリがもう一度キーボードを叩くと、並んだ画像の下にもう一枚、また別な液体の画像が現れる。試験管に入ったその液体は、タールのような黒色をしていた。


「これが、吸血鬼の血液。朝陽ちゃんならもう分かっていると思うけど、この血液に入っているのは鉄でも銅でもない」


「それが……このBSMなんですか?」


 朝陽が書類に視線をやりながら聞くと、カガリはその様子を見て頷く。


「そう。Blood-Sucking Metal、吸血金属ってところね。通称BSMと呼ばれるこの金属は、酸素と結び付くと黒い色になる。そしてこれこそが、吸血鬼を吸血鬼たらしめているものなの」


 カガリはモニターに手で触れると、黒い血液の部分を細い指でなぞった。


「この金属には、細胞の再生を助ける働きがある。つまり、吸血鬼たちは怪我をしてもたちどころに治ってしまう。切った部位がそのまま再生するわけだし、遺伝子情報にまで介入している可能性もあるね」


 カガリがそう説明する最中さなか、朝陽の脳裏を過っていたのは、『女王』との邂逅だった。ものの数十秒で傷口を塞いで見せた彼女は、本来なら喪失した腕すらも治ると、そう言っていたはずだ。トーマという金髪の吸血鬼が、『女王』の右腕を強引な方法で移植出来たのも、関係があるのかもしれない。


「それだけじゃない。吸血鬼はこの金属のおかげで、人間よりも遥かに優れた身体能力を持っているの。朝陽ちゃんくらいの歳の吸血鬼でも、人間の成人男性の5倍程度の運動能力はある」


 実際に間近でそれを目の当たりにした経験から、朝陽は納得したように頷く。


「……聞けば聞くほど、利点ばかりに聞こえますけど」


 だがカガリはそれを聞くと、顔をしかめながら首を横に振った。


「この金属は、人の血液を吸収しないと働かないの。それどころか、酸素の運搬や免疫活動の阻害すらおこなう。つまり、吸血鬼は血を飲まないと死んでしまうの。だから彼らは、人を襲って血を飲む」


 朝陽は困惑したまま、言葉を失っていた。『女王』と言葉を交わしたあの時は、それこそ周囲の状態から感覚が麻痺して気付けなかった現実が、彼女に押し付けられる。カガリはそれに気づく様子はなく、視線は画面に向けられたままだった。


「そして血を吸われた人間は、傷口から吸血鬼の体液と一緒にBSMが入り込んでしまう。混入したBSMは、人間が失ってしまった血液を補おうと作用する。そして、BSMにより黒い血液が生成され、細胞単位で体が作りかえられ、被害者も吸血鬼になるっていう仕組み。負のスパイラルってやつね」


 そこまで言って、彼女は肩をすくめた。やるせないような、何かを諦めたようなその表情は、まるで彼女がその光景を、何度も見た事があるのではないかと、そう感じさせるものだった。


「……何か、代わりの方法はないんですか?血を吸う代わりになる何かとか……血を飲むにしても、人を襲わなくていい方法とか……」


 すがるような気分で、朝陽は尋ねる。だがカガリは「残念ながら」と、首を横に振った。


「たまに、輸血用の血液なんかで飢えを凌いでいる吸血鬼がいるって話も聞くけど、そんなの病院関係者とか、できる奴に限りがある。裏で血液の闇取引をされてる事もあるけど、高額だし。第一それだってバレるリスクがあるわけでしょ?普通の吸血鬼には、人を襲うのが一番手っ取り早い方法。……基本的に、人間の社会は吸血鬼が生きやすいようには、出来てないから」


 取り付く島もない言葉を、カガリはため息がちに告げる。


「彼らの餓えは、人間とは比較にならない程のもの。私たちがダイエットのために1、2食抜くのとは、わけが違う。もう、理性が飛ぶとか、そういう話らしいの。極限まで餓えた状態、っていうのを私は経験した事がないから、あくまで数値の上での話しか出来ないんだけどさ……」


 一瞬眉をひそめた後で、彼女は続けた。


「飢餓に襲われている吸血鬼は、人間だったらとっくに死んでるレベルの苦痛に、常時曝されてるんだよ」


 その言葉を最後に、カガリは口を閉ざす。訪れる沈黙、そんな中パソコンのファンの音だけが、部屋に低く響いていた。朝陽は、絶句する。幼少期、虐待の末に死ぬ寸前の飢餓を経験した彼女だからこそ、その壮絶さを理解出来てしまったのだ。だが同時に、自身の経験した、幻覚を見る程の空腹が、喉を掻き毟る程の餓えが、比較対象にすらならない事に、彼女は戦慄していた。「あれ」以上の餓えに耐えられる生物が──「あれ」以上の餓えに曝されて尚、死ぬ事の許されない生物が存在しているというのなら、それはもはや、狂気の域に達するだろう。


「……一度、実際の吸血鬼から話を聞いた事はあるけどね。人を襲うのが嫌で、何週間も餓えに耐えていたんだけど、気が付いたら死んだ息子が目の前に倒れていて、口の中が甘い血の味でいっぱいになってた、ってさ。その人……いや、その吸血鬼、捕縛された後に何て言ったと思う?『ああ、こんな事になる前に、赤の他人を襲っておくべきだった』、だってさ」


 どこか遠いところに思いを馳せるように、カガリは顔を上げながら口にする。対照的に、朝陽は暗い表情でそれを聞きながら、俯いていた。カガリは、横目でその様子をチラリと盗み見る。


「……けど、まだ分からないこともある。今までの朝陽ちゃんの血液検査の、BSMの値を見て」


 そう言って、彼女はパソコンの横に立てかけられていたファイルから、数枚の書類を差し出す。いずれの血液検査の結果にも、BSMは0と表示されていた。


「朝陽ちゃんはあの事故の時の怪我が異常なスピードで治癒している。回復スピードと状況から考えて、『女王』の血液が傷口から混入したんだと思うけど……でもここ一ヶ月の間、朝陽ちゃんのBSM値はずっとゼロのままだった」


 朝陽はその言葉に、女王とのやり取りを思い出す。彼女が傷口に触れた機会といえば、朝陽の額の傷に口づけをされたことぐらいだろう。あの時『おまじない』と称して、彼女が自身の血液を混入させたという事だろうか。だとすれば彼女はあの場で、朝陽を二度も救ってくれていた事になる。


「…………」


 朝陽は、無意識に自分の額の部分に手をやる。あの時は、傷跡が残らないか心配していたはずだったのに、今は何故か、そこに何の痕跡もない事に、感傷のようなものを感じていた。


「体内に入ったBSMが、朝陽ちゃんの傷を治癒した後に自然に消滅したことになる。もし、もしもの話だけど……」


 カガリは何かを考えるように俯くと、自らの顎に手を当てる。目を細め、研究者としての顔をしたまま、彼女は続けた。


「この作用が、他の人にも利用できるのだとすれば……私たちが、BSMに体を侵されずにこの血液を利用する方法があるのだとすれば、それはもはや──」


 核心へと触れる言葉に、朝陽が目を見開く。だが、カガリの言葉は唐突に、一つの爆音に遮られた。突然の事に、二人が音の方へと振り返ると、乱暴に開かれた扉と、メガネをかけた中年くらいの男性が、妙な決めポーズとともに立っているのが、視界に入った。


「フフン、何やら興味深い話をしているようだな!いいだろう、我が智慧を以て、興を添えてやろうではないか!」


 やけに大きな声でそう言うと、男性は部屋にズカズカと入ってくる。あまりの情報過多に、逆に「この人ヤバい」以外の感想を抱けない朝陽が、戸惑いながらカガリの方へ目を向ける。カガリはパソコン用のデスクに肘をつきながら、呆れた表情でこめかみを押さえていた。


「何で開発部門のあんたがここにいるの?」


「フッフッフ!よくぞ聞いた我が同士、カガリーンよ!それは我が眷属に導かれたがゆえ!魔界へと続く門開かれし時、我は眷属と……」


 身を反らし、左目に掌を翳した謎のポーズで、高らかに声を上げる。一方でカガリは席を立つと、近くの棚から何かボトルのような物を取り出していた。中には、朝陽にはよく分からない、何かの粉末が入っている。


「おい、厨二病。次まじめに答えなかったら、こいつをおみまいするぞ」


「ア、アジ化ナトリウム……だと!?バカな、これが世界の選択だとでも言うのかッ……!?」


 よく分からないが、男はうろたえながら大人しくなった。


「あの、カガリさん、この人は……?」


「ああ、ただの厨二病こじらせた奴。ついでに科学者」


「ついでに!?科学者の方が本業なんだが!?」


 食って掛かる男性を視線で黙らせながら、カガリは手の中のボトルをデスクの上に置く。そのついでに、彼女は自らの腰もデスクへと預けた。


「で、改めて聞くけど、何しに来たの?」


「ああ、満を持して例のシステムの試作機が完成してな。それをこちらへと渡しに来たのだ。基本システムの構築は上々。前回の課題であった安定性も、格段に増している。いよいよ、動作テストと安全面の確認をする段階となった。本日は局長も交えて、その試験運用をすることになっている。まさか、知らないとは言うまいな?」


「ああ、その話か……って、ちょっと待て。それは、私に会いに来た理由にはなってないだろ」


「フハハ!水臭い事を言うでない、カガリーン!わざわざここまで立ち寄ったのだ、旧交を温めるのは、自然な流れだろう!」


「どうしよう、割とマジでウザいなコイツ」


 そこまで表情が豊かではないはずのカガリが、イライラと眉をひくつかせている。その手がアジ化ナトリウムのボトルに何度か伸びようとしているのを、朝陽はハラハラとした面持ちで眺めていた。


「……しかし、安全面、か……」


 カガリはモニターに目をやると、ため息を吐き出す。画面には、相変わらず吸血鬼の血液の画像が映っていた。


「おいおい頼むぞ。ここからは汝らの領域だろう?」


 言いながら、男性はカガリの肩に手を置く。それを鬱陶しそうに片手で払うと、カガリは振り返って答えた。


「だからこそ、だよ。そもそもが、Xenoゼノは今から二年以上も前に考案されたシステム。……いや、きっと、考えるだけだったら、それより前の科学者だって、似たようなものを考案した人はいたはず。それが今日まで実装に至っていない理由が、あんたにだって分からないわけじゃないでしょ?あの装置は、ヘタすりゃ人死を出すものだって」


 科学者としての顔で、カガリは問い詰めるように口にする。目はきつく細められ、いつにないピリピリとした空気が、彼女から発せられていた。漂う緊張感に、朝陽は身が委縮するような感覚を覚える。これまで一ヶ月程カガリと過ごす中で、ここまで刺々しい空気を纏う彼女を見るのは、初めての経験だった。だがそんな中、男性は小さく口角を上げる。


「ああ、もちろんだ。だがな、それ以上に、我は汝らの技術力を知っている。隊員達を生かす為に、どれだけの心血を注いできたかを知っている。案ずるな、理論の上では申し分ない。我が太鼓判を押すのだぞ?この、【混沌を敷く者カオス・エンド・ルーラー】たる我がな!」


 再び演劇のような口調で叫びながら、男性は奇妙なポーズをとる。カガリは舌打ちをした後で、厄介そうに彼を押し退けた。


「人の耳元で騒ぐな。まったく、調子の狂う……」


 ガシガシと頭を掻きながら、カガリは毒気を抜かれたようにため息を吐き出す。いつの間にか、張り詰めていた空気は霧散していた。存外、ふざけているように見えて、カガリの心の機微を察して対処するあたり、抜け目のない男なのかもしれない。


「大丈夫、光明は見えてるから。少し、八神先生達にも協力してもらうかもしれないけど」


「……ふむ?よく分からんが、それならいい。流石は我が同士、カガリーン!」


 カガリの肩を叩こうと(或いは肩に手を回そうとしたのか)、彼は大きく腕をスイングする。だがカガリはそれを予見していたようにかわすと、ついでに向こう脛につま先を叩き込んでいた。


「おごぁあ!?ば、馬鹿な!?脛……かの英雄、弁慶さえ泣き叫ぶという急所を、的確に……!!」


「調子乗んなっての」


 やれやれと首を振りながら、カガリは何事もなかったかのように席に着き、キーボードを叩いて業務に戻り始める。その傍らで、男性は未だに立ち上がれず呻いていた。


「くっ……三年前の闘いで負った古傷が……!このままでは我の魔力が暴走しかねん!ぐっ、鎮まれ……!」


「別にいつもの事だから気にしないでいいよ、朝陽ちゃん」


 不安そうに(というよりは対処の仕方が分からずに)その様子を眺めていた朝陽に、カガリはぞんざいな口調で言葉をかける。一方で、何故だか負傷したのとは全く関係のない右肩を押さえながら、男性はよろよろと立ち上がった。


「ああ、その通りだ少女よ。この程度の試練、我は何度となく乗り越えてきたのだ!今更苦行とも思わん!」


 よく分からないが、男性は元気になった。


「……ところで!」


 突如、男性はメガネのブリッジを人差し指でクイッと上げると、朝陽の方に視線を向ける。メガネの奥の目が、好奇心で輝いているのを見て、朝陽は知らぬ内に、気圧けおされて一歩後退していた。


「この子が例の?」


「……ああ、そうだよ」


 観念したように、カガリが答える。その瞬間、彼の眼鏡がキラリと輝いた。


「ほう!ほうほう!」


 男は、朝陽のことを頭の上から足先まで舐め回すように眺めている。思わず身構えてしまっている朝陽を見て、カガリは舌打ちした。


「おい、やめろ。朝陽ちゃんが怯えてるでしょうが」


「む、これは失敬。しかしこれは、科学者としても厨二病患者としても興味が惹かれるではないか!」


 男は、興奮したように何度もメガネをクイクイと動かす。というより、厨二病だということには自覚があったらしい。


「人の身でありながら、吸血鬼の大ボスと同じ能力が使える少女!その魔眼は、果たして我らを救い得るのか!?」


 劇のように体を大げさに動かしながら、彼は高らかに言った。カガリが、煩わしそうにその様子を睨む。


「おまけに、血の繋がらない義兄までいるという!くーっ、何たる設定過多!ここまで設定が整っていると、ラノベが一本書けそうじゃないか!というか書いていい?題材にして書いてもいい?今度こそ新人賞狙えそうなんだが」


「半分以上ルビが必要な単語で埋め尽くされたあんたの文章じゃ無理だから。……って、そうか」


 ひたすら楽しそうな妄想に耽る男性の言葉に、カガリはふと何か気付いたように顔を上げて、朝陽へと目配せする。


「そういや朝陽ちゃん、今日お兄さんが来るんじゃなかったっけ?」


「ああ、はい、そうですけど……でも、いつ頃こっちに来るとか、聞いてないんですよね」


 朝陽は、曖昧に笑いながら応じる。彼女の言葉を聞くと、男性は顎に手を当て、何やら考えこむような表情をした。


「はて。そういえば、先ほど見かけない少年を見たような。確か、食堂で……」


「ひょっとして、その人黒髪のミディアムショートで、身長が170くらいで、死んで腐った魚みたいな目をしてて、若干猫背っぽくて、いかにもボッチっぽい雰囲気じゃありませんでしたか?」


 何気ない口調で、しかし悪辣な言葉で、朝陽が尋ねる。別段朝陽本人にも悪気などなく、単に事実を確認する程度の心づもりで言葉を選んでいる辺り、余計に救いようがない。思わず、カガリが小さく「ひどい言われようだな」と呟くほどだった。


「ああ、まさしくそんな感じの少年だったぞ」


「それ、うちの兄です」


「今の説明で通じちゃうのかよ……」


 哀れむように言いながら、カガリはパソコンの電源を落とす。


「もう検査は終わったし、会いに行っていいよ。いつまでもここにいると、こいつがしつこいし」


「ずいぶんな言いようだな。これでも、一応仕事の話をするつもりできたんだが?」


「一応って何だ、一応って」


 カガリは面倒くさそうに言うと、頭をボリボリと掻きながら朝陽に視線を向ける。


「まあ、そんなわけで今日の検査はおしまい。私は仕事があるから、朝陽ちゃんはもう行っていいよ」


「あ、はい。じゃあ、お先に失礼します」


 そう言うと、朝陽は二人に向かって丁寧に頭を下げる。彼女がそのまま部屋から出て行く様子を見てから、カガリはため息を吐く。


「む?どうかしたか?」


「いや。あの子も不遇だなって思って。まだあんな歳なのに、ひどい目に遭って、挙句にはこんな施設に閉じ込められて」


 そんな風に呟くカガリの様子に、男は珍しいものでも見るようにメガネを上げた。


「ずいぶん殊勝なことを言うな?情が移ったか……いやはや、カガリーンにそんなものがあるとは意外や意外」


「私だって何も感じないわけじゃないよ。ただ、さ……」


 そう口にしながら、彼女は手元にあった書類を目の高さまで持ち上げる。


「これからのあの子のことを考えると、どうにも……ね」


 どこか寂しそうな声で、カガリは小さく呟いた。




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