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孤ノ影闘記 / Anti-Nexus  作者: 鰓鰐
第3.5章 食卓―Daily Scene―
39/58

〈4〉

 

 ―4―



 ズガン、と大きな音を響かせて、乱暴にドアが開かれる。まるで強盗か何かが侵入してきたかのような物音に、夕食後の食器を洗っていた十条九は、泡の付いたスポンジを持ったままで固まった。


「なあ、ハサミ貸してくんない?この燻製イカの袋がな、なかなか開かなくてさぁ」


 そう言って十条九の前に顔を突き出してきたのは、このマンションの管理人である人物、御堂廿樂みどう つづらだった。小脇に抱えた乾き物の袋を指しながら、彼女はハサミを催促している。一体どういう経緯でこの部屋を訪れる事にしたのか、それ以前にどうやって玄関の鍵を開けたのか疑問は尽きなかったが、呆気に取られた十条九は、無言のままキッチンバサミを差し出していた。


「おお、サンキュ。いやぁ、部屋ん中探しても見つかんなくてさ、ハサミ。面倒になって、借りに来たんだよ」


「だから部屋の掃除を……むぐっ」


 言いかけた十条九の口を、廿樂はイカを突っ込んで塞ぐ。急に押し込まれたそれを慌ててモゴモゴと咀嚼している様を、廿樂はケタケタと笑っていた。


「ところでさ」


 ふと、廿樂が親指で何かを指し示す。それが、浴室から聞こえてくる鼻歌を意味している事を理解すると、十条九は黙って頷いた。


「あいつが風呂好きなのは知ってるけど、鼻歌ねぇ。随分機嫌良さそうじゃんか。何か良い事でもあったのか?」


「さあ、どうですかね」


 素知らぬ顔で答えつつ、十条九は再び洗い物に戻る。ぞんざいなその態度が気に食わず、廿樂がもう二、三イカを突っ込んでやろうかと画策していた、その時だった。


「わ!わぷ!?わわわ!?」


 唐突に、奇妙な悲鳴が浴室へと響き渡る。十条九と廿樂は顔を見合わせると、すぐさま現場へと駆け付けた。


「ユノ、どうした!?いいか、開けるぞ……って、おわっ!?」


 十条九がドアを叩いて声をかける傍ら、廿樂は問答無用で、蹴破るような勢いでドアを開け放つ。その、瞬間だった。開かれたドアの間から、突如として大量の泡が溢れてきたのだ。あまりに急な事態に対処出来ず、十条九と廿樂はそれに飲み込まれる。廊下まで浸食する程に大量の泡の中から、二人はどうにか顔を出した。


「ぺっ、ぺっ!口に入った!何の泡だ、こりゃ」


「ちょっ、こっちに飛ばさないでくださいよ!汚い!」


「ああん!?汚いとはなんだこの野郎」


 十条九の頭をむんずと掴むと、廿樂それをそのまま泡の中へと突っ込む。呼吸が出来ず、十条九がじたばたともがく中、バスタオルを身に付けたオペレーターが、浴室から不安げな顔を覗かせた。


「す、すみません!入浴剤を入れた瞬間に、大量の泡が溢れてきて……」


「入浴剤ぃ?」


 オペレーターが差し出したボトルを受け取ると、廿樂はそれをしげしげと眺める。「もしかして、入浴剤とボディーソープを間違えたでしょうか」とオペレーターが尋ねる中、廿樂は首を横に振った。


「いや、そうじゃねぇ。これはな、『泡入浴剤』ってやつだ」


「泡入浴剤……?」


「元々、こういう風に泡が出る入浴剤なんだよ。まあ、風呂の大きさに対して入れすぎだけどな」


 オペレーターが首を傾げる中、廿樂はそう解説する。その傍ら、頭まで泡まみれになった十条九が、顔を出した。


「きっと、『運び屋』さんが他の入浴剤と一緒に持って来たんでしょうね。或いは、そういう悪戯だったのか……ともかく、早く片付けましょう。床が傷みますから……」


 十条九はそう言いつつ、泡を抜け出て、掃除用具を取りに向かおうとする。だがその瞬間、廿樂の瞳が怪しく光った。


「おいおい、カタイ事言ってんなよ優等生。おら!」


「ぶっ!?」


 十条九の顔面へ向かって、廿樂は掬い取った泡の塊を叩きつける。それを拭い取り、廿樂の事を睨み付けると、彼女は何食わぬ顔で言った。


「せっかくここまで豪快にぶちまけてんだ、掃除なんて後でもいいって。少し遊ぶのも、乙なんじゃねぇの?」


 泡まみれの十条九を笑いつつ、廿樂は指を曲げて挑発する。その瞬間、十条九の額の血管がプチンと音を立てた。


「……上等ですよ。こちとら、ツヅラさんに対する恨み辛みは溜まってますからね!」


 その先は、泥沼ならぬ泡沼だった。いい歳をした二人が、年甲斐もなく全力で泡を掛け合い始める。そんな光景を、オペレーターはポカンと眺めていた。


「おい、何見てんだよ。お前も混ざれ!ほら!」


 ふと、傍観する彼女に向かって、廿樂は泡を投げ付ける。それで怯んだオペレーターの腕を掴むと、廿樂は彼女をグイッと泡の中に引きずり込んだ。


「きゃっ!?ちょっと……もう、どうなっても知りませんからね!」


 あまりの猛攻を受け、オペレーターは抵抗するように、負けじと泡を掛け返す。それを皮切りに、約一時間に渡る泡の掛け合いが始まる事を、この時の彼らはまだ知らない。ただ、マンションの一室、泡まみれの部屋の中、響き渡るオペレーターの笑い声が、印象的だった。



 ちなみに、この後リフォーム業者に滅茶苦茶怒られた。





 第3.5章 食卓―Daily Scene―〈了〉



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