〈12〉
―12―
部屋に響く電子音で、少女は薄く目を開く。机上のモニターに表示された時刻は、午前六時。ベッドから身を起こした彼女は、平時よりもわずかに緩慢な動作でアラームを切った。
「えっと、今日の業務は……」
まだ眠そうな目を擦りながら、ベッドから抜け出した彼女は寝間着のままでデスク前へと移動すると、モニターを覗き込む。
「……あまり予定が詰まっていない。空いた時間に、資料の作成ですね。それと、今一度各部隊の戦力比を見直して……」
呟いた後で、彼女は寝間着を脱ぎ捨てる。クローゼットを開けて、片手で数える程しかない衣服の中から適当なものを選び取ると、それに着替えた後で、白衣を羽織る。
いつもと変わらぬ起床時間。変わらぬ動作。変わらぬ表情。これからサプリメントを摂取し、仕事に戻る。それが、オペレーターのいつものルーティンだった。規則正しく、あるいは几帳面にいつもの行動をなぞっていた彼女だったが、しかし食事の為に部屋を出ようとドアを開いた瞬間、思わぬイレギュラーがそこに待っていた。
ドアを開けるのとほぼ同時に、乾いたパンッという音が鳴り響く。まったく予想だにしていなかったその音に、彼女はビクッと体を震わせ、硬直した。その肩に、色とりどりの紙吹雪がハラハラと落ちてくるのを数秒間黙視した後、ようやく彼女は口を開く。
「な、なんですか、これは……」
見渡したリビングの様子は、昨日までの、彼女のよく知る光景と打って変わっていた。極限まで無駄を省かれていたはずの部屋には、いたる部分にあれこれと装飾が施されている。その意図が──そもそも装飾という行為事態に有意義を見出だせない訳だが──理解出来ない彼女は、困惑に目を見開いている。そして、鼻に漂ってくるのは、花を思わせる甘い匂い。あまりの情報過多に、彼女は説明を求めるように、一連の出来事の首謀者へと視線を向けた。
クラッカーを片手に、顔をしかめながら佇む同居人は、気恥ずかしさからか、頬に赤い色を宿していた。
「これは一体、なんなんですか?分かるように、説明を……」
戸惑う彼女の言葉を、十条九は軽く咳払いをして遮る。それから、照れているのを噛み殺すように、視線を逸らしたままで口にした。
「ハ、ハッピーバースデー……誕生日、おめでとう……」
「……誕生日……?」
言われていることが理解出来ず、彼女は困惑したように眉をひそめている。それでも構わず、十条九は続けた。
「誰かが生まれた日のことを、誕生日っていうんだよ。お前、初めて俺と会った時に、あと15日で12歳だって言ったろ?つまり、お前は12年前の今日に生まれた。だから、今日はお前の誕生日だ」
「誕生日……ボクの?」
「ああ。それで、誕生日にはこうやって部屋を飾り付けて、ケーキを食べて、プレゼントをあげて、歌を歌ったりして……お祝いのパーティーをするんだ」
十条九は手早くクラッカーを片付けると、彼女をキッチンのテーブルへと促す。オペレーターが物珍しそうに、辺りをキョロキョロと見渡しながら続くと、そこに甘い香りの正体を認めた。
いつの間に用意していたのか、テーブルの上には一通りの茶器と、花柄のティーポッドが置かれている。その中身をカップへと注ぐと、十条九はそれをオペレーターへと差し出した。
「……これは?」
温かいカップを覗き込むと、薄い琥珀色の液体が揺らめく。「ジャスミンティーだ」と十条九が答えると、オペレーターはますます不思議そうに、首を傾げた。
「……意図が、分かりません」
「意図も目的もないよ。まあ、単に、寝覚めの一杯ってやつだ」
飲むように促しているつもりだったのだが、それでも彼女はなかなか口をつけようとしなかった。十条九の知っている限り彼女は、嗜好品はおろか、常温の水以外の液体を口にした事はない。それを考えれば無理もない反応なのだろうが、それでも十条九は退かなかった。
「カフェインは覚醒を促すし、ジャスミンティーの香り成分には、自律神経を整える効果もある。オペレーターの業務にとっても、これは効果的だと思うけどな」
そこまで強引な理屈を押し付ける事で、彼女はようやく、渋々とティーカップを口元まで運ぶ。一口分を口に含んだ後で、彼女は吐息とともに言葉を溢した。
「……温かい」
ちびちびと、舐めるようにしながら少しずつ、口に運ぶ。
「妙な感覚です。香りのついた液体というのは」
「それでも、出来るだけ薄くしたんだ。いきなりだと、キツいだろうから。まあ、口と鼻を馴らす程度にな」
その言葉の真意が分からず、オペレーターは今一度首を傾げる。十条九は、彼女の反応にどう応じたものかと一瞬迷うが、やがて「まあ、勿体ぶるもんでもないか」と、台所の奥に足を運ぶ。再び戻ってきた彼の手に、純白のケーキが乗せられているのを見た瞬間、オペレーターは大きな目を更に大きく見開いた。
真っ白なクリームと、その上に飾られた鮮やかなイチゴ。装飾自体はシンプルであるが、しかしオペレーターは、自身が息を呑んで言葉を失っていることに──見とれていることに、しばらくしてから気づいた。それから、慌てたように口を動かす。
「でも、こんな事をされても……ボクは、誕生日というものを知りませんし、分かりません」
それが当然のことのように、彼女は言った。十条九はその反応を予期していたのか、真剣な表情のまま言葉を返した。
「なら、俺が教える。だから、知らないとか分からないなんて言葉で片付けるな。他でもない自分のことなんだから、自分で考えないとダメなんだよ。お前には『オペレーター』としての責務の前に、そのための権利があるんだから」
「自分で考える……?自分のことを……?」
今まで考えもしなかったことを初めて知った子供のように、オペレーターは目を見開いている。
「与えられた仕事をこなすだけなら、機械にだって出来る。でもな、自分で『やりたいこと』を考えて行動するもんなんだよ、人間は。例えそれが、非効率という言葉で片付けられるものでも、無駄や余分があった方が、やっぱり人間らしいしな。だから、知らないことは他人に聞いていいし、食べたい物を食べていい。他の誰かの指示じゃなくて、お前が自分で、自分のやりたいことを決めていいんだ」
十条九の言葉に、彼女は動揺したように目を泳がせる。やがて彼女は、おずおずと口を開いた。
「でしたら……教えてください。どうして人は、誰かの誕生日を祝うのですか?このパーティーには、どういう意味があるのですか?」
それを聞いて、十条九は困ったように顔をしかめた。それからしばらく考え込み、言葉を探す。
「……そこまで深い理由はないと思う。基本、これはお祝い事だからな。これまでの人生を讃えて、これからの健康を祈るための記念日なんだよ。それでも意味を考えるとすれば……誕生日っていうくらいなんだから、生まれてきたことに対する感謝なんじゃないかな」
実際に口にしてみて、ますます恥ずかしくなったのか、十条九は顔を赤らめた。
「お祝い……生まれてきたことに、感謝……?」
大きな目をパチパチと瞬かせながら、彼女は首を傾げる。
「あなたは、祝ってくれるんですか?ボクが生まれてきたことを」
「……そうじゃなければ、ここまでしない」
心底不思議そうに尋ねる彼女に、十条九は視線を逸らしながら答える。とうとうその恥ずかしさに耐え切れなくなったのか、十条九はそれをごまかすように椅子を引いた。
「ほら、座れ。ケーキを食べよう」
「で、ですが、ボクは、食事なんてしたこと……」
「大丈夫だ。俺が教える」
促されるままに席に着くと、十条九はどこからか色とりどりのロウソクを取り出し、ケーキの上に並べていく。12本目のロウソクを立て終わると、今度はライターでそこに点火していった。
「これは……?」
「ケーキの上に、歳の数だけロウソクを立てるんだ。そして、願いをこめながらそれを吹き消す。叶うように、祈りながらな」
言い終えるのと同時に、最後の一本に明かりが灯る。そして、十条九はケーキをオペレーターの方へと近づけてやった。
「ほら」
「…………」
十条九が促しても、オペレーターは困惑した表情をするだけだった。ただロウソクの炎をじっと見つめて、大人しく椅子に座っている。
「どうかしたか?」
「……あなたは」
今まで聞いたことがないほど小さな声で、オペレーターはポツリと口にした。
「どうして、ボクにこんなことをしてくれるんですか?ボクのこと……気持ち悪くないんですか?」
「……誰かに、そう言われたのか?」
そう尋ねると、オペレーターは小さく頷きながら、「何度も」と呟く。十条九は一瞬だけ同情したように目を細めたが、すぐに面白くなさそうに眉をしかめて見せた。
「安心しろ。お前が気持ち悪いと言われた回数なんて、恐らく俺が今までに言われた回数の十分の一以下だ。月とスッポンだぞ」
「はあ……?そうでしょうか……」
十条九は力強く頷くと、遠い目をしながら口を開いた。
「かごめかごめで最後まで残った挙げ句『キモいからいらない』って女子に言われたことないだろう?マジカルバナナで『キモいと言ったら?』の後に『十条九』って言われたことないだろう?昼休みドッジボールをした連中が『最後に持ってた奴がボール片付けな』と言いながら、参加していなかったのにボールぶつけてきて挙げ句片付けさせられたことないだろう?クラス内にタッチで感染する『ヒサシ菌』が流行ったことないだろう?ほんの少し手が触れただけの女子に手を洗いに行かれた上、アルコール消毒されたことないだろう?クラス一無口な女子にさえ『あんたと同じ空気吸いたくない』と言われたことないだろう?」
「……え?」
十条九が早口で言った言葉に、オペレーターは目をパチクリとさせた。まるで何が起きたのか分からないというように、彼女はポカンと口を開けている。
「補足しておくと、今のはほんの一部だけだからな?『十条九悪口語録』のうちからほんの一部を抜粋しただけだからな?」
「え……いや、そう言われても……」
当然の如く、彼女は困惑した様子を見せる。しかし、十条九はそれすら想定していたかのように、強気な表情で腕を組みつつ続けた。
「ナメるなよ、下には下がいるんだ。確かに後半、『気持ち悪い』とは関係ない事例を語ったかもしれないが……まあ、とにかくさ……」
十条九は、ほんの少し視線を逸らしながら続けた。
「俺はお前の事、気持ち悪いだなんて思わないよ」
「……あ……」
何と返せばいいのか分からず、オペレーターは顔を背ける。今まで感じたことのない、頬が熱を帯びるような感覚を、彼女は感じていた。
「それに、周りに頼れる人間がいないっていう感覚は、俺にも分かるしな。だから、俺はこういう時に何もできない奴でいたくはないんだ。たとえボッチだろうが、自己満足だろうが、せめて何か行動だけでも起こしたいんだよ。……ほら、早く吹き消してくれ。ロウソクがケーキに垂れる」
「あ、は、はい。……でも、こういうものには掛け声のようなものがあるのではないですか?例えば、お神輿をかつぐ時に『ワッショイ』というような……」
「誕生日は知らないのに、お神輿は知ってるんだな……まあ、バースデーソングを歌うのが一般的ではあるけど」
そう答えながら、十条九は困ったように顔をしかめる。
「では、それをお願いします」
「あ、ああ、うーん……まあ、別に構わないんだけど……でも、なあ……」
十条九は、何かを渋るように腕組みしながら、眉をひそめた。その意味が分からずに、彼女は首を傾げる。
「……?お願いします」
「……分かった。……うん、たぶん、大丈夫だろ……」
彼は、観念したように頷く。そして二、三度深呼吸をした後で、覚悟を決めたように歌いだした。
「……は、ハッピバースデー、トゥーユー……」
その歌は、お世辞にもうまいとは言い難かった。初めてこの歌を聴いたオペレーターですらそう感じたのだから、そのレベルの低さは相当のものだったのだろう。音程はめちゃくちゃで、時々声が裏返る。あまりにもひどい歌である。
「ハッピーバースデー、ディア……オペレーター。ハッピバースデー、トゥーユー」
十条九が最後のフレーズを歌い終えると、居心地の悪い沈黙が辺りを包む。
「あの……何か、すみません。無茶をさせてしまったみたいで……」
「謝らないでくれ。余計に虚しくなる」
死んだ魚のような目をしながら言った後で、十条九は咳払いをして仕切り直す。それから彼は、少し照れくさそうにケーキを差し出した。
「ほら」
「は、はい。では……」
オペレーターは大きく息を吸い込む。そして、小さな口を尖らせながら、一生懸命に吐き出した。
「ふぅっ……!」
一度ではすべてを消すことができず、彼女は何度かに渡ってロウソクを吹き消す。最後の一本を消したとき、十条九は「おめでとう」と、手を叩いた。
「さて、ケーキを食べようか」
彼は慣れた手つきでケーキを切り分けると、小皿に取ってオペレーターへと渡す。彼女は、差し出された一片のケーキに、目を瞬かせていた。
「初めてだし、無理して全部食べきることはないからな。素材にはかなり気を遣ったけど、それでもたぶん、クリームで胃がもたれるだろうし、胸焼けもするだろうから。本当は、流動食みたいなもので徐々に馴らしていくべきなんだろうけど……せっかくの誕生日だし、それも味気ないかと思ってさ。今日のこれは、食べる練習だと思ってくれ」
「もしかして、あなたが作ったんですか?」
十条九の口振りからそれに気付くと、オペレーターは思わず尋ねる。十条九は気恥ずかしそうに顔を背けながら、後頭を掻いていた。
「まあな。急造ではあるけど、それでも、今まで作った料理の中で一番手をかけたよ。……それはともかく、だ」
改めてオペレーターと向かい合うと、十条九は彼女に向かってフォークを差し出した。
「フォークの使い方は……知らないよな?」
「はい。一度も使ったことがないです」
十条九はそれを聞くと、オペレーターの右手にフォークを掴ませ、その手を外側から握った。
「いいか?こうやって……」
オペレーターの手を動かしながら、フォークでケーキを一口分切り取り、彼女の口元に運ばせる。
「ほら、食べてみろ。ゆっくりだぞ」
「は、はい」
オペレーターは、ほんの一瞬躊躇した表情をする。彼女はまるで、初めて見た動物に触れる子供のように、おそるおそるとした顔をしていた。やがて彼女は決心をすると、餌を与えられた雛鳥のように小さな口をいっぱいに開け、ケーキを頬張った。
「…………あ」
その瞬間、オペレーターは大きく目を見開いた。初めてものを咀嚼するという行為は、彼女にとって凄まじい衝撃だった。味覚という、いままでの人生で一度も満たされることのなかった感覚が、いっぱいになる。
オペレーターは、どうしたら良いのか分からずに呆然としていた。その目のふちに、じんわりと水滴が浮かんでいく。やがてそれは大きな雫となり、テーブルにポトッと落ちた。
「お、おい?どうした?ひょっとして、おいしくなかったか……?」
十条九は、不安そうにそう尋ねる。
「た、確かに、ケーキを焼くの久しぶりだったけど……」
「ち、違うんです。これ、すごくふわふわしてて……それで、口の中で優しい感じが広がるみたいで……これ、なんて言ったらいいのか……そしたら、自然と……涙が……出て……」
それを聞き、十条九は安堵のため息を吐く。彼は服の袖でオペレーターの涙を拭うと、そっと言った。
「そりゃ、そうだよな。今まで何も食べたことなかったんだもんな。それは、『甘い』っていうんだよ、オペレーター」
「……『甘い』……これが……?そっか。ボクは、今までそんなことも知らなかったんですね」
確かめるように、何度も『甘い』という言葉を繰り返しながら、ケーキを口にする。そんな様子を見て、十条九は安堵の表情を浮かべていた。
「そういえばオペレーター。お前、何か欲しいものはあるか?」
オペレーターが五口ほどケーキを口に運んだ後で、十条九はそう声をかけた。初めて胃袋に物を入れる故、無理だけはさせてはいけないと、十条九はその問いで、食事を中断させたのだ。
「あ……プレゼントのことですか?」
思い出したように、オペレーターが問いを返す。
「うん。せっかくだから、何かあげたいと思ってさ。大抵のものなら、『運び屋』さんに頼めば用意してくれるだろうけど……」
そう言うと、オペレーターはフォークを片手に真剣な様子で悩む。しばらく沈黙を続けた後で、彼女は顔を上げた。
「……一つ、欲しいものがあるんです。いいでしょうか?」
「ああ。もちろん」
十条九が促すと、彼女はその目を真っ直ぐ見返す。わずかな不安と期待を宿した顔で、彼女は続けた。
「ボクは……『名前』が、欲しいです」
真摯な願いは、しかし十条九にとって、想定外の一言だった。十条九は動揺を隠せぬまま、その目を大きく見開く。
「ちょ、ちょっと待て。な、名前……?俺なんかが?そんな、重要なこと……」
「はい。あなたに、頼みたいと思ったんです」
慌てふためく十条九と対照的に、彼女の目は真剣そのものだった。故に、十条九は押し黙る。その期待にどう答えたものかと、彼は思考を巡らせていた。
考えてみれば、彼女のその要求は、至極当然のことなのかもしれない。十二年間、彼女は自己を自己たらしめる定義を、持たずに生きてきた。そんな彼女に、人間らしい生活を送らせようとしているのだ。だとすれば、人として与えられて当然のものを、彼女も与えられるべきだろう。
だが、その責任は当然重かった。名前という、ある意味で人を定義する重要なものが、自らの手に委ねられている。彼女の生い立ちを考えれば、尚のことだった。それこそ、自分の知識の全てを引っ張り出して、彼は言葉を選んでいた。何か、彼女という唯一の存在を、定義するような──
「……あ」
その瞬間頭の中に、それこそ降ってきたように、一つの言葉が浮かんだ。
「……『ユノ』、ってどうかな?」
「……『ユノ』?」
小首を傾げながら、彼女は聞き返す。
「6月は英語でJuneだろ?そのJuneの元になったのが、Junoっていう女神の名前だから、そこから取ったんだけど……それに、言葉が柔らかくて、優しい感じがするし。それと……これが、一番の理由なんだけど……」
緊張した面持ちで、しかし彼女の目を真っ直ぐに見返しながら、彼は続けた。
「……『ゆ』いいつ無二『の』、って意味を込めた」
その瞬間、彼女の小さな肩が揺れた。彼女が何を思っているのか、相変わらずの無表情からは読み取れない。しかし、彼女は十条九の提示した名前を、その言葉の感触を確かめるように何度も、口の中で呟いていた。
「唯一無二の……ボクの名前……ユノ……」
やがて、彼女は顔を上げると尋ねた。
「呼んでみてくれますか?ユノ、って」
純粋なその問いに、十条九は頷いた。そして、意を決して、彼は口を開く。
「──ユノ」
彼女は胸の辺りでキュッと自らの手を握り締める。一度目を閉じ、その言葉の余韻をじっくりと味わったかと思うと──
彼女は、小さく微笑んだ。
「ありがとうございます。素敵な、プレゼントです」
それは、その歳の少女にとっては、極々平凡な、ありふれた表情だった。それでも、その笑顔は──恐らくは彼女が生涯で初めて浮かべた、表情らしい表情は、十条九の胸を強く打つものだった。
「十じょ……いえ、その……いつまでもそんな呼び方だと、よそよそしいですよね。それで……ボクも、『お兄さん』、って呼んでも、いいですか?ボクだけ呼ばれ方が変わるのも、なんなので……」
「え、あ、ああ、うん……」
そんな提案をした後で、彼女は小さく握った手を、自らの胸に押し当てる。そして、口元に笑みを浮かべたまま、何かに思いを馳せるように、目を閉じた。
「ボク、このプレゼント、一生大事にしますね。お兄さん」
そんな何気ない一言は、しかしそれでも、十条九の胸に深く響くものだった。




