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「ふぃー、まったく、こんな日に雨とはね。まあ、梅雨だから仕方ねえんだけど」
傘を肩と首の間で挟みながら、『運び屋』は大きなダンボール箱をトランクから取り出す。彼はそれを抱えたまま、小走りでマンションの自動ドアをくぐった。
「えっと、こっちの荷物は管理人さんで……こっちがオペレーターだな」
そう呟くと、彼は慣れた手つきでインターフォンに部屋番号を打ち込んだ。
『はいは~い。お?「運び屋」のお兄さんじゃん?という事は?あれかな?いつものあれかな?』
妙に機嫌の良さそうな声が、インターフォン越しに聞こえてくる。
「ええ、お察しの通りですよ。物資の補給に来ました」
乾いた笑いを返しながら、今日はすぐに応答したな、と彼は内心呟く。恐らく、物資(酒)が届くのを心待ちにしていたということなのだろう。
『うっし!ちょうど酒が無くなってきた頃だったんだ!その辺置いといてくれ、すぐ取りに行くから!』
言うが早いか、インターフォンの通話がプツッと途切れる。恐らく、すぐにでもご機嫌の彼女がエレベーターから降りてくるだろう。それに遭遇したくない彼は、さっさと次の部屋番号を入力した。
『はい。何か御用でしょうか?』
「おう、俺だ。物資補給に来たぞ」
『ご苦労様です。後ほど取りに向かいます』
一連のやり取りを終えると、彼はさっさと荷物を置き、その場を去ろうとする。しかしちょうどその時、エレベーターが下りてくる音が聞こえ、彼は立ち止まった。このまま無視していくわけにもいかないので、とりあえず挨拶くらいしておこうと思ったのだ。
てっきり管理人でも出てくるかと思っていた彼だったが、エレベーターのドアが開いて中から出てきた人物を見て、彼は片眉を上げた。
「お?お前……」
よろよろとした足取りで、十条九が歩いてくる。きちんと真っ直ぐに進めずに、その体は左右に揺れていた。
「よお、二週間ぶりくらいか?どうだ、調子は……」
彼が声をかけた、その瞬間だった。十条九は突然、糸の切れた人形のようにバタッとその場に倒れたのだ。
「ちょ、おい!?どうした!?」
慌てて彼は駆け寄り、十条九の体を起こさせた。苦しそうに顔を歪め、呼吸も荒い。気のせいか、二週間前よりも頬が痩せ、肌の色が白くなっている。
「どうしたんだ!?何があった!?」
彼の体を揺さぶりながら尋ねると、その唇がほんの少しだけ動く。何かを言っているようだが、聞き取ることができない。『運び屋』は耳を傾けると、彼の口元に近づけた。
「ご……はん……」
「……はぁ?」
思いもよらない単語に、彼は思わず聞き返してしまった。
「ごはん……を……も、う、限……界……」
なぜこんな状況になっているのかは理解出来ないが、十条九は苦しそうに呻いている。まるで、悪夢にでもうなされているかのようだった。
「よ、よく分からないが、メシを持ってくればいいんだな!?少し待ってろ!」
言うや否や、彼は十条九をその場へと横たわらせ、車へと戻った。エンジンの音とともに、車が去っていく。
それから五分ほどして、彼はコンビニ袋を片手に戻ってきた。中から弁当と割り箸を取り出して十条九に渡すと、彼は恐る恐る蓋を開け、ご飯を口に運んだ。
「…………っ!」
その瞬間、彼は片手で顔を覆いながら、さめざめと泣き出した。
「え、ええっ!?ど、どうしたんだよ?」
「……に、二週間……」
彼は肩を震わせながら、ぼそぼそと小さな声で続ける。コンビニ弁当を片手に、マンションのエントランスで泣いている彼の姿は、なかなかにシュールであった。
「二週間……何も食べてなかったから……」
「……あー……」
事態を察したように、『運び屋』は何度か頷いた。
「オペレーターもツヅラさんも何にも食べないし……そのうち俺の方がおかしいのかな、とか思い始めて……けどお腹は空くし……食べるものはないし……一度、ツヅラさんの部屋で何年前のか分からない古米を見つけて、空腹のあまりそれでも食べようとしたんです。けど、そもそも炊飯器はおろか、調理器具なんて一切なくて……」
十条九は、訥々(とつとつ)と語っていく。それを見て、かなり追い込まれてるなぁ、と『運び屋』は同情していた。
「生きてる心地がしませんでした、正直……」
「お、おう、そうか……とりあえず、ほら、食え!お茶もあるぞ!」
十条九が差し出された弁当を平らげるまで、『運び屋』はそれを側で見守っていた。規定により中に入れない『運び屋』と、外に出れない十条九が一緒にいられる場所は、このエントランスのみだった。そのため、彼らは場所を移すことができず、エントランスで黙々と弁当を食べる十条九を時折『運び屋』が励ますという、これまた何とも言えない構図になっていた。
「……ごちそうさまでした」
500ミリのペットボトルのお茶を飲み干した後で、彼はほっとしたように口にした。
「落ち着いたか?」
その問いに、十条九は小さく頷く。心なしか、先ほどより血色が良くなっていた。
「……にしても、ひどい目にあったな」
「毎日が苦痛でした」
ある程度状況を説明した後で、十条九はため息を吐く。
「オペレーターは、もはや人と一緒に生活している気すらしないし……ツヅラさんは毎日ゲームに付き合わせてくるし……昨日なんか、『宝玉回収するまで帰さないぞ!』とか言って、入手確率2%かそこいらのアイテムを狙わされて……もう、何回剥ぎ取ったことか……」
「お、おう、そうだったのか……」
ゲームの話は良く分からなかったが、十条九が遠い目をしながら語っているのを見て、なんとなく察した。
「ま、安心しろ。これからは、お前に必要なものは俺が工面してやるから」
「いいんですか?」
「ああ。経費下りるし。けど、まあ……」
それから、少し困ったように顔を逸らしながら、『運び屋』は続ける。
「さすがに、あの二人のことまではどうにもできないけどな……」
「……そう、ですよね……」
十条九は、絶望したようにガックリと肩を落とした。彼を取り巻く現状は、根本的には解決していないのだ。
「せめて、オペレーターのあの性格が少し変わってくれれば、お前もだいぶ楽になるんだろうけどな。まあ、あいつの事情考えたら、分からなくもないが」
「……知ってるんですか?実験のこと」
何かを知った風な『運び屋』の言葉に、十条九は顔を上げる。すると、『運び屋』は口を滑らせた事に眉をひそめながらも、続けた。
「ああ、いや、小耳に挟んだ程度だ。何でもあいつ、試験管の中で生まれて、世間とは隔離されて育ったんだろ?」
頭の後ろをポリポリと掻きながら、彼はため息がちにそう言う。オペレーター本人からは聞いていない情報に、十条九は思わず目を細める。
「試験管……って……それじゃああいつは、本当に、実験の為だけに作られたっていうんですか?」
ある実験中に、副次的に生まれた個体。彼女は自分の事をそう表現していた。もしそれが、何の比喩表現でもないのなら、ICSAという組織が何らかの目的の為に、一人の人間を産み出したというのなら──
「詳しくは知らねえが、そういう事だろう。きっと、親の顔も知らずに……いや、親と呼べる存在がいるのかさえ、分からないんだろう。情操教育なんて何のことやら、とにかくICSAにとって都合のいいことだけ仕込まれたって話だぜ。そりゃあ、あんな風に無感情になって当然だろ」
告げられた事実に、十条九は愕然と目を見開いていた。人造の少女は、この組織にとって、本当にただの道具でしかない事に、気付いてしまったのだ。勝手に産み出しておいて、にも関わらず、与えられるべきものを与えられていない。最低限の人間としての扱いすら、されていない。十条九は、知らぬ内に拳を握り締めていた。
「どうして、そんなことに?この組織だって、理解がある人は……」
「そうだな。それこそ、八神先生あたりが面倒見てくれてれば、変わってたかもしれない。でもな、その辺に理解のない人間も、一定数いる。運の悪いことに、オペレーターを造ったのはそういう連中だ」
『運び屋』は一旦言葉を切ると、十条九の方へ顔を向ける。サングラス越しではあったが、彼が困ったように笑っているのが分かった。
「俺から言わせてみれば、あいつは知らないだけなんだと思うぜ。普通のふるまい方っていうか、何ていうかさ。誰かが教えてやるべきことなのにな」
その言葉に、十条九は眉をひそめる。誰かがやるべきことだった。誰でもよかったのに、それを誰もやらなかったから、彼女はあんな風になったのだ。誰も頼れずに、何も学ばずに生きてきたのだ。そして無責任に、身勝手に、彼女を道具として利用し続けている。それに、十条九は憤りに近いものを感じていた。
だから、誰でもいいなら、自分がやるしかないと思った。別段彼女に同情したわけではない。ただ、彼女の周りにいた人間のように、無責任でいたくなかったのだ。このまま見なかったふりをして、彼女が色んなものに食い潰されるのを、看過出来ない。それが、今まで誰にも頼れずに生きてきた十条九の出した結論だった。
「……知らないだけ……」
『運び屋』の言葉を口の中で小さく復唱してから、十条九は何かに気づいたように、ハッと顔を上げた。
「そうか……ひょっとしたら……どうにかできるかもしれない……!」
「何?どういうことだ?」
十条九の何かの決意に満ちた表情に、『運び屋』は首を傾げる。
「すみません『運び屋』さん、何か、書くもの持ってますか?」
「おう、ほら」
彼は懐からメモ帳とボールペンを取り出すと、十条九に手渡した。彼はそれを受け取ると、真新しいページに何かを書き連ねていく。それを覗き込んだ『運び屋』は、その内容に驚いたようにサングラスの奥の目を見開いた。
「これは……!」
「どうですか?ここに書いてあるもの、全部用意することってできますか?今日中に」
「今日中か。ずいぶん急だな。まあ、できなくないが」
十条九は顔を上げると、真っ直ぐに『運び屋』の方を見る。その表情は、真剣そのものだった。
「明日じゃ、間に合わないんです。お願いします」
「よし、分かった。これから、買い揃えてこよう。しかし、何のためにこんなことを……」
「……自分のためですよ。どうにか現状打破しないと、今度こそ発狂しそうですから」
そう言いながら、十条九はメモ帳とペンを返却する。それを受け取った『運び屋』は、口元にニヤリと笑みを浮かべた。
「よく分からないが、何か面白いことになりそうだな」
「だといいんですけどね。じゃあ、さっそく始めましょうか」
十条九は口をキュッと引き締め、真剣な表情のまま続けた。
「名付けて、『お誕生日大作戦』を……‼」




