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「ふぅ、疲れた……」
廿樂を洗面所に残し、十条九はリビングへと戻っていた。今のうちに帰るべきなのかもしれないが、さすがにこのまま彼女を放置して行ったら後で文句や因縁を付けられそうなので、彼は今少し残ることにしたのだ。
彼が何気なくテレビに目を向けると、まだゲームの画面が映っていた。コントローラーを放り出したせいか、彼の操作していた飛行機は地面に墜落し、ぶすぶすと黒い煙を吐き出している。
「…………」
思わず、脳裏に二週間前の飛行機事故の事が浮かぶ。見ていて気分のいい光景ではなかったので、彼はその辺に落ちていたリモコンを手に取ると、チャンネルを変えた。よくよく考えてみると、テレビを見ること自体久しぶりのような気がしたので、彼はしばらくの間ニュース番組をボンヤリと眺めていた。
よく知らないキャスターが、ニュースを読み上げていく。芸能人のスキャンダルや政治家の不祥事についてのニュースを何となく眺めている。どこか自分とは遠い、他人事の話題を蒙昧に目で追っていた彼は、しかし次に読み上げられたニュースに目を見開いた。
『昨日、都内の高校で発生したテロ事件についてですが……』
その瞬間、体中に寒気が走り、皮膚が粟立つ。そこに映っていたのは間違いなく、十条九が昨日まで通っていた高校──あの惨劇に見舞われた場所だったのだ。その校舎の一部には抉られたような傷跡が残っており、昨日のマユカの暴挙がいかに激しいものだったのかを告げている。
「テロ……事件?」
呆然と、思わず呟いた。
「ICSAがよく使う手だ。吸血鬼によって起こされた事件を、適当な事件に書き換える。たぶん、今回の場合は規模が大きかったから、テロ事件ってことにしたんだろう。そうすりゃ、住民の避難の口実もできるしな」
突如聞こえてきた声に振り返ると、ドアの前に廿樂が立っている。
「……もう平気なんですか?」
「おう!あの程度大したことねーぜ!」
キリッとした表情で笑う廿樂を見ながら、この人面倒臭いな、と彼は内心で呟いた。
「で?これ、お前の学校か?」
既に何かを見抜いているかのような表情で、廿樂が問い掛ける。隠したところで無駄だと悟ると、十条九は小さく頷いた。
「……はい」
「へ~、またずいぶん派手に暴れたもんだな」
まるで十条九の反応には興味が無さそうにそう言いながら、彼女はゴミ山を抜けてテレビの前にドカッと腰を下ろした。
「被害者数500名以上だってよ。ははっ、すげぇな。ここまで表立って吸血鬼が暴れてんのかよ」
それから彼女は、再び酒瓶を手に取る。飲みすぎだと注意しようとした十条九は、廿樂の顔を見て言葉を失っていた。
「あたしも、戦場に戻りてぇなぁ」
ゾクリ、と、十条九の背筋を分かりやすい程の悪寒が走る。低い声でそう言った廿樂の顔には、残忍な笑みが貼り付いていたのだ。まるで人が変わったように、目を爛々と輝かせ、口角を上げている。否、人が変わったのではなく、まるでこちらが彼女の本性なのだと言わんばかりに、その表情は嬉々としていた。
「んで、お前は現場にいたんだろ?」
チラリと、廿樂の視線が十条九の体をなぞる。そこに治療の跡が残っている事を、このニュースと結びつけたのだろう。十条九は、全てを見透かされたような居心地の悪さに、顔を背けていた。
「……はい、まあ」
「へぇ、そいつはいい。その時の事、詳しく聞かせろよ。そいつを肴に、一杯やらせてもらうわ」
そんな言葉に、十条九は俯いたまま、じっと黙り込む。語る事など、何一つ無かった。自分のせいであんな惨劇が起きて、挙句にその原因たる自分だけが生き残った事の、何を語れというのだろうか。とりわけ、それを面白半分で尋ねる彼女には、何一つ明かす気になれなかった。
「おい?」
「……すいません、昨日の今日なんで、まだいろいろと整理がついてなくて……」
知らぬ内に、拳を強く握りしめながら、そう答える。その反応に、廿樂は呆れたような顔をしてため息を吐いた。
「ふーん。まあいいや。……けどさ、これ多分、お前も死んだことになってるんじゃないか?社会的にっていうかさ」
それを聞いて、昨日珠王局長が『もう普通の生活には戻れない』と言ったのを思い出す。あれは、自分が戻ると周囲に迷惑がかかるという意味だけではなかったのだろう。戻ったところで、十条九という人間は存在しない。十条九という人間は、あの時に死んでしまったのだ。
『──ではここで、被害者の遺族の方にお話を……──』
不意にアナウンサーの声が耳に入ったその瞬間、彼は慌ててチャンネルを変えていた。手の平にじっとりと嫌な汗が滲んでいる。まるで何かを恐れているかのように、彼の動悸は激しくなっていた。それを抑えようとするように、十条九は自らの胸に爪を立てている。
「……ッ……」
息が、詰まりそうだった。『遺族』という言葉に、自らの罪状を突き付けられているようで、責め立てられているようで、十条九は歯を食い縛って耐えていた。爪を立てた部分から赤が滲んで、その痛みで漸く、彼は平静を取り戻す。
「……ああ、そういうこと……」
目を見開き、得体の知れない恐怖に耐える十条九の様子を見ながら、何かに納得したように廿樂は呟く。彼女が何を察したのかは分からなかったが、彼女はそれ以上、十条九に昨日の事件のことを尋ねはしなかった。
話題を変えようと思い、十条九は不意にテレビへと目を向ける。どうやら料理番組らしく、タレントの一人が包丁を片手に作り方を説明していた。
「……そういえばツヅラさん、オペレーターがご飯を食べないのって、知ってますか?」
「ああ、あいつよく分からない薬しか飲まねぇからな。ま、かくいうあたしも、酒とおつまみしか腹に入れねぇんだけど。ふははは」
その言葉に、十条九はため息を吐いた。あわよくば、彼女から何か食料を恵んで貰おうと思っていたのだ。無論、この不衛生な部屋を見た後では、そんな気もほとんど削がれてはいたが。
「ま、このマンションで普通のメシ食ってる奴の方が少ねぇと思うけど」
「……?それって……」
「メシを食わねぇ奴とか、メシが『食えねぇ』奴ばっかりだってことだよ。あ、だから『お腹空いた』って言って他の連中の部屋に行っちゃダメだぞ?無駄だからな」
廿樂の言っていることはよく分からなかったが、彼はとりあえず頷いた。それを見て満足そうに笑みを浮かべると、廿樂は大きく伸びをする。
「さて、吐いてすっきりしたことだし、飲みなおすとするかぁ。お前も付き合うか?」
「い、いえ、俺はいいです……あ、えっと、邪魔しちゃ悪いんでそろそろお暇しますね……」
そそくさと、彼はその場を立ち去ろうとする。今が絶好にして、最後のチャンスだと思ったのだ。
「おう、鍵は開けっ放しでいいからな~」
「……確か、壊れてたと思うんですけど、鍵」
「ああ、そういや、この間酔った勢いで叩き壊したんだった」
さらっと言う廿樂に若干恐怖を覚えながら、十条九は挨拶もそこそこに彼女の部屋を後にした。可能な限り、もう彼女とその部屋には近づきたくはなかった。
しかし、その後約一週間に渡り、十条九は適当な理由をつけられて、ほぼ毎日彼女の部屋を訪れる事を強要され、その度に神経をすり減らすことになるのだった。




