〈8〉
―8―
「新入り?あ~、そんな話聞いたような聞いてないような。お、アイテムゲッチュ」
カチカチとゲーム機のコントローラーをいじりながら、いかにも適当そうな口調で、女性は言った。そんな片手間の扱いを受けながらも、十条九が一切不平不満を漏らさずそこにいたのは、単にこの手の人間が、何のきっかけで機嫌を損ねるか、分からなかったためである。
「そういうわけで、しばらくこのマンションで厄介になりそうです。……えっと、管理人さん?」
十条九は、顔色を窺うようにしながら、おずおずとそう口にした。彼女に薦められるまま、十条九はゲームをする彼女の隣で体育座りをしている。
「おう、あたしがこのマンションの管理人だ。つっても、何にも仕事なんてしてねーんだけどな。ふははは!」
見れば分かる、という言葉を、十条九は喉の奥で飲み込んだ。十条九にはよく分からないが、どうやら機嫌が良さそうなので、このまま自己紹介してさっさと帰るのが得策そうだ。
「あたしは、御堂廿樂。漢字で書けるか?つづらって」
「えっと、葛って字に籠ですか?それとも、廿に楽しいって字の方か……」
十条九が何の気なしに言うと、彼女は少し意外そうに目を見開いた。
「へ~、詳しいな。当たりだよ、後に言った方。まあでも、あたしの場合は旧漢字の『樂』って字なんだけどな」
そう言われて、十条九は『廿樂』という漢字を思い浮かべる。伊達に彼も、漢検準一級を持ってはいないのだ。
「ああ、糸辺の上の部分が二つくっ付いてる方ですね」
「おう。正解したお前には、あたしを下の名前で呼ぶことを許そう。喜べ!」
廿樂はそう言うと、十条九の背中をバシバシと叩く。ノリが完全に酔っ払いのそれだなぁと、十条九は思った。
「で、お前は?名前なんての?」
「あ、はい。トオジョウヒサシっていいます」
「ふーん。ヒサシ。ヒサシねぇ。確かにヒサシっぽい顔してるわ。どういう字書くんだ?」
何か漢字にこだわりでもあるのか、彼女はそう尋ねてきた。それに対して少し不思議な感覚を覚えつつも、十条九は応じる。
「漢数字の十に、条件の条、それと数字の九です」
「へー、九って字、ヒサシって読むのか。知らなかったなぁ」
そう言うと、廿樂は何か思い出したように、僅かに片眉を上げる。
「そういや、『九尾』って書いて『つづらお』っていう読み方ってあるよな?」
「あ、はい。確か、奈良かどこかの地名でしたっけ?」
十条九がそう尋ねると、廿樂はうんうんと頷く。この人意外と漢字に詳しいな、と、口には出さなかったものの、十条九は内心で思っていた。存外、素面ならまともな人間だったりするのではないだろうか。もっとも、まともな人間ではないからこそ、こうして昼間から酒を飲んだりしているわけだが。
「それだよ、それ。っつーことは、『廿樂』と『九』ってのはどっちも『つづら』なんだな!」
「は、はあ……?」
何か理論の跳躍じみた暴論が吐かれた気がして、十条九は目を点にする。そんな彼の事をよそに、廿樂は一人納得したように、ウンウンと頷いていた。
「つまり、あたしとおまえは似た者同士ってことだ!」
それには如何せん同意しかねるが、十条九はあえて突っ込まなかった。とりあえず彼女の機嫌を損ねていない事にだけ安堵しつつ、そろそろ別れを切り出そうとしていると、不意に彼女はコントローラーを手放した。
「よし、ってわけでお前も飲め!ほら!」
前後の文に脈絡が無さ過ぎる。うろたえる十条九に、廿樂は先ほどまで自分が飲んでいた酒瓶をグイッと差し出した。首を横に振り、それを遠ざけようとするも、しかし廿樂は退かなかった。瓶の飲み口をグイグイと十条九に押し付けてくる。
「い、いや、俺まだ17なんで……」
「んなもん気にすんな!大体3年ぽっちで何が変わるってんだよ。ほら、グイーッと!」
「いや……えっと……」
十条九が後退するのを見て、廿樂は少しムッとした顔をする。
「なんだぁ?あたしの酒が飲めねぇってか?おん?」
酔うと面倒臭い会社の上司でも相手にしている気分だった。無論、ただでさえコミュニケーション能力皆無である十条九に、そもそもまともなコミュニケーションをする気のない酔っぱらいを相手出来るはずもなく、彼はただおろおろと慌てふためいていた。
「あ、ひょっとしてあれか?おつまみがないと飲めないってやつか?あぁ、うっかりしてたよ。んじゃ、何か適当に探して……」
そう言いながら、彼女はゴソゴソとゴミ山の中を漁る。そんなところにおつまみがあったとして、考えるまでもなく、衛生的に問題しかないだろう。そう考える十条九の視界の端を、触角の長い黒い昆虫がカサカサと通り過ぎていった。
「んー、何もねえな……あ、そうだ。そういえば、新しいゲームあったんだ。一緒にやろーぜ!」
ゴミ山を物色していた廿樂は、本来の目的を忘れ、その中から見つけたらしいゲームのディスク(ケースにも何にも入れられていない、剥き身の状態で空き瓶の蓋部分に引っ掛かっていた)を見つけ出すと、嬉々として口にする。別れを切り出そうとしていた十条九の肩は、いつの間にかがっしりと掴まれていた。というか、酒のことはもういいのだろうか。相変わらず脈絡の無い会話に、十条九はため息を吐いた。
「あ、こんなところにコアラのムーチョ『イカの塩辛味』が落ちてた。これつまみにしよっと」
言いながら、廿樂は四つん這いの状態でゲーム機へと近づき、ディスクを入れ替える。どこからかコントローラーを取り出すと、雑な動作で十条九に投げ渡した。
「なんか飛行機のシューティングゲームらしいんだけど、まだやったことなかったんだよなぁ。基本、対人戦がメインのゲームらしくてさ。この手のゲームの欠陥は、あれだな。一緒に遊ぶ友達が同梱していないっていう」
「CPU相手にすればいいじゃないですか」
「味気ないだろ?やっぱりゲームってのは、対戦相手の表情が見えてこそ、ってもんだろ。ボコボコに負かされて、悔しがってる相手を見るのが楽しいんじゃんか。同様の理由で、ネット対戦もあんまし面白くねえ」
画面が変わり、ゲームが始まる。無論操作など分からないのだが、十条九はとりあえず感覚だけで、それっぽく動かしてみた。
「しかし今時、画面分割での対戦もなかなか無いよな。それこそ今は、ネット対戦が主で、一人一画面が基本だし。おー、ヌルヌル動く。映像キレイだな……画面もよく回るし……」
感心したような声を上げたのを最後に、廿樂が妙に静かになる。嫌な予感がした十条九は、恐る恐る横目で彼女の方に視線を向けた。
「……回……うぷっ」
「ちょっ、ツヅラさん!?」
彼は慌ててコントローラーを投げ出すと、廿樂の顔を覗き込む。蒼白な顔には汗が浮かび、目が据わっている。
「画面見てて酔ったんですか!?」
「バカヤロウ、この程度で酔……あぅん」
とうとう彼女は口元を押さえながら、その場に蹲った。
「あ、これヤバイヤツだぁ」
「ちょ、ツヅラさん!トイレは!?トイレはどこですか!?」
十条九は、彼女に肩を貸しながら立ち上がらせる。
「ムリぃ……トイレまでもたなぃ……」
「そ、その辺で吐こうとしないでくださいって!ほら、今連れて行きますからっ!」
その後、何とかゴミ山を掻き分けて、奇跡的にトイレまでたどり着いた十条九は、廿樂が嘔吐くのをやめるまで、介抱してやったという。




