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「…………」
数時間後、十条九はオペレーターから聞いた部屋の前に立っていた。言うまでもなく、このマンションの管理人の部屋である。今更ではあるが、逃げ出したくて仕方がなかった。
しかし、「ちなみに、今まできちんと挨拶しに行かなかった人は、後日侵入者と勘違いされ、管理人に半殺しにされました」というオペレーターの一言により、こうして出向く羽目になっている。
彼は部屋の前でしばらくうろうろとしていたが、やがて決心をしたようにチャイムを押す。その手が妙に汗ばんでいたが、そんなことを気にしている余裕もなかった。頭の中は、いかにさっさと挨拶を終えて、オペレーターの部屋に帰るかだけを必死に考えている。
彼は管理人が出てくるのを待ちながら、身構えていた。しかし、いつまで経っても応答がない。まさか、まだ寝ているとでも言うのだろうかと勘繰るが、しかし十条九は機嫌を損ねるわけにはいかないと、かなり時間を空けてからここに来ている。さすがに、それは考えにくい。
彼は迷いつつも、もう一度インターフォンへと手を伸ばす。
「次……次で出てこなかったら、出直そう」
でなければ、うっかり彼女の逆鱗に触れる事態になりかねない。そう思いつつも再びチャイムを鳴らすと、中で何かがドタバタと動き回るような音が聞こえてくる。
「あー、はいはい!聞こえてるって!今ちょっと手が離せないから、勝手に入ってきて!」
部屋の中から、女性の大きな声が返ってくる。その言葉に、十条九は戦慄していた。「入ってきて」、と、彼女は言ったのだ。本来彼は、玄関先で「新入りのトージョーですよろしくお願いします」的なことを言って、そそくさと帰ってくるつもりでいた。
しかし、管理人と思われる女性は、十条九に対して部屋に入ってくるように要求している。これから彼は、ICSAが厄介者扱いしている危険人物の根城に潜り込まなければならないのだ。
「…………」
彼は生唾を飲み込みながら、ゆっくりとドアを引く。鍵は掛かっていない。そう思った彼だが、よく見ると鍵の部分が、鈍器か何かで殴ったかのように破壊されているだけだった。
恐る恐るドアを開けた十条九は、その先に広がる光景に愕然とする。部屋の間取りはほぼオペレーターの部屋と同じなのだが、玄関の時点で大量に物が散らかっており、足の踏み場がない。
決して比喩表現などではなく、実際に足を進めるだけのスペースが存在していないのだ。驚くほどの数の空き缶、空き瓶、衣服が、所狭しと散乱している。十条九は、すっかり圧倒されてしまっていた。
文字通りの、ごみ屋敷である。業者を呼んで片付けてもらうようなレベルだ。いよいよ、この部屋の住人の人格が疑わしくなってきた。
そして、その奥にあるドアから、再び女性の声が聞こえてくる。
「あー、こっちこっち!その辺にあるもの適当に踏んでもいいから」
そうは言うものの、いざ足を踏み出すとなると躊躇してしまう。彼はとりあえず靴を脱ぐと、可能な限り物が平積みになっている場所を選びながら、ドアの方を目指した。途中何度も足を取られそうになりながら、四苦八苦して進んでいく。幾度となく奇妙な触感の物を踏んづけながら、彼はようやくドアノブへと手をかけた。
しかし、いざ開けようとすると、ドアは開かなかった。まるで何かにつかえているように、ドアが微動だにしない。何度か押してはみるのだが、恐らく向こう側にもゴミ山が広がっているせいで、ドアはびくともしないのだ。
「…………」
十条九は意を決すると、自らの左肩をドアに押し当てる。そして、一気に体重をかけて思い切りそのドアを押した。足元でゴミ山が崩れ、ガラガラと音を立てる。踏ん張るのにも足場が悪く、十条九は前のめりになりながら、全力でドアを押した。
「おわっ!?」
直後、つかえていたゴミが外れたのか、勢いよくドアが開いた。そのまま、十条九はゴミ山へと頭から突っ込む。その瞬間、ヌチャリ、という粘着質な何かを頬に感じ、彼は慌てて身を起こした。
「痛っ……」
彼はよろよろと顔を上げると、周囲を見渡す。部屋の形状から、とりあえずリビングのような部屋だということだけは理解できた。しかし、やはりというべきか、この部屋もゴミで埋め尽くされている。
それどころか、壁にかけてある時計は文字盤の部分にヒビが入っていたり、壁には何かを叩きつけたような穴が空いていたりと、とてもではないが人の生活空間だとは思えない。その上電球が切れているのか、明かりと呼べるものはチカチカと光るテレビ画面くらいしかなかった。
「おー、よく入ってこれたな~」
十条九が声のする方へ顔を向けると、テレビから少し離れたところに、ゴミ山が比較的少ないスペースが設けられていることに気づいた。十条九は何とかそちらへ避難しようと、再びゴミ山を掻き分けて進む。
どうにかしてそこまでたどり着くと、ようやく声の主の姿が見えた。ちょうど30過ぎくらいの女性が、食い入るようにテレビの画面を見ている。髪を適当に後ろで束ねただけの女性は、タンクトップにジャージのパンツというラフな出で立ちで、その手にゲーム機のコントローラーを握っていた。床の上に直接あぐらをかいており、その膝が時々小刻みに揺れている。
「よし……よし!このペースならいける!」
カチャカチャとコントローラーを操作しながら、女性は鼻息を荒くしている。その光景に、十条九は驚愕していた。いい歳をした大人が、平日の真っ昼間から、ゴミ山の中でテレビゲームに勤しんでいる。いかにも、ダメな大人の典型的な例だった。
「いよしっ!倒したぁ!で、素材素材……牙、牙こい!牙落とせ……って、おいおいおーい。まーた鱗かよ。ドロ率おかしいだろこれ。マジクソゲーだな」
落胆したように声を落とすと、彼女はコントローラーを投げ出す。そして、近くにあった酒瓶の一つを手に取ると、そのまま口をつけ、中身を呷った。
「ぷはっ、たくよぉ~……せっかく苦労して倒したのにこれはねえだろ。何回狩らせれば気がすむんだよ。とりあえずドロ率低くしとけばいいと思ってんじゃねぇのか最近のゲームは」
手の甲で口元をゴシゴシと擦る姿を見て、十条九は開いた口が塞がらない。そんな、酒瓶に直接口を付けて「うぃ~」なんてやる人間など、漫画やドラマの中以外に存在しないものと思っていたのだ。オペレーターから聞いた話である程度予想はしていたが、この光景はそれを遥かに超えていた。
「あ、なんだよ、もう空になっちまった……おい」
女性は十条九にチラッと目をやると、手元にあったコントローラーを十条九に投げてよこした。十条九は、慌ててそれをキャッチする。
「酒取ってくるから、その間素材集めてて。よっこいしょっと」
彼女はまるでおっさんのような台詞を吐きながら、腰を上げた。そして、ゴミ山の中をズカズカと、慣れた様子で歩いていく。
「…………」
十条九はその様子を見ながら、呆然と立ち尽くしていた。なんというか、ついていけそうにない。彼女の言動の節々から、そう感じていた。
チラッとテレビ画面に目をやると、プレイヤーのものと思われるキャラクターが、マップを選択する画面で待機状態になっていた。十条九は実際にプレイしたことはないが、割と有名なハンティングアクションゲームだったはずだ。某有名な動画サイトで、このゲームの実況プレイを何度か見た覚えがある。
「……逆らうと、後で大変な事になりそうだしな……」
十条九は、慣れないながらもコントローラーを操作する。元来、ゲームを含む一人遊びに造詣が深い故か、彼の飲み込みは早かった。
「納刀してる時の方が速く走れるのか。で……ああ、こうするとカメラが切り替わる、と」
どうやら非常にやり込まれているようで、使用しているキャラのステータスが異常に高く、多少の不馴れは能力値だけで補えてしまう。周囲にいるモンスター相手に練習をしつつ、マップを移動していると、やがて一際大きなモンスターが現れた。
「こいつが討伐対象か。じゃあ、回復薬準備して、と」
若干手こずりながらも、どうにかしてそのモンスターを相手取る。何度か攻防を続けているうちに、巨大なモンスターはとうとう倒れた。
「クエスト完了、と。……って、制限時間内に素材取らないといけないのか。危ない、見落とすところだっ……」
とりあえず、そのモンスターからアイテムを回収する。それも終わり、やがてマップから離脱する場面になり、画面がブラックアウトしたその瞬間、十条九は言葉を途切れさせた。画面が黒一色になったその一瞬、鏡面のようになったテレビに、十条九の後ろに立つ人影が映ったのだ。恐る恐る、十条九は自らの背後を振り返る。そこに、無言のまま目を見開く女性が立ち尽くしているのを見た瞬間、十条九は、慌ててコントローラーを落としそうになった。
何か、彼女の逆鱗に触れる事をやらかしてしまったのかと思い、十条九は恐怖から後退する。彼の脳裏には、オペレーターから言われた言葉が渦を巻いていた。
『過去に、挨拶に行ったまま帰ってこなかった人が、数人いるので』
『大方、彼女の機嫌でも損ねたのではないでしょうか』
『隊員を殺した、とか』
背筋を、冷たい汗が伝っていく。思わず、彼は生唾を飲み込んだ。
「お前……」
酒瓶を片手に、彼女は十条九の隣に立ったかと思うと、ひったくるようにコントローラーを取り上げた。
「まさか……」
震える指で操作しながら、彼女はアイテム画面を開く。その瞬間、彼女は手に持っていた酒瓶を落とした。酒瓶はゴミの上に落ち、ボスッという音を立てる。突如、彼女の顔がグリンと、すさまじい速さでこちらを向いた。その目は、カッと見開かれている。
十条九が人生の終わりを覚悟した、その瞬間だった。
「いよっしゃあああああぁぁぁぁぁ‼」
女性は大きな喝采を上げながら、十条九の肩にグッと手を回した。何が起きたのか分からず、十条九は目を白黒させている。
「これだよ、これ!この素材が欲しかったんだよ!っくぅ~、やるなぁお前っ‼」
興奮した様子の彼女は、十条九の肩をバシバシと叩きながら捲し立てた。グイグイと体を押し付けてくるので、その女性的な部分が腕に当たり、十条九は困惑していた。ついでに酒臭い。
「これで新しい大剣が作れるっ!ようやく作れるっ!何時間掛かったか……ところで」
急に真顔に戻った彼女は、不意に十条九の顔をまじまじと見ながら尋ねた。
「お前、誰?」




