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それ以降ほとんど会話を交わすこともなく、十条九は車に揺られていた。やがて車のエンジン音が止まり、彼は目的地に着いたことを体感的に察する。
「よし、もうマスクとっていいぞ」
十条九がアイマスクを取り、窓の外に目を向けると、辺りはすっかり暗くなっている事に気付く。精神的な部分に起因する空腹感の無さも手伝って、時間感覚が曖昧になっていた為に気付かなかったが、時刻は既に夜半を回っていた。
「ほら、このマンションだ」
いつの間にか運転席から降りていた男が、後部座席のドアを開ける。十条九は促されて降車すると、その瞬間視界に入ってきた建物を見上げ、唖然とした。
「これ……何階建てですか?」
そこには、160メートルはあろうかという大きさのマンションがそびえ立っていたのだ。
「確か、42階じゃなかったかな?ICSAが管理している物件の一つだ」
男はトランクを開け、中からボストンバックを取り出しながら答えた。十条九は驚きのあまり、開いた口が塞がらない。こんなマンションをいくつも所持しているとなると、ICSAの財政力は相当なものなのではないだろうか。
「まあ、別に珍しいもんでもないんだけどな。けどまあ、こんくらいだと普通……月50万くらいかな、家賃」
「ご、50万……」
驚く十条九をよそに、彼はバック片手にマンションの方へ歩いていく。十条九は、慌ててその後を追った。入り口の自動扉をくぐった先、エントランスとロビーを隔てるガラスのドアの前で、男はインターフォンに部屋番号を打ち込んでいた。
「ICSA関連者は、住居だとかその辺はかなり保障されてる。まあ、命かける仕事だしな。それに、顔が割れるとまずい連中も働いてるし」
「……それって……」
十条九がある種の憶測を抱きながら尋ねようとすると、男は黙って、彼の前に自らの右手を差し出す。その手の小指に、第二関節より先がついていない事に気づくと、十条九は思わず押し黙った。
「……にしても遅いな。ひょっとして寝てんのか?」
何度目かの呼び出し音を聞いた後、男は腕時計に目をやりながら呟く。その後も彼は何度かインターフォンを操作していたが、やがてため息を吐きながら、何か諦めたように腕を組んだ。
「しょうがねぇな、こうなりゃ、オペレーターに頼むか」
文句のように言いながら、今度は先ほどとは別の番号を打ち込む。すると、ほとんど間を置かずに、誰かが応答した。
『はい、何か御用でしょうか』
無機質な女性の声だった。インターフォン越しでも無感情さが伝わってくるような抑揚のない声に、しかし男は口角を上げる。
「おー、ワリィなオペレーター。実は、管理人さんに用があるんだけど、出てくれないんだよ」
『例の件ですね。管理人から話は聞いています。とりあえずはボクの部屋に住ませると、彼女が言っていました』
その言葉に、男は顔をしかめた。
「え?この子に一部屋貸してくれるんじゃないの?」
『今現在、「人が住める状態の部屋」は、ボクの部屋くらいしかないんです。彼女の管理能力の低さは、ご存知でしょう?』
管理能力のない奴がどうして管理人なんだ、明らかな人選ミスじゃないかと、十条九は口に出さなかったものの、心の中でツッコミを入れる。それを察したのか、男は十条九をチラッと見ながら苦笑した。
「……はぁ、まあ、このままってわけにもいかないし……じゃあ、とりあえずお前の部屋に送ればいいのか?」
『はい。今、ドアを開けます。ボクの部屋の鍵も開けておくので、勝手に入るように言っておいてください』
言うが早いか、エントランスのドアが開く。中は、やはりというべきか、まるで高級ホテルのように豪華な内装が施されていた。その光景に圧倒されていると、不意に、男がボストンバックを差し出してくる。聞いてみると、当面の着替えや身の回りの物などが、幾らか入っているらしい。十条九は礼を言い、それを受け取った。
「おし、じゃあ、俺の仕事はここまでだな。サンキュー、オペレーター」
『お疲れ様でした』
その会話を最後に、声が途絶える。男は一仕事終えたと言うように微笑むと、十条九の肩にポンと右手を乗せた。
「んじゃ、あとは自分で頼むぜ。俺は一応、こっから先に入っちゃいけないことになってるから。……まあ、当初の予定とは違うけどよ、案外これでよかったのかもしれねえな。ほら、なんていうか……一人でいるよりかは、気が滅入らないだろうし」
幾分の気遣いを言葉に含みながら、男は口にする。存外、外見に反して根の良い人間である事を、十条九は感じ取っていた。
「あ、はい。ありがとうございました。えっと……」
名前を尋ねていないことを思い出し、咄嗟にそれを尋ねようとする。しかし男は察したようにそれを制した。
「俺のことは『運び屋』でいい。俺の本名はたぶん、知らねぇほうがいいからな」
ニヒルな笑みを浮かべ、男は背を向けると、自動ドアをくぐり外へと向かう。
「あ、そうそう。女と二人っきりだからって、手ェ出すんじゃねえぞ?」
その途中、冗談めかしてそう言いながら、男は去っていった。




