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「じゃあ、十条くんはこの部屋使ってね」
委員長がドアを開けると、綺麗に整頓された小部屋が十条九の前に姿を現した。六畳程度の大きさの空間に、シングルベッドといくらかの家具が収まっている。一時的な退院を言い渡され、十条九が彼女の自宅を訪れていたのは、八神医師の診察を受けた二時間後の出来事だった。
「部屋の中のものは好きに使っていいから。あと、分からないことがあったら、私の部屋は隣にあるから、いつでも言ってね」
彼は部屋の中に入ると、ゆっくりと辺りを見渡す。置いてある小物の雰囲気から、どことなく女性らしい印象を受けた。
「じゃあ、私は何か十条くんが着れそうなもの探してくるね。ずっと制服ってわけにも、いかないでしょ?」
そう言って委員長が部屋から出て行くのを見てから、彼は右腕に気を配りながら慎重に制服のブレザーを脱いだ。それを近くの椅子にかけてから、彼はベッドの上に腰をかける。ベッドがわずかに軋むとともに、ふわりと甘い香りがただよってきた。それと同時に、この部屋の持ち主が誰なのかという疑問が、頭に浮かんでくる。
「……委員長って、お姉さんか妹さんがいるのかな……」
ピンク色の布団カバーに目をやりながら、十条九は呟く。ふと、これが女性のベッドなのではないかと意識すると、何故だかいけない事をしているような気分になって、彼は妄想を振り払うように、首を振った。
「……我ながら、何を考えているんだか」
所詮は自分も男子高校生か、と自嘲気味に思いながら、彼はそのままベッドに横たわった。しかし、一度気になってしまうとなかなか落ち着かないもので、彼はヤレヤレとため息を吐くと、左手で顔を覆った。その時、自分が昨日から入浴していないことを思い出して、思わずその臭いを嗅ぐ。
「……やっぱり、少し臭うか……?」
彼は、どことなく甘い匂いが漂う部屋の中で、自分だけが異臭を放っているような暗鬼に囚われてしまい、いてもたってもいられなくなった。生まれて初めて同級生(しかも女子)の家にお邪魔しているせいで、神経が過敏になっているのだろう。
逡巡した後で立ち上がり、部屋を出て階段を下りた。リビングの扉を恐る恐る開くと、中から話し声が聞こえてきた。どうやら、委員長の父親が電話をかけているらしい。口調からして、職場か取引先のようだ。受話器を置くとともにため息を吐くと、彼は十条九の存在に気づいた。
「ん?十条くん、どうかしたかい?」
「あ、はい、えっと……今、忙しかったですか?」
「いや、大丈夫だよ。ちょうど電話が終わったところだから」
彼は松葉杖をつきながら、ソファーへと移動して腰を下ろす。
「紅葉から部屋の場所は聞いたかい?」
「はい……あの、あの部屋って……」
彼は一瞬だけ迷ったが、好奇心に負けて、部屋の持ち主のことを尋ねることにした。
「ああ、普段は私が使っている部屋だけど、気にしなくていいよ。書斎に簡易ベッドがあるから、私はそっちで寝るし」
「…………」
「あの甘い匂い、あんたの匂いだったのかよ」と、彼は心の中でツッコミを入れる。安心したような、少し残念なような、そんな複雑な気分だった。
「それで、何か用かな?」
「あ、はい。えっと、シャワーを借りてもいいですか?」
「ああ、かまわないよ、好きに使ってくれて。場所は洗面所の隣だから。今、タオルの用意を……」
そう言って彼が立ち上がろうとするのを、十条九は慌てて留める。さすがに、足を負傷した人間にそこまでさせるのは、酷だと思われたのだ。そんなやり取りをしていると、不意に階段を下りてきた委員長がリビングを覗き込む。
「あ、十条くんここにいたんだね。着替え、持って来たよ」
それを見た委員長の父親は「ちょうど良かった」と、事の顛末を話す。彼女はそれに頷くと、十条九を風呂場へと案内した。
「タオル、ここに置いておくね。それと、これが着替え。お父さんのやつで悪いけど、一応下着とかもあるから」
そう言いながら、ふと彼女は十条九の右腕に目を留めた。ブレザーを脱ぐ時にサポーターは外してあり、今は右腕がブラリと垂れている。
「ねえ、それって、お風呂入る時は外しても平気なの?」
「いや……でも、そのまま入るわけにもいかないし」
そう答えると、委員長は困ったように顔をしかめる。
「っていうか、十条くんそれで体洗えるの?背中とか」
「……あー……」
十条九は視線を合わせないようにしながら考え込む。確かに、当人である自分にもどうしたらよいのか、よく分からなかった。右耳に水が入らないように、綿か何かを詰めるよう言われた以外は、診察の際に聞き忘れていた事を今さら後悔し、十条九は顔をしかめる。
そんな彼の様子を見て、委員長は言った。
「なら、私が背中流そっか?」
「……ふぇっ!?」
あまりに衝撃的な一言に、彼は思わず変な声を上げてしまった。十条九は、彼女のことをまじまじと見つめる。この少女は、自分の言っている言葉の意味が分かっているのだろうかと、十条九は驚愕に目と口を大きく広げていた。
「昔はよくお父さんの背中流してたし」
無論、そういう問題ではないだろう。ここで彼が驚愕しているのは、委員長が同級生の男子の背中を洗うことを、自ら進言しているためである。そんな現実離れしたことを言い出す女子など、どこに実在すると言うのだ。まさしく、「それ何てエロゲ?」状態である。しかも入浴イベントなど、好感度が上がってきた物語後半に発生する、確実にCG付きのイベントではないか。
「……?十条くん?どうかした?」
「いぇ!?いや、えっと……だ、大丈夫だから!」
慌てて答える十条九を見て、委員長は首を傾げる。
「……ひょっとして、照れてる?」
「て、ててて照れて……」
というか、こんな状況で照れない奴などいるのか、逆に尋ねてみたいところだ。少なくとも十条九は、同級生の女子にそんなことを打診されて「じゃあ頼む」なんて言えるような度胸を持ち合わせてはいない。露骨に反応する十条九を見て、委員長は納得したような表情をしながらクスッと笑った。
「あー、そういうことかー。十条くん、えっちなこと考えてるんでしょ?やらしーなー」
「い、いやいやいや!そんなこ……」
この会話は一体何なのだろうかと、赤面しながら首をブンブンと振る。こんなキャッキャウフフな感じの会話など、十条九には未経験だった。というか、彼自身委員長との間に何らかのフラグを立てた自覚などない。否、確実に何もないはずだった。
「と、とにかく、俺は一人で平気だから!っていうか、委員長もそんなこと気軽に言うもんじゃないだろ!俺と委員長はただのクラスメイトなんだし!少なくとも年頃の男女なんだから、下手にそういうこと言ったりしたら、誤解する奴もいるだろうし!いや、別に俺がそういう勘違い野朗だってわけではないけど!もちろん委員長が優しさからそういうことを言ってるんだってことは分かるからね!?ただ俺が言いたいのは……」
息継ぎなんて挟みもしなかった。とにかく弁解を試みようと必死だった十条九は、そんな長ったらしい言葉を噛みもせずに、波濤の如く吐いたのである。委員長はしばらく呆気に取られたような顔をしていたが、やがて堪えきれずに吹き出した。
「ぷっ、ははは!十条くんがそこまで饒舌なの初めて見た!何でそんなに必死なの?……くっ、あはは!」
どうやら委員長のツボにはまったらしく、彼女はお腹を抱えて笑っている。十条九は気恥ずかしさを覚え、委員長から顔を逸らした。
「そ、そこまで笑わなくても……」
「ふふ、ゴメンゴメン。けど、十条くんって慌てると早口になるんだね。普段無口だから、全然知らなかった。なんて言うか、十条くんって話してみると面白いね」
十条九がムスッとした表情のまま言い返せずにいると、委員長はもう一度謝ってから、「困ったことがあったら呼んで」と言い残し、洗面所を後にした。
「まったく……」
同い年の女子にからかわれた経験のない十条九は、それと同時にため息を吐き出す。なぜだか分からないが、どっと疲れたような気がしていた。彼は身に付けていたものを手早く脱ぐと、足早に浴室に入った。シャワーの蛇口を勢いよくひねり、右肩に負担をかけないように気をつけながら、体に熱い湯を浴びる。ちょうどその辺りで、「ひょっとして委員長があんな事を言ったのは、自分が男子として見られていないからではないか」という事に気付いてしまい、十条九は複雑な気分になっていた。
彼がシャワーを止めた時、ふと、洗面所から何か音がすることに気づく。それはちょうど、誰かが衣服を脱ぐ時のような、シュルシュルという衣擦れの音だった。
「……え!?」
思わず、彼は驚嘆の声をあげる。もしかしなくとも、この状況となれば、及ぶ考えなど一つだけだろう。
「ま……まさか、委員長……!?」
十条九は慌てて近くにあったタオルを腰に巻く。その間にも、足音がゆっくりと浴室に近づいてきていた。心臓が、バクバクと高鳴る。思わずドアの方を見つめていると、曇りガラスに誰かの人影が映るのが見えた。
「……っ‼」
十条九はあたふたと動揺するものの、もはやどうすることもできなかった。そしてついに、浴室のドアが開かれ──
「やあ十条くん!右手がうまく使えないだろうから、背中を流しに来たよ!」
満面の笑みで、委員長の父親が現れた。




