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10-3 怪異のない日


■境界堂・昼


扇風機、ぶぉー。

ファニーが床に伸びてる。


「溶けるぅ……」


シエルはアイスを食べながら。


「夏ですね」


マスター、スマホを見る。


「……あれ」

「どしたの?」

「母さんから」

「実家ですか」


読み上げる。


「今年のお食事会、二人も連れてきなさい。多めに作ります」


沈黙。


「……え?」

「我々込みですか」

「らしいねぇ」


「いや待って!?家族イベントで!?」


肩をすくめる。


「うちの母さん、知り合ったなら半分家族みたいな距離感だから」


スマホ。ぴろん。追加メッセージ。


『スイカ冷やしてあります』


「行きます」


即答。



■若葉家・夕方


蝉。

じりじりした熱気。

住宅街。

どこにでもある家。

でも、玄関脇に生えているナツツバキだけ妙に涼しそう。


ぴんぽーん。

どたどたどた。

勢いよく扉が開く。


「いらっしゃーい!」


榛色の髪。新緑の瞳。笑顔。

圧倒的お母さん力。


「お、お邪魔します!」

「失礼します」


若葉がぱっと笑う。


「二人とも久しぶりねぇ!」

「ただいま」

「おかえり!直人!」


その声だけで、家の空気が完成する。


玄関。

奥から父、眞人が出てくる。

無口。背が高い。工具油の匂いが少しだけ残ってる。


ファニーとシエルを見る。


「……どうも」


低い声。

軽く頭を下げる。


「あっ、こんにちは!」

「お邪魔します」


眞人は静かに頷く。

それから。


「……ゆっくりするといい」


短く、ぽつり。

でも、既にスリッパは人数分並んでいる。


シエルは静かに見る。

マスターは小さく笑う。


「父さん、準備型だから」



■リビング


クーラーが涼しい。


姉、ソファでごろごろしてる。


「自由だァーーーーー!!子供旦那に預けてきた!!北海道!!最高!!」

「義兄さんお疲れ様だねぇ」

「一週間頑張れって言っといた!」

「圧政です」


けらけら笑う。


「だって年1の実家イベントだよ!?羽伸ばさなきゃ損じゃん!」


兄、スマホ片手。


「お、来た来た」


ファニーを見る。


「結婚する?」

「早ッッッ!!!」

「最短記録ですね」


「世界を回った結果、行動は早い方がいいと学んだ」

「学び方が雑!!」

「兄さんはまず言う派だから」


「ちなみにブラジルでも振られた」

「知ってる!!」



若葉は楽しそう。


「賑やかでいいわねぇ」

「母さんが原因な気もするけどねぇ」

「えへへ」


かわいい顔して流す。


「ご飯まだ少しかかるから、部屋でも見てきたら?」

「あーはいはい」


二階へ。

階段。

ファニー、小声。


「緊張してきた」

「今さらですね」


「だってマスターの実家だよ!?」

「だからです」



■マスターの部屋


扉、がちゃ。

ファニーは入った瞬間止まる。


「……普通」


夏の空気にカーテンが揺れる。

机。本棚。参考書。古いゲーム機。積まれた本。

ちゃんと、学生だった痕跡がある。


「生活感がありますね」

「なんかもっとこう……呪具とかあるかと」

「実家に何置いてると思われてるの僕」


苦笑。


「適当に座ってて。僕ちょっと母さん手伝ってくる」


ぱたぱたと下へ。

静かな部屋に蝉の声。


二人は部屋を見回す。


「……なんか不思議」

「ええ」

「ちゃんと、昔から生きてた人の部屋だ」


本棚のその下。


「あれ?卒業アルバム?……出たァ!!」

「興味深いですね」


ぱらり。少し埃っぽい。

若いマスターが友人たちに囲まれて写っている。


「いた!!」

「いますね」


今と顔は変わらない。

でも、表情だけ違う。

少し柔らかい、普通の笑顔。


ファニーはじっと見る。


「……ちゃんと学生してたんだ」

「当然ですが、違和感があります」


ページをめくる。

寄せ書き。


『また遊ぼうな!』

『卒業しても連絡しろ!』

『無理するなー!』


眩しいくらい普通。


「……これさ。今、誰も居なくない?」


卒業アルバムは、未来へ続く前提のもの。

でも、今のマスターは、そこから少し遠い。


がちゃ。

マスターが戻り、一瞬で察する。


「……あー」

「ご、ごめん!」


「別にいいよぉ」

「無断閲覧しました」


マスターはアルバムを見る。

少しだけ、懐かしそう。


「え、普通にモテそうじゃん」

「モテそうって何」


「今も顔はいいけど生活が怪異寄りだから……」

「ひどいなぁ」


くすっと笑う。

アルバムを見る目だけ、少し遠い。


「これ、全部置いてったの?」

「んー」


ぱら、とページをめくる。


「境界堂に残してくと、困るかなって。僕一人で依頼してた時は、何があるか分からないしねぇ」

「それは……」


マスターは肩をすくめる。


「姉さんの教えだよ」


軽い声なのに、自分が居なくなった後を自然に前提にしてる。


そこだけ、静かに怖い。


その時、下から明るい呼び声。


「ご飯できたわよー!」


沈黙が、ふっとほどける。


「はーい!」


マスターもいつもの笑顔に戻る。


「行こっか」



■若葉家・食卓


階段を降りる。

その途中で、もう匂いが強い。


焼き魚。唐揚げ。煮物。だし巻き卵。とうもろこしご飯。山盛りの枝豆。夏の実家の匂い。


「うわぁ……美味しそうすぎる!!」


若葉はエプロン姿で振り返る。


「いっぱい作っちゃったぁ」


シエルは卓上を見る。


「いっぱいの規模を超えていますね」


テーブルは完全に宴。


「毎年こうなんだよねぇ」

「だって年一だもの」


その一言だけで、全部正当化される。


席につく。

眞人はファニーの前で、何も言わずに席を引く。


「……どうぞ」

「あ、ありがとうございます!」


シエルの前には、自然に取り皿と冷たい麦茶。


眞人は何も言わない。でも、ちゃんと見てる。

マスターはそれを見て少し笑う。


「父さん、観察型だから」

「……子供はたくさん食え」


短いが、声は柔らかい。


「いただきまーす!」


食卓が一気に賑やかになる。


「おいしい!!」

「よかったぁ」

「唐揚げこっちにもー」

「ブラジルでは肉をこう食う」

「急に始まった」


シエルは静かに食べている。箸が止まらない。

若葉が気付く。


「あら、シエルちゃん煮物好き?」

「……美味しいので」

「えへへ、よかったぁ」


マスターは味噌汁飲みながら小さく笑う。


「母さん、人が食べてる時が一番嬉しそうなんだよねぇ」

「そりゃ嬉しいわよぉ」


姉はビール片手にだらけてる。


「いやぁー、自由って最高」

「子供放置してる人の顔なんだよなぁ」


「放置じゃない!旦那に預けてる!」

「義兄さん泣いてそう」


「頑張って♡ってLINEしといた」

「強いですね」


兄はファニーを見る。


「やっぱ結婚する?」

「まだ言うの!?」


「君なら海外生活も耐えられそう」

「評価基準がサバイバル!!」


「兄さん、ヨメ探しグローバルだからねぇ」

「愛に国境はない」


「節操も薄いですね」



笑い声。麦茶の氷。風鈴。普通の家族。

怪異も、異能も、血の匂いも無い。

ただの、夏の食卓。


「直人、野菜食べてる?」

「食べてるよぉ」


「絶対偏ってる」

「否定できないねぇ」


「こいつ昔から放っとくとコーヒーだけで生きようとするから」

「今もそう!!」

「あらまぁ」


眞人、黙って小鉢を息子の前へ置く。

ほうれん草のお浸し。


「……はい」


素直。

ファニー、ちょっと笑う。


「なんか今だけ年下っぽい」

「失礼だなぁ」



その時、兄が立ち上がる。


「待ってろ」


冷蔵庫をごそごそ。

取り出すのは、プリン。

眞人、ぴくっと反応。


「親父の秘蔵」

「……おい」


「ほんとにプリン狂いなんだ」

「視線速度が上がりましたね」


兄、ニヤニヤ。


「年一だからセーフ」

「お父さんのとったらだめでしょぉ」


でも誰も止めない。



食後の緩んだ空気感。

蝉の声も、少し遠い。


兄が、今度は棚を開ける。

琥珀色の液体が入った、茶色のボトル。


「お酒?」

「ウイスキーですね」

「…………俺の十年もの」


「親父の秘蔵その二!」

「兄さん怒られるよぉ」

「年一だからセーフ!」


何もセーフじゃない。



とぽぽっ、と軽妙な音を立ててグラスへ注がれる。

琥珀色に揺らめく水面。鼻に重く乗る樽香。かき混ぜればカラリと鳴る氷。


「うわ、大人の匂い」


兄はグラスを持ち、そのままマスターの口へ。

ぐいっ。


「へっ……?んぐ!?」


マスターは口内に入ったウイスキーを味わうことなく飲む。


沈黙。


「あ」

「入りましたね」


マスター、瞬き。顔がみるみるうちに赤くなる。一拍、二泊、それから。


「あっははははは!!」


マスター爆笑。


「あっははははは!!」


兄も一緒に爆笑。


「「いえーい!!」」


ぱぁん!!とハイタッチ。


「あははっ、待って兄さんそれ反則……っ」

「弱っ!!相変わらず弱っ!!」

「ふふっ、これ匂いだけで酔うやつだってぇ……!」


若葉は慣れた手つきで水を置く。


「はいお水ねぇ」

「ありがとかーさん」


完全に幼児退行。

姉は腹を抱えて笑う。


「変わってないなぁコイツ!」

「姉さんさぁ……あははっ……」

「成人したての初飲酒でもゲラだったよねー」

「筋金入りだった!?」


マスターはゆらりと立ち上がり、ファニーの後ろから、ぎゅう。


「ぬおっ」


抱きつく。

さらに反対側。シエルにも、ぎゅう。


「……来ましたね」


マスターは満足そう。


「あったかい〜」

「ちょ、マスター重いってば!」


若葉はにこにこ見てる。

姉は笑いを堪えてる。

兄は驚愕。


「おまっ!家族以外と距離詰められるのか!?」


マスターは二人を抱えたまま、ふにゃっと笑う。


「この子たちねぇ、僕の大事な子たちなんだよ〜」


静か。

ファニーが一瞬止まる。

シエルも、少しだけ目を細める。


へにゃっと笑う。


「すごいんだよ〜。優しいし〜。頑張り屋だし〜」

「やめろ照れる!!」

「アルコールによる情動解放ですね」


マスター、ぎゅうしたまま。


「ちゃんと帰ってきてくれるし〜」


その一言だけ。

少し、静かになる。


若葉はほんの少しだけ目を伏せる。

眞人は何も言わない。

でも、グラスを置く音だけ、少し優しい。


「はいはい、分かったから離れろー!」

「や〜だ〜」

「完全に幼児退行しています」


「面白すぎる」

「動画撮っとこ」


「後日脅迫材料になりますね」

「ひどいねぇ……」


笑い疲れた頃。

ふと、マスターだけ静かになる。


窓の外。夏の夜。遠くの街灯。

その横顔だけが遠い。

楽しそうな顔が一瞬だけ消えて、戻る。


「ふふっ。酔ってるねぇ」


マスターはいつも通り笑う。


ファニーはそれを見て、漠然とした不安を覚える。

まるで、離れる準備をしてる人の顔に見えた。



■若葉家・夜


食卓は片付いた。

楽しかった空気だけ残ってる。


麦茶。笑い声の余韻。夏の匂い。

扇風機、ぶぉー。


兄は完全に酔ってる。

姉は床でごろごろ。

若葉は台所で鼻歌。

眞人は静かにグラスを傾けてる。


平和な一般的な家族。


マスターはソファに沈んでる。

顔は赤い。笑い上戸状態は継続中。


「ほんと、マスターってお酒弱いね」

「あはっ……弱いねぇ……」

「声の出力が30%ほど低下しています」

「世界がふわふわするぅ」


姉は残った枝豆を食べながら。


「でもさぁ」

「んー?」

「アンタ、昔より笑うようになったよね」


マスターは数秒考える。


「……そう?」

「ずっと死んだ目だったぞ!我が愛しの弟よぉーー!!」


若葉は台所から。


「今の方が柔らかいわよぉ」


マスターはにこにこと笑う。


「環境かなぁ」


シエルはその言葉を静かに聞く。


眞人、グラスを置く。

こと。


「……仕事は」

「ん?」

「無理するな」


短い。

それだけ。

でも、部屋が静かになる。


マスターは少しだけ目を細める。


「善処します」


ファニーは気付く。

たぶん、この親子、昔からこうだ。

多くを言わない。でも、ちゃんと見てる。



兄が急にスマホを見る。


「あ」

「どした」

「ブラジルの子から返信来た」

「まだ続いてたの!?」


真顔。


「あなた面白いけど怖い、だって」

「正確な評価ですね」


姉、爆笑。


「振られてんじゃん!!あっはっは!!」


「はい、デザートのスイカよー!」

「夏だ!!」


赤い。冷たい。三角。

マスターは酔ったまま食べる。

しゃくり。


「……おいしいねぇ」


その顔は、少しだけ幼かった。




夜も深くなる。蝉の声は消えて、代わりに遠くで風鈴がチリリと転がる。


ファニーはふと気付く。

この家族、誰もマスターに聞かない。


怪異のこと、異能のこと、危ない仕事のこと。

知ってるはずなのに、誰も踏み込まない。


小さく若葉へ。


「……聞かないんですね」


きょとん。


「なにを?」

「マスターのこと」


一瞬。

若葉は少しだけ笑う。

優しい微笑み。でも、どこか全部分かってる人の顔。


「あの子、自分で決める子だから。……帰って来れるなら、それでいいの」


風が吹く。

カーテンが揺れる。


マスターはうとうとしてる。眠そう。

兄がつつく。


「寝るなー」

「んー……」

「ほら、アンタたち歩いて帰るんでしょ?起きなー」

「いっぱい頑張ってるのね」


マスター、半分寝ながら笑う。


「……母さん、それ反則……」


ファニーは少しだけ目を逸らす。

なんか、眩しい。



深夜前。

帰る準備。


「お邪魔しました!」

「ありがとうございました」


「また来てね」

「次は泊まりね!」

「結婚も待ってる」

「待たなくていい!!」


眞人は玄関で静かに立つ。


「……気を付けて帰れ」


「はい」

「ありがとうございます!」


「うん。みんな、またねぇ……」


外。夏の夜のぬるい風。遠くから聞こえる虫の声。


賑やかだった余韻を噛み締めるように、歩き出す三人。


ファニー、ぽつり。


「……いい家族だね」

「うん、そうだねぇ……」

「あなたの人格形成理由が理解できました」


「褒めてる?」

「半分ほど」


マスターだけ、振り返る。

家の灯り。窓の向こう。笑い声。

その視線だけがほんの少し、見納めにしている人みたいだった。



翌日。

マスター「うう……頭が痛い……。うわあ、息が酒臭いんだけど……いつ帰ってきたの?」

シエル「我々が両脇を固めて連行しました」

ファニー「ふらふらどっか行こうとするからだよ!」

マスター「僕、いつからグレイマンになったんだろ」


ファニー「ねえマスター。ここ、帰る場所だよね?」

マスター「うん?なにを当たり前のことを」

ファニー「……ううん、なんでもない!」


シエル「……ここは、帰る場所ですよ」

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