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境界堂へようこそ 〜壊れかけの観測者の日常〜  作者: 白鐘
第九章 分ける必要なんてなかった
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93/101

9‐9 観測してはいけない存在


■旧市街・封鎖区画


シャッター街。

立入禁止テープ。割れた信号。停止した監視カメラ。


数年前から、視線被害が報告され続けている区域。

人通りはない。だが、監視だけが残っている。


風、熱源、振動、呼吸。


全部、どこか見られている。

そこに“眼”はない。

だが、観測は存在していた。


観測型怪異レンズ



■観測開始


『対象群、捕捉』


世界が展開する。

視界ではない、未来予測層。


無数の線、分岐、到達点、圧縮。



ファニー。

高速接近型。

感情反応優先。

行動パターン、収束。


『回避誘導可能』


線が閉じる。

 


シエル。

観測補助。

制御支援。

演算型。


『防御展開、突破可能』


未来固定。



クロード。

近接制圧。

高危険度。

反応速度、上位。


『優先排除対象』


数百の未来。

最適解を選別。

圧縮。

収束。

固定。


『勝率:98.2%』


誤差範囲。

完全優位。


沈黙。

そのまま、最後の一体へ視線を向ける。


『……残存一』


止まる。

視界の中心にマスター。


『解析中』


一拍。


『……解析中』


止まる。

未来展開が、妙に重い。


『認識負荷上昇』


レンズは観測深度を上げる。

視る。もっと深く。


マスターは立っている。

笑っている。ただ、それだけ。


なのに、輪郭が一瞬だけ遅れる。

“今いる位置”と、“認識される位置”が、ズレる。


『……位置誤差』


補正。

再観測。

今度は、肩がノイズ化する。

フレーム飛び。


一瞬前と一瞬後が、同時に存在する。


『……同期不良』


違う、そんなはずはない。


レンズ、演算加速。

未来展開。


0.3秒後。

マスター、右。


1.2秒後、左。


5秒後、前方。


10秒後、そこにいない。


『……固定不能』


予測が、閉じない。


『誤差修正』


観測精度、上昇。

空間補正。

行動予測。

神経反応。

筋出力。

視線誘導。

全てを重ねる。


未来、圧縮。

攻撃。

見えない刃。

最短。

最速。

必中。

――空振る。


『……』


マスターは避けていない。

“そこからズレた”。


レンズ、即座に再計算。

次。次。次。

全部、外れる。


『……ありえない』


視る。

もっと深く。

限界以上に。


未来展開数、増加。

数百。

数千。


その瞬間、見えてしまう。


・当たる未来

・外れる未来

・避けられる未来

・受ける未来

・反撃される未来

・そもそも存在しない未来


全部、同時に成立。


『……二重演算?』


違う。

もっと単純。

もっと壊れている。


未来予測層の奥で、マスターだけが、線の上に立っていない。


他の存在は、未来へ伸びる。

でも、あれだけは違う。線の外から、未来を踏み越えてくる。


0.3秒後。

1.2秒後。

5秒後。


全部、違う位置へ伸びる。

線が、収束しない。


『……固定不能』


ノイズ。

視界が軋む。


レンズ、演算領域をさらに解放。

観測深度、限界突破。


理解する。


『違う、未来分岐ではない。同時存在でもない』


演算。

停止。

再起動。

停止。


『これは――』


マスターが一歩踏み出す。

未来予測に存在しない位置へ。

空間が、微妙にズレる。


『位置不定!?』


補足不能。

座標固定失敗。


首を傾げる。


「ねえ」


緑の瞳。

その奥。

紫が、ゆらりと揺れる。


「どこまで見える?」


レンズ、全観測展開。

未来。

全開放。


結果。


全部いる。

全部違う。

全部来る。


『――――』


演算、限界突破。


解析失敗。

未来固定、失敗。

存在定義、失敗。


ノイズ。

崩壊。

観測層、断裂。


“見る”という行為そのものが、ノイズへ変わる。

それでも。

最後の処理だけが動く。


『境界堂』

『関与禁止』

『観測不可』

『接触=崩壊』

『――あれは』


信号拡散。

怪異ネットワーク、広域送信。


遠方。

水面が、波紋もなく沈む。


地下鉄跡。

逆さの影が、進行方向を変える。


病院跡。

天井の眼が、静かに閉じる。


その途中。

視界の中心。

マスター。


止まっている。

何もしていない。

ただ、こちらを見ている。


レンズ、最後の観測を試みる。


解析。

失敗。


未来固定。

失敗。


存在定義。

失敗。


『――――』


処理限界。

観測層、崩落。


その瞬間。

マスターが、少しだけ首を傾げる。


「……ん?」


困ったような声。

紫が、瞳の奥でゆらりと揺れる。


「え、なんかごめん」


悪意が、ない。

壊れると思っていなかったみたいに。


レンズ、停止しかけた演算で、理解する。

故意ではない。


マスターは少し考える。


崩れていく視界。

割れた未来。

ノイズ化した確率。

それを見て、ぽつり。


「見えすぎるのも、大変だねぇ」


静かに笑う。

まるで、相手が壊れた理由を本気で理解していないみたいに。


その瞬間。

レンズの観測層が、完全停止する。

最後の認識。


『あれは――、観測してはいけない存在』


沈黙。

風が、遅れて吹いた。



■境界堂


静か。

時計の針。

紙の擦れる音。

湯気。


いつもの空気、のはずなのに。

どこか、薄く張っている。


マスター、椅子に座っている。

足を組む。

頬杖。

楽しそうに。


でも、静かすぎる。


ファニーがちらりと見る。


「……ねえ。今の自分、ちょっと変だなって自覚ある?」


「あるよ?」


あまりにも軽い。


眉間にシワが寄る。


「笑いながら言うなって……」


「でも、別に暴れてないでしょ」


そこ。

ファニーが詰まる。


確かに、誰も傷つけていない。

でも、だから余計に怖い。


シエルも静かに口を開く。


「以前より、制御されています」


視線は逸らさない。

まっすぐ、マスターを見る。


「ですが、危険度は上昇しています」


沈黙。

マスターは目を細める。


「でしょ?」


どこか楽しそうですらある。

ファニー、小さく舌打ち。


「自慢みたいに言うなって」


その瞬間。

ぐい。


「えっ」


腕を引かれる。

視界が揺れる。

近い。


マスターの肩。

呼吸。

伏せ気味の睫毛。

距離感が、壊れている。


「危ないよ?」


静かな声。

反射的に顔を逸らす。


「……あんた絶対わざとでしょ」

「うん」

「認めるんだ!?」


マスターはくすっと笑う。


「だって、分かりやすいしねぇ」


「悪化していますね。……自覚的に」


ファニーが睨む。

マスター、少しだけ考える。


それから、珍しく。

少しだけ真面目な顔になる。


「隠してることとか、我慢してることとか」


二人を見る。

交互に、ゆっくり。


「前より、見えるから」


静か。

ファニーの言葉が止まる。

シエルの指先が、わずかに止まる。

“見られている”。


表面じゃない。

もっと奥。


沈黙の中、シエルが静かに口を開く。


「……以前と違います」


「…何が?」


「理解速度です。相手の感情、反応、無意識の癖」


視線は逸らさない。


「“人間”を読む精度が、上がりすぎている」


マスターは少しだけ笑う。

シエル、続ける。


「だから距離を詰める。相手が、拒絶しきれない位置へ」


「うわ最悪」


「ですが」


ほんのわずか。

シエルの声が落ちる。


「本人に、悪意が薄い」


静か。


「理解しているのに、操作している自覚が希薄です」


「ひどい言われようだなぁ」


「否定できますか」


沈黙。

少しだけ考える。


「……できないかも」


「認めるな!!」


でも。

その空気は、さっきより少し柔らかい。


ファニー、ぼそっと。


「なんでそう、人の反応だけ上手く拾うの……」

「最悪です」

「褒めてる?」

「違う!!」


綺麗に重なる。

それなのに。

誰も、離れない。


マスターはそれに気づく。

でも、何も言わない。

ただ、少しだけ嬉しそうに笑った。



■境界堂


数日後。


朝。

静か。

窓際。

薄い光。


コーヒーの表面に、ゆっくり波紋が広がる。

誰も触れていない。

正確な円。

一周。二周。

ぴたりと止まる。


ファニーがじっと見る。


「……ねえ」


マスターは新聞をめくる。

紙の端が空気を裂く。

でも、音が遅れて聞こえる。

動きだけが先に終わっているみたいに。


シエルは静かに観察。


「動作精度、上昇。判断遅延、ほぼ消失」


マスター、視線を上げる。

速い。

というより、“迷いがない”。


「なに?」


ファニー、眉を寄せる。


「なんか腹立つ」

「理不尽だなぁ」


笑う。

余裕のある顔。

考える前に、答えが終わっている人間の顔。


シエルが続ける。


「誤差が減少しています。以前より、完成されすぎている」


「へえ」


コーヒーを持つ。

指先は揺れない。


「いいことじゃない?」

「良くない!」


ファニー、即答。


「人間味が薄くなってる!」

「人間味ってどこに売ってるの?」

「今すぐ買ってきて!!」


少しだけ。

空気がやわらぐ。

でも、静けさは、まだ残っている。



■一方その頃


街角。

閉店したコンビニ。

割れた街灯。

夜。

“いたはず”の気配が、消えている。


排水路の奥。

濁った水面の下。

何かが、息を潜める。


古い雑居ビル。

窓の奥。

複数の目。

だが、どれも動かない。


『境界堂』


その単語だけで、空気が静まる。


『観測型が壊れた』

『近づくな』

『見つかる』


ノイズ混じりの情報。

断片的な恐怖。


でも、それ以上に広がっているのは、“割に合わない”という感覚。


怪異は、消えていない。


ただ。

境界堂の気配が近づく場所から、

静かに遠ざかり始めた。



マスター「人間味、売り切れてた」

シエル「需要が高いのでしょう」

ファニー「本当に売ってるわけないでしょ!?」

「怪異にまで避けられてるじゃん!」


マスター「でもカノンは寄ってくるよ?」

ファニー「そこが一番怖いんだよ!!」

カノン「呼びましたか!?」


バァン!!

ドア、勢いよく開く。


沈黙。


全員「呼んでない!!」

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