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境界堂へようこそ 〜壊れかけの観測者の日常〜  作者: 白鐘
第八章 勝った代償は、僕だった
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8‐7 完全に吸血鬼スタイル


■境界堂


翌日。

朝。

地下訓練室。


ホワイトボードに、やたら元気な筆圧。

キュキュキュッ!


カノン、振り返る。満面。

口元は笑ったまま。

でも。

楽しさだけが、そこにない。


「なるほど、トリガーはこれですね!」

「“接続の残滓+保護衝動”が臨界に達した瞬間、境界が溶けます!」


図。

矢印。

ぐちゃぐちゃ。なぜか星も描いてある。


「わかんない!!」


シエル、一歩前へ。


「要約します」


・神様戦の共有状態

・怪異の断片性

・保護衝動の最大化


一拍。


「三要素の重複により――」


ほんの少し、言葉を選ぶ。


「“内外の区別が不要になる”」

「そうそれ!!」

「他人の説明で完成するの、どうなんだろうねぇ」

 

「つまり」


一瞬、全員を見る。


「再現可能です」


沈黙。


「再現しちゃダメなやつでしょ!!」


カノン、ぱんっと手を叩く。


「というわけで、マスターさん!」


びしっ。


「壁際まで下がってください!」

「ええ?」


マスター、きょとん。


「僕、危険物?」

「はい!」

「否定が無いねぇ」


しょんぼり。


「いや実際ちょっと怖いし……」

「現在、“境界が不安定な融合状態”ですので」

「言い方がもう怪異なんだよねぇ」


クロード、短く。


「自覚しろ」

「厳しい」


その直後。


「では実験です!」


その瞬間。

カノン、動く。

蒼い瞳がきらり。

同時に。


ぱしゅっ。


「へ?」


ファニーの足元。

床から飛び出す、銀色の輪。


がちゃん。


「えっ」


両足、固定。


「簡易拘束、行きます!」

「行くな!?」


さらに。

しゅるっ。

腰へ伸びるワイヤー。


「ちょっ、待っ、これいつ設置したの!?」

「さっきです!」

「怖っ!!」


ぐいっ。


後ろへ引かれる。

バランスを崩した瞬間。

カノン、背後へ回り込む。


首元。

スパナ。

ぴたり。


「はい、危険区域です」

「その台詞おかしいって!!」


ファニー、反射的に腕を振る。

が。

びくんっ。


「痛ぁっ!?」

「軽い電流です」

「聞いてない!!」


シエル、反応が一拍遅れる。


「……何を――」


その隣。

カノンだけが、“瞬きすらしない”

さっきまでの軽さが、消えている。

口元は笑ったまま。

でも。

瞳だけが、完全に観測者のそれ。


「……来ます」


小さく。

確信だけを置く。


スパナの角度。

距離。

皮膚に触れるまでの時間。


全部、見ている。全部、“計測済み”。

誰にも届かない声で。


「臨界」



その瞬間。

――無音が、完成する。


空気が、“詰まる”。



マスター。

瞬きが止まる。表情が、抜け落ちる。


(守る)


一つ。

――遅れて、もう一つ。


(守る)


同じ命令。

でも、揃わない。

“傷つく可能性があるもの”が、二つ同時に浮かぶ。


(排除)


遅れて、もう一度。

瞳の紫が、わずかにズレる。

焦点が合わないんじゃない。

“二つとも合っている”


視線だけが、先に届く。

身体が、遅れて追いつく。

ほんのわずかに。

影が、二重にズレる。



――外から見れば。


マスターは、動いていない。

ただ立っているだけ。


なのに。

“影だけが、半歩先に動いている”

輪郭が、重なりきらない。


融合体。

――未完成。


手が、上がる。

カノンへ。


ぴたり。

――止まる。


止めているのは、意思ではない。

“競合しているだけ”


その指先。

ほんのわずかに――

空間が、折れる。


カノンの首筋。

触れていない。

距離は、まだある。


なのに。

皮膚が、先に裂けかける。

“結果が先行している”

一歩でも遅れていれば。


――既に終わっていた。



マスター、自分の右手を掴む。


ぐっ。

筋が浮く。


紫が、二度ズレる。

片方が動き、

もう片方が止まる。


(守る)(排除)


同時に鳴る。

うるさい。

瞳の奥で、何かが噛み合わない。


視界が、わずかに二重になる。

“どちらも正しい”のに、揃わない。


「……っ」


呼吸が、遅れる。

額に、じわりと汗。


一拍遅れて、汗が落ちる。

その直前に。

――指が、わずかに“逆方向に動いている”


「……ちょっとこれは、まずいねぇ……」


軽い声。

でも。

指先が、震えている。


“同じ判断が、同時に出ていない”


主導権が、固定されていない。

――どちらでも、動けてしまう。

視線の“ズレ”だけが、残っている。


シエル、息を止める。

瞳が、ほんのわずかに揺れる。

“止められないかもしれない”

その可能性だけが、 静かに浮いている。


ファニー、反射的に半歩下がる。

理由は、分からない。

でも。

“近づいちゃいけない”だけは、本能で分かる。


「……中断してください」


低く。


「……まだ“選択が残っている”うちに」


紫が、ほんのわずかに深く沈む。


クロード、音もなく前へ。

ほんの一瞬だけ。

誰も、動けなかった。


マスターの指先が、

――わずかに“空を裂きかける”



「はい!想定通りですね!」


全員 「「わかっててやるなよ!?」」



――その直後。


ぐらり。

マスターの影が、もう一度だけズレる。


止まったはずの指先が、

ほんのわずかに、“先に触れている”

空間が、薄く軋む。


「……まだ終わってない!」

「離してってば!!」


ファニー、拘束ごと身体を捻る。

がちゃんっ。

床の固定具が軋む。


「マスター!!」


飛び出そうとする。

でも。


ぱしゅっ。

追加ワイヤー。


「第二拘束、展開!」

「増えたぁ!?!?」

「今行くと巻き込まれます!」

「でも!!」


床が、軋む。

マスターの指先が、

もう一度だけ“先に到達する”。


「……っ!」


シエル、即座。

カノンの前へ滑り込む。

庇う。

でも視線は、マスターから外さない。


クロードはもう動いている。

一直線。

迷いがない。

マスターの正面へ。


その途中。

マスターの呼吸が、崩れる。


吸う。――遅れて、もう一つ吸う。

吐く。――揃わない。


(守る)(排除)


重なる。

ズレる。

まだ、両方いる。


「……っ、まだ……っ」


呼吸が、揃わない。

視線が二重に揺れる。

止まっているはずの指先が、もう一度だけ“先に到達する”


「……っ!」


シエル、踏み込む。

止めるためじゃない。

“逸らす”ために。


その瞬間。

クロード。

マスターの間合いへ。


「動くな」


短い。

誰に向けたか、分からない。


でも―― 空間ごと、止まる。


マスターの指先。

ぴたりと、

“これ以上先が存在しない位置”で固定される。


一拍。


やっと。


(守る)


それだけが、残る。

他が、剥がれ落ちる。


遅れて。

マスターの身体が、そこに“戻る”。


「……はっ……」


呼吸が、一つになる。

影が、揃う。

紫が、沈む。

一本に。


「……危ないねぇ……」


今度は、遅れない声。


でも。

額から汗が落ちるまでに、

ほんの一拍の“ズレ”が残る。

沈黙。


そこで初めて。

クロード、カノンを見る。


「……カノン」


空気が、一段沈む。

カノン、ぴたりと止まる。


「……はい?」


「“観測のために壊すな”」

「壊れた後では、意味がない」


短く。

それだけ。


カノン、数秒だけ固まる。

それから。


「……はい」


今度は、ちゃんと“揃った返事”。


ファニー、小さく息を吐く。


「……今の、普通に死ぬやつだったよね」


シエル、短く。


「ええ。未遂です」


ミコト、階段を降りてくる。

とことこ前へ。

一度だけ、マスターを見る。


「……まだ、剥がれきっておらぬな」

「均しただけだ。戻ってはおらぬ」


マスター、息を吐き出す。


「応急処置ってやつだねぇ」


ほんのわずかに、尾が揺れる。


「次は、残る」

「歪みは、積もる」


ファニー、小さく息を呑む。

シエル、目を細める。


「……蓄積型、ですか」


ミコト、頷かない。

ただ、言う。


「流れは戻るが」

「痕は消えぬ」


カノン、少しだけ考える。


「……観測上は安定していましたが」

「“安定して見える”のが、一番悪い」


一瞬だけ。

瞳の奥。

ほんのわずかに、“獣”が覗く。


「二度は、来ぬ」

「…来る時は――戻らぬ」


静か。

重い。 


それだけ言って、くるりと背を向ける。

とことこ。 階段の前へ行く。

何事もなかったみたいに、丸くなる。


でも。

空気だけが、さっきより少し重い。


沈黙。

誰も、すぐには喋れない。


その中で。


「……いやぁ」


マスター、乾いた笑い。

自分の手首を見る。

うっすら赤い跡。

指先を、開く。閉じる。


今度は、ちゃんと“一回だけ”動く。


「ほんと、危なかったねぇ」


軽く言う。

でも。

額の汗だけ、まだ引いていない。


ファニー、小さく息を吐く。


「笑えないんだけど……」


シエル、視線を落としたまま。


「……ええ」


一拍。

そこで初めて。


カノン、こほん。

空気を切り替えるみたいに。

ぱんっと手を叩く。


「はい!反省会は後です!」


ホワイトボード、どーん。


「さあさあ皆さん座ってください!」


いつの間にか、

机。椅子。紙資料。


「ドリンクもありますよ!」

「切り替え早くない!?」


ファニー、まだ顔が引きつっている。


「今わりと命の危機だったんだけど!?」

「だから対策会議です!」


きりっ。


「安全第一!」

「説得力が死んでる!!」


その横で。


「ねえ、タオルない?」


全員、一瞬だけ止まる。

マスター、自分の首元を引っ張る。


「汗ビチョビチョで気持ち悪いんだけど」

「うわほんとだ……」


額。首筋。シャツまでじっとり。

さっきまでの異常が、

“身体だけ遅れて理解してる”みたいに汗になって残っている。


「いや今そこ!?」

「そこだよぉ……」

「命懸けだったのに本人が一番生活感ある!」


カノン、机の下をごそごそ。


「はい!吸水性重視タイプです!」

「なんで即出るの!?」


ぽいっ。

マスター、受け取る。

ぐしゃぐしゃ拭く。


「生き返るねぇ」

「死にかけてたんだよ!?」


ファニー、立ち上がろうとして。

がこん。


「……あれ?」


腰のワイヤー、まだ繋がってる。

足元の拘束輪も、そのまま。


「ちょっと!?まだ外れてないんだけど!?」


「あ」


沈黙。


「……絡まってますね?」

「軽っっっ!?」


しゃがみこむ。

わしゃわしゃ。


「えーっと、このロックを外して」

「そっち引っ張らないで!?締まってる締まってる!!」


ビリッ!


「痛ぁっ!?」

「ご安心ください、微弱電流です!」

「安心できる要素どこ!?」


シエル、無言で前へ。

ぱちん。

一瞬で解除。

ファニー、へなっと椅子へ崩れる。


「……助かった……」


カノン、拘束具を見下ろす。


「……腰側のテンション制御ですね」

「改善余地があります」

「次回までに改良しておきますね!」


「次回があるの!?」


クロード、低く。


「ない」


即答。

空気が、一瞬だけ静かになる。


その隙に。

カノン、すっ……とホワイトボードを回転。


「では、制御案その①です!」

「話を進めるな!!」



①全自動拘束装置


イラスト:完全に捕獲されてる


「完全拘束で安心安全!」

「トイレに行きにくそうだから却下だねぇ」

「そこ!?」



②健康サプリ(怪)


「気分が楽になる健康サプリです!気持ちよくなれますよ!」

「倫理的に問題があります」

「論外だ」



③腕時計ショック


「危険時、自動で電気ショック!」

「まあ、これなら……?」


「なお、気絶する仕様です!」

「却下だねぇ」



④超快適睡眠ベッド


どーん。棺桶。


「毛色違くない!?」

「見た目が最悪です」


「マスターさん、最近眠れてませんよね?」

「ぎく」


「プリン製造機のログ、夜中に頻繁更新されてます!」

「なにしてんの!?」

「……研究?」


「睡眠不足は判断力低下を招きます!」


一歩、踏み込む。


「――境界の維持にも影響します」


「…じゃあ寝てみようか」

「え、入るの!?」


棺桶、開く。

静かに横になる。

カタン。


沈黙。

数秒後。


「……意外と快適だねぇ」

「そういう問題!?」


ピッ。

カノンの端末。


「……あれ?」


表示。

接続状態:安定

定義揺らぎ:微小


一行、追加。

“境界判定:不要”


カノンの指が、止まる。


「……区別処理が、走ってませんね」

「……寝てるのに?」


シエル、目を細める。


「……制御ではなく」

「判定そのものが、停止しています」


クロード、低く。


「……違うな」


視線、棺桶へ。


「停止しているんじゃない」

「最初から――必要がないだけだ」


沈黙。

空気が、静かに冷える。


ミコト、ぽつり。


「……均せぬものが、均された“ふり”をしている」


ファニー、顔を引きつらせる。


「それ、いちばん信用できないやつ!!」

「はい。最も危険な状態です」


シエル、即答。

また、静かになる。


棺桶の中。

マスターだけが、やたら穏やか。


「……でも、寝心地はかなり良いよ?」

「そこじゃないの!!」


ぱかっ。

蓋が開く。

マスター、ひょこっと顔を出す。


「暗いし静かだし、包まれてる感あるし」

「ちょっと欲しくなってきたねぇ」


「慣れないでください」

「……ですが、睡眠による安定化傾向は確認できますね」


一拍。


「拘束用途を除けば、非常に有効かもしれません」

「さらっと用途混ぜないで?」


ファニー、半目。

クロード、短く。


「監禁前提で話すな」

「えぇ……」


カノン、ちょっとだけしょんぼり。

でも次の瞬間には、もう戻る。

ぱんっ。


「では正式採用で!」


全員 「早い早い早い!!」


「寝具としてならねぇ」


マスター、棺桶の縁に肘を乗せながら苦笑。


「拘束用途は禁止です」


シエル、釘を刺す。


「善処します!」


全員 「信用できない!!」 


笑い声。……のはずなのに。

空気の奥底だけ、まだ少し冷えている。


境界は壊れたのではない。

もともと、曖昧に保たれていただけだ。


「ねえ、それ一番ダメなやつじゃない?」

「……否定できません」


マスター、棺桶の中から肩をすくめる。


「まぁ、なんとかなるでしょ」


――その声。

ほんのわずかに。


「なんとかなるでしょ」


遅れて、もう一度だけ返る。

同じ声。同じ響き。

でも、“距離だけが違う”


誰も、指摘しない。

空気だけが、“どちらを先に聞いたのか” 決めきれないまま、静かに残る。




■夜・境界堂


マスターの自室。

静か。

時計の針だけが、やけに大きく響く。


マスター、寝ている。

でも。

眉が、わずかに寄る。

呼吸が乱れる。


『……それは、ぼくの記憶だよ』


誰の声でもない。

近いのに、届かない。


「……やめろ」


寝言。

掠れている。

指先が、シーツを強く掴む。


『返して』


一瞬だけ。

――“何かを失う恐怖”が、確かにあった。


誰かが、いなくなる。

間に合わない。

届かない。

焦り。

恐怖。

叫び。


全部――


「……はっ」


目が開く。

暗い天井。

汗。

首元から、じわり。


「今、何かを……」


一拍。

胸だけが、うるさい。

理由は、ない。


「……覚えてないや」


“思い出せない”ではない。

“最初から存在しないみたいに、抜けている”


――でも。

“怖かったことだけが、残っている”


マスター、額を拭く。


「お腹すいた」


起き上がる。


「じゃあプリン食べるか……って禁止されたんだった」


しょんぼり一瞬。

すぐ戻る。


「……じゃあ寝るか」


歩き出して、止まる。


「あっそうだ」


足を止める。

一拍。

くるり。


「……事務所にあったねぇ」


静かな廊下。

足音だけが、やけに素直に響く。



■境界堂・事務所


扉を開ける。


薄暗い。

書類。

椅子。

その背に――


黒いコート。


「忘れ物、発見」


手に取る。


一瞬だけ。

重さが、わずかに“遅れて”乗る。


「……ちょうどいいねぇ」


くるり、羽織る。


布が揺れる。

影が、ほんのわずかに二重になる。



■自室


「襟の高いマントと」


ばさっ。


「十字架と」 


ちゃら。


「トマトジュースと」


とくとく。


「ワイングラスと……」


一拍。


「雰囲気は大事だよねぇ」



■棺桶・再入場


カタン。

蓋が閉まる。


暗闇。

静か。


その中で。

ほんの一瞬だけ。

グラスの中身が、ゆっくり揺れる。


マスターの右手。

グラスを持つ。


一拍。


いや、違う。

“持っている状態”が先にあって、遅れて、指がそこに揃う。


液体が、わずかに揺れる。

――まだ、“向こう側の順番”で動いている。


でも――

マスター、もう寝てる。

すごくいい顔で。




■翌朝・境界堂


朝の光。


「……マスター遅くない?」

「起床時刻を過ぎています」

「昨日あれだったしね……」


二人、顔を見合わせる。


「「一応確認」」


コンコン。

反応なし。


「マスター、入るよー」


がちゃ。

静か。


でも。

“いる”

気配が、棺桶から。


「……あそこだね」

「ええ」


そーっ。

開く。

中。

マスター。

完全に吸血鬼スタイル。


マント

十字架(なぜか逆にかかってる)

ワイングラス抱えてる

トマトジュース減ってる


そして。

めちゃくちゃ安らかな笑顔。


「何してんのこの人」


シエル、少しだけ見つめる。


「……睡眠の質は、向上しているようです」


マスターの指先。

一瞬だけ、ぴくっと動く

――動く前に、“動いたことが決まっている”


「起こす?」

「……いえ」


一拍。


「寝かせてあげましょう」

「だね」


そっと。

蓋を閉じる。

カタン。


「ねえシエル」

「これさ、良くなってるのかな」


シエル、少しだけ考える。


「……“整ってはいます”」

「ただし」


一拍。


「何が整ったのかは、分かりません」




暗い。

マスター、眠っている。


そのすぐ隣。

“もう一つの輪郭”


同じ姿。

同じ寝顔。


でも。


呼吸のタイミングが、

わずかにズレている。


片方が吸って。

“もう片方が、遅れて真似る”

――先に吸った方が、

“本物かどうかは、分からない”


『……それは、ぼくの記憶だよ』

『先に使ったから』


グラスを傾ける。


一口。

その分だけ、マスターの中から“何かが減る”。

何が減ったのかは、

もう誰にも分からない。


中身は――

赤ではない。

透明でもない。

“まだ定義されていない色”


朝は、やさしい。

棺桶の中は、静かだ。


でも。


“どちらが先に存在したのか”


もう、

誰にも分からない。


眠っている方にも。



ファニー「なんで仮装セットがあるの」

シエル「事前に用意していたのですか?」

マスター「コート以外は自前だね。世の中何が役に立つか分からないねぇ」


クロード「…なぜ、俺のコートを着ている」

マスター「事務所に忘れてあったから、借りたよ。首元と腰が温かくて良く眠れたよ」

クロード「……そうか」

マスター「クリーニングして返すねぇ」


クロード「……返さなくていい」

「……どちらが着ていたか、分からなくなる」

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