番外編「正しい生活で、なぜか弱る体質」
■境界堂
障子から、やわらかい光。
湯気の向こうで、朝がゆっくりほどけていく。
マスター、窓を開ける。
「うーん、今日もいい朝だねぇ」
春の空気が流れ込む。
何かが、視界の端に引っかかる。
──人の形だ。
──その直後。
「うわあぁ!!」
玄関前。
倒れている女性。
ファニーが飛び出す。
「事件!!」
「朝から事件だよ!!」
シエル、冷静に確認。
「外傷なし。呼吸正常。意識低下」
「運ぼうか」
■境界堂・居間
布団。
三十代ほどの女性、横たわる。
数秒。
「うぅ……私は……」
目が開く。
焦点、合う。
状況把握、速い。
「ああ、また倒れてしまいましたか。ご迷惑をお掛けしてすみません」
沈黙。
ファニー、じわじわ振り向く。
「……なんか手慣れてる!?」
シエル、間髪入れず。
「倒れ慣れているのですか」
「ええ。今の感じだと、低血糖による昏倒かと思います」
ポケットから取り出す、小さな包み。
「取り敢えずブドウ糖を」
ぱく。
もぐもぐ。
数秒後。
「はい、回復しました」
「時間、ほぼ予測通りです」
「「ええ〜……?」」
マスター、穏やかに問いかける。
「どうしてこんな早朝からランニングをしていたのかな?」
女性、きっぱり。
「健康のためです」
ファニー、即ツッコミ。
「いや倒れてるのに健康のため!?」
女性、真面目な顔のまま続ける。
「最近めっきり体力が落ちてしまいまして」
指を折る。
「三食をしっかり食べる」
「運動をする」
「八時間睡眠を取る」
「等の健康のための行動を取っているのですが」
一拍。
「体重も体力も減る一方でして」
空気が、少し沈む。
シエル、静かに踏み込む。
「医療機関は?」
女性、慣れた口調。
「一通り。血液検査、画像検査ともに異常なし」
「ガンや病気などの兆候も見られず」
「“健康体です”と」
ファニー、引き気味に。
「健康体って何……?」
「じゃあこの状態、なんなの……?」
マスター、カップを置く。
少しだけ、視線を細める。
「……なるほどねぇ」
女性を見る。
「ちゃんと食べてる」
「ちゃんと寝てる」
「ちゃんと動いてる」
「なのに、減る」
一拍。
「“入力と出力が合ってない”感じだ」
「入れてるのに、抜けるほうが早いんだ」
女性、ほんの少し驚く。
「……はい。まさに、その通りです」
静かな間。
マスター、ふっと笑う。
「もしかしてだけど」
「君、僕と同じかもしれないねぇ」
「え?マスターと同じ?」
シエル、視線を向ける。
マスター、軽く肩をすくめる。
「“普通の健康法が効かないタイプの健康優等生”」
言葉が、空気に落ちる。
女性、初めて少しだけ表情を崩す。
「……それは、随分と的確な表現ですね」
ファニー、腕を組む。
「つまり何?」
マスター、あっさり。
「頑張るほど、消耗する体質だねぇ」
シエル、小さく頷く。
「最も管理が難しいタイプです」
女性、苦笑。
「……やはり、そういう分類になるのですね」
■境界堂・居間
女性、正座。
ファニーとシエルは前のめり。
マスターはいつも通り、ゆるい。
「僕もねぇ、二十代の頃に同じ感じで体力が減っていってねぇ」
女性、ぴくりと反応。
「……同じ?」
「うん。“ちゃんとしてるのに削れる”やつ」
少しだけ間。
「で、出張から帰ってきたクロードにたまたま会ったんだ」
ファニー、嫌な予感。
「そしたらねぇ」
マスター、さらっと。
「口にゆで卵ねじ込まれたんだ」
「「ゆで卵!?」」
女性、思わず素で驚く。
シエル、即ツッコミ。
「なぜ固形物を直接」
マスター、続ける。
「危うく窒息しかけたねぇ」
ファニー、机バン!
「アウト!!完全にアウト!!」
指をくるくる。
「それから一ヶ月」
「会うたびに何かしら口にねじ込まれる生活だったねぇ」
「逃げても捕まるんだよねぇ」
「あの人、無駄に足が速くて」
「怖い怖い怖い怖い!!」
「完全に“観察対象:餌付け”です」
「今思えば、“反応を見るためのテスト”だったんだろうねぇ」
女性、困惑しながらも興味。
「……それで、改善したのですか?」
少しだけ真面目な声に落とす。
「したよ」
空気が変わる。
「正確には、“原因が分かった”」
シエル、視線を鋭く。
「……何を見ていたんですか、クロードは」
軽く笑う。
「単純だよ」
指を一本立てる。
「僕らのタイプはねぇ」
「“食べてない”んじゃない」
「“使い方が違う”」
女性、息を呑む。
マスターの声、少しだけ低く。
「クロードはね」
「“食べた直後の変化”を見てた」
ファニー、ぴたっと止まる。
「……あ」
シエル、理解。
「血糖の上下」
マスター、頷く。
「そう」
「口にねじ込まれてたの、全部意味あったんだよねぇ」
指折りカウント。
ゆで卵(たんぱく質+脂質)
チョコ(糖質)
ナッツ(持続系)
パン(中間)
「それぞれで、回復の仕方が違った」
女性、前のめり。
「……!」
マスター、静かに言う。
「僕はね」
「“血糖が落ちるのが異常に早い体質”だった」
少しだけ続ける。
「あとねぇ、もう一個あって」
「このタイプ、肝臓が“飢餓状態”になりやすいんだよねぇ」
女性、ぴくりと反応。
「……飢餓?」
シエル、すぐに補足する。
「肝臓は、血糖を維持するための“備蓄と供給”を担います」
「グリコーゲンの貯蔵と放出ですね」
「そうそう」
指で軽く円を描く。
「普通はねぇ、ちょっとくらい食事が空いても」
「肝臓が“補充してくれる”んだよ」
一拍。
「でもこのタイプ」
少しだけ目を細める。
「そもそも貯める量が少ないか」
「出すのが早すぎるか」
「あるいは、その両方」
女性、小さく息を呑む。
「……だから、急に落ちる」
「そう」
やさしく。
「体の中ではもう“非常事態”なのに」
「本人の自覚が追いついてない」
「主観と生理状態の乖離ですね」
「じゃああれだ!」
指をビシッ。
「“もうガス欠なのに、まだ走れると思ってる状態”!!」
マスター、くすっと笑う。
「いい例えだねぇ」
女性、ゆっくり頷く。
「……全部、繋がりました」
小さく呟く。
「気づいた時にはもう遅いんです」
「だから、倒れる」
「なるほどね!!」
立ち上がる。
「だからこの人、ブドウ糖の動きがプロなんだ!!」
「つまり」
健康行動 → 正しい
しかし → 血糖維持が追いつかない
結果 → エネルギー切れでダウン
「“燃費が悪い”のではなく」
「“燃料タンクが小さい+減りが早い”」
「あとねぇ」
少しだけ目を細める。
「このタイプ」
「“頑張るほど悪化する”んだよねぇ」
苦笑して頷く。
「……はい。実感しています」
「じゃあどうすんのこれ!?」
「対策はあります」
「うん。“やり方を変えれば”、ちゃんと生きやすくなる」
少しだけ期待の目。
「君のその“努力”、間違ってないよ」
「ただ──」
カップを置く。
「戦い方が違っただけだ」
「相手は同じでも、ルールが違ってた」
静かに、湯気が揺れる。
カップを指先でくるりと触る。
「……ひとつ、先に言っておこうか」
場の空気が、すっと落ち着く。
女性も、自然と背筋を伸ばす。
ゆるやかに。
「正しいとされる健康情報ってねぇ」
一瞬、湯気だけが揺れる。
「大多数の人向けなんだよねぇ」
「……あ」
静かに補足する。
「統計的最適解、というものですね」
「平均的な代謝、平均的な血糖変動、平均的な生活リズム」
「それらを前提に組まれた“標準モデル”です」
頷く。
「だからねぇ」
「それに当てはまる人には、ちゃんと効く」
一拍。
「でも」
女性を見る。
「そこから外れてる人には」
ほんの少しだけ笑う。
「むしろ逆効果になることもある」
息を呑む。
「……では、私は」
シエル、即答。
「例外側です」
ファニー、指を立てる。
「でも安心して!」
にやり。
「“例外=不良品”じゃないからね!」
マスター、やさしく締める。
「ただねぇ」
「説明書が別売りなだけなんだよ」
ほんの一瞬の静けさ。
女性の表情が、すこしだけ軽くなる。
カップを置く。
「じゃあ」
「“君用の説明書”を作ろうか」
「やること自体は、そんなに難しくないよ」
「ちょっと順番を変えるだけだ」
ファニー、ぱんっと手を叩く。
「きた!!オーダーメイド!!」
ホワイトボードをドン!
「というわけで対策いくよ!!」
【空腹で動くな】
でかでかと書く。
「強い」
マスター、ゆるく補足する。
「空腹ってねぇ」
「このタイプだと、もう減り始めてる状態なんだよ」
ぴくりと反応。
シエル、繋ぐ。
「エネルギー供給が不足した状態での運動は」
「血糖低下を一気に進行させます」
ファニー、ビシィッ!
「つまり!!」
「ガソリンゼロでアクセル全開!!」
「そりゃ止まる!!」
「ああ……」
納得してしまう顔。
「対策は単純です」
「運動前に補給」
「バナナ、ゼリー、小さなおにぎり等」
「“軽く入れる”これだけで事故率は大幅に下がります」
【食事:分割】
ファニー、さらさらと書き足す。
「一日三回?」
振り返ってニヤリ。
「甘い!」
「増やすんですか?」
マスター、首を横に振る。
「増やす、というよりは」
「分ける、だねぇ」
シエル、正確に言語化。
「一度に摂取して上下させるのではなく」
「分割して維持する」
ファニー、ぐるぐるジェスチャー。
「そう!回すの!!」
「ちょこちょこ食べて、落とさない!」
「ジェットコースターではなく、エスカレーターです」
「例えが地味」
「的確です」
【糖の質】
ファニー、二重丸を描く。
「砂糖ドーンは禁止!!」
マスター、少しだけ補足。
「急に上がるものはねぇ」
「落ちるのも早いんだよ」
シエル、続ける。
「吸収速度の問題です」
「糖質単体ではなく」
「ナッツ、たんぱく質と組み合わせることで」
「安定化が可能です」
ファニー、指差し!
「急上昇!急降下!情緒か!!」
「血糖です」
【非常食】
マスター、ポケットを軽く叩く。
「これはねぇ、命綱」
女性、即答。
「ブドウ糖は常に携帯しています」
にこり。
「いいねぇ」
「スティック羊羹もおすすめだよ」
「プロだこの人たち」
【睡眠】
マスター、やわらかく。
「寝る前にねぇ」
「チーズとか、ちょっとだけ入れてみて」
女性、はっとする。
シエル、補足。
「夜間の低血糖を防ぐ意図です」
「寝てる間も、普通に消費してるからねぇ」
ファニー、振り返る。
「はい結論!!」
ドン!!
空腹を作るな
血糖を落とすな
頑張りすぎるな
「以上!!」
女性、少し戸惑いながら。
「……今までと、真逆ですね」
「はい。“一般論”とは逆です」
「でもねぇ」
「君はもう、“正しいこと”は全部試したでしょ?」
女性、目を伏せる。
「……はい」
微笑む。
「じゃあ次は」
カップを置く。
「君用のやり方を試す番だ」
ファニー、にやり。
「ようこそ、“体質別攻略ルート”へ」
シエルの眼鏡がキラリと光る。
「一ヶ月で結果を出します」
朝の光は変わらない。
でもその中で、
“普通じゃない健康”に対する答えが、
ゆっくりと輪郭を持ち始めていた。
■一ヶ月後・境界堂前
門の前。
晴天。爽やかな朝。
──そこに。
女性。
バーベルを担いでいる。
しかも、明らかに重い。
「ふんっ!ふんっ!」
持ち上がる。
沈む。
また上がる。
リズムがいい。
フォームが綺麗。
めちゃくちゃ元気。
ファニー、ゆっくり振り向く。
「えーと、何してるのか聞いても?」
女性、満面の笑み。
「とても!調子が!いいので!!」
ぐいっ。
「学生の頃やっていたウエイトリフティングを再開したのです!」
もう一回。
「本当にありがとうございます!!」
■境界堂・玄関前
三人、無言。
「……強くなってない?」
「明らかに“回復”を超えています」
「最適化、成功だねぇ」
女性、軽やかにバーベルを置く。
汗はあるが、息は乱れていない。
「一ヶ月、教えていただいた通りに生活してみました」
指折り。
朝は必ず軽く食べてから運動
食事は分割
間食を“戦略的に”
寝る前に軽く補給
無理な運動はしない
「その結果」
一拍。
「倒れなくなりました」
ファニー、拍手。
「大成功じゃん!!」
シエル、頷く。
「血糖の安定が維持できていますね」
女性、少しだけ真面目な顔。
「一番変わったのは」
「“タイミング”です」
三人、視線を向ける。
「今までは、“お腹が空いてから食べる”でした」
「でも今は」
少し笑う。
「“空く前に食べる”」
静かに頷く。
「それが、この体質のコツなんだよねぇ」
女性、照れながら。
「あと、その……」
バーベルを軽く持ち上げる。
「エネルギーが余るので」
「筋力トレーニングを再開したところ」
「ところ?」
キラッ。
「記録が更新されました」
「過去最高です」
沈黙。
「強化イベント入ってるじゃん!!」
「リソース管理が最適化された結果です」
マスター、柔らかく。
「前はねぇ」
「“回復より消費が勝ってた”」
カップを傾ける。
「でも今は」
「“回復が先回りしてる”」
女性、深く一礼。
「本当に、助かりました」
「今まで、“努力が足りない”と思っていました」
少しだけ目を閉じて。
「でも違ったんですね」
開く。
「やり方が違っただけだった」
ファニー、にやり。
「ね?言ったでしょ」
「仕様だって」
シエル、静かに補足。
「適応すれば、強みになります」
マスター、いつもの調子で。
「君の場合は特にねぇ」
「燃費が悪いんじゃない」
一拍。
「“瞬発力が高い設計”なんだよ」
女性、少し驚いてから、笑う。
「……なるほど」
バーベルを軽く担ぎ直す。
「では、その設計に従って」
にこり。
「もう一本、いきますね!」
「やるの!?ここで!?」
「床、補強が必要ですね」
楽しそうに。
「境界堂、ジム化計画かなぁ」
朝の光の中。
かつて倒れていた場所で、
今は“持ち上げる音”が響いている。
転んだ場所が、トレーニング場に変わる。
それはちょっとした奇跡で、
でもちゃんと、理屈のある奇跡だった。
静かに幕が降りたあと。
少しだけ現実に戻る、小さな声。
作者「これ、ガチの話です」
一拍。
作者「ぶっちゃけ普及活動です。ちょっとでも広まってほしいやつ」
「“ちゃんとやってるのに体調が悪い人”って、思ってるよりずっと多いです」
「でも大体、“努力不足”とか“気のせい”で片付けられます」
「この話の体質も、特別なものじゃありません」
「ただ、“多数派じゃない”だけです」
「正しいことをやってるのにうまくいかないとき」
「それは、あなたが間違ってるんじゃなくて」
一拍。
「やり方が合ってないだけかもしれません」
「もしこの話に、少しでも思い当たるところがあったら」
「“もっと頑張る”じゃなくて」
「“やり方を変える”を試してみてください」
「それだけで、びっくりするくらい楽になることがあります」
最後に、少しだけ軽く。
作者「あと、ブドウ糖はマジで効きます。これ、冗談抜きで命綱です」




