表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/70

番外編「背徳のグルメ ― 普通になる瞬間」


■喫茶店・昼


やわらかい光。

カップの縁に、静かに反射する午後。


メニュー表。

ファニー、ぴたりと指を止める。


「これ!!」


ぐいっ。


「パンケーキの上にバター山盛り!しかもメープルかけるやつ!」

「見てこれ、削って乗せてる!!雪山!!」


一拍。


マスターとシエル、同時に顔を上げる。


「ええ〜……」

「ええ……」


温度差。約15度。


身を乗り出す。


「だってさ、“甘い×脂×しょっぱい”だよ!?」

「絶対おいしいやつじゃん!」


マスター、メニューを覗き込む。

バターの山を見て、ほんの少しだけ目を細める。


「理屈はわかるけど……」


苦笑。


「僕、バター食べるとお腹痛くなるんだよねぇ」


間。

固まる。


「え、そこで体質!?」


「乳脂肪への耐性の問題ですね」

「合理的撤退です」


「撤退って言うな!!」


メニューを抱え直す。


「いいもん!私が行く!!未来を信じる!!」

「観測対象が決まりました」



――数分後。


テーブル。

ファニーの前。


パンケーキ。

削られたバターが山になっている。

ふわりと白く、やわらかく、しかし量は容赦がない。


メープルシロップが、ゆっくりとその斜面を降りていく。

光を受けて、飴色がひと筋、またひと筋。


「見てこれ……」


フォークを持つ手が、わずかに震える。


「もう溶けてる……これ絶対勝ちでしょ……」



シエルの前。

ナポリタン。整っている。安心感のかたまり。


マスターの前。

コーヒーとサンドイッチ。静かな防御。


フォークを構える。


「いきます」


パンケーキ。

バター。

メープル。

まとめて一口。


「……!」


目が、開く。

バターがほどける。

甘さが、あとから追いかける。

油分が、ぜんぶをまとめて引き寄せる。


「なにこれ」


もう一口。


「……なにこれ!?」


笑い出す。


「甘いのに重い!重いのに止まらない!」

「これ、ダメなやつだ!!」


シエル、ナポリタンを一口。


「……なるほど」


フォークをくるり。


「対照的ですが、同様に完成されていますね」

「酸味と油分で、別ベクトルの満足感を成立させています」


「保守派だ!」


マスター、コーヒーを一口。

ふっと息を吐く。


「……香り、全然違うね」


カップを眺める。


「インスタントって、“味”なんだなって思う」

「これは“空気ごと飲む感じ”」


「表現が詩的ですね」

「なんかズルい楽しみ方してる」



ファニー、背もたれに沈み込む。


「あー!幸せ〜……!」


視線が、ふとマスターへ向く。


「……マスター、それだけ?」


サンドイッチを指さす。


「背徳、食べないの?」


間。

カップを置く。

ことん。


「うん」


ほんの少しだけ、目が細くなる。


「その代わりさ」

「僕の“背徳のグルメ”、教えてあげるよ」


空気が、すこしだけ変わる。

甘くて重いものから、別の方向へ。


静かに、火が移る。



■スーパー


蛍光灯の白。

現実の色。

カゴに入る音が、やけに軽い。


「もやし一袋」

「軽い」


「豚肉……あー、こっち」

「価格差がありますね」


98円の海外産と、128円の国産。

数秒、迷う“ふり”。


「こっちにしよう」


「え、そっち行くの?」

「節約路線では?」


肩をすくめる。


「もやしで、だいぶ誤魔化すからさ」

「主役くらい、ちゃんと立たせたい」


「……主役」

「配分の意図が明確ですね」


「安いまま満足するより、ちょっとズラしたほうが気持ちいい」

「全部ちゃんとしてると、ありがたみ薄れるでしょ」


カゴに入れる音。

少しだけ、重い。


焼き肉のタレを一本。

ファニー、カゴを覗き込む。


「……普通だね」

「背徳、どこ行ったの?」


少しだけ棚に視線を流す。

手が、赤いパックを一つ取る。


キムチ。

ぽす、とカゴに入る。


「……保険かな」

「保険?」

「刺激の追加要素です」


「後から効くやつ、ひとつくらいあってもいいでしょ」


にやり。


「なんかそれ、絶対“やるやつ”じゃん」




■境界堂・キッチン


夕飯時。

静けさ。

コンロの火だけが、生き物みたいに揺れる。


フライパン。

油が、薄く光る。


「順番、大事ね」


もやしの袋。

そのままレンジへ。


チン。


「え、先に?」

「予熱処理ですか」


「水、出しとく」


豚肉。

じゅっ。

音が、場の主導権を取る。


「お、いい音」

「香りの立ち上がりが早い」


肉の色が変わる。

端が、少しだけカリッとする。


「で、さっきの」


レンジからもやし。

袋が、しゅっとしぼむ。


ざさっ。


「あ、これもう勝ちじゃない?」

「水分管理が済んでいますね」


音が落ちない。

最初から、強いまま。


「ここから」


混ぜる。

一気に行く。


じゅう、が、じゅわ、に変わる。


「で、これ」


焼き肉のタレ。

とろり。


タレが落ちた瞬間、甘い匂いが一歩前に出る。


――甘い。

――しょっぱい。

――焦げる寸前の、引力。


「……あ」

「これは」


さっき喫茶店で感じた“甘×しょっぱい”が、

別の顔で立ち上がる。


火を止める。


「乗せるだけ」


白いご飯。

その上に、さっきのすべて。


完成。

白いご飯。

その上に、豚肉ともやし。


一拍。


マスター、冷蔵庫を開ける。

取り出す、さっきのキムチ。


「最後に、これ」


ぽす。


赤が乗る。

白と茶色の上に、ひとつだけ色が立つ。


「……あ」

「視覚的アクセント」


覗き込む。


「なんか急に“悪い顔”になったね?」

「でしょ」



■実食


「……重い」

「構成が、殴りに来ています」

「うん、逃げ場ないね」


「これ、受けたら負けるやつだ」


どんぶりを見る。

湯気が、ゆっくり揺れる。


ごくり。


視線が、落ちる。


マスター、箸を渡す。


「どうぞ」


「…いただきます!」


一口。


「……あれ?」


もう一口。


「え、ちょっと待って」


三口目。


「止まらない」


途中で気づく。


「……これさ」

「見た目、全然派手じゃないのにさ」

「やってること、だいぶヤバくない?」


箸で、赤い部分をつまむ。


「途中から味、変わる」


「発酵由来の酸味と辛味が追加されています」

「油分の滞留をリセットし、摂取継続を促進しています」


「言い方!!」


「うん。“逃げ道”作ってる」


「ずっと食べれるようにしてるじゃんこれ!!」


ファニー、完全に食べるモード。


「さっきのと違うのに、同じ感じする!」

「甘いのにしょっぱいやつ!」


「でしょ」


マスター、どんぶりを軽く持ち上げる。


「安い・早い・うまい。ここまでは普通」


一口。


「でもね、“肉だけちょっといいやつ”にする」


「そこ!?」

「コスト配分の歪み」


頷く。


「もやしで節約してるから、“贅沢してない気分”になる」

「でも実際は、ちゃんと贅沢してる」


箸を止めずに言う。


「だからこれ、“罪悪感が薄いまま満足だけ取れる飯”」


ぴたりと止まる。


「……それ、ズルくない?」

「倫理の抜け道ですね」


少しだけ笑う。


「派手じゃないでしょ」


「でも、こういうのが一番、抜け出せない」



数秒。


箸が止まらない。

考える前に、次を取っている。


噛んでるのに、もう次に手が伸びる。


シエル、ふと視線を落とす。


「……摂取速度が想定を上回っています」


どんぶりは、すでに空。


「……もう一杯」

「必要です」


「はいはい」


フライパン、再点火。

今度は、さっきより迷いがない。

じゅう。

音が、少しだけ深い。


背中越しに。


「日常に紛れてるやつはさ」

「気づいたときには、“普通”になってるからね」




■境界堂・朝


やわらかい光。

昨日より、少しだけ静か。


テーブル。

湯気の立つお茶。

紙の擦れる音。

シエル、書類をめくる。


「……平穏ですね」


ファニー、ソファでごろり。


「昨日さー」


一拍。


「すごかったね」


「ええ」


間。


「合理的に危険でした」


キッチン。

マスター、立っている。


フライパン。

火は、まだついていない。

数秒。

何もせず、ただ見ている。


ファニー、顔だけこちらに向ける。


「……なにしてるの?」

「んー?」


一拍。


「コーヒーでも淹れようかなって」


視線は、フライパンのまま。


シエル、ペンを止める。


「本当に?」


沈黙。

棚を開ける。

出てくるのは――


もやし。

豚肉。

焼き肉のタレ。

キムチ。


「早いよ!?」

「昨日の残り、あるしねぇ」


言い訳が、軽い。


コンロ、点火。

かちっ。

じゅっ。

昨日と同じ音。

でも、迷いがない。


ファニー、立ち上がる。


「ちょっとだけね?」

「一口だけだからね?」


シエル、静かに席を立つ。


「検証のためです」


キッチン前。


「これさ」

「キムチ乗せるの、反則じゃない?」


「継続摂取を可能にする調整です」


背中越しに。


「ずっと同じ味だと、飽きるでしょ」


頭だけ振り向く。


「だから“途中で変える”」

「最後まで同じだと、終わっちゃうからね」


少しだけ目線が落ちる。


「途中で“続けさせる理由”を足すんだよ」



調理に無駄がない。

昨日の“工程”が、もう身体に入っている。


ファニー、小さく笑う。


「これさ」

「もう“普通のごはん”じゃない?」


シエル、頷く。


「ええ」

「危険なのは、“特別でなくなる瞬間”です」


完成。

どんぶり、三つ。

自然に、並ぶ。


一口。


ほんの一瞬。

ファニーの表情が、昨日と同じになる。


「あー…」

「……これ、ダメなやつだ」


言葉は、ない。

ただ、食べる。


少しして。


「……ねえ」

「これさ、またやろうね」


「定期化は避けるべきですが」

「……完全否定はしません」


マスター、箸を置く。

ほんの少しだけ、満足そうに。


「ほらね」


二人を見る。


「もう“特別”じゃないでしょ」


窓の外。

いつも通りの朝。

中だけ、少し違う。




■境界堂・夕方


光が、少しだけオレンジに寄る。

ファニー、テーブルに頬をのせたまま。


「ちなみにさ」


ころん、と顔だけ向ける。


「他にもあるの?背徳のグルメ」


コーヒーを持ったまま考える。


「んー」

「おにぎりに、鮭一切れ使うとか?」


沈黙。


「……え?」

「規模が急激に縮小しましたね」


肩をすくめる。


「いやさ、テレビで見るじゃん」


手で、ふんわり三角を作る。


「おにぎり屋さんのやつ」

「中に“ちゃんとした鮭”が、どんって入ってるやつ」


テーブルからゆっくり起き上がる。


「……あー」

「わかるかも」


シエル、腕を組む。


「通常は“ほぐし身を分散配置”が合理的ですからね」


「そうそう」

「でも、一切れ入れるとさ」


少しだけ笑う。


「“ここぞ”って感じになる」


「一点豪華主義……」

「資源配分の偏重ですね」


「普段はやらないことを、“やっていい気分でやる”」

「それが、たぶん背徳」


ファニー、にやっと笑う。


「じゃあさ」

「今度それやろうよ」


「検証対象が増えましたね」


カップを置く。

ことん。


「……まあ、ほどほどにね」

「“普通”になると、戻れなくなるから」


「もう遅くない?」

「現時点で一部は手遅れです」


三人、少しだけ笑う。

夕方の光が、ゆっくり沈む。



背徳は、派手な顔をして来ない。


静かな顔で、

“いつもの席”に座る。


そして、最初からそこにいたみたいに振る舞う。



ファニー「はぁ〜……幸せ……」

シエル「満腹は合理的な幸福です」


マスター「……食べ過ぎた……」

「お腹くるしい」

少しだけ目を細める。

「…でも、また食べたい」


シエル「自己管理の失敗ですね」

マスター「背徳ってさ、後から来るんだね……」

ファニー「遅延ダメージ!」

シエル「仕様です」


マスター「次からは……量、考える……」

ファニー「……で、明日もやる?」

マスター「……やる」

シエル「学習していませんね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ