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番外編「見逃した朝と色即是空」

スマホの通知欄。

“見逃し配信なし”の文字。


――巻き戻し不可。


■境界堂


障子から光。

新聞の紙音。

コーヒーの湯気がのぼる。


マスター、テレビ欄をぱたん。

乾いた音。

ファニー、固まる。


「……へ?」


一拍。


視線がテレビ欄をなぞる。

曜日欄で止まる。


「今日、土曜日?」


「そうだねぇ」


ファニー、ゆっくり顔を上げて――


「あああああああ……あ!!!」

「金曜ロードショーの“耳をすませば”、見逃してるぅーー!!!!!」

「バロン見たかったのにぃ!!」


シエル、静かに視線だけ上げる。

ファニー、指さしロックオン。


「何で言ってくれなかったの!シエル!!」


「……昨日の朝に言いましたが」


「ひどいよー!!!」


ドア、バンッ!

静寂。

シエル、固まる。眼鏡に朝日が反射する。


「……なぜ、俺が責められているのでしょうか」


マスター、コーヒーを一口。


「うん、今のはねぇ、“事実”じゃなくて“喪失の悲しみ”だねぇ」


「理不尽です」


「理不尽はね、感情の特権だから」


閉じこもり部屋前。

廊下。

ドアの向こう、気配。


シエル、ノックしかけて止まる。


「……接触は時期尚早。温度、未だ高し」


「じゃあ、非言語でいこうかねぇ」

「言葉は、今はノイズになる」



■商店街


昼前。

シャッターの半分が開き、油と砂糖の匂いが混ざる。


新しい看板。

手書きのメニュー。

少し歪んだハート。


その前で、マスターは足を止める。

視線は自然と、その店先に吸い寄せられていた。


昨日のことだ。


ここを通りがかったとき、ファニーはふと立ち止まり、ショーケースを覗き込んでいた。


並ぶクレープをひとつひとつ眺めて、少しだけ楽しそうに、少しだけ名残惜しそうに。


結局そのまま通り過ぎたけれど、

あのときの「ちょっと気になる」が、今もこの場所に残っている。


マスター、小さく息をつく。


「……ここだねぇ」


シエル、看板を一瞥。


「衛生状態、問題なし。列、短い。最適です」

「選ぶの、任せてもいいかい?」


「ええ。“彼女の好み”は把握済みです」

「怖いねぇ」


注文口。


「ご注文どうぞ〜」


シエル、迷いなし。


「チョコレートクレープを一つ。生地はややクリスピー寄りで」

「僕は……ああ、じゃあ同じで」


「あなたは別味の方が“効果分散”になりますが」

「今日は“共有”を優先しようかねぇ」


「……了解」


受け取り。

紙に包まれた甘い温度。


「作戦名、どうする?」


「“非接触・低圧・短文伝達”です」


「ロマンがないねぇ」



■ドア前


廊下。

皿をそっと置く。

ノックなし。


「おつかれさま。甘いの、補給しとこ」


二人、足音を残さず離脱。


少しして。


ドア、ほんの少し開く。

ファニーの手だけ出て、皿を回収。


パタン。


沈黙。


紙のこすれる音。

小さな、もぐもぐ。


数分後。

ドア、少し開く。


「……チョコ?」


「うん、チョコ」

「商店街に新しくできた店だねぇ」


「あなたが昨日“気になる”と発言していました」


ファニー、もぐもぐ止まる。


一拍。


「……ふーん」


もう一口。


「……今度連れてけー」


マスター、肩をすくめて微笑む。


「了解だよ、司令官」

「……まぁ、今回はこれで許す」


「許される理由が不明です」

「シエルはねぇ、言っただけで満足してる罪があるの!」


「……共有は完了していました」

「“一緒に楽しむ感じ”が足りないの!」


シエル、0.5秒考える。


「……次回は、開始直前に再通知します」

「それとポップコーン」


「了解しました」


マスター、ぼそり。


「平和って、甘いんだなぁ」


「本日は根拠があります」


「……まぁね」



……


■境界堂


昼下がり。

畳。

湯気。

静かな午後。


ファニー、足ぶらぶら。


「マスターってあんまり怒らないよね?なんで?」

「アンガーマネジメントのコツでもあるのですか?」


マスター、コーヒーを回す。


「うん?まあ、一言で言うと色即是空(しきそくぜくう)、かな」


「仏教?」

「詳細を願います」


マスター、少し考える。

そして、あっさり。


「んー…超要約すると“この世はバグってるから気にすんな”って感じかな?」


ファニー&シエル

「「意味がわかりません」」


「例えばねぇ」


指を一本立てる。


「“こうなるはず”って思うでしょ?」

「でも現実は、平気でズレる」


「そりゃまあ、ズレるけど…」


「で、そのズレに“バグだ!”って毎回キレてたら疲れない?」


「……前提の方が誤っている可能性を許容する、と」


「そうそう。現実はわりと“仕様未確定”だからねぇ」


マスター、指を二本に増やす。


「怒りってね、だいたいこれで出来てる」


“こうあるべき”

“実際は違う”


「この差分にイラっとする」

「では“こうあるべき”を弱める?」


「うん。“そもそもズレるもの”って思っとく」

「えー、それだと何でも許しちゃわない?」


「許すかどうかは別だよ」


少しだけ目を細める。


「ただ、“驚かない”だけ」


「怒りの初動を消す、と」


「そう。“なんでこうなるの!”じゃなくて」


少し笑う。


「“あー、はいはい、今日もバグってますねぇ”くらい」


ファニー、じーっと見る。


「……それ、悟りっていうより、諦めでは?」

「半分正解」


コーヒーを置く。


「“世界に期待しすぎない代わりに、自分で調整する”ってやつ」


そのとき。


ガタン。

棚から湯呑みが一つ落ちて、割れる。

一瞬の静止。


「……バグ?」

「うん、バグだねぇ」


「……片付けは仕様です」

「そこは仕様なんだ」


ファニー、しゃがんで破片を集めながら。


「でもさぁ」


チラッとマスターを見る。


「たまにはキレてもいいんじゃない?」


マスター、少しだけ考えて。


「うん、いいと思うよ」


一拍。


「ただ、“相手にぶつける前に、一回だけ自分で笑う”といい」

「なにそれ」


「“あ、今自分イラついてるわ”って気づくと、ちょっとだけ自由になるからねぇ」

「つまりまとめると」


―現実はズレる前提

―期待を軽く持つ

―怒りは一拍置く


「……合理的です」


「で、最終結論が“この世はバグってる”?」


「うん」


にこっと笑う。


「その方が、ちょっと優しくなれるからねぇ」

「なんかずるいよね、その考え方」


「ですが有効です」

「…まぁ、確かに」


小さく笑って。


「今日くらいはバグでもいいか」


湯呑みの破片は片付いた。


少しだけ、空気が軽い。

ファニー、ふと顔を上げる。


「ねぇ、さっきの“色即是空(しきそくぜくう)”の逆ってあるんでしょ?」


「“空即是色(くうそくぜしき)”ですね。説明を」


マスター、指で机をトントン。


「うん。さっきは“気にしすぎるな”の話だったけど」


少しだけ目線を上げる。


「今度は逆。“どうせ全部バグだから、何やっても意味ない”って思うのも違うよ、って話」


「え、急に真面目」


「継続を」


「“(くう)”ってさ、“全部曖昧で固定じゃない”って意味だったでしょ?」

「で、“(しき)”は“今ここにある現実”」


指でクレープの包み紙をつつく。


「つまりね」


― “曖昧な世界だけど、目の前の出来事はちゃんと意味になる”


「……ふんわりしてる」


「じゃあ具体例いこうかねぇ」


マスター、包み紙を軽く持ち上げる。


「このクレープさ」

「宇宙規模で見たら、ただの糖と脂の塊で、意味なんてない」


「極端ですが、正しい」


「でも」


一口かじる真似。


「“疲れたときに食べる甘いもの”としては、ちゃんと意味あるでしょ?」


ファニー、もぐもぐしながら止まる。


「……あー」


「だからね」


“どうでもよくできる広さ”と

“ちゃんと大事にする近さ”


「この両方を持つ」

「……スケールの切り替えですね」


「そうそう。遠くでは軽く、近くではちゃんと」

「それ、怒りとどう関係あるの?」


「怒りすぎる人はね」


指を一本。


「近くしか見えてない」

「全部重大事件に見える」


「逆に無関心な人は?」


「遠くしか見てない。“全部どうでもいい”になる」


少しだけ笑う。


「だからちょうどいいのが」


― 遠くで笑って、近くでちゃんとやる


そのとき。

ファニー、クレープの最後の一口を見つめる。


「……これ、最後の一口どうするか問題」

「重要案件です」


「ほら来た」


くすっと笑う。


「宇宙的にはどうでもいいけど、今は超重要」


「じゃあ……」


ぱくっ。


「はい、解決!」


「まとめます」


色即是空 → “気にしすぎるな”

空即是色 → “でもちゃんと大事にしろ”


「……バランス理論として完成しています」


「うん。だから結局ね」


少しだけ優しく。


「この世はバグってるけど、遊びがいはあるよ」

「……それ、ちょっと好きかも」

「同意します」


ファニー、伸びをして。


「じゃあさ、次は映画ちゃんと一緒に観るからね!」

「開始直前に三回通知します」

「多いねぇ」


「だって“今”はちゃんと大事にするんでしょ?」


マスター、ふっと笑う。


「うん、その“今を大事にする理屈の悪用”、嫌いじゃないねぇ」


シエル、すでに手帳を開いている。


「では次回上映予定を確認。通知タイミングを――」

「三回ね!」


「……五回に増やします。確実性を優先」

「信頼が数字で殴られてるねぇ」


ファニー、満足げにうなずく。


「これで見逃しゼロ計画、完成である!」

「ただし副作用として“うるさい”可能性があります」


「それもまた“色”だねぇ」

「なにそれ便利ワード!」


マスター、カップをくるり。


「世界はゆるくて、今はちゃんと重い。

その間で人はバタバタする。まあ、それが面白いんだけどねぇ」


少しの静けさ。

風が障子をふわりと揺らす。

紙が、かすかに鳴る。


ファニー、小さくつぶやく。


「……さっき怒ったのもさ、ちょっとだけ面白かったかも」


「記録します。“感情の振れ幅、娯楽性あり”」


「分析が冷たいねぇ」


ファニー、くすっと笑う。


「でもさ」


くるっと二人を見る。


「次はちゃんと、一緒に観るからね」

「了解。全力で“今”を確保します」

「じゃあその日は――」


少し間を置いて、


「ポップコーンは大盛りでいこうかねぇ」

「それは“最重要案件”です!」

「優先度、最大に設定」


畳の上、笑いがころんと転がる。

世界は相変わらず少しバグっている。


だから、ちゃんと楽しい。




ファニー「ポップコーンは絶対キャラメル味ね!」

シエル「塩です」

ファニー「何だって!?」

マスター「まあ、僕ポップコーン好きじゃ無いんだけどねぇ」

二人「えっ」


一拍。


マスター「弾ける様子を見るのは好きだからねぇ」

「調理担当だ」

ファニー「いや食べろよ!!」

シエル「合理性がありません」


マスター「キャラメル味と塩味、いっぱい作るねぇ」

「…がんばって食べてね?」


ファニー「え、待ってどんだけ作る気なの!?」

シエル「食べきれる量にして下さい」

マスター「よーし、俄然燃えてきた!」


一歩前に出る気配。


「頑張るぞー!」


二人「待って!!?」

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