5 世界を消して、頭をぶつける
■ 屋敷・庭先
夕方の光。
重たかった空気は、もう無い。
風が通る。
ちゃんと、“今”の風が通る。
遅れも、ズレもない。
さっきまでの歪みが、嘘みたいに。
カイリとリオが立っている。
その後ろに、境界堂メンバー。
少し離れた位置に――藤堂。
腕を組んで、静かに見ている。
「……オレたちで選んだな」
「うん。“終わらせた”ね」
二人、顔を見合わせて――小さく笑う。
藤堂、ゆっくり歩み寄る。
しばらく何も言わない。
ただ、二人を見る。
その目は――少しだけ、柔らかい。
「……選んだな」
一拍。
短い一言。
でも、その声音は。
まるで眩しいものを直視したみたいに、
少し細められている。
「……ああ」
「うん」
藤堂、わずかに口元を緩める。
「なら、あとは進むだけだ」
「戻るなよ」
ファニー(小声)
「うわこの人、不器用に褒めてる」
シエル(小声)
「最大級ですね、これ」
爺や、少し後ろから見ていたが——
耐えきれず、一歩前へ。
「……坊ちゃん、お嬢様……」
声が震える。
「爺や?」
「どうしたの」
爺や、深く頭を下げる。
そして顔を上げた時には――
目元が、うるんでいる。
「ご立派になられて……」
喉が、詰まる。
言葉が、それ以上続かない。
長年、守る側だった人間が、
初めて“役目を降ろせる”と理解した顔。
リオ、少し困ったように笑う。
「……泣かないでよ」
「まだこれからだぞ?」
爺や、何度も頷く。
「……ええ、ええ……!」
空気が、少しだけ軽くなる。
カイリ、藤堂の方を向く。
「藤堂!」
「なんだ」
カイリ、ニヤッと笑う。
「また遊びに行くからな」
一瞬、間。
「……仕事を持ってくるなよ」
「保証はしない!」
「約束の意味ぃ!!」
「関係性は良好ですね」
リオも、一歩前へ。
「その時は——」
ちょっとだけ胸を張る。
「ご飯を作るのです」
「語尾どうした」
「気合いが変な方向に出ています」
藤堂、ほんの少しだけ目を見開いて——
「……期待しておこう」
短く、それだけ。
でもちゃんと、受け取っている。
「報酬の件もバッチリです!」
「はい現実担当」
「助かります」
マスター、壁に寄りながら一歩。
コツン。
段差にまたつまずく。
「……くっ」
「また!!」
「学習が追いついていませんね」
「……大丈夫か?」
「…大丈夫じゃないね?」
砂利道。
夕焼けが、長く影を引く。
カイリとリオに見送りで、境界堂一行は歩き出す。
「気をつけてねー」
「次は飯な!」
「はいはい楽しみにしてる〜!」
「デザートはワタクシ担当です!」
——その時。
空気が、ぴたりと止まる。
「……来ます」
足元の影が、わずかに“遅れる”。
石の配置が、一瞬だけズレる。
“残滓”。
役目を終え損ねた、“癖”。
核を失ったはずの怪異が、
最後の癖のように、形を取る。
ぐにゃり、と。
人の輪郭を真似た“歪み”が、道を塞ぐ。
「まだ残って――」
「いやこれ、しつこいタイプ!」
マスター、一歩前へ。
何も構えない。
ただ――見る。
「……もう、終わってるよ」
「定義は済んでる」
その一言。
いや、“定義”。
視線が、怪異を貫く。
次の瞬間。
――消える。
音もなく。
抵抗もなく。
まるで最初から“存在しなかった”みたいに。
“いたはずの記憶”ごと、薄れる。
誰も、言い切れなくなる。
静寂。
「……は?」
「え?」
「今の、何」
「消えた……?」
シエル、目を細める。
「……最適化されていますね」
風が戻る。
砂利が、ちゃんと音を立てる。
「……すげえな」
「うん。さっきまでと、全然違う」
「いやこれズルでしょ。チート進化してるんだけど」
「ワタクシの一撃がトリガー……つまりこれは実質ワタクシの功績ですね!」
「違います」
マスター、少し困ったように笑う。
「……なんか、やりやすいね?」
「余計なこと、考えなくていい感じ」
駐車場。
車が一台。
シエルが先にドアを開ける。
「どうぞ」
「うん、ありがとう」
マスター、乗り込もうとして——
ゴンッ!!
天井に、綺麗にヒット。
「……いっ……」
一瞬、無言。
理解が追いつかない顔。
額を両手で押さえる。
じわっ、と目に涙。
「……いたいよー…」
「落差ぁ!!!!」
「さっきの無双どこ行きました!?」
「大丈夫か!?」
「さっきよりダメージ受けてない!?」
シエル、ため息一つ。
メガネを軽く押し上げる。
「説明します」
全員の視線が集まる。
「まず、先ほどの現象ですが――」
指を一本立てる。
「マスターの異能は“定義”。本来は言語を介して世界に干渉します」
二本目。
「しかし現在、身体構造と認識の変化により――」
少しだけマスターを見る。
「“視線”と“存在”そのものが、定義になっています」
「言葉を使わずとも、“そうなる”と世界が判断している」
「え、なにそれ無意識オート発動?」
「はい。しかも精度が高い」
三本目。
「理由は単純です。“ノイズが減った”」
「ノイズ?」
「ええ」
淡々と。
「これまでのマスターは、“人間としての自分”とのズレを常に抱えていました」
「……つまり?」
「“今この状態”が、そのまま通る」
「え、じゃあ……最初からこうだった、みたいに見えてるってこと?」
「現在に限れば、そう扱われます」
「こわ」
シエル、淡々と続ける。
「その結果、能力の定義が抵抗なく適用される」
「ああ……だから、さっきの……」
「ええ。処理が通りやすい」
一瞬の静寂。
ファニー、マスターを見る。
「じゃあ今、最強じゃん」
シエル、即答。
「ただし」
全員「ただし?」
「身体操作は別問題です」
沈黙。
「ですよねーーー!!!」
「致命的です!!」
「さっきから見てて危なかったもんな!」
「段差に負けてたし!」
マスター、頭を押さえながら。
「……慣れてないだけだから……」
ちょっと涙目。
「結論」
指を立てる。
「戦闘能力——過去最高」
「日常生活——過去最低」
「バランスどうなってんの!?」
「極端すぎです!!」
「……否定できないねぇ……」
夕暮れ。
車のそば。空気はもう軽い。
――が。
少し離れた位置で、藤堂が腕を組んで見ている。
その視線の先。
マスター、ドアに頭をぶつけかけてギリ回避 → 代わりに裾踏みそうになって静止 → 何も無いのに一瞬バランスを崩す。
数秒、観察。
「……解せぬ」
ほんの僅かに、眉が寄る。
ファニー(小声)
「あ、今“評価不能”って顔した」
シエル(小声)
「理解の外にある現象を見ていますね」
「完璧な調整の結果です!」
「……そうか」
全く納得していない声。
藤堂、一歩だけ前へ。
カイリとリオは屋敷側。
境界堂は車の前。
短い距離に、ちゃんとした区切り。
「……息災で」
それだけ。
余計な飾りはない。
マスター、にこり。
「うん、元気でね」
一歩、踏み出す。
ズルッ。
――ズシャー。
砂利が、無駄にいい音を立てる。
見事に前のめりで転倒。
砂利にスライディング。
全員「……」
沈黙。
マスター、ぴくりと動いて――
ゆっくり起き上がる。
スカートの砂を、ぽんぽん払う。
何事もなかった顔で、にっこり。
「じゃあ、またね」
そのまま、すたすた歩き出す。
さっきの転倒は――完全に“存在しない”扱い。
本人の中では。
「……強いな」
「違う意味でね」
藤堂、少しだけ目を細めて。
「……無かったことにしたな」
小さく、鼻で笑う。
ドアを閉める。
今度は――ぶつからない。
「お、成長した」
「成功体験は重要です」
「ワタクシの調整の賜物ですね!」
全員「違う」
「ええっ!?」
車が走り出す。
バックミラーの中で、
藤堂が小さく手を上げる。
ほんの一瞬だけ。
すぐに、見えなくなる。
■ 境界堂
夜。
暖簾が、静かに揺れる。
「ただいまー」
「帰ってきた〜」
「無事……ではありませんが、帰還です」
マスター、靴を脱ごうとして——
バランスを崩しかける。
「そこ段差」
「あ、うん……」
ギリセーフ。
「家の中までトラップ判定やめてくれる?」
カノン、くるりと振り返る。
なぜかドヤ顔。
「はい!ではこれから戻る装置作るので——」
ビシッと指を立てる。
「3日くらいお時間いただければと思います!」
一瞬。
静寂。
「……えっ」
「……え?」
「……三日ですか?」
「はい!」
満面の笑み。
「安全性と再現性を確保するためには、最低でもそれくらいは——」
「三日……?」
現実が、重い。
マスターは自分の髪を一房つまむ。
さらり、と揺れる榛色。
視線が遠くなる。
「……この状態で……三日……?」
「大丈夫です!ワタクシにお任せを!」
全員「そこが一番不安」
「ええっ!?」
マスター、その場にぺたんと座り込む。
「……どうしよう……」
「楽しも!」
「観察します」
「いますよ!?」
ファニー&シエル
「不安!」
二人、息ぴったり。
「味方がいないねぇ……」
外では、夜風。
三日間のカオスが、
静かに幕を開ける。
マスター「僕、35年男だと思って生きてきたんだけど…」「これが、本当の僕…?」
ファニー「物凄い美女ではある」
シエル「喋らない、動かないと注釈はつきますが」
一拍。
ファニー&シエル「ポンコツだからな」
マスター「ねぇ酷くないかな」
カノン「改善できますよ!」
全員「やめろ」




