3 人間重機
―境界堂地下訓練室
■特訓① ファニー
室内。
机の上にコップ。
透明な水。揺れない水面。
やけに静かだ。
ファニーはコップを覗き込む。
さっきまでの軽口が消えている。
「まずは“一滴”ね」
「……砂一粒より難しくない?」
マスター、笑う。
「同じだよ」
一拍。
「壊さずに触るって意味ではね」
ファニー、コップに手をかざす。
指を、ほんの少しだけ動かす。
水面が一瞬、ぴたりと止まる。
次の瞬間。
バシャッ
水が“横に跳んだ”。
コップの中身が、そのまま机の外へスライドする。
「は?」
遅れて、水が床に叩きつけられる。
「うわ、こっち来た」
「飛ばさないで下さい」
さらに遅れて。
二次被害。
机の上に残っていた水が、今度は“戻るように”弾ける。
バシャバシャッ
「ちょ、待って!」
「待ってって言われても待たないやつだねぇ」
シエル、無言で一歩下がる。
――遅い。
水が弧を描いて三人に降りかかる。
普通に水浸しだ。
沈黙。
ファニー、前髪から水を滴らせながら。
「……今のは、ウォーミングアップ」
「規模が戦闘です」
壁際からクロード。
濡れない距離を保っている。
「制御以前だな」
「やるし」
床を軽く拭き、再セット。
今度は少しだけ距離を取る三人。
ファニー、深く息を吸う。
「さっきのは“全部”動かした」
「じゃあ、“一部”だけ」
指先が止まる。
水面が震える。
波紋が小さく広がる。
ゆっくりと、半分だけ水が滑る。
コップの中で偏る水。
一瞬、止まる。
「……いけるっ!」
――次の瞬間。
バシャッ
半分が外にこぼれる。
しかも今度は斜め。
「今度は狙い撃ちだねぇ」
水が床を走り、壁に当たって跳ね返る。
「なんでよ!」
「“境界”が雑なんです」
「雑って言うな!」
「お前は“水”を動かしていない」
一瞬、空気が締まる。
「“空間ごと”動かしている」
ファニー、止まる。
視線がコップから外れる。
指先が止まる。
「……ああ」
ゆっくり、もう一度コップを見る。
「……だから、“全部”ズレるのか」
「水じゃなくて、“入れ物ごと”扱ってた」
「気付きましたか」
「うるさい」
でも、口元は少しだけ緩んでいる。
もう一度、構える。
今度は指先ではなく、視線が変わる。
コップ全体じゃない。
水面の“ある一点”。
「……ここ」
呼吸を落とす。
動かす、ではない。
“触れる”感覚。
水面に、ほんのわずかな歪みが生まれる。
誰も動かない。
音もない。
――スッ
水面が、揺れない。
一拍。
……遅れて。
1滴だけ。
ほんの少し、横に“いた”。
それ以外は、何も起きない。
沈黙。
ファニー、ゆっくり瞬きをして。
「……できた」
「今の、見えなかったね」
「ええ。でも結果は正確です」
「それでいい」
短い肯定。
ファニー、少しだけ顔を逸らす。
濡れたままの袖が、重い。
「……次は、濡らさないから」
「そこが一番大事だねぇ」
「ようやく実用段階です」
「うるさいってば」
でも、その声は軽い。
さっきまでの苛立ちは、もう残っていない。
「ね、どうよ」
「合格です。ただし被害込みでマイナス評価です」
「床が一番頑張ったねぇ」
「誰よりも制御されてた」
■特訓② シエル
室内。
さっきより少し広いスペース。
壁にはすでに水の跡。
床はまだ少し湿っている。
その中央に、シエルが立つ。
目は細く閉じられている。
「課題はシンプル。“3秒先だけ”読む、だよ」
「……制限が雑ですね」
「いいからやれ」
シエル、小さく息を吐く。
「……では」
発動。
――その瞬間。
視界が開く。
未来が流れ込む。
右に動く自分。
左に避ける自分。
撃つ自分。
撃たない自分。
分岐。
分岐。
分岐。
無数。
シエルの瞳が、わずかに揺れる。
「……っ」
止まる。
完全にフリーズ。
「固まった」
「早いねぇ」
その間にも。
シエルの周囲に、光弾が形成される。
意識とは無関係に。
暴発。
バンッ バンッ バンッ
四方八方に撃ち出される。
壁。
天井。
床。
柱。
穴が開く。
連続音。
乾いた破裂音が室内に反響する。
「ちょ、ちょ、ちょ!」
「避けて避けて」
床を抉る一発。
壁を貫通する一発。
天井に当たった弾が、破片を落とす。
さらに跳ねる。
無秩序。
完全な乱射。
クロード、わずかに位置をずらすだけで全て避ける。
「……雑だな」
やがて。
弾が止まる。
静寂。
室内は――穴だらけ。
壁面に無数の焦げ跡。
床にクレーター。
天井から粉が落ちる。
シエル、ゆっくり瞬きをする。
「……今のは」
「言い訳聞く?」
「聞くだけならタダだよ」
「…不要です」
深く息を吸う。
今度は、意識的に制御する。
「3秒」
発動。
今度は、流入を“抑える”。
それでも見える。
複数の未来。
右に撃つ。
左に避ける。
前に出る。
撃たない。
分岐が重なる。
「……右……いや、左……」
身体がわずかに揺れる。
判断が遅れる。
光弾が、再び形成される。
今度は暴発ではない。
だが。
選べない。
結果。
バンッ
一発。
外れる。
「外した」
「……くっ」
さらにもう一発。
別の方向へ。
ズレる。
「両方……違う……」
クロードの目が見定める。
「全部見るな」
一拍。
「“未来を減らせ”」
シエルの思考が止まる。
「“選べ”」
シエル、静かに目を閉じる。
未来は見える。
だが、見ない。
一つを残す。
それ以外を、消す。
――選ばなかった未来が、全部“死ぬ”。
一瞬だけ“怖さ”が混じる。
「……これでいい」
発動。
視界に残るのは、一本の未来だけ。
そのまま、動く。
光弾を一発。
バンッ
命中。
正確。
余計な弾は出ない。
沈黙。
「……当たってる」
「さっきと別人だねぇ」
シエル、ゆっくり目を開く。
「当てたのではありません」
一呼吸。
「外さない未来を、“残した”だけです」
「それでいい」
短い肯定。
室内。
穴だらけのまま。
「ねえ、これ直すの誰?」
「次の特訓かなぁ」
「合理的に考えて、マスターです」
「えぇー?」
「当然だな」
「解せないねぇ」
「はいラスト。元凶兼修理係の出番です」
「被害拡大の予感しかしません」
「ひどい言われようだねぇ。今回は“弱く”やるよ」
「その言葉が一番信用できん」
■特訓③ マスター
穴だらけの室内。
壁は蜂の巣、床はクレーター、天井は削れて粉が落ちている。
マスター、腕を組んで眺める。
苦笑い。
「……ひどいねぇ」
「誰のせいだと思ってんの」
「少なくとも“俺だけ”ではありません」
「直せ」
「はいはい〜」
マスター、壁に触れる。
その瞬間。
――“この建物が無かったことになる”未来が、
一瞬だけよぎる。
マスター、手を止める。
「……危ない危ない」
「じゃあ……“少しだけ元に戻る”」
発動。
――一瞬、空気が張る。
次の瞬間。
ドンッ
壁が“戻る”どころか、内側から膨らむ。
穴を埋めるどころか、周囲ごと押し広げる。
結果。
大穴ができる。
「いや広がってる!」
「規模が増しています!」
崩れた壁の破片が床に散る。
マスター、少しだけ首を傾げる。
「……強いねぇ?」
「“少し”を理解しろ」
マスター、軽く鼻を押さえる。
「うーん……“わずかに修復される”」
発動。
壁が揺れる。
一部が滑らかになる。
だが。
別の箇所が歪む。
穴が塞がる代わりに、隣に亀裂。
床も微妙に浮く。
「直ってるようで壊れてる!」
「分岐が暴れています」
マスター、鼻血が一筋。
「……あらら?」
クロードの目が細くなる。
「結果を固定しすぎだ」
マスター、手を下ろす。
少し考える。
「うん。今度は行ける気がする」
「ついでに床も整えようか。“少しだけ平らに”」
「やめときなってそれ」
発動。
一瞬の静止。
――次の瞬間。
ズンッ
床が沈む。
いや、“落ちる”。
局所的に重さが変わり、構造が崩れる。
結果。
新しい大穴。
しかもさっきより深い。
三人、縁に立って下を見る。
沈黙。
「……やったね、もう一つ地下室できたよ」
「用途がありません」
「余計なことをするな」
「解せないねぇ」
マスター、少しだけ笑う。
「……“直す”って言いすぎてるのか」
視線が壁から外れる。
「世界に“完成形”を押し付けてる」
少しだけ笑う。
「そりゃさぁ」
「勝手に“こうあるべき”って決められたら、嫌だよねぇ」
マスター、改めて壁に向く。
今度は力を抜く。
目を閉じる。
「“少しだけ、元に戻ろうとする”」
断定しない。
結果を固定しない。
可能性に任せる。
発動。
壁が、ゆっくりと動く。
無理に埋まらない。
ただ、崩れた部分が“寄る”。
穴が、少しだけ縮む。
止まる。
それ以上は変わらない。
沈黙。
「……今の、いい感じ」
「安定しています」
「それでいい」
短い肯定。
マスター、鼻血を拭いながら。
「ぼかしたほうが、壊れないねぇ」
「最初からそうして」
「学習速度は評価します」
「優しい評価だねぇ」
「まだ足りん」
床の大穴。
壁の半壊。
微妙に直った部分。
「で、これどうすんの」
「……少しずつやろうか」
「今のマスターに、一気修復は不可能です」
「当然だな」
「全員辛辣だねぇ」
「まあでも」
「ええ」
二人、少しだけ視線を交わす。
「“使える”ようにはなったね」
「はい。“やっと”ですが」
マスター、肩をすくめる。
「依頼、受けられるかなぁ」
「最低限はな」
短く、だが確かな許可。
穴だらけの部屋。
でも。
三人の動きは、さっきよりずっと静かだった。
無駄がない。
過剰もない。
“使えている”。
その時。
ドォンッ!!!
一拍遅れて、
粉塵が天井から落ちる。
黒煙。
沈黙。
全員、ゆっくり振り返る。
扉が開く。
中から出てくる影。
煤まみれ。
髪ボサボサ。
でも笑顔。
カノン。
煤が、ぱらりと落ちる。
「いやぁ〜、やっちゃいました」
一拍。
「またです!」
「“また”!?」
シエル、ゆっくり言う。
「……嫌な予感がします」
カノン、首を傾げる。
「そうです?」
マスター、にこやかに。
「ちなみに、何作ってたの?」
「ええとですね」
指を折る。
「異能増幅器」
「半永久エネルギー機関」
「プリンお手軽製造機」
「スケールがバグってる」
「最後のはマスターですね」
「ぎくっ」
カノン、悪びれもなく。
「マスター、新しいの買いますよね?」
沈黙。
風が吹く。
ファニー、ゆっくり振り向く。
「……これ」
「ええ」
「原因だな」
事務所に戻り、
シエルは出費を確認する。
「設備投資履歴」
・謎の装置 ×多数
・修理費
・爆発後の補填
「残高」
「当然、ゼロです」
「お前かぁぁぁぁぁ!!!」
「え?ワタクシですか?」
「お前だ」
マスター、少し笑う。
「まぁでも」
「カノンの発明、役立ってるのもあるしねぇ」
「切り捨てられません」
「くっ……」
その時。
ポストの音。
カラン。
手紙
シエルが拾う。
封筒。
上質。
「依頼です」
「誰からだい?」
「……藤堂という人物から」
「藤堂ってあの?」
「南の島で双子拾った人だねぇ」
「元管理官です」
封筒の中。
紙が、一枚。
……のはずなのに。
わずかに、“重い”。
シエル、読み上げる。
「依頼内容」
「“双子の家からの依頼を引き継いだ”」
「ん?」
「“財宝を探せ”」
「胡散臭いな」
「整理します」
・家 → 双子
・双子 → 藤堂
・藤堂 → 我々
沈黙。
「……なんで?」
マスター、くすっと笑う。
「みんな、いらないんじゃない?」
「だから回ってきた。最後に“うち”ってわけ」
「つまりこれは」
“価値が曖昧なもの”
「あるいは」
“価値がないと判断されたもの”
マスター、少しだけ笑う。
「だからこそ、面白いかもねぇ」
「でも報酬は?」
「高額です」
全員
「受けよう」
クロード静かに。
「…俺は明日から出張が入っている」
一拍。
「面倒事の匂いがするがな」
「保護者不在かぁ」
「黙れ」
「師匠いってらっしゃーい!」
「不安!!」
「極めて不安です」
「今度は、壊さないでいこうか」
マスター「人間重機にクラスアップ!」
シエル「精密機械を目指してください」
ファニー「現状、解体業者だもんね」
カノン「爆破は任せてください!」
クロード「制御しろ」




