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番外編「歯医者は悪の組織」


■境界堂


朝。

鏡の前。

歯ブラシのリズムが、いつもより少し軽い。


カキッ。


音は小さいのに、妙に存在感があった。

マスター、動きが止まる。


「……ん?」


口の中で転がる違和感。

ぺっと出す。

白い、かけら。


「なにこれ?」


「それ歯だよ」


「それ歯ですね」


「……歯、欠けたねぇ」


自分のこととは思えない口調だった。


数分後。


「歯医者に行かなきゃだねぇ」


「うん、正解」


「珍しく即断ですね」


「商店街にあった」


「ありますね」


「……やだ」


「「は?」」


マスター、腕を組む。

やや真顔。

いや、かなり真顔。


「あそこは悪の組織なんだ」


「ジャンルが変わった」


「世界観が急にバトル寄りに」


「だってさ、聞いて?」


指を一本立てる。


「まず椅子に座らされるでしょ」

「はい」


「倒されるでしょ」

「倒されるね」


「口を開けさせられるでしょ」

「治療です」


「光当てられるでしょ」

「照明ね」


「器具が並んでるでしょ」

「器具です」


「“痛かったら手を上げてくださいね”って言われるでしょ」


一拍。


「選択権があるようで無いあの感じ」

「もう拷問前の説明じゃん」


ファニー、吹き出す。

シエル、額を押さえる。


「結論が飛躍してます」


「あと普通に虫歯っぽいし」


「いやでもね、あれ絶対こうだよ」


声を潜める。


「“この親知らず、危険ですね…抜きましょう”」


「普通の診断」


「で、気づいたら」


手でスポンと抜くジェスチャー。


「記憶ごと抜かれる」


「抜かれません」


ファニー、にやり。


「でもさ、放置したらもっと悪いことになるよ?」


「感染、腫れ、発熱。最悪、顎までいきます」


「うっ……」


シエル、静かに畳みかける。


「“定義”でどうにかしますか?」


マスター、固まる。


「“この虫歯は存在しない”と」


「……鼻血出るやつだねぇ」


「しかも親知らずって“過去に固定された構造”だから、いじると代償重そう」


「やめて、すごく嫌な説得」


数秒の沈黙。

マスター、ため息。


「……行くかぁ」


「はい勝ち」


「論破完了」


玄関。

靴を履くマスター。


「もし帰ってこなかったら」


「ただの治療です」


「僕のことは忘れていい」


「むしろ忘れたいのは歯医者側です」



■診察室


白い世界。

光は容赦なく、口内へ一直線。


マスター、仰向け。

まな板の上のコイ…いや、親知らず。


歯医者

「はい、お口開けてくださーい」


(開けたら最後だ…この門は一方通行…)


ここまで来た時点で後戻りはできない、

そんな共通認識が場に静かに広がっている。


器具が並ぶ。

金属の気配。

規律ある殺意。

……いや、治療。


「あー、これは親知らずの裏側の歯が欠けていますね」


マスター、ビクッ。


「現代人は親知らずを使って食べているわけでは無いので、抜いちゃいましょうか」


「え」


世界、停止。


「ちょっと待ってください」

「はい?」


「プリンが食べられない」

「無いですね」


「即否定」


「局所麻酔です」

「はい、チクッとしますよー」


「その“チクッ”が信用できないんですよねぇ…!」


チクッ。


「ん”っ」


だが実際には。

その一瞬の刺激だけが。

ここで明確に“痛み”と呼べる唯一のものだった。


「はい、じゃあ抜きますねー」


器具がひとつ、持ち上がる。

マスターの視界の端に、それが入る。


細くない。

丸くもない。

先端は、何かを“掴むためだけに存在している形”。


(……ペンチじゃん)

(用途、完全に一致してるやつじゃん)


思考が止まる。


(いやいやいやいや)


ゆっくりと、それが口元へ近づいてくる。


(待って、それ工具だよね?)


金属の光が、やけに現実感を持って迫る。


(口の中に入れていい形してないってそれ)


逃げ場はない。

顎は固定されている。

呼吸だけが浅くなる。


(なんで誰も止めないのこれ)


一瞬、視線が歯医者と合う。

いつも通りの、穏やかな目。


(この人、これを日常で使ってる側だ…)


理解してしまう。

ここは戦場ではない。

日常として許されている異常だ。


「……っ!」


抜歯鉗子が、静かに歯を掴む。


ミシッ。

世界が鳴る。


(今の音、人体が出していいやつじゃない…!)


本能的な拒否反応が走り、

次に来るはずの痛みに備えて身構える。


だが。


「はい、終わりましたよー」


「……へ?」


あまりにも軽い終了の宣言が、

その緊張をあっさりと裏切る。


「今の、何?」


「ああ、やっぱりここが欠けていましたね」


取り出された歯は、

ただの“物体”としてトレーの上に置かれていた。


さっきまで自分の一部だったものが、

急に無関係な存在に変わる、

その妙な断絶。


マスター、見つめる。


「……いたねぇ」


「では、麻酔が抜けてから飲食してくださいね」


「……あ、はい」


「今日は硬いものは控えてください」


「プリンは」


「大丈夫です」


「やった」



■境界堂


帰還後。


扉が開く。

マスターが戻ってくる。


頬は少し腫れていて、口元にはガーゼ。

なんとも言えない顔で、ぽつりと落とす。


「……やられた」


小さく、確定した敗北だった。


ファニーはその様子を一瞬だけ見て、

すぐにいつもの軽い調子に戻る。

口元にうっすら笑いを浮かべたまま。


「何本いかれたの」


マスターは肩を落として、あっさり。


「一本」


シエルは小さく頷く。

特に驚きもなく、いつも通りの落ち着いた顔。


「正常です」


マスターは少しだけ間を置いて、二人を見る。

どこか拍子抜けしたような顔。


「でもね」

「ちゃんと帰してくれた」


ファニーは軽く目を丸くしてから、くすっと笑う。


「当たり前だよ」


マスターは遠くを見るみたいに目を細める。


「……意外と優しい組織だった」


シエルは軽く息を吐く。

ほんの少しだけ呆れた顔。


「医療機関です」


ファニーは腕を組んで、首をかしげる。


「で、痛い?」


マスターはちょっとだけ苦笑い。


「ちょっとねぇ……」


シエルの口元がわずかに上がる。


「麻酔切れたら本番ですよ」


マスターの顔が一瞬だけ固まる。


「やっぱ悪の組織じゃん」



■数時間後


マスター、ソファで無言。

さっきよりちょっと元気がない。


ファニーが様子をのぞき込む。


「どうしたの」


マスターはゆっくり顔を向ける。

少しだけ眉が寄ってる。


「じわじわ来てる」

「鈍いのが、ずっといる」


シエルは静かに頷く。


「来ましたね」


マスターは軽く息を吐く。


「これ、波で来るやつだ」


ファニー、少しだけ真面目な顔。


「鎮痛剤は?」


「もう飲んだ」


シエル、満足げにひとつ頷く。


「完璧です」


マスターは二人を見て、ふっと力を抜く。


「でもね」


ほんの少しだけ口元がゆるむ。


「プリンが、やけに神々しい」


ファニー、にやっとする。


「報酬システム発動してる」


シエルもわずかに笑う。


「痛みと引き換えの甘味は強いですよ」


マスター、スプーンを持つ。

ちょっと慎重にひとくち。

一瞬止まってから、


「……うま」


表情がふっと緩む。

ファニーもつられて笑う。


「ほらね、悪の組織じゃなかったでしょ」


マスターはもう一口食べてから、少し考える顔。


「……いや」

「“試練を与えるタイプの組織”だねぇ」


シエルは肩をすくめる。


「それはもう仕様です」




ファニー「結局どうだったの?」

マスター「優しい組織だったよ」

シエル「結論がブレてますね」

マスター「でも試練はある」

ファニー「RPGか何か?」

シエル「ボス:親知らず」

マスター「報酬:プリン」

ファニー「それは周回する人出るわ」

マスター「ドロップ率、高いしねぇ」

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