4 ややこしいやつ来た
■現実側
夕方の街。
ネオンが灯り始める時間。
境界堂のメンバーは通りを歩いていた。
人通りは多い。
だがその中で、
彼らだけが少しだけ異質な空気をまとっている。
ファニーが地図端末を見ながら歩く。
「鏡の怪異かー」
少し肩をすくめる。
「趣味悪いね」
横でシエルが淡々と補足する。
「今回の怪異は鏡を媒介に出現したと推測されています」
「反射面に霊的痕跡が残る可能性が高い」
そのとき。
インカムが弾けるように鳴る。
元気な声。
『聞こえますか皆さん!』
カノンだ。
『ワタクシの新発明です!』
ファニーが苦い顔をする。
「嫌な予感しかしない」
シエルの端末が震える。
ピコン。
勝手にアプリが起動する。
画面を見つめる。
「インストールされています」
『反射霊波探知機です!』
『鏡に残る霊波を解析して怪異を追跡します!』
「勝手に入れるな!」
『便利ですよ!』
シエルが画面を操作する。
レーダーのような波形。
街の地図。
微かな光点。
「確かに霊波を検知しています」
「え」
「追跡可能です」
『でしょう!』
「悔しい!」
三人がそんなやり取りをしている後ろで。
ふらふら。
一人の男が歩いている。
マスターと同じ姿。
だが。
少しだけ違う。
表情がゆるい。
歩き方が軽い。
空白体だ。
街を眺めながら楽しそうに歩いている。
「いやぁ」
「にぎやかだねぇ」
夕方の街。
ネオンがまだ灯りきらない時間。
人の流れの中を
四人が歩く。
空白体はふと立ち止まる。
本屋を見上げる。
「ああ」
ガラスに映る街灯。
「ここはまだ書店だねぇ」
「まだ?」
空白体
肩をすくめる。
「三年後には」
少し指差す。
「カフェになる」
「未来情報を雑に投げないでください」
また歩く。
向こうから夫婦が歩いてくる。
笑いながら。
空白体はちらっと見る。
「あそこの夫婦」
「うん?」
空白体
何でもない声。
「二年後に」
さらっと言う。
「泥沼の三角関係だよ」
「いきなり重い!」
「情報の方向性がおかしい」
路地。
壁に立てかけられた鏡。
表面が歪む。
黒い影。
覗く目。
怪異。
空白体は一瞥する。
「お前」
指を軽く振る。
「うるさいよ」
ぱきん。
鏡は静かに割れ
怪異は消えた。
まるで
最初から
いなかったみたいに。
「今なにした!?」
「説明を」
空白体
歩きながら手を振る。
「気にしない気にしない」
屋台。
紙袋を二つ受け取る。
くるっと振り向く。
「はい、これ」
二人に渡す。
「ファニーの好きなのはエクレア」
「シエルの好きなのは唐辛子せんべい」
袋を覗く。
「食べたことないけど?」
「初見です」
二人とも一口。
沈黙。
「「……おいしい」」
二人が同時に言う。
「あ、そうだ」
小さな袋を取り出す。
「はい」
クロードに差し出す。
「クロードは金平糖」
「……」
「かわいいよ!?」
「意外すぎます」
「好きだよね?」
「……ああ」
クロードは袋を受け取る。
空白体は肩をすくめる。
「まあ、要らなかったら」
さらっと言う。
「あの子にあげればいいよ」
クロード
少しだけ目を伏せる。
「……そうだな」
空白体
くすっと笑う。
「ふふ」
小さく。
「やっぱりね」
「…なんで」
空白体
肩をすくめる。
「教えてあげない」
少し振り返る。
目だけで笑う。
「ぼくはミステリアス担当だからねぇ」
歩き出す。
人混みの向こうへ。
「マスター、待って――」
ファニーの言葉が止まる。
頭を抱える。
「……って、ああもう!」
「紛らわしいなあ!」
空白体が笑う。
「そんなに似てる?」
シエルが少し困った顔になる。
「確かに」
「“空白体”と呼称するのも違和感があります」
インカムからカノンの声。
『ワタクシ的にはマスター二号です』
「それは嫌だなぁ」
肩をすくめる。
「ぼくは直人だよ」
「……そう呼ばれてた」
空気が
一瞬止まる。
「いやそれは違う」
「違いますね」
『違います』
「えー?」
そのとき。
後ろから低い声。
「……そうだ」
全員が振り向く。
クロード。
いつの間にか後ろを歩いていた。
コートの裾が静かに揺れる。
クロードは前を見たまま言う。
「彼の名前は」
一拍。
「――直人だ」
沈黙。
街の雑踏だけが流れる。
ファニー
「……」
シエル
「……」
カノン
「……」
空白体だけが笑う。
「ほらね」
ファニーが指を差す。
「いや待て」
「なんでクロードが知ってるの」
クロードは歩き続ける。
足取りは変わらない。
そして短く言う。
「知っている」
それだけ。
説明はない。
「いや絶対なんかあるだろそれ!」
シエルは少し考え込む。
空白体は面白そうにクロードを見る。
「へえ」
「やっぱり面白い人だね」
その時。
シエルの端末が音を立てる。
ピッ。
霊波レーダーが強く反応する。
画面を見つめる。
「位置を特定しました」
「マジで?」
「はい」
地図を拡大する。
赤い点。
一つの建物。
「この先です」
空白体が軽く伸びをする。
「じゃあ」
にこっと笑う。
「怪異退治かな」
街のネオンが揺れる。
境界堂の一行は
そのまま目的地へ向かって歩き出した。
鏡の怪異の元へ。
そして。
まだ誰も知らない。
その鏡の奥で。
本物のマスターが
怪異と対面していることを。
■鏡世界
砕けた鏡片が宙に浮かぶ。
そこから生まれた
数十人のマスター。
怒り。
絶望。
狂気。
嘲笑。
様々な表情の“可能性”。
その全員が本物に襲いかかる。
だが。
本物のマスターは
まだ一歩も動いていない。
拳が飛ぶ。
マスターの顔の横を通過する。
髪がわずかに揺れる。
ナイフが振り下ろされる。
マスターは半歩ずれる。
刃が空を切る。
爪が迫る。
マスターは少し体を傾ける。
当たらない。
一度も。
怪異が低く唸る。
『なぜだ』
鏡マスターが一斉に攻撃する。
だが当たらない。
避けているようにも見えない。
動きが小さすぎる。
マスターは退屈そうに言う。
「んー」
首を軽く回す。
「これね」
鏡マスターの拳が来る。
マスターはその拳を見る。
そして。
ほんの少しだけ。
視線を動かす。
拳がズレる。
『……?』
マスターが笑う。
「未来が見えてるわけじゃないよ」
手をひらひら振る。
「そんな大層なものじゃない」
鏡マスターの蹴り。
マスターは足を半歩引く。
蹴りは空振り。
「ただね」
鏡の破片を見る。
「君の能力」
指を軽く振る。
「構造が単純」
『何?』
「“可能性”って言ったよね」
鏡マスターが襲う。
マスターは体をひねる。
紙一重で避ける。
「つまり」
「攻撃する可能性」
「当たる可能性」
「外れる可能性」
軽く笑う。
「全部」
指を鳴らす。
「鏡の中にある」
怪異が震える。
「だから」
目が細くなる。
「見えるんだよね」
鏡を見る。
そこには。
攻撃する前の像。
当たる像。
外れる像。
可能性の断片。
マスターはそれを見ている。
だから。
当たらない。
怪異が怒鳴る。
『不可能だ!』
マスターは肩をすくめる。
「いや普通」
「鏡だよ?」
そして。
ゆっくり言う。
「問題はこっち」
黒く染まり始めた鏡片を見る。
怪異の声が低くなる。
『そうだ』
『お前が言った』
『一番怖い可能性』
鏡が軋む。
黒い波紋。
その中から。
人影が浮かぶ。
輪郭が形成される。
肩。
腕。
顔。
そして。
瞳。
ピジョンブラッド。
深い赤。
怪異が笑う。
『これだ』
『お前が恐れる可能性』
『お前が捨てた可能性』
鏡が割れる。
そこから現れる。
もう一人のマスター。
だが。
空気が違う。
冷たい。
感情が薄い。
そして。
静かに言う。
「……なるほど」
怪異が笑う。
『お前の影だ』
『お前の失敗だ』
『お前の――』
その時。
本物のマスターが口を開く。
「違うね」
『?』
マスターは少し笑う。
「それ」
指を向ける。
鏡から出てきた“空白体”。
「僕じゃない」
『何?』
「それ」
肩をすくめる。
「もう外にいる」
空気が止まる。
『……なんだと?』
その瞬間。
鏡の空白体が
ゆっくりマスターを見る。
赤い瞳。
静かな声。
『そうだね』
『僕じゃない』
そして。
少し笑う。
『僕は』
一歩前に出る。
『まだ“生まれてない”』
鏡世界の空気が歪む。
怪異が理解する。
自分の能力。
失敗している。
本来なら。
可能性の影。
だがこれは違う。
これは。
―存在してしまっている。
『なぜだ……』
マスターが答える。
「簡単」
指を一本立てる。
「僕の可能性」
笑う。
「君の鏡より」
「先に“外にいる”んだよ」
鏡空白体が首を傾ける。
『へえ』
『面白いね』
そして。
ゆっくり言う。
『じゃあさ』
赤い瞳が光る。
『どっちが本物か』
小さく笑う。
『試してみる?』
赤い瞳が
静かに細くなる。
怪異が震える。
鏡世界の空間が揺れる。
マスター「影分身の術っ!」
空白体「呼んだ?」
鏡マスター「僕もかい?」
鏡空白体「来たよ?」
ファニー「ややこしい!」
シエル「識別タグが必要ですね」
クロード「増えるな」
シロ「最初から一人で十分じゃろうに」




